此[この]業には職商[しょくあきなひ]と仕入商[しいれあきなひ]との別ありて、職商といふは自家に工場[こうば]を持ち、職人をして其[その]製造をなさしむる傍[かたはら]一方に販売を為[な]すものなり。仕入商とは問屋より仕入をなし、店にありては唯[ただ]▼表[おもて]と▼鼻緒[はなを]の取付[とりつけ]をして販売するものにて、市内各所に散在する大小の店は、大方[おほかた]此[この]部類に属す。浅草区[あさくさく]茅町の香取屋は古くより聞えたる店にて、▼通人[つうじん]間に持囃[もてはや]さるる贅沢品[ぜいたくひん]は同家より出[いづ]るもの最も多し。
少しく店の体裁をよくし、贅沢品のかずかず並べ立てるとなれば、差詰[さしづめ]四五千円の資本なくては叶はずされど、市中の小路[こうぢ]などに営業する大半は、普通の下駄[げた]雪駄[せった]麻裏[あさうら]雨傘[あまがさ]など一通[ひととほり]取揃ふるに、凡[およそ]三四百円もあらば充分とせらるるものなり。今仮に資金三百円と見積りて、其[その]仕入品の種類を別[わか]てば、表付台[おもてつきだい]及び面履台[つらばきだい]百円雪駄[せった]廿円歯物[はもの]七十円鼻緒[はなを]七十円麻裏[あさうら]十円▼褄皮[つまかは]五円雨傘[あまがさ]廿五円といふ見当[けんたう]にて、どうやら見苦しくなく店は飾らるると云ふ。
は品によりて一定せざれど先[まづ]平均して三割五分は確[たしか]なりとぞ。細別すれば一円内外の品にて凡[およ]そ三割、それ以上三円内外のものにて三割五分、またその上となれば儲[まうけ]は益々多く四割五割の▼算当ながら、普通素人向[しろうとむき]として最も需要多きは、高くも三円内外に止[とど]めを刺し、俳優[はいゆう]落語家[はなしか]芸妓[げいぎ]等▼派手稼業のものならねば、それ以上の品を求むる事なく、高価のものは至って数が出[い]でねば、自然売口よき通常品の利あるに如[しか]ず。
は云ふまでもなく盆と正月にして殊[こと]に正月を前に控[ひか]へたる十二月最も忙しきものなり、此際[このさい]は何人[なにびと]も新年を迎ふる事とて、上[かみ]は紳士紳商の家族より下[しも]▼裏店[うらだな]住[すま]ひの日雇人足[ひやとひにんそく]の妻子まで、何[いづ]れも之[これ]を新調せざるものなく、一月七月は商家の雇人[やとひにん]が▼藪入[やぶいり]に買求[かひもと]むるより、自然平常[へいぜい]より数の出るものにて、猶[なほ]毎年▼五月雨[さみだれ] の季節は足駄[あしだ]雨傘[あまがさ]の売行よく、先[まづ]此[この]業者の書入時[かきいれどき]なり。
下駄に貴[たっと]ぶ処は▼柾[まさ]の細疎[さいそ]にある事いふまでもなけれど、表[おもて]と鼻緒は相俟[あいまっ]て台[だい]を引立[ひきたて]しむるものなり、従来表は▼南部籐表[とおもて]に限られしが近来右の外[ほか]に籐表[とおもて]細工物吾妻表[あづまおもて]などいふ稍[やや]美術的の物[もの]製造せられ、可[か]なりの売行ある由[よし]なるが、猶[なほ]上物[じゃうもの]としては、南部の高尚なるに及ばず。鼻緒も又年々贅沢品出来[しゅったい]すれど、矢張[やはり]強固[じゃうぶ]一式としては男物の皮類、優美なるは男女両用の繻珍[しゅちん]一楽物[いちらくもの]いつもながら廃[すた]りなくも、但し其[その]太さ細さ縫形[ぬひかた]に時々の流行あるは云ふまでもなし。
は一時稍[やや]廃り気味にて、足弱[あしよわ]の老人ならでは用ふるものなかりしが、近来又々▼気を持来[もちきた]りて世の需要漸[やうや]う多きを加へ、妙齢の婦人達が▼物見遊山[ものみゆさん]などに穿[は]くもの多く従って其[その]表[おもて]には種々意匠を凝[こら]したる高価のものあれど、要するに一部の嗜好[しかう]に過[すぎ]ず。
下駄さげて水鶏[くいな]のうしろ通りけり 一草