嘗て試みられたる新聞夕刊(かつてこころみられたるしんぶんゆうかん)

西田伝助翁の談
黒田撫泉氏の談

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談話 西田伝助 Nishida densuke
談話 黒田撫泉 Kuroda Busen
明治40年(1907)

明治39年(1906)10月27日から夕刊を定期発行するようになった「報知新聞」が、その満一年を迎えた際に紙面に掲載をしたもので、「報知新聞」が夕刊を発行する以前に夕刊(あるいは昼刊)を発行していた新聞紙に関係のあった人物の懐旧談をしるしています。

▼西田伝助…(1838-1910)号は菫坡(きんぱ)あるいは霞亭乙湖(かていおとこ)。辻伝右衛門がひらいていた貸本屋の番頭さんでしたが、明治5年(1872)にもともと長く付き合いのあった山々亭有人、落合芳幾たちが「東京日日新聞」を開業するにあたってそれに参加し、ながく東京日日新聞に席を占めていました。八犬伝と歌舞伎に関する知識量が豊富でその暗記力は大変なものだったとか。
▼黒田撫泉…(生歿年不詳)東京朝日新聞の記者。来歴などはあまり伝わっていません。
▼掲載…西田伝助の談は10月28日、黒田撫泉の談は10月29日に掲載されました。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい