世帯平記雑具噺(せたいへいきがらくたばなし)中のまき
つき従ふ面々には、越後の国の住人、▼縮野三郎[ちぢみのさぶろう]合羽義太夫[かっぱのぎだゆう]▼松坂志摩守[まつざかしまのかみ]▼武蔵坊弁慶縞[むさしぼうべんけいじま]股引はく兵衛[ももひきはくべえ]ふんどし越中前司締安[ふんどしえっちゅうのぜんじしめやす]なり、そのほか一騎当千の勢ありといへども、▼内証[ないしょう]のやり九郎[やりくろう]が為に▼ぶち殺され、合戦の間に合はぬと見へたり、
斯[かく]て双方、勢を揃へ、座敷ヶ原[ざしきがはら]と板の間ヶ原[いたのまがはら]との境、敷居溝川[しきいのみぞがわ]へ押出[おしいだ]す、頃は、てんつく天皇の▼御宇[ぎょう]▼焙烙[ほうろく]元年、▼へのえいたちの十三月、▼猫の一天に両陣一度にどっと鯨波[とき]をつくり、討手方[うってがた]の先陣、食篭弁当[じきろうべんとう]の手より、梅干しの▼種子島[たねがしま]、鉄砲玉の座禅豆[ざぜんまめ]を、はらはらと打ち出す、座敷方よりは、将棋の判官[しょうぎのはんがん]飛車くて角なわ十文字に備へを破らんと、駒をならべて乗出[のりいだ]す、これを見て、つるかけ升之介白米[つるかけますのすけはくまい]▼一升懸命[いっしょうけんめい]に計[はか]って勝利を得物[えてもの]の▼米挿[こめさし]の竹槍をひっつかみ、無二無惨に突き立つれば、▼先手[さきて]はくづれて将棋倒しにばらばらばら、是を見るより▼馬上左衛門[ばじょうさえもん]と名乗り、提灯[ちょうちん]の皮具足に身を固め、▼くじらの弓に銅鎖[あかがねぐさり]の弦[つる]を張り、 ▼矢の根は▼会津の百目がけ、釜冠者をめがけ放す矢先は運のつき、升之介が胸板へ、ろうそくの流れ矢きたって、▼はわしと立つ、眼もくらみ、板の間ヶ原にて討死になす、
ここに於いて勝手方より山椒介入道擂粉木[さんしょうのすけにゅうどうすりこぎ]と名乗って押出[おしいだ]す、座敷方よりふんどし越中前司[ふんどしえっちゅうのぜんじ]「身丈[みのたけ]三尺に足らずして、擂粉木[すりこぎ]に▼味噌をつけん」と打ってかかれば、擂粉木は越中を突き破らんと打ち立つる、越中、擂粉木を包み取らんとす、 されども擂粉木、手練[しゅれん]の早業[はやわざ]八人前、ちょくと飛退[とびの]きゆかんべい、越中怒[いか]ってひしゃぐを、擂粉木、鍋切[なべきり]といふ▼十能微塵[じゅうのうみじん]に切り立つれば、擂粉木、▼報ず報ずと切り結ぶ、互いに勝負を決せんと▼鎬[しのぎ]を削る折からに、不思議や見世[みせ]の神棚の、天の扉[あまのとびら]を開かせて、神の御声[みこえ]のしかじかと、「かかるめでたき君が代に雑具道具[がらくたどうぐ]の同士軍[どしいくさ]、早々和睦[わぼく]」と曰[のたま]へば、数多[あまた]の諸道具、がらくたがらくたがらくたと平伏[ひれふし]て、そのまま和睦に及びける、
是よりしばらく太平の世となりしが、爰[ここ]に天竺四日市[てんじくよっかいち]やっかい長者が召使い、▼釜元爨介入道[かまもとさんすけにゅうどう]と言へる者、 日頃あつかひどころの勝手の諸道具、座敷の道具と威勢を争ひ、去[さんぬ]る焙烙元年へのえいたちの▼十三月、既に一戦に及びしかど、大神宮の神徳[しんとく]により早速和睦[わぼく]ありしが、今その憤[いきどお]り止むことを得ず、再度[ふたたび]軍勢を揃へ、座敷道具を打ち潰さんと企[くわだ]つる、されば討手[うって]の大将、▼竈将軍火の元土塗[かまどしょうぐんひのもとのつちぬり]公の▼下知に任せ、執権職[しっけんしょく]、▼鍋九郎太夫宗任[なべのくろだゆう むねとう]▼ 釜輪五郎尻炭[かまわのごろうしりすみ]、おのおの組下の物どもをひそかに呼ぶこの笛を福徳三年、▼味噌漉[みそこし]▼水嚢[すいのう]▼米上笊[こめあげざる]、我も我もと馳せ来たる、
頃は▼引窓[ひきまど]の▼障子元年、▼明かりを取[とり]の年、皿さ鉢月七厘の日の▼早天[そうてん]に、板の間ヶ原に軍勢を揃へ、座敷道具の籠もりたる▼備後表[びんごおもて]の畳ヶ原の城郭さして▼発向[はっこう]なす、まっさきには綴[つづ]れの錦に釜敷きの跡ついたる▼雑巾襴[ぞうきんらん]の旗、縁下風[えんしたかぜ]に翩翻[へんぽん]と吹きなびかせ、先陣の大将、鍋九郎太夫宗任、▼あぶりこ縅[おどし]の大鎧、勝手兜にお玉杓子[たまじゃくし]の指物なし、鍋敷きの駒に▼藁房[わらぶさ]さげて打ちまたがり、鍋弦[なべつる]かけたる▼鉄弓[てっきゅう]を引きしぼり、「火箸のとがり矢、▼なべやあられと射かけん」と喚進[おめきすす]んで乗出[のりいだ]す、引きつづいて銅鍋綱[あかなべのつな]の▼末葉[ばつよう]、いりとり鍋五郎蓋塗[いりとりなべごろうふたぬり]、▼反古[ほご]張り団扇の前立て物、五徳と名づけし三足[みつあし]の駒に打ち乗り、菜箸[さいばし]振り立て下知をなす、中陣の大将釜輪五郎尻炭が装備[いでたち]は、▼蒸篭甑[せいろうこしき]の陣羽織、▼敷寐[しきね]の幌[ほろ]武者にて、焚付毛[たきつきげ]の荒ら馬に、▼あぶくたって備へ立ったり、あとにつづいて、かちかち山の住人、▼火口九郎左衛門箱長[ほくちくろうざえもんはこなが]、火の玉縅[おどし]の大鎧を▼草摺り長[なが]に、さっくと着なし、横たへ出[いづ]る鎌槍[かまやり]は、火打ちの石突、硫黄の穂先、▼附木[つけぎ]の駒の平首[ひらくび]に引添[ひっそ]へ、「ほん▼升屋が打ちたる刃[やいば]の味はひ見せんぞ」と▼火打文字[ひうちもんじ]に乗出[のりいだ]す、後陣の大将、近江煎司茶釜[おうみのせんじちゃがま]の嫡流[ちゃくりゅう] ▼茶々木茶夢郎茶雅綱[ちゃちゃきのちゃむろうちゃがつな]、茶壷の胴丸に▼茶つ頭[ちゃつがしら]の茶ぶとを着し、茶袋の幌[ほろ]をかけ、茶び月毛の駒に▼茶ら鞍[ちゃらくら]置いて、ちゃっと乗出[のりいだ]したり、
遊軍には砥石[といし]山の住人、▼庖丁四郎砥政[ほうちょうしろうとぎまさ]▼水桶皮[みずおけがわ]の鎧に兜鉢[かぶとばち]を猪首に着なし、 太刀は名に負ふまぐろ切り、軍[いくさ]にかつを作りの細身ながらも、挿し添へて薄刃の長刀[なぎなた]脇に掻込[かいこ]み、真菜板[まないた]の駒に▼真菜箸[まなばし]の鞭[むち]を当て、平一面[ひらいちめん]に乗出[のりいだ]す、はるかに遅れて物置の住人、▼松木臼井定光[まつのきうすいのさだみつ]は、▼さんだらぼうしの前立て打ったる兜を着[ちゃく]し、白く搗毛[つきげ]の駒に米鞍[こめくら]置いてゆらりと打乗[うちの]り、むかし取ったる杵柄[きねづかを横たへ▼つき米、籐[とう]の大弓に▼一升枡の弦をかけ、とぎすましたる白羽[しらは]の矢の根、▼大雁又[おおかりまた]携へたり、是等[これら]の兵を大将として、随ふところの武士には、▼薬缶太夫煮湯熱盛[やかんのたゆうにえゆのあつもり]▼鎌倉五合徳利酒政[かまくらのごんごうどくりさけまさ]▼糠味噌腐臭守香師直[ぬかみそくさしのかみこうのもののう]▼膳谷判官坪平[えんやはんがんつぼひら]▼箸波一膳守塗吉[はしばいちぜんのかみぬりよし]湯桶入道汁注[ゆとうにゅうどうしるつぎ]木鉢宮の大藤内[きばちのみやのおおどうない]肥前の擂八[ひぜんのすりばち]皿三太郎[さらさんたろう]をはじめとして、そのほか、なんのご茶湯[ちゃとう]に欠け茶碗、▼へちまの皮、灯明皿[とうみょうざら]、▼片口[かたくち]など、くちぐちにささやき合ひ、何[いず]れも向ふ水がめの血気の早り気八人前、敵と引組[ひっく]み取って押さへ、▼くび桐柄杓[きりびしゃく]と勇みに勇み、我おとらじと発向[はっこう]す、
扨[さて]討手方の惣大将は火廼要鎮[ひのようじん]と書いたる幡[はた]をまっさきに押立て、竈将軍火の元土塗[かまどしょうぐんひのものとのつちぬり]公、その日の装備[いでたち]には、欅[けやき]皮の厚板に金物打ったる大鎧、▼消壷[けしつぼ]の兜を猪首に着なし、惣銅壷[そうどうこ]の銅[あかがね]づくりの太刀を佩[は]き、灰毛[はいげ]の駒に打ちまたがり、随ふところの勇士には、薪割鉄之介焚炭[まきわりてつのすけたきすみ] ▼大鉞[おおまさかり]を真向[まっこう]に搆へたり、引き続いて▼雑木の松王[ぞうきのまつおう]▼堅木の梅王[かたきのうめおう]▼桜薪[さくらまき]、都合主従、斧一挺[よきいっちょう]割り込み割り込み、 「敵の奴輩[やつばら]ひといぶし、いぶしてくれん」 と焚きつけ駆けつけ、相[あい]加はる、