此[この]商業には生木綿[きもめん]、金巾[めりんす]、絹布[けんぷ]、帯地[おびぢ]、双子[ふたこ]等数種の問屋ありて、其[その]巣窟[さうくつ]として有名なるは、日本橋区富澤町[とみざはちゃう]田所町[たどころちゃう]大伝馬町[おほでんまちゃう]元浜町[もとはまちゃう]橘町[たちばなちゃう]等なり。資本金は少なくとも五万円、多きは二三十万円なくても問屋とは云ひがたく、普通十万円位の資本を有せざれば、客の信用も至って薄しといふ。
可成[かなり]の問屋にても、実際に調査すれば、時分所有の品物よりも元方[もとかた]より融通せるが多く、三百五十余名の分[うち]にて資本の豊かなるは幾何[いくら]もあらざるべく、表こそ土蔵造[どざうづくり]の大家屋に、雇人[やとひにん]の二三十人も使用し、品物も店頭より土蔵内まで山の如く積み、一見[いっけん]大商店とは見ゆれど、内幕は▼火の車の苦境にて、▼絹糸渡[きぬいとわたり]りの危険をなすが多し。
は何[いづ]れも産地の織元[おりもと]へ向けて取引す。関西仕入係は其地[そのち]の物だけを取扱ひ、関東仕入係も矢張[やはり]他には手を出さず、メリンスは横浜の商館にて取引するは云[いふ]までもなく、仕払[しはらひ]は凡[すべ]て現金払か、荷着の上[うへ]即時仕払かの▼二途[にと]にて、多くは荷着の上[うへ]仕払ふが例なり。
生木綿[きもめん]等は僅[わづか]に二分か三分位の薄利なれど、其[その]数の捌[さば]けるより計算すれば中々[なかなか]の高となり絹物は惣[そう]じて一割乃至[ないし]一割五分の利益あれど、反数[たんかず]多く出[い]でざれば、利益は遠く木綿に及ばず。併[しか]し婦人用の繻珍[しゅちん]丸帯[まるおび]等の帯地は普通の絹布より割合よろしく、次に双子[ふたこ]の縞物[しまもの]は薄利なれど、矢張[やはり]数にて利益を見らる。凡[すべ]て金高[きんだか]の昇る品は一反に就[つき]ては割よけれど、計算すれば其[その]割にならず。木綿は一反にては僅[わづか]一円に対して二三分なれど、取引多きより積[つも]れば利益多く、結局金高の多き物は数が出ず、安物が勝[かち]を占むるなり。さて無地のメリンス等も矢張[やはり]二三分見当なりとぞ。
は一ヶ月木綿物にて二百円も商売する大店にても、絹物は百万円位に止[とどま]り。以下小店にても皆其割合なり。さて問屋同士の取引は、僅[わづか]に品切物か生木綿等を取引するに止まるより、取引皆無と云っても大差なからん。
は鞘取[さやどり]と云ひ、問屋の品物を借り、小車に葛籠[つづら]を二三個も積みて挽行き、小売店へ貸売と云はんより寧[むし]ろ押付売[おしつけうり]をする也。元来品物は問屋より借りて商[あきなひ]に行くより、貸しても勘定さへ甘[うま]く取[とれ]れば損はなし。併[しか]し之[これ]をなすには、問屋へ信用ある者ならでは迚[とて]も行はれず。猶[なほ]大問屋にては外廻り則ち小売へ卸し歩くは稀なり。
は貸売が十中八九を占め、置買等は▼仕払ひの手堅き客にて上等の部なり。されば十万円の資本ある問屋にても半額位は貸[かし]となり、火の車の問屋は常に荷主に尠なからざる負債を有す。
なるは春季は四月より八月中旬頃までにて所謂[いはゆる]夏物の取引、秋季は九月中旬より翌年一月下旬に至るまでにて、これは冬物の取引なりとす。
は染上りの出来不出来、或[あるひ]は色の配合▼形の意匠等に非常の辛苦を要し、宜敷[よろしき]を得[う]れば中々[なかなか]の利益を収め得れど、若[も]し何[いづ]れにか欠点生ぜし時は、他の物に比べて損失甚だ多しとなり。
一概に小売店と称しても、中には三井[みつい]大丸[だいまる]白木屋[しろきや]等卸問屋より▼遥[はるか]に優れし大店ありて、何[いづ]れも自家特約の▼職場[しょくぢゃう]乃至[ないし]染職場[せんしょくぢゃう]を有し、各産地にもそれぞれ特別の約定[やくぢゃう]ありて、商売至って手弘し。店売は凡[すべ]て現金売なれど、小車に反物を積み各得意先を順廻し商ひするは、自然[しぜん]▼通帳[かよひちゃう]にての貸売なりと知るべし。
斯[かか]る大店向[むき]は別としても、店に綿布[めんぷ]絹布[けんぷ]帯地[おびぢ]等を体裁よく略[ほぼ]陳列せんには、少なくとも四五千円の資本は入用なり。されど一間[けん]間口の小店に至っては、品物も一通り取揃へあるは稀なれば、資本も四五百円あれば何[ど]うか店になる也。
木綿物にて五分以上一割位、絹布類にて一割五分以上二割位、繻珍[しゅちん]の女帯等は最も利益ありてこれは約三割内外なり。されど是等[これら]の品は、毎日売れる物ならねば、木綿物の薄利と対照すれば、木綿物が数の売れるだけ清算上利益なる訳なり。さて利益の最も少[すくな]きはメリンスの無地物にて、多くは一尺或[あるひ]は二三尺と切売し、それに尺のお負[まけ]もあり、何[いづ]れの小売へ行きても直段[ねだん]に相違なく、尺切れ等を見込みて原価だけに売揚[うりあ]ぐれば、上等の部にても大抵幾分かの損となるなり問屋は此品[このしな]にても一円に対して二三銭の口銭あるは明[あきら]かなり。
一は木綿絹布▼何品[なにしな]なりとも商ふもの、二は双子屋とて人形町通り等にある珍柄[ちんがら]▼古渡写[こわたりうつし]の双子唐桟[ふたこたうざん]のみを販売するもの、三は夏季中形浴衣[ゆかた]のみ売るものにて是等[これら]は米商株式仲買等の投機商人、或[あるひ]は▼勇み肌の兄手合[であひ]が相手なり。浴衣は▼芸妓[げいぎ]さては料理店の女中等、代価に糸目を付ず、染上りより▼柄行[がらゆき]の珍奇を好み贅[ぜい]を尽せば、木綿縮[もめんちぢみ]と真岡木綿[まをかもめん]との区別はあれど、一反三円以上の価[あたへ]するあり、双子に至りても一反五円以上のものありて、贅沢品なれば品物も鬱金木綿[うこんもめん]にて上包[うはづつみ]し、桐箱に納め体裁を作れり、従って利益も約三割は確かなりとす。
金の廻る商人は、田所町なり富澤町なりの問屋へ直接に仕入に行けど、金の廻らぬ者は、問屋の部に記せし鞘取[さやとり]俗に才取[さいとり]と云ふ外廻[そとまはり]の売手より借売[しゃくばい]して品物を仕入れるが常にい、非常に苦しき商人の中[うち]には、往々之[これ]を借りて質屋に持行[もちゆ]き一時の融通を為[な]す者もあり、所謂[いはゆる]借金[しゃくきん]を質に置[おく]とは是等[これら]を指して云ふ言葉ならん。故[ゆゑ]に期日に至[いたっ]ても才取に仕払なりがたく、遂には突然閉店する場合となり、▼中なる才取の困難非常にて、已[やむ]なく時に其[その]着衣迄も脱ぎて仕払を付[つけ]る事さへありとか。
花柳界は多く通帳[からひちゃう]にて置買[おきがひ]なり、品物に相当の割増しあるは、元より買手も承知にて求め、一品[ひとしな]の仕払済[しはらひずみ]となるは早くも三ヶ月位なり。根が商売上の着衣なれば、素人[しろと]の服装と異なり、一重[ひとかさね]にて百金二百金も出[い]で、春の出の着物等は最も高価を極[きは]む。さて浴衣[ゆかた]なれば浅草新福富町の竺仙[ちくせん]、呉服は東仲町の古着商兼呉服商大丸屋[だいまるや]、▼友染物[いうぜんもの]は本町の岩田[いはた]等、▼新柳二橋[しんりうにけう]を始め各花柳界へ多く商法する者なり。
夜の更けて星とぶ呉服祭かな 優々
何と羽織縮緬は重し紗は軽し 其角
羅や風にたへざる三挺立 紅葉