実業の栞(じつぎょうのしおり)砂糖商

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砂糖商

砂糖は醤油と共に各家日常の料理に必要欠くべからざるものとて、市中到る処其販売店を見ざる事なく、重[おも]なる製造所としては、本所[ほんじょ]小名木川[おなぎがは]日本精製糖会社、近来益[ますま]す其業務を拡張し来[きた]り、弘く世の需要に応じ居[を]れり。有名なる店は日本橋伝馬町の高島屋、本所松井町の栗林[くりばやし]、京橋八丁堀のカネ有[あり]等にして、此中[このうち]栗林は重[おも]舶来物[はくらいもの]を取扱ひ居る店なり。

▼日本精製糖会社…東京の砂村に明治28年(1895)に鈴木製糖所が設立した日本ではじめてのモダンな砂糖工場会社。のちの大日本明治製糖。
▼舶来物…輸入品。
▲資本金

以上の如き問屋となりては、根が多く舶来物の事とて、その取引に充分の金子[きんす]を要するより、中々[なかなか]小資本の企[くわだ]て及ぶべきならず、如何[いか]に少くとも三四万の有金[ありがね]なくては叶はざるものなり。されば小売となりてはほんの日用品の事とて、容易に営業し得らるるものなり。稍[やや]大店[おほみせ]としては二千円もあらば充分にて、それよりずっと規模を小にしては百五十円乃至[ないし]二百円にて営業し行かるべく、但し斯[かか]る場合は単に砂糖のみならず、金平糖[こんぺいたう]其他[そのた]一寸[ちょっと]したる菓子類をも合[あは]せ販売する事、何処[いづこ]の店も同じ有様なり。

▲仕入

小売店の仕入は凡[すべ]て現金にて、稍[やや]古き店の相応に信用を得たる向[むき]にありては延取引[のべとりひき]も行はれ居れど、これとて高々[たかだか]半月位の期限に過ぎず。

▲利益

問屋の方は云ふまでもなく、舶来品ゆゑ為換相場[かわせそうば]の変動にて種々の差異を生ずべく、小売店にありては平均一割五分の利益を収めらるると云ふ。

▼為換相場…「かわせ」の用字に注意。
▲繁忙の時期

平常[へいぜい]三盆[さんぼん]などより使ひ砂糖の方[かた]遥かに売口[うれくち]よけれど、此業の書入時[かきいれどき]は七月十二月の二期にて、此時は彼[かの][つか]ひ物にとて購[あがな]ふもの多ければ、何[いづれ]の店も中々[なかなか]繁昌するものなり。

▼三盆…高級な白砂糖。
▼使ひ砂糖…日常用のお砂糖。
▼贈ひ砂糖…盆暮れの贈答品用のお砂糖。
▲置減の恐あり

小売業者の大いに苦心する処は、品物の置減[おきべり]の著るしき事なり。アンペラに包みある間は充分に水気[みづけ]を含み居る事とて、目方に些少[させう]の差異も生ぜざれど、一旦店の箱へ移す事となれば、日増[ひまし]に乾燥して始[はじめ]とは大いに目方に相違を来[きた]し、その売行[うれゆき]捗々[はかばか]しからざる店にありては、店頭に固定し居る間に目方のどんどん減少するを免[まぬが]れざれば、平均一割五分の利益も中々[なかなか]気遣[きづかは]るるものなりとぞ。

笹粽[ささちまき]添ふべかりける砂糖かな 疎山

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▼アンペラ…わらむしろ。ダンボールが普及するまで、梱包用として幅広く使われていました。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい