実業の栞(じつぎょうのしおり)金物商

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金物商

市内此[この]業者の最も旧家と称するは、日本橋大門通の佐藤四郎兵衛方にて、同家は其[その]昔まだ吉原が同所にありし頃、大門外にて営業を為[な]し居たりきと云へば、彼[かの]明暦の大火以前よりの店なる事を知るべく、又目下大店[おほみせ]ともいふべきは、江戸橋会津屋大門通り浅井半七森田三兵衛等にて、刃金[はがね]専門は石町[こくちゃう]伊坂佐兵衛なり。

▼吉原…もと吉原。明暦年間に浅草たんぼに移る前の吉原。日本橋にありました。
▼明暦の大火…明暦3年(1657)に江戸で起きた大火事。この火事のあと、各所に火除け地が造られたり、江戸の街の区画が改められたりしました。
▲金物屋の種類

一概に金物屋と云[いっ]てもいろいろ種類あり、地金屋[ぢがねや]は鉄銅、鉛、真鍮等を取扱ひ、刃金屋[はがねや]は刃物一切、赤物屋[あかものや]は銅一切、つぶし金屋[かねや]古金一切、輸入金属屋は洋鉄丸釘[やうてつまるくぎ][びゃう]ネヂ家具粧飾品器物屋は神仏金具花瓶[くわびん]薬缶[やくくわん]等建築品屋は凡[すべ]て家屋の工業品を販売す。さて其[その]資本金は大店[おほみせ]となれば四五万円以上限[かぎり]もなけれど、通常一万円以下千円位にて店に成行[なりゆ]くものなり。

▼古金…鉄くず。廃品の金属。
▼洋鉄丸釘…鉄で造られたあたまのまるい釘。もともと日本で造られていた釘は端を折り返して造られていたので区別されてました。
▼神仏金具…神棚や仏壇に使われる金具。
▲鋳物と鉛管鉄管

鋳物[いもの]武州川口より出[いづ]るを最[さい]とし、其[その]原料日本ヅク(和鉄あら金[がね]也)洋ヅク(洋鉄也)を用ひ、洋六和四ぐらゐに交[まぜ]て鋳るものなり、鉛管[えんくわん]鉄管[てつくわん]は重[おも]英米二国より輸入し、細物[ほそもの]には和製もあり。

▼武州…武蔵の国。
▼英米二国…イギリスとアメリカ。
▲繁忙時期

は四五六月と十、十一、十二月にして、他の月は概して閑散なるもの也。


▲利益

輸入品屋は三四割ぐらゐの利益あり、これらは室内の粧飾品にして、地金は余り利なけれど、外国と約定[やくぢゃう]せし内相場の変動にて時に利を見る事あり、惣じて地金工業品建築用品等は一割乃至[ないし]七八分の口銭なり、神仏金具などは一寸[ちょっと]利益あるが如くに見ゆれど需要少く、地金工業品のやうに売高[うれだか]なければつまり同様の利にて、洋鉄丸釘などは、利益薄けれど、纏[まと]まりての販路なれば商売としては面白きものなり。

▼相場の変動にて…原料などの相場変動。
▲下職

といふは重[おも]に鍛冶職[かじしょく]銅壷職[どうこしょく]トタンブリキ職にして、一日平均五六十銭を取る、親方となりて一円ぐらゐの見当なり。

鐘一つ売れぬ日はなし江戸の春 其角

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校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい