此[この]営業は極めて近年発達したるものなれども、広告と云ふ事は決して▼昨今始まりたるものにあらず古の江戸時代にありても▼毎春刊行されたる草双紙類の▼末には、少々ながら已[すで]に種々の▼広告の載せられたるを見ても、此事[このこと]の早う世に行はれたりしを知るに足[たら]ん。併[しかし]ながら当時は何[いづ]れも広告主自身がそを依頼に行きたるものにて、今の如くそを取次ぐをもて業とせる者はなかりしなり。斯[かく]て世の漸[やうや]く文明に趣[おもむ]くにつれ、新聞雑誌の刊行▼日に盛況を極め来[きた]りしより、その紙上を利用して之[これ]に広告を為[な]す者追々多くなりにければ、ここに始めて新聞雑誌社もしくは書店等と広告主との間に立[たち]て、広告の仕方を軽便に取次ぐといふ営業も生じたる訳也[わけなり]、されば、此の業者の最も古顔に成[なり]ても、今日の処[ところ]創業以後二十年間の日月を経たるものは稀[まれ]にて大方は十年乃至[ないし]十四五年の処なり。有名なる店は京橋区宗十郎町の正路喜社[しゃうぢきしゃ]、元数奇屋町の弘報堂[こうはうだう]、同区新肴町の弘業社[こうげふしゃ]、神田区須田町の金蘭社[きんらんしゃ]同区千代田町の博報堂[はくはうだう]、大阪の万年社[まんねんしゃ]等にて、また京橋銀座の広目屋[ひろめや]は商家売出[うりだし]開店等の装飾をも請負ひ居[を]れるが、其他[そのほか]各通信社は半面に何[いづ]れも此業を営み、数年前には京橋区南佐柄木町に日本広告株式会社といふものさへ設立せられたり、如何[いか]にその業務の盛[さかん]なるはこれを以[もっ]ても知らるべし。
凡[すべ]て世の広告主は己[おの]が望みの新聞雑誌にその広告を出[いだ]さんと欲する時、自らそれへ依頼すれば▼早手廻[はやてまはり]の如くに思はるれど、斯[かく]せば一々[いちいち]其[その]発行元へ出向く面倒あるが上、其[その]料金もそれぞれ規定通[どほり]を払はざるべからず。然[しか]るに之[これ]を一取次店に任せば、第一▼諸方へ出向くの手数を省[はぶ]くのみならず、広告料金は余程の割引となる徳あり。これ取次店は種々の広告を一つにして常に新聞雑誌社に持込むより、自然料金割引の特約ある故[ゆゑ]にて、見ず識[しら]ずの素人[しろうと]には到底得られざる特典なりとす、斯て取次店の利益と見るべきは其中間にありて広告料に応じたる手数料を取る事になれば、己[おの]が店への依頼者さへ絶[たえ]ねば唯[ただ]新聞社なり雑誌社なりへそを持運ぶのみにて、直様[すぐさま]金にになるといふ極めて割よき営業なり。されば此業を始むるに当たって巨額の資本を投ずる者とてはなく、又元より充分の資本を持[もて]る者の取懸[とりかか]る程の業にはあらざるなり。
広告取次業にして唯[ただ]店頭[みせさき]にその看板さへ出し置けば、▼坐[ゐ]ながら依頼者が続々来るといふお誂[あつら]ひ通りに行[ゆか]ば、元より此業位苦もなきものは無かるべく、従って其資本といふものも少しも要[い]らう道理なく、唯これを新聞雑誌社へ運びさへすれば手数料は働き次第といふ有様にて、世に是程よき業はあらざるべきが、さう甘[うま]くは決して問屋で卸[おろ]さず。元より割よき営業だけに、其競争者は到る処にある事とて、店にてお客を待つといふ呑気[のんき]な真似は夢にも出来得[できう]べくもあらざれば、是[ここ]に於[おい]て所謂[いはゆる]広告取[かうこくとり]といふ事を為[な]すの要あり。先[まづ]常に広告を手広く諸方へ出す向[むき]若[もし]くは出しさうな家へ向[むけ]て我[わが]店員を差遣[さしつかは]し、百方これに▼誘説[いうぜい]を為[な]し時に他店の▼得意を奪ひて吾物[わがもの]とする位の運動をせざれば、業務の進捗[しんしょう]は決して見難[みがた]きものなり。已[すで]に此事は立派なる店にありても常に怠[おこた]らず為[な]し居[を]る事にて新[あらた]に開業したる者には殊[こと]に大切にして、店の成立[なりた]つと成立[なりたた]ざるとは一に此[この]誘説[いうぜい]の▼成否如何[いかん]にありされば、如才[じょさい]なく愛嬌よきもあれば、面憎[つらにく]きほど図々しきもあり、斯[かく]て、彼等[かれら]の▼俸給[ほうきふ]はさして高額ならず、普通は十円乃至十五六円の処にして、古参の敏腕家となりても漸く二拾五円乃至三十円止[どま]りなり、極りの給料はこれのみに止[とど]まり、其他、各自の技倆次第[うでしだい]にて取来[とりきた]る広告料に応じ利益を分配するの規定なりとす。これ以外の設備として用意し置くべきは、万一広告主の料金支払滞[とどこほ]りたる場合に、一時[いちじ]代[かは]って之を掲載したる新聞雑誌社に支払置[おく]べき金にして、其準備として千円もあらば可成[かなり]手広き取引は出来得べしとぞ。
新聞記者に硬派軟派の別あるが如く、此[この]広告取にもまた両派ありて、立廻る得意先は各分業になり居[を]れり、尤[もっと]もこれは業務の都合上より分[わか]ちたるものならず、誘説員[いうぜいゐん]の得意不得意より自然と斯[かか]る区分を生じたるにて、即[すなは]ち甲は銀行向[むき]などには得意なれども、薬屋などへは不向なる時、勢[いきほ]ひその得意なる方を▼専一[せんいつ]と勉[つとむ]に至れるが如し。さて其所謂硬派に属するは銀行▼書林等へ向くものを云ひ、薬屋小間物屋などへ出入するものを所謂軟派と称せり。されどこは唯[ただ]彼等[かれら]内部の区分に過[すぎ]ねば、硬軟両方へ立廻るとも、そは其者[そのもの]の技倆次第[うでしだい]にて元より任意の事なるが、人間万能にあらざる限り何[どう]しても区別が出来[いでく]るは免[まぬが]れ難[がた]き事ならむ。
は先[まづ]書林と売薬商にして、彼等が新刊物もしくは新薬を売出[うりいだ]さんとする時この広告といふ一法を除いては早く之[これ]を▼世上に知らするに由[よし]なければ、さる場合常に大々的の広告を出[いだ]さざる事なく、猶[なほ]従来は煙草[たばこ]商が新しき品を製造せる時、よくこれを利用したるものなれども、▼官業に遷[うつ]れる今日となりては、已[すで]に昔の夢に過ぎ去りたり。
斯[かく]て此業の全盛を極むるは、云ふまでもなく商業盛大の時代にあれども、これを一年に割[わり]ふれば先[まづ]第一に春季一月にして、各新聞雑誌とも此時は平常[へいぜい]より紙面を多くするより、従って掲載の広告賑[にぎは]しく、これに全国の各銀行会社の決算報告殆[ほと]んど一ヶ月に渡りて掲載さるれば、最も忙しきは此時なり。これに次[つい]では七月にてこれ又決算報告の影響なる事▼論なく、又時期を小区分にして一ヶ月に割[わり]ふれば、概して月始めが景気よく、月末は自然其数を減ずるものなりと。
広告の効能述べつゑびす講 六欣