実業の栞(じつぎょうのしおり)陶器商

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陶器商

陶器は又我邦[わがくに]美術品の一つにて、其[その]上等品となりては外国に多くの得意を有し、年々これへ向って輸出せらるるもの鮮[すくな]からず。されどそれらの事は暫[しばら]く措[お]き、日常吾人[ごじん]が目に触るるものは、所謂[いはゆる]瀬戸物なるものにて、其[その]種類も茶碗[ちゃわん][さら]土瓶[どびん]徳利[とくり]等の日用品に限られたるが、元より至って需要多き品物とて、其[その]営業者は市中到る処に散在せり、さて問屋として有名なるは霊岸島の加藤石松、同所の三木屋及び加藤助三郎等にて、前者は美濃物[みのももの]を取扱ひ、後二者は弘[ひろ]く諸国の品を売捌[うりさば]き居れり。又小売をも兼たるは神田今川橋の西浦富次郎有名なるが、同人は卸[おろし]を主として田舎向なり。銀座の小柳久兵衛は小売として聞えたる店なり。

▼吾人…われわれ。
▼美濃物…美濃焼き。
▲資本金

問屋としては先[まづ]千円もあらば充分にて山方[やまがた]より普通千五百円の荷は引けるものなり。但し新規の店にても其[その]主人今まで信用ある問屋に奉公したりし場合には、旧主家の顔にて確かに三千円の荷は引けるものと知るべし。さて小売とありては問屋に比べて割合に資金を要するものにて、少くも五百円を出[いだ]さざれば店は張行[はりゆけ]ず。これ如何[いか]なる理由ありてかと云ふに、問屋の主として一地方の品を取引するに反し、小売は其箇[そのここ]に別々なる問屋より諸国の品を仕込[しこま]ねばならざるより、割合に多額の資金を要するなり。

▼山方…陶器の窯元。
▼問屋の主として…問屋は産地の窯と取引をしていて、瀬戸なら瀬戸、笠間なら笠間、美濃なら美濃、その地方の陶器のみを取り揃えている場合が多い。
▲利益

は問屋にて三割と云ふ標準ながら、先[まづ]二割といふ相場にして中々[なかなか]三割平均にはならず、小売となりては優に五割の利を見る事あり、さはいへ根が壊れ物の事とて、利益よき代[かはり]には随分破損多く手返[てがへし]困難なりと知るべし。

▼さはいへ…そうは言っても。
▼手返…かえって。
▲問屋との取引

は前記の如く品によりて銘々問屋が違へば中々[なかなか]手数にて、普通五十円位の現金もて、七十円程の品を引き居[を]れど、当今は山方にて中々[なかなか]勉強し直接[ぢか]に競来[せりく]るゆえ、資本に豊[ゆたか]なる小売は此手[このて]より買込むが多く、取引は六十日仕切[しきり]を通例とす、山方が斯[かか]る手段に出[いづ]るは少数の問屋と取引して永く金を寝[ねか]すより、小量宛[づつ]にても多数の小売を相手として、成[なる]べく早く現金にせんとの考案[かんがへ]なるべし。


▲繁忙の時期

は日用品の事とて何時[いつ]も何時[いつ]もなるべきかと云ふに左[さ]にあらず、昔時[むかし]より此[この]商売の時季は十二月と盆とに限られある通り、最も売行[うれゆき]よきは此[この]二期なり、されど今では盆は余り捗々[はかばか]しからず

▼捗々しからず…パッとしてない。
▲陶器の産地

は尾張を第一とし、之[これ]に次[つい]では会津常陸にて、美濃物は主として田舎向なり。

皿鉢に駒の蹴上げやところてん 其角

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校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい