柳亭叢書(りゅうていそうしょ)松襲操の色(まつがさねみさおのいろ) 第一回〜第五回

第一輯

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○松襲操の色 第一回

ふみにも松のいろ見えて屠蘇[とそ]の香[か]にほふさかづきもはや住の江や高砂[たかさご]の松は太夫の八もんじと小声で謡ふ屠蘇機嫌付添[つきそふ]男が四辺[あたり]を見廻し「思はず大声が出ましたが巡査[じゅんさ]に見つけられぬは僥倖[さいはひ]見つかりて宜[よ]かったのは今日[こんにち]の晩食[やしょく]の御馳走[ごちさう]広小路[ひろこうぢ]大茂[だいも]一中[いっちう]の順講[じゅんかう]の発会[はっくわい]があるといふ事は兼々[つねづね][きい]て居ましたが若旦那が御出張なさらふとは気がつかなんだ本郷[ほんごう]昼席[ひるせき]が終[はね]て通り懸[かか]った三橋[みはし]の角[かど]で御見出[ごみだ]しに預かったればこそ斯[かく]の如き立身出世ではない松源[まつげん]での大泥酔[おほへべれけ]空腹[すきはら]だけに大そう利[きき]ました此[この][いきほ]ひでは何処迄[どこまで]御先途[ごせんど]を見届ける[ところ]だか先刻[さっき]も申上[もうしあげ]る通り落語家社会が松の内闕席[ぬい]は何分[なにぶん][すみ]ませんから自由がほしふござりますが是[これ]から夜席[よせき]を五軒の欲張[よくばり]ゆゑ御行[おぎゃう]の松の御供だけは丸札[まるふだ]を差上[さしあげ]まして是[これ]にて御免を蒙[かうぶ]ります 「足下[おまえ]が途中で帰ると知[しっ]たら松源[まつげん]から直[すぐ]を言付[いひつけ]て貰ふものを酔覚[ゑひざま]しの運動かたがた此[この]車坂まで来ては乗[のり]たくても最[も]う車がないぜ併[しか]し肝腎[かんじん]の松の内を闕席[ぬか]せるのも罪だから僕[わたし]は一人で歩行[あるい]てゆくが下寺通りは寂寥[さびしい]から迂回[まはりみち]でも車坂の外通りを坂本までぶらぶら行[ゆく]事にしやうよ 「[さう][おっ]しゃっては何ともはや相済[あひすま]ない次第だから寧[いっそ]闕席[ぬく]として御供をしませうか 「イヤイヤ夫[それ]は止[よし]てくんな足下[おまへ]も家業を欠[かい]てはならず僕[わたし]も実は御行の松へ幇間[とりまき]らしい者なんぞを連[つれ]て行[いっ]ては末[ばつ]の悪い事もあるから今夜は此処[ここ]で別れやうが根岸[ねぎし]へ行[いっ]ては一寸[ちょっと]寝酒[ねざけ]に喰ふ物に不自由するから此[この][をり]と提灯[てうちん]は引上[ひきあげ]て貰って行[ゆく] 「せめてもの罪消滅[つみほろぼし]差上[さしあげ]ずば冥利[めうり]の程も恐ろしいサァサァ御持[おもち]下されまし 「ソンナラ何[いづ]れ近日[きんじつ]神田の白梅[はくばい]の夜席[よせき]で会[あは]ふよ 「有難ふございました如何[どう]ぞ御宅[おたく]へも宜しくと行[ゆき]かけしが又[また]立戻り 「モシ若旦那根岸[ねぎし]へ行[ゆく]と仰[おっ]しゃって何時[いつ]の間にやら北廓[なか]へ何だか出来て吾輩[わたくし]を体[てい]よくお避[まき]なさるのではござりませんかェ 「[これ]はぬかった大違ひさと笑ひながらに立別[たちわか]れて落語家[はなしか]の燕貝[えんばい]は広徳寺[くわうとくじ]前の方[かた]へ曲[まが]れば折[をり]と提灯とを持[もち]し商家の息子は山下通りを屏風坂の辺りまで行路[ゆくみち][てら]す満月は旧暦霜月[しもつき]中旬[なかば]にて凍[しも]踏砕[ふみくだ]く駒下駄の音さへさゑて膚[はだ]寒き上野下風[うへのおろし]も枯枝[かれえだ]の桜にあてて何[なに]となく心春めく酔機嫌に亦[また]唄ひ出す声渋く「丁固[ていこ]が夢のむかひ酒ほのぼののいそきぬぎぬにまたとかへりのやくそくも心うきたつ若みどりと云[いひ]つつ坂本町近く来る背後[うしろ]より「モシ旦那と一声[ひとこゑ]かけて羽織の褄[つま]を曳[ひ]く者あるにぞ何心[なにごころ]なく振向[ふりむけ]ば十五六かと見ゑる処女[むすめ]の容貌は春の月[つき]恥かしく柳の眉の薄緑[うすみどり]声は出さねど笹啼[ささなき]の黄鳥[うぐひす]よりも愛らしき面[おもて]を月に背[そむ]けゐるにぞ男はそれと疾[はや]くも暁[さと]り「銀座の煉瓦新富町[しんとみちゃう]が厳[やか]ましいといふ事だから巣を転[かへ]のか知らないが宵の口でも人通りの稀[まれ]な此[この][さび]しい山下通りとは変[かは]った場所へ出かけた者だ併[しか]し愕然[びっくり]させるほど美しい娘[ねえ]さんだから若[もし]や提[さげ]てゐる此[この][をり]の肴[さかな]を見当[みあて]の狐の所為[わざ]か何[なん]にしても眉毛へ唾[つば]を付[つけ]とっくり見た所が矢張[やっぱり][ただ]の別品[べっぴん]だが女でなければ夜の明[あけ]権的[ごんてき]流行[ばやり]の世の中に此[この]美しい年齢[としごろ]密売[ぢごく]をするとは何事だェ警視の御目[おめ]に懸[かか]っては買[かっ]ても売[うっ]ても済[すま]ないが実に貴嬢[おまへ]が売[うる]のなら嘸[さぞ]かし花走[はや]る事だらふねと愚弄[あそび]ながらに裏問[うらとへ]ば「イエ何[なに]吾儕[わたくし]が売[うる]のでは 「ないかェ 「イイエ 「矢張[やっぱり][うる]のか 「[うる]のでもなし売[うら]ぬのでもなし是[これ]には種々[いろいろ]深い仔細の有[ある]ことで御座りますが[そで]振合[ふりあ]ふも縁[えん]とやら如何[どう]ぞ吾儕[わたし]を可哀[かあい]さふだと思召[おぼしめ]して万年町まで入[いら]しって下さいましと話すうちにもほろほろと溢[こぼ]す涙は咲[さき]いづる莟[つぼみ]の梅に淡雪[あはゆき]の解[とけ]かかりたる風情なり男は頭[かうべ]をうなだれて暫[しばら]く考へゐたりしが「密売婦[ぢごく]客を引込[ひきこむ]に配偶[あは]ぬ前[さき]から泣[ない]て見せるとは実が有過[ありすぎ]て気味が悪いが是[これ]には容子[ようす]の有[あり]そうな事[こと]見れば衣服[みなり]も褸[やつ]れ果[はて]て売物[うりもの]らしく花も飾らず如何[いか]にも憫然[かあいそう]に思ふ所から浮気なやうだが今爰[いまここ]で初[はじめ]て会[あっ]た貴嬢[おまへ]に惚[ほれ]た惚[ほれ]たに因[よっ]て色気を捨[すて]て如何[どう]いふ難儀か知らないが一通り聞[きい]たうへ及ばずながら助けもしやうが貴嬢[おまへ]は万年町に地獄屋をしてゐるのかへ 「イエイエ地獄屋ではござりません吾儕[わたくし]は年寄[としよっ]たお母[っか]さんと唯[ただ]二人でと云[いひ]かけて潜然[さめざめ]と又[また]泣出[なきいだ]す憐れさを察して男は声を低[ひそ]め「何を聞[きく]にも此処は往来[わうらい][きたな]い所は厭[いと]はないら貴嬢[おまへ]の内へ一所[いっしょ]に行[いっ]て何かの話しを聞[きき]ませうから此[この]笹折[ささをり]を持[もっ]ておくれと優しき詞[ことば]に情[なさけ]ある男と思へば娘は嬉しく一間[けん]ばかり先に立ち横へ入谷[いりや]街続[まちつづ]軒端[のきば][かたぶき]き壁落[かべおち]茅葺家根[かやぶきやね]の貸長屋[かしながや][かど]といふべき隔[へだて]もなき柾垣[まさめがき]の外に男を立[たた]馳入[はせい]娘は誰[た]が子ぞや戸口に待[まち]ゐる此[この]客は何[いづ]れの商家の悴[せがれ]ならん是[これ]一対[いっつい]美女美男が履歴は次回に説き明[あか]さん

▼ふみにも松のいろ見えて…浄瑠璃の『松襲』にある文句。
▼広小路…上野の広小路。上野山の下にひろがってた一帯。もともとは徳川幕府が火事の際の火除け地としてひろげさせたもの。
▼大茂…広小路にあった有名な料理屋。
▼一中…一中節。
▼昼席…寄席の昼の部の興行。
▼松源…広小路にあった料理屋。『商業取組評』(1880)の「会席割烹」の部でも関脇にあげられている有名店。
▼御先途を見届ける…行く先をみとどけます。「おともをしますヨ」ということ。
▼松の内…お正月。寄席のお正月はむかしもいまもにぎやか。
▼闕席て…寄席の出番をすっぽかす。寄席の芸人さんの間で使われてることばの一ッ。
▼夜席…寄席の夜の部の興行。
▼御行の松…根岸にあった大きな松の木。
▼丸札…寄席や劇場などに入場料いらずで入れる入場券。寄席や劇場で来場者のうちの何人かに当たるくじなどの景品としても配られてたりしました。
▼車…人力車。
▼車坂…下谷にあった坂の一ッ。
▼折…おりづめ。むかしの料理屋さんはおみやげにおりづめを渡してくれたものでした。
▼神田の白梅…神田にあった寄席。
▼北廓…吉原。
▼上野下風…上野山から吹きおりてくる北風。
▼丁固が夢のむかひ酒…浄瑠璃の『松襲』にある文句。
▼銀座の煉瓦…銀座にあった煉瓦街。大新聞、小新聞、雑誌などの社屋も多く立ち並んでいました。
▼新富町…銀座と築地のあいだ。芝居小屋の新富座をはじめ色々な建物が建っていて賑やかな場所でした。
▼巣を転た…商売する場所をかえた。
▼眉毛へ唾を付て…狐や狸などにばかされないために、とするもの。狐や狸は人間の眉毛の本数を数えおわると優位にたてるらしいという俗信からでたもの。
▼権的…権妻。政府の役人や要人などのおめかけさんとなった芸者のこと。
▼密売…「じごく」は私娼のこと。
▼袖振合ふも縁とやら…そでふりあうも他生の縁。
▼容子の有さうな事…何やらわけありな様子。
▼花も飾らず…しゃれっ気も化粧っ気もぜんぜんない。
▼内…家。
▼地獄屋…違法なる売春宿。
▼街続き…まちなみ。
▼軒端傾き壁落し…屋根も壁もぼろぼろ。たいしたぶっくれ家だ。
▼馳入る…駆け込む。

○松襲操の色 第二回

お待遠さまで御座りましたサァサァ此方[こちら]へ入[いら]っしゃいまし其処[そこ]の溝板[どぶいた]が毀[とれ]て居ますからおあぶなふございますと娘の案内[あない]に連[つれ]られて茅屋[あばらや]のうちに入[いり]来る客は外神田[そとかんだ]松住[まつすみ]町の質渡世[しちとせい]益永吉兵衛[まちながきちべゑ]の嫡子[むすこ]竹次郎とて町内中に屈指[びをり]の豪商[ものもち]だけに衣服は更なり持物までも行届[ゆきとど]きし綺麗な男の立入[たちい]るべき家にもあらぬ穢[きたな]さは九尺間口の場末[ばすゑ]裏店[うらだな]畳も僅か四畳のうちを反古屏風[ほごびゃうぶ]にて中より仕切[しきり]奥には如何[どう]やら大病と見ゑる老母が折々[をりをり]に咳入[せきい]る声のみ苦し気[げ]に聞[きこ]ゑて赤貧洗ふが如きは目も当[あて]られぬ斗[ばかり]なる[よろづ]に事の欠茶碗[かけぢゃわん]へ冷たき素湯[さゆ]を汲[くむ]で出すは茶を買ふ事さへならぬと覚[おぼ]しく専[いとど]憫然[あはれ]を益永[ますなが]の悴[せがれ]は座につき四辺[あたり]を見廻し「お前の言ふべきお咄[はな]しを先潜[さきくぐ]りに此方[こっち]からするでもないが恥[はづ]かしさふもぢもぢとしてゐる様子を察しるに慈母[おっか]さんが大病で年のゆかぬ娘の手一ッ如何[どう]にも活計[くらし]の立[たた]ないといふ所から往来へ客を引[ひき]に出かけるのかェと問[とは]れて娘は弥々[いよいよ]恥入[はぢいり][なる]ほど夫[それ][おほせ]の通り困って出るには違ひござりませんが吾儕[わたくし]は素[もと]御蔵前[おくらまへ]札刺[ふださし]酒倉屋醸右衛門[さかくらやぢゃうゑもん]といふ者の通ひ番頭有田弥一[ありたやいち]といふ者の次女お蝶と申ものでござりますが御維新[ごゐしん]以降[このかた]札刺[ふださし]は皆御存知の通りの始末[しまつ]親父は僅[わづか]の資本[もとで]にて浅草の中代地[なかだいち]に米屋を致して居[をり]ましたが四五年前[ぜん]から相場に関[かか]り貯金[ありがね]はいふ迄[まで]もなく失ったうへ借金[しゃくきん]だらけに成[なっ]たを気にして久しく床[とこ]に臥[つい]たうへ一昨年[おととし]の秋病死した歎[なげ]きにつれ母までも引続いて此[この]大病同じ腹の姉にお種といふが御座りましたが同営業[どうしゃうばい]の仲買[なかがい]手代[てだい]三八といふ者と兼[かね]て密通[くっつい]てゐましたが親父が死[しん]で半年も立[たつ]や立[たた]ずに慈母[おふくろ][だふ]寝てゐる其中[そのなか]で吾儕[わたくし]の留守の間[ま]に家財を残らず背負[しょひ]出して今以[いまもっ]踪跡[ゆきがた]知れず実の姉では有[ある]けれど言ふやうない不孝者その悪巧[わるたく]みのお蔭ゆゑ残る台所道具まで皆売払って此[この]場末[ばすゑ]へ引込[ひっこむ]だのは去年の夏[なつ]頼みに思ふ親類も今では散々[ちりちり]ばらばらゆゑ母子[おやこ]二人の暮しながら今年十五の吾儕[わたし]の手一ッ賃仕事ぐらゐではお粥[かゆ]も啜[すす]れぬ物価[しょしき]の高さ切迫[せっぱ][つま]った其上[そのうへ]に此頃の寒[さぶ]さの強いに慈母[おふくろ]の容体[えうだい]が弥々[いよいよ]危篤[きとく][なる]につけ如何[どう]ぞ薬を飲[のま]せ度[たい]せめては一日廿銭か三十銭でも取度[とりたい]と長家[ながや]の衆に話しましたら娼妓[ぢょらう]に成[なれ]と云[いひ]ますが夫[それ]では母の看病が出来ませんゆゑ内にゐて如何[どう]かしやうはないかと云[いへ]地獄とやらをするがよいと勧められても身震[みぶる]ひの出る程[ほど][いや]でございますから夫[それ]ばっかりは出来ませんと断りましたら又[また]いふには貴嬢[おまへ]体の切売[きりうり]をしないまでも其[その]容貌[きりゃう]で客を引[ひい]てさへ呉[くれ]れば御客は貴嬢[おまへ]が売事[うること]と思って一所[いっしょ]に連[つれ]られて来た所で吾等[わたしら]顔ばかり白く塗[ぬっ]てゐて実は彼娘[あのこ]は出ませんがマァマァ遊んでおいでなさいと無理に勧めて身を売[うる]から首だけの看板だと思って精々[せいぜい]勉強してお客を引[ひい]てお呉[くれ]なら婆さんの引手[ひきて]と違ってどんどんお客のあるは必定[ひつぢゃう]さうすれば貴嬢[おまへ]の肌身は穢[けが]させずお客一人の売前を六銭宛[づつ][あげ]やうと言[いは]れて忌[いや]な家業とは思ひながらも差当[さしあた]る母の病気の薬料に詮方[せんかた][つき]て今夜始めてお客を引[ひき]に出ましたが思ひがけなくお情[なさけ]深い貴君[あなた]に御目に懸[かか]りましたは実に嬉しふござりました偽[うそ]を申て済[すみ]ませんが吾儕[わたし]を不便[ふびん]と思召[おぼしめし]て此[この]長家のお角[かく]さんといふ娘を今夜は如何[どう]ぞ買[かっ]て遣[やっ]て下さいましと涙に昏[くれ]ての長物語を熟々[つくづく][きい]鼻うちかみ可愛[かあい]さふとも気の毒ともいはふやうのない不幸なお話し其身[そのみ]を穢[けが]さず母親に薬を飲[のま]せ度[たい]といふ其[その]孝心には感心しました袖[そで]振合[ふりあ]ふも縁の端[はし][なさけ]は人の為ならねば慈母[おっか]さんの療用は及ばずながら此[この]竹次郎が力一ぱいさせて上[あげ]るし活計[くらし]の処[ところ]はいふ迄もなく衣服[きもの]から夜具までも充分にして上[あげ]やうからマァ安心をおしなさいと孝を感じて慰める言葉に実意[まこと]あらはれてお蝶は夢かとばかりの喜び屏風を隔[へだて]て聞[きき]ゐたる母もおづおづ這出[はひいで]て竹次郎を伏拝[ふしおが]み嬉し涙に泣伏[なきふす]さまは地獄で仏に会[あふ]といふ譬[たと]へも斯[かく]と知られたり折[をり]から門[かど]に声有[あっ]て「ヤァヤァ若旦那委細の容子[やうす]は落語家[はなしか]燕貝[えんばい]これにて逐一[ちくいち]立聞[たちぎき]致したと内[うち]へ這入[はいっ]両手をつかへ先刻お別れ申たが如何[どう]考えても寂寥[さびし]い夜道を旦那お一人お歩行[あるか]せ申ては平日[ふだん]御贔屓[ごひいき]に預る廉[かど]が立[たた]ぬと存知[ぞんじ]松の内はぶち抜[ぬい]ても見え隠れに根岸まで御供をしやうと思ひまして引[ひっ]かへした屏風坂下怪しい新造[しんざう]に連[つれ]られて此[この]横町へお曲[まが]りなさるは怪[けし]からぬ悪物喰[あくものぐひ]と呆れて御跡[おあと]を付[つけ]てこっそりと門[かど]に立[たっ]て容子[やうす]を聞[きけ]ば今に始めぬ御慈悲深い思召[おぼしめし]は実に感伏[かんぷく]致しましたと頻[しきり]賞して[やま]ざりけり

▼質渡世…質屋さん。
▼更なり…言うにおよばず。
▼裏店…長屋。「うらだな」という呼び方は表通りに面して建ってないところからのもの。表通りにあるのは「おもてだな」。
▼反古屏風…あちこち破れがでているところを、ほご紙(書き損じや不用になった紙)でぺたぺた直してあるようなオンボロ屏風。
▼赤貧洗うが如き…たいそうなびんぼう。
▼万に事の欠茶碗…「よろずに事欠く」と「欠け茶碗」のかけことば。
▼素湯…なにも入ってないただのお湯。ここでは冷めてるので、ぬるまりきった湯冷まし。
▼憫然を益永…「憫然を増す」と「益永」のかけことば。
▼仰の通り…おっしゃるとおり。
▼御蔵前…浅草の蔵前。
▼札刺…札差。徳川幕府の取り扱う年貢米の売買をうけおっていた商人たち。江戸でもずばぬけの豪商がそろっていました。
▼通ひ番頭…奉公先に住み込みではなく、別に家を持っていて、通勤をしていた番頭さん。
▼御維新…明治維新。札差の多くはこの前後につぶれてしまっています。
▼手代…番頭の下にあたる商家の奉公人。
▼倒と…どっと臥せってる。
▼踪跡知れず…ゆくえがまったくわからない。雲がくれしちゃった。
▼賃仕事…手内職。
▼物価…「しょしき」は「諸色」で、いろんな品物のこと。
▼娼妓に成…吉原に身売りをしろ、ということ。その手のひとが住んでたとは言え、長屋の連中もまた悪い助言をシタモンダ。
▼地獄…私娼のこと。政府から認められていないので摘発されたら逮捕です。
▼体の切売…売春。
▼吾等…地獄をやってるほかのおんなのひとたち。とりあえずお蝶のカワイイ顔でめぼしいお客を連れてこさせて、そのアトの相手は自分たちが引き受けてやるヨ、という大作戦。
▼顔ばかり白く塗てゐて実は…あのコ、お化粧はしてますけど売りはしてないんですよ、というお客の衆にとっては最大の罠。
▼婆さんの引手…隠売婦たちをお客にあっせんするばあさん。
▼必定…確実。
▼薬料…おくすりの代金。
▼鼻うちかみ…チーンと鼻をかんで。
▼情は人の為ならねば…ひとになさけをかけてあげることは、そのひとのためだけでなく、自分の善い未来にも通じるもんじゃ、というたとえ。
▼これにて逐一立聞致した…竹次郎の幇間をしているような落語家なので、芝居噺のようにちょっとお芝居がかってのひとこと。
▼両手をつかへ…両手を下について。おじぎをする体勢。
▼松の内はぶち抜ても…寄席のお正月興行はすっぽかしても。松の内をぬく(寄席の言葉で出演しないこと)のと伊賀局のように松の木を引っこ抜くのをかけて、あとに出て来る「根岸」を利かせたもの。
▼新造…ここでは若い女性のこと。
▼悪者喰…へんなものをお召し上がりになる。吉原のイイ妓楼のちゃんとした女郎ではなく、場末の裏店でかくれかくれに商売してる地獄をお買いになるとは、というこころ。
▼賞して…ほめたたえて。

○松襲操の色 第三回

[まがき]の梅は綻[ほころ]びて黄鳥[うぐひす][き]なく柴の戸の鳴子の音は問ふ人のありとは知れど出迎へぬ心のうちの憂[う]や朦[む]やに置炬燵[おきごたつ]して寝ころびながら田舎源氏[ゐなかげんじ]を操[くり]かへし読[よま]ば感じることありてや「エェ鬱悶[じれったい]と投[なげ]出して起上[おきあが]らんとする折[をり]から小婢[こぢよく]が襖[ふすま]をおし明[あけ]て「吉原の春木屋のおかみさんが御出[おいで]なさいました 「オヤ珍しいねェ此席[こっち]へお通し申なとの詞[ことば]につれて入来[いりきた]る春木屋といふ茶亭[ちゃや]の女房お辰[たつ]は土産の菓子と手拭[てぬぐひ]を傍[かた]へに置き「[まこと]に大ごぶさたを致しまして済[すみ]ません事ねェ二月の末に御年始とも申にくいが態[わざ]つと是は例の通り 「相替[あいかは]りませず難有[ありがた]ふサァサァを別にとらないから火鉢の側[そば]へ進[ずっ]とお寄[より] 「アァ如何[どう]ぞ搆[かま]っておくんなさるなよ時におまへさんは如何[どう]かなすったか大そうにお面[かほ]の色も悪し髪結[かみゆひ]さんが久しく来ないのでも有[あり]ますか野気[やけ]に捨身[すてみ]だといふ景状[ありさま]ですねェ 「如何[どう]せ野気[やけ]ですよ此頃[このごろ]の面白くない事といふ物は実に咄[はな]しさ此[この]田舎源氏に初代の種彦[たねひこ]阿漕[あこぎ]の妬怒[くやし]がる情[じゃう]をよく察[さっし]ては書[かい]てあるが此頃[このごろ]吾儕[わたし]の身のつまらなさといふ物は実に憫然[かあいさう]だと思っておくんなさいよ知[しっ]てお出[いで]なさるかは知らないが旧[もと]は三日[みか]にあげずおいでの旦那が何か出来たのでせう一月の中旬[なかば]からといふものは邂逅[たまさか]に見ゑても何だか鼠狐々々[そこそこ]して急いで帰る事ばかりでしたが弥々[いよいよ]此頃に成[なっ]ては[いたち]の道を切[きっ]たやうに音沙汰なしさ夫[それ]でも月々の俸[もの]なんぞは何故[なぜ]か毎[いつ]もより多くおよこしなさるし何でも是[これ]には深い仔細[わけ]が有[あら]ふと思ふのですから種々[いろいろ]に探索さして見る所が如何[どう]しても分[わか]らないので遺憾[くやしく]て堪[たま]らないのですよ 「オヤオヤそんな愚痴はおまへさんの体[がら]にないじゃァ有[あり]ませんか平素[ふだん]淡薄[さばけ]た気質[きだて]だからこそ益永[ますなが]の旦那が廃業[みをひか]せて[かう]して楽に[かこ]って[おい]て下さるのでは有[あり]ませんか夫[それ]に何も彼娘[あのこ]が出来たぐらゐの事に腹を立[たつ][ふさ]のといふチンチン筋[すじ]は余[あんま]り柔和気[おとなげ]ないでは有[あり]ませんか彼娘[あのこ]だっても今珍らしいうちだから彼地[あっち]へばかり足が向[むき]がちだが程たてばやがて此方[こっち]へお出[いで]なさるに相違ありませんはね其[その]証拠には月々の俸[もの]なんぞも毎[いつ]もより余計にお贈[おく]んなさるといふじゃァ有[あり]ませんか是[これ]が倦[あき]られない確[たしか]な証拠でせう 「オヤオヤ内君[おかみさん]彼娘[あのこ]とおいひなさるのは旦那の持物を知[しっ]てお出[いで]なさるのかェ芸者か娼妓衆[ぢょろしゅ]か何[なん]ですかェ 「イエイエ私も深い事は知りませんが何でも素人[しろうと]の困窮[こまっ]てゐる者の娘で如何[どう]かいふ機会[はづみ]に旦那に出会[であっ]たのを彼[あ]の通り情深い旦那だから憫然[かあいさう]がって池の端[はた]の眺望[みはらし]のある所へ家[うち]を求[かっ]て病人のおふくろ共を引受[ひきとっ]て世話をなさるさうだが其[その]周旋方[しうせんがた]といふものは落語家[はなしか]の燕貝[えんばい]さんが万事引受て取計ったといふ事は確[たしか]に聞[きき]ましたが私は又まへさんも御承知で得心づくの咄[はなし]だと思ってゐましたのさ 「オヤ然[さう]でしたかね東西本暗[もとくら]とやらで一向[いっかう]に知りましなんだが旦那も又酔興じゃァないか立派な芸妓[げいしゃ]だとか娼妓[おいらん]だとかいふならよし貧乏人の娘なんぞを世話をして実に面[かほ]に障[さは]る始末じゃァ有[あり]ませんか聞[きけ]ばきく程[ほど]馬鹿々々しくって[がう]が熟[にえ]ねェ 「[それ]だから今もいふ通り手のある売人[くろうと]なんどと違って鳥渡[ちょっと]出来たのだから珍らしいうちばかりで永持[ながもち]はしないに期[きま]ってゐるから何も其位[そのくらゐ]の事に野気朦気[やきもき]思ふ事は有[あり]ませんじゃァないか夫[それ]では平素[ふだん]のさばけた気にも似合[にあは]ないでお尻[いど]の穴が狭過[せますぎ]るでは有[あり]ませんかェ 「[さう]いって見ればそんな物だけれども如何[いか]に珍らしい者が出来たからとても偶[たま]に顔出しぐらゐはしてもよさうな物だに丸[まる]で鼬[いたち]の道では随分腹が立[たた]ない理[わけ]でも有[あり]ますじゃァないか然[さう]して池の端[はた]の眺望[みはらし]のよい家[うち]なんどを持[もた]して古い吾儕[わたし]は金杉村[かなすぎむら]のこんな鄙[ゐなか]に住[すま]はせてサ 「何さ眺望[みはらし]のあるとはいふものの中々[なかなか]此方[こっち]のやうな奇麗な家[うち]では有[あり]ませんとさ仲町裏[なかちゃううら]の北向[きたむき]の寒[さぶ]い所で門口[かどぐち]には旦那の俳名[はいみゃう][はす]の舎[や]と書[かい]てあるさうですよ 「貧乏人の娘の家[うち]なら蓮葉[はすは]の舎[や]とでもいふ札[ふだ]が相応でせうよと嘲けり笑ふ其折[そのをり]からドンと聞[きこ]ゑる正午の号砲オヤオヤけふは大そう近く聞[きこ]ゑたのは如何[どう]かいふ風の吹廻しかして春木屋のおかみさんが尋ねて来ておくれのは実は嬉しかったよサァ何も旨い物はないけれども昨日鯛[たひ]を味噌漬にして置[おい]たから余[あと]は例の笹の雪を取寄[とりよせ]るとして御飯[ごぜん]を一杯おあがんなさいよと下女に言[いひ]つけ膳立[ぜんだて]させ「一寸[ちょっと]一口つけませうねと京焼[きゃうやき]の奇麗な燗徳利[かんどっくり]を火鉢の銅壷[どうこ]の中へ入れ沸[わく]を待[まつ][ま]も我胸[わがむね]の湯よりも先へ熱[にえ]る成[なる]べし

▼問ふ人…訪問客。ひとのおとずれ。
▼田舎源氏…『偐紫田舎源氏』。初世の柳亭種彦の作品。足利時代をお家騒動を舞台に『源氏物語』の趣向を盛り込んだ作品で、天保のころ大いに人気を博しました。
▼小婢…家の下働きをしてる少女。
▼茶亭…茶屋。吉原でお客と妓楼の間に入る「引き手茶屋」のこと。
▼火…火鉢などの暖房。
▼髪結さん…髪結い床。髪をきれいにとかしたりすいたりしたあと、ピシッと髪型をととのえてくれる商売。
▼初代の種彦…柳亭種彦(1783-1842)江戸の戯作者、本業は旗本。『正本製』や『偐紫田舎源氏』、『邯鄲諸国物語』などの絵草紙のほか、『還魂紙料』などの随筆が有名。高畠藍泉は天保9年(1838)うまれで、生前の種彦と直接の接点はないのですが、長じてから特に種彦の作品を好んで読んでいたそうで、柳亭種彦の襲名も、それが起因になっています。
▼阿漕…阿古木。『偐紫田舎源氏』の登場人物で六条三筋町の花魁。『源氏物語』の六条御息所をもとにしたもの。
▼鼬の道を切たやう…「鼬の道切り」は道を歩いているとき、いたちが目の前を横切って走ること。えんぎがよくない。
▼月々の俸…毎月のおてあて。
▼廃業て…女郎から身受けをして。
▼囲って…おかこいものにする、おめかけにすること。
▼鬱ぐ…気分がふさぐ。
▼旦那の持物…旦那が他に持ってるイイヒト。
▼池の端…上野の不忍池のあたりの地名。
▼得心づく…ぜんぶ納得してある。
▼東西本暗し…灯台もと暗し。
▼腸が熟る…ごうを煮やす。イラッイラする。
▼俳名…俳句を詠むときにつかう。
▼蓮の舎…不忍池にいっぱい生えている蓮にちなんだもの。
▼蓮葉の舎…イイカゲンな女を意味する「蓮っぱ」というのをかけたしゃれ。
▼正午の号砲…正午を報せるために毎日鳴らされていた空砲で、明治4年(1871)から実施されていました。町のひとびとからは「ドン」と呼ばれていました。
▼笹の雪…有名なおとうふ屋さん。
▼銅壷…長火鉢などに付属しているお湯やお酒をあっためるためのもの。

○松襲操の色 第四回

都下の名所に唐土[もろこし]の西湖[せいこ]を摸擬[うつ]す不忍[しのばず]は池の周囲[めぐり]に植添[うゑそへ]し柳も青む夕風に塒[ねぐら]もとむる鴉[からす]さへ歓[よろこ]び声の喧[かし]ましく上野の丘へ群てゆく其[その]鳥影に指さして下女のお熊は莞爾[にっこ]と笑ひアレお蝶さま御覧なさいまし旦那が今日で丁度三日御見ゑ遊ばさないからとて何だか鬱[ふさ]いで入[いら]しったが今にお出[いで]がある知らせかお午後[ひるすぎ]から幾度[いくたび]か鳥影さしますのは異[かは]ったお客か御朋友[おともだち]でも御連[おつれ]になさるでござりませうから御座敷を清[よ]く掃除して御燗[おかん]の湯でも沸[わか]して置[おき]ませうと采配[はたき]と箒[ほうき]を引[ひっ]かつぎ二階を掃[はき]に行く跡に「お蝶お蝶と母の声「アイアイ何でございますと勝手へ入[いれ]ば母お冬は病後の布団の上に座し「今日は旦那がお出[いで]とあればお前も髪を撫[なで]つけて化粧[みじまひ]でもして置[おき]な二日か三日御出[おいで]がないと鬱悶[ふて]ちらかして髪も結[ゆは]ず然[さ]ういつ迄も小児[ねんねゑ]のやうでは旦那も嘸[さぞ]かし御荷物だらふ思ひ出せば先々月しかも五日の夜[よ]であった起居[たちゐ]も出来ず声も出ぬ大病に切迫[せっぱ][つま]ってお前が袖乞[そでごひ]にも劣る卑しい業[わざ]をしに出た時[とき]思ひがけなく若旦那のお前のお袖を曳[ひい]たが縁となり可哀[かあい]さうだと仰[おっ]しゃって其[その]翌日[あした]から名医にかけ絹布[けんぷ]の夜具まで贈って下さり僅か十日も立[たた]ぬ間[ま]此寮[このうち]を買[かっ]たから引移[ひきうつ]って眺望[みはらし]のよい所で養生しろと何から何まで行届いた御世話とお前の孝行が通ったかして口もきかれぬ此[この]大病が[ぬぐ]ったやうに[かう]治ったも旦那の御蔭[おかげ]其上[そのうへ]ならず家婢[ぢょちう]まで使はせて下さるといふ遽[には]かの出世を思ふにつけ譬[たとへ]旦那が十日や廿日御用が有[あっ]て断然[とんと]御出[おいで]がないとても嫉妬[やきもち]らしい事などを決して云[いっ]ては成[なり]ませんぞ然[さう]いふ方ではなけれども孝行なるを不便[ふびん]に思って斯[か]う充分にしてやると増長をして気障[きざ]な事を云[いっ]て甘へる女だと思召[おぼしめし]があった時はお前は勿論[もちろん]私まで申わけのない仕合[しあはせ]ゆゑ女は嫉妬[しっと]を謹慎[つつしん]で御機嫌をそこねぬやうに不平[ふくれ]た顔などをしては悪いよ私が今春[このはる]死ぬ所を蘇生[いきのび]たのは旦那の御蔭[おかげ]母が命の親と思って大事にしなよと懇篤[ねんごろ]に我娘[わがこ]を諭[さと]す母親は流石[さすが]豪商[たいけ]の支配人の妻の果[はて]とて行儀よく賢[かしこ]き詞[ことば]ぞ奥ゆかし斯[かか]る所へ外[と]の方より一杯機嫌の燕貝[ゑんばい]が「竹次郎様の御入[おい]と大きな声にて呼[よば]はりつつ先に立[たっ]て座敷へ上[あが]お蝶さんお聞[きき]なさいまし今日は田畑[たばた]の梅見[うめみ]から是非根岸へといふ処[ところ]を此方[こっち]へお連[つれ]申たは何と手柄[てがら]でござりませう此[この]燕貝[えんばい]へ相当な御賞典が出ましてもよからふかと存知[ぞんじ]ますと云[いへ]ばお蝶は嬉しさふに「[それ]は寔[まこと]に難有[ありがた]ふサァサァ旦那お二階へ直[すぐ]にお上[あが]りなさいましと云[いへ]ばお熊も差出[さしいで]それ御らうじまし吾儕[わたくし]も今日は急度[きっと]お出[いで]があらふと只今[ただいま]掃除をした処[ところ]何と是が売卜家[うらなひや]なら見通しでござりませうねと互[たがひ]に誇れば竹次郎は[これ]さ是[これ]さ騒々しいそんな事は如何[どう]でもよいが老母[おふくろ]は日増[ひまし]に快[いい]かなと勝手の火鉢の前へ据[すは]り「大ぶん気色[きしょく]もよく成[なっ]たね併[しか]し大病後の事だから軽はづみをせずに晩景[ゆふがた]などは早[はや]っから床[とこ]へ這入[はいっ]てゐるがいいぜ 「ヘェ難有[ありがた]ふございます御蔭さまで四五日前から食物[たべもの]も旧[もと]の通りに成りましたし御医者さまも此体[このぶん]では湯に這入[はいっ]ってもよからふと仰[おっ]しゃる程に成[なり]ました何から何まで段々の御礼に詞[ことば]に尽せませんゆゑ今も今とて此[この]お蝶に言[いっ]て聞[きか]せてゐます処[ところ] 「アァ是[これ]さ是[これ]さ面[かほ]を見る度[たび]に其礼[そのれい]は叮嚀[ていねい][すぎ]て気が詰[つま]るモゥ其[その]話しは止[やめ]にして一杯といふ所だが今[いま]鳥八十[とりやそ]で満腹[したたか]に詰込[つめこむ]で来た処[ところ]だから何か淡薄[さっぱり]した物が有[ある]なら燕貝大将に一杯やらせて騒がせるがいい 「ハイ先刻[さっき]御俳友[おともだち]の幸堂[かうだう]さんが芸妓[げいしゃ]と幇閑[とりまき]をお連[つれ][な]すって今日は大かた此方[こっち]だらふと察して飲[のみ]に来たと仰[おっ]しゃって三橋[みはし]前の駿河屋の磯辺湯皮[いそべゆば]を大そうに下さいましたが是は如何[いかが]でござりませう 「アノ磯辺湯皮は海苔に味が付[つい]後座[ござ]の下物[さかな]には[しごく]妙だ[それ]は早速焼[やく]としてお前と老母[おふくろ]は御飯[おまんま]まへなら蒲焼[かばやき]を誂[あつら]へてやればいい鰻[うなぎ]なら又私も一串ぐらゐは意地穢[いぢきたな]に突合[つきあは]ふから 「ハイそんなら余[あんま]り荒くない処[ところ]を例[いつも]の通り取[とり]に遣[やり]ませうと是より又々酒宴[しゅえん]となればお蝶も昔[むか]し習ひたる清元[きよもと]の三味線に端唄[はうた]も多く知ったれば燕貝が興を助け頻[しきり]にめぐる盃[さかづき]に飲[のみ]ぬけの巨魁[おやだま]と音に聞[きこ]ゑし燕貝も座に堪[たへ]ずして勝手へたち火鉢の前へ倒れしまま前後も知らぬ高鼾[たかいびき][ひか]せじと母お冬が夜着[よぎ]うら掛[かく]る老婆心[らうばしん][よ]もはや十時を過[すぎ]ければお熊は二階の盃盤[はいばん]を下[おろ]して床[とこ]を敷設[しきまう]け「ヘェお休み遊ばしましと挨拶[あいさつ]をして下[おり]てゆけばお蝶は炬燵[こたつ]に暖めし竹次郎が褻服[ねまき]を持[もっ]て上[あが]り来[きた]り 「サァお召[めし]かへなさいまし焼湯皮[やきゆば]と蒲焼が大そうに御意[ぎょい]に入[いっ]て例[いつも]にもなく今晩は随分お酔[ゑひ]なさいましたね 「燕貝の潰[つぶれ]るまで相手をしたから大そう酔[よっ]たよ併[しか]し焼湯皮[やきゆば]と蒲焼なら淡薄[あっさり][こげ]て至極旨いが真密[こってり]とした焼餅[やきもち]の黒焦[くろこげ]は下さらないから困ってゐるよ 「オヤ吾儕[わたくし]が何時[いつ]嫉妬[やきもち]らしい事を申ましたェ 「何さおまへの事じゃァない例の根岸の厄介者がさ 「可愛[かあい]さうに厄介者とは余りひどいじゃァ有[あり]ませんかェ焼く焼[やか]ないは右[と]も左[かく]も吾儕[わたくし]よりは古くから御世話をなさるものだから此方[こっち]へ一晩[ひとばん]お泊[とま]りなら御行[おぎゃう]の松へは二晩[ふたばん]と相変[あいかは]らず見捨[みすて]ずに通って上[あげ]て下さらなくっては吾儕[わたし]の罪に成[なっ]て却[かへっ]て悪ふございますから如何[どう]ぞ然[さう]して下さいましよと飽[あく]まで温順[にふわ]な娘気[むすめぎ]は弥々[いよいよ]愛慕[あいぼ]を増[ます]なるべし

▼都下…みやこ。東京のこと。
▼上野の丘…上野のお山。
▼化粧…身仕舞。キレイにお化粧すること。
▼鬱悶ちらかして…ふてくされて。
▼小児…ねんね。こどもみたい。
▼絹布の夜具…絹製のふとん。上等高級。
▼此寮…「寮」は「別宅」や「別荘」を意味することばで、おめかけさんの家として旦那筋が提供する家などは多くの場合こういうおうち。
▼拭ったやうに…パッという間に。
▼豪商の支配人の妻の果…お蝶の母親お冬は、明治になって家が没落するまで、蔵前の大きな札差のおかみさんでした。
▼一杯機嫌…ちょいとお酒のまわったイイこころもち。
▼御賞典…ごほうび。
▼差出て…しゃしゃりでて。
▼見通し…みらいを見通した。
▼鳥八十…鶏料理のお店。
▼磯辺湯皮…ゆばを海苔で巻いたもの。
▼後座の下物…飲んでおわったそのあとでまたパクッと食べるもの。
▼極妙だ…とってもイイとりあわせだ。
▼風…風邪。明治のころまでは病気の「風邪」はそのまま「風」という用字で書くことも多くありました。
▼温順…柔和。やさしいそぶり。

○松襲操の色 第五回

女性[にょしゃう]吝気[りんき]深きは妬毒[とどく]と称して則[すなは]三毒蛇心[じゃしん]なりと故人の戒[いまし]も理[ことはり]なるかなされば妬[ねた]みなき婦[をんな]には幸福[さいはひ]あり妬[ねたみ]ふかき者は禍[わざは]ひを来[きた]す婦人にして吝気[りんき]毒心なく本心明らかなれば[その]良人[をっと]も妻の賢徳[けんとく]に感じ己[おのれ]が非を悔[くひ]て淫乱の迷ひを飜[ひる]がへし家内和合して各々[おのおの]その職業をつとめ繁昌を子孫に伝ふ妻の本心明らかなれば夫も是を軽[かろ]しめず身に三毒の炎[ほのほ][もゑ]ざれば常に心も清浄[きよらか]なるを吝気[りんき]に任せて夫を凌[しの]ぎ他[た]の女に対して荒々しく恐ろしき挙動[ふるまひ]などする仂[はした]なき者は夫を始め一家[いっけ]の者も興をさまし毒蛇[どくじゃ]の如く疎[うと]まれ遂には倦[あか]れて離別せらるる此[この]理を弁[わきま]へずして人をのみ妬[ねた]み我のみ思ふ侭[まま]の益あらんと願ふは悪念の我身を悩まし破る迷ひなれば謹[つつし]まずんばあるべからずお蝶は所謂[いはゆる]不嫉[ふしつ]にして孝順の道を弁[わきま]へたれば竹次郎と奇縁を結び計らざる幸福[さいはひ]を得てしより其[その]恩遇を深く喜び貧苦の昔を思ふにつけ驕[おごり]高ぶる景色なく根岸の[せう]が我為[わがため]に独寝[ひとりね]する夜[よ]も多からんと察して頻[しきり]に胸を痛め竹次郎が肩を揺動[ゆりうご]かし「モシ旦那急度[きっと]さうして上[あげ]て下さいましよ 「急度々々[きっときっと]と余[あんま]り度々[たびたび][いは]れるので何の事だっけか始めの話を忘れてしまった 「アレそんなに話を脇へ翦[そら]しておしまひなすってはいけませんよ御行[おぎょう]の松の姉さんの方へも如何[どう]ぞ行[いっ]てお上[あげ]なさいましと申[まうし]ます事さ吾儕[わたくし]が斯[こん]な事を根を穿[ほ]って[うかが]ふと何だか吝気[やきもち]らしふござりますから今迄は何も申ましなんだが一体根岸へお置[おき]遊ばす姉さんは芸妓衆[げいしゃしゅ]ですか何でおいでなさいますへ 「彼是[かれこれ]御心配に預かっては甚[はなは]だ恐入[おそれいっ]た理[わけ]だがマァ何でもいいとして睡[ね]やうではないか 「イイエお寝かし申ませんよ其[その]姉さんの御素性を吾儕[わたくし]が伺ったとて無益な事ではござりますが吾儕[わたくし]も母の外[ほか]には何も親戚[みより]もない体なり御同様に斯[か]う旦那の御世話に成[なっ]て見ますれば真実の姉さんのやうにも思はれますに付[つい]ては何かの相談合手[あひて]にも成[なっ]て頂き度[たい]ものですから如何[どう]ぞ吾儕[わたくし]の事をも先様へも打明[うちあか]して近日に御行の松へ御一所[ごいっしょ]にお連[つれ]なすって御近づきにして下さいましょ如何[どう]ぞお願ひでござりますからさ 「成程[なるほど]それは尤[もっと]も至極な望みで吝気[やきもち]らしい所がない感心な事だが爰[ここ]に困った事といふのはお前の優しい志[こころ]に引[ひき]かへアノ婦[をんな][ひら]けない大嫉妬[おほちんちん]は実に己[おれ]も持余[もてあま]したのさ初めは北廓[なか]大文字屋[だいもんじや]に清川[きよかは]と云[いっ]て可成[かなり]に売[うれ]た娼妓[をんな]だったが不斗[ふと]した事で買馴染[かひなじみ]とんだ気健[きさく]な面白い妓[こ]だと思ったのは逆上[のぼせ]た間の買冠[かひかぶ]りで千円近くの借金を抜き鑑札[かんさつ]を返上させて根岸へ囲って見た所が矢張[やはり]野におけ蓮華草[れんげさう]で何の風情[ふぜい]もないのみならず忌[いや]な曲解[ひがみ]根性ばかり出して其[その]面白くなさといふものは話しだぜ殊[こと]に此頃お前の事を薄々[うすうす][さとっ]たと見ゑて不満[ふくれ]てばかりゐられるから弥々[いよいよ][ゆく]のが忌[いや]に成[なっ]て自然と足が遠く成[なっ]が如何[どう]いふわけであんな婦[もの]に惚[ほれ]たからこそ身償[みうけ]もしたが今では我ながら気が知れないと大後悔[おほこうくわい]をしてゐるのだから何[いづ]れ誰かに話しをさせて破鍋[われなべ]にもとぢ蓋[ぶた]とやらであんな者でも引取人[ひきとりて]があったら女付[をんなづき]の譲家[ゆづりいへ]として奇麗さっぱりと切[きれ]る積[つも]りさ 「オヤオヤそれでは吾儕[わたくし]が出来たから姉さんが忌[いや]にお成[なん]なすったやうで世間へ対しても済ませんから如何[どん]なお心持の悪い事があるにもせよ相替[あひかは]らず行[いっ]てお上[あげ]なされば何時[いつ]かは吾儕[わたくし]了簡の底も御解[おわか]りに成[なり]ませうし然[さう]すれば自然と姉さんのお気も和[やは]らぎませうから切[きれ]るなんぞと仰[おっ]しゃる事は[口+愛]気[おくび]にも出さないで可愛がって上[あげ]て下さいましよ吾儕[わたくし]の身に比較[ひきくらべ]ても旦那に見捨[みすて]られたなら幾于[どのくらゐ]悲しいか知れますまい如何[どん]なに不自由なさらない所のお娘子[むすめご]かは知らないが離別[ださ]れて嬉しがる人は凡[およそ]世界に有[あり]ますまいと身に引受[ひきうけ]てほろほろと涙を飜[こぼ]すお蝶の貌[かほ]を竹次郎は覗き込み「オイオイお前は何を泣[なく]のだ隣の疝気[せんき]を頭痛だが併[しか]し然[さ]うまで想像[おもひぐる]のは実に感心な事だと思へば益々[ますます]お前が可愛く成[なっ]と云[いひ]かけて莞爾[にっこり]笑ひ「不自由のない所の娘どころ哉[か]親といふのも仮親で無私無暮[しがなくくら]しの場末住居[ばすゑずまゐ]雇人受宿[やとひにんうけやど]をしてゐる者の厄介だが原[もと]は何者の娘だか底の所は此己[このおれ]にも実[まこと]を明[あか]して未[いま]だに噺[はな]さず唯[ただ]或人[あるひと]の噂には如何[どう]いふ事で娼妓[ぢょろう]に成[なっ]たか二三年前までは内藤新宿[ないとうしんじゅく]にゐて夫[それ]から何処[どこ]へやら田舎稼[ゐなかかせぎ]に出かけ又[また]吉原へ出たとの事だが聞[きけ]ば聞[きく]ほど愛想の尽る場数を履[ふむ]だ達者もの実に今ではとんだお荷物さ 「マァそんな事を仰[おっ]しゃらずと出稼[でかせぎ]を成さる程だから種々[いろいろ]な仔細[わけ]が有[あっ]て嘸[さぞ]御苦労もなすったのでせうから其[その]棚下[たなおろ]を止[やめ]にして吾儕[わたくし]と同じやうにお思ひなすって下さいましよと執成[とりな]す言葉も容色[おもざし]も又類[またたぐ]ひなき美しさに愛想弥増[いやま]竹次郎が持[もち]たる烟管[きせる]を投捨[なげすて]て「アア長談義[ながだんぎ]で酔[よひ]も醒め何だか寒[さぶ]く成[なっ]て来たと東風[こち]に柳の糸よりて結べば動く春心[はるごころ]お蝶もじっと羽[は]をしめて被[かつ]ぐ衾[ふすま]は不忍[しのばず]の池に遊べる鴛鴦[おし]よりも猶[なほ]睦まじき夜話しに更行[ふけゆ]く闇路[やみぢ]を物ともせず妬[ねた]みの火焔[ほむら]を焦[こが]し怒[いか]れる息は火を吹[ふく]ばかり咄嗟[とっかは]馳来[はせく]る一個[ひとり]の婦人[をんな]池の周囲[まはり]を這許彼許[ここかしこ]と走り廻って蓮の舎とある門札[かどふだ]に吃度[きっと]眼をつけ「オォ此家[このいへ]と点頭[うなづき]つつ二階を見あげて突立[つったち]しは物凄冷[ものすさまじ]き光景[ありさま]なり抑[そも]此婦[このをんな]は誰[たれ]なるか看客[かんかく]大かた推[すゐ]し玉はん

▼吝気…悋気。しっとのほむら。やきもちをやくこと。
▼三毒…ひとの持っている悪い煩悩。貪欲(あれがほしい)瞋恚(あれにはらがたつ)愚痴(あれはきにくわない)の三ッ。
▼蛇心…蛇は人間の邪心が姿を変えたものとしてもよく描かれています。
▼故人の戒め…むかしのひとはいいました。
▼毒心なく本心明らかなれば…よくないこころもちを発せず、きれいなこころもちであれば。
▼家内和合…家のなかがとっても平和。
▼毒蛇の如く疎まれ…大変きらわれる。「蛇蠍の如く嫌う」の類。
▼不嫉…ねたみの無いきれいなこころ。
▼孝順の道…親孝行で、主人に従順なこころ。
▼奇縁…ふしぎな出逢い。
▼恩遇…手厚い待遇。
▼景色なく…気色なく。
▼妾…おめかけさん。ここではモトモト竹次郎が囲っていた妾のこと。
▼御行の松…根岸。
▼根を穿って…根ほり葉ほりアレコレ聞くこと。
▼開けない…不開化な。明治4、5年ころからよく使われていたことばで、「時代おくれな」とか「進化が足りない」などという感覚で使われていました。
▼大嫉妬…大規模なやきもち。「ちんちん」はお湯が煮えわく時の音から。
▼北廓…吉原。
▼大文字屋…吉原の妓楼のひとつ。江戸町にあった大文字屋清次郎。
▼買馴染…おなじみさんになった。
▼鑑札…遊女の鑑札。これを返上させたというのは身受けをしたということ。
▼矢張野におけ蓮華草…遊女は遊里で逢ってこその面白みで、いざ一緒に暮してみるとそんなに華美なこともない、とのたとえ。滝野瓢水の「手に取るなやはり野に置けれんげ草」の句を引いたもの。
▼足が遠く成た…おとずれなくなった。
▼破鍋にもとぢ蓋…破鍋にとじ蓋。どんなものでもそれなり相応の相手はいるものでござる。
▼女付の譲家…妾宅ごとくれてやる。
▼了簡の底…こころのそこ。
▼隣の疝気を頭痛…他人のことを心配しすぎて自分のほうがわずらっちゃうこと。
▼雇人受宿…口入屋。口入屋の主人が仮の親として書状に名前を書いて判をついてるという状況。
▼内藤新宿…新宿。甲州街道のはじめの宿場。「飯盛女」と称して女郎さんたちもたくさん居た土地。
▼田舎稼…地方のにぎやかな宿場などでそういう商売をしてまわること。
▼棚下し…むかしをアレコレほじくること。
▼弥増す…倍増する。
▼長談義…ながいおしゃべり。
▼咄嗟…ものすごい勢いで。
▼看客…読者のみなさま。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい