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嘗て試みられたる新聞夕刊(かつてこころみられたるしんぶんゆうかん) 黒田撫泉氏の談

西田伝助翁の談
黒田撫泉氏の談

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嘗て試みられたる夕刊

▲ 東京朝日の昼刊 (黒田撫泉氏の談)

弊社で発行したるは夕刊よりは早いので先[ま]づ昼刊とも云ってもよからうか朝刊に次いで午前十一時頃に発行したものです明治廿九年の末より始め翌年の夏に廃したのですが当時は読者よりも歓迎され編集の側[がは]でもはげんだが唯々[ただ]地方売捌きとの連絡調和が取れずして終ったのは残念です殊[こと]に貴社の今日ある所以[ゆえん]を思へば当時編集の任に当った余[よ]の感慨は又格別です扨[さて]編集の順序を申すと朝刊の方を午後六七時にすぎに締め切り其後の版を夜中の活動によって編集するので此の夜中の編集に当ったものは加藤眠柳[かとうみんりゅう]右田寅彦[みぎたとらひこ]根本吐芳[ねもととほう]岡田翠雨[おかだすいう]の諸氏及び余で三品藺渓[みしなりんけい]氏も居たが重[おも]に早仕舞でした昼の出来事と云ふと極[き]まり切ったものであるが夜間起るものは三面に属する活社会物であるから之[これ]を敏速に報道するのが目的で始めたので夜間の編集は六七時頃の朝刊締切りを引次[ひきつ]いで夜間事あれかしと風雲を望んだもので第一番成功して愉快で読者より非常の賛辞を得たのは八王子の大火事でした夜の九時か十時頃でもあったか 西方を見ると空一面夕焼の様に輝き渡った八王子の大火事であるのでそりゃこそシメたぞ活動は此時[このとき]なり機を逸すなと気はせいたが何しろ遠路であるから之[これ]を翌日の昼刊に報ずるのは如何[どう]だかと実は窃[ひそ]かに危[あやぶ]んだが斯[かか]る場合にと兼[かね]て飼養したを特派員に携[たづさ]へしめ即刻同地へ出張せしめた西方を望むと尚[なほ]炎々天に漲[みなぎ]ると云ふ非常な大火[たいか]東京市民にも徹夜した好事者もあった位[ぐらい][あた]かも当夜の番は眠柳と余とで一刻も早く其[その]報道の達するを待ちこがれたが夜は深々[しんしん]と更[ふ]けて来る腹は減って来る一番景気をつけて来やうぢゃないかと二人で銀座通りへ例の夜台店[やたいみせ]で立食[たちぐ]ひと出掛けた散々詰込[つめこん]で帰へりもう便りがあらうと待つあけ方の四時であった鳩は勢[いきおひ]よく羽ばたきして居る足には特派員よりの通信を付けて居たのでソレ原稿ソレ活版急げ急げと工場皆を叱咤[しった]し刷上[すりあ]げて八王子大火の詳報を読者へ配付[はいふ]したのは朝刊よりも後[おく]るる事二三時間であった此の報道は満都の非常の喝采[かっさい]で此[この]計画の目的は慥[たし]かに達し得られたのです当時金鵄勲章[きんしくんしゃう]を得た此[この]通信鳩の由来を申すとこれは海軍省より譲り受け万一の用にと編集の家根[やね]の上に飼っておいたもので此後も出張記者の携帯する所となって功を立てたが電話又は交通の設備ますます全[まった]きを得しより数百羽の鳩は皆海軍省に献納するに至った弊紙面に二号活字を用[もち]ゆるは重大事件に限られたものだが斯[かか]る三面の活動より題目に二号活字も殖え世間普通の新聞紙で一昨日とか一昨々日とか云ふが普通なのに当時弊社のみ昨日の記事と題したのは愉快でしたこれに依って各社の恐慌を起したのは争ふべからざる次第で蓋[けだし]今日の二版三版の動機になったに違ひない当時読者に著しく便利を与へたのは火事で前後深更より明方[あけがた]へかけての火事を翌日に知るは弊社より外[ほか]になき時代にて読者は之[これ]に依って早速見舞ひが出来た次第で朝四時位迄の火事は大小によらず必ず欄外に載せられたものです

▼弊社…「東京朝日新聞」は、はじめ「燈新聞」だったものが「めざまし新聞」に改題して、さらに村山龍平によって買収され「東京朝日新聞」と題号をかえるに到っていました。
▼地方売捌き…東京で発行されている新聞を各地方で販売していた取次店。
▼加藤眠柳…加藤米司。おなじく新聞記者だった加藤紫芳の弟。『John Halifax Gentleman』の翻訳『英国士道物語』 (1903)があります。
▼右田寅彦…(1866−1920)高畠藍泉の門弟で柳塢亭寅彦。「東京朝日新聞」では主に小説を書いていました。明治44年(1911)に帝国劇場の狂言作者となって『鎌倉武士』や『お江戸日本橋』など数多くの作品を残しています。画工の右田年英の弟。
▼根本吐芳…小説作品に『破三味線』(1902)などがあります。
▼岡田翠雨…(1864-1935)岡田茂馬。のちに「大阪朝日新聞」にうつり大正14年(1925)まで席を占めていました。
▼三品藺渓…(1857-1937)高畠藍泉の門弟で柳条亭華彦。『芳譚雑誌』などに多く作品も発表していました。
▼非常の賛辞…スバラシイのほめことば。
▼八王子の大火事…明治30年(1897)4月22日に八王子で起こった大火事。
▼鳩…通信鳩、伝書鳩。
▼好事者…ものずき。やじうま。
▼例の夜台店…新聞社が立ち並んでいた頃の銀座通りは、横丁に入るといろんな食物の屋台や古道具や盆栽の物売りがよく出ていた場所でした。
▼金鵄勲章…この通信鳩はモト海軍省の所属だったことから、政府からこういったものを頂戴したんだトサ。
▼二号活字…「号」は活字の大きさを示す単位で、二号の大きさは大体24ポイント。はじめのころの新聞紙は特に文字の大きさを変えることなく記事を詰め込んでいたのですが、明治30年代以後になると多くの新聞紙で、見出しの文字に大きな寸法の文字(二号活字)をつかうようになっていきました。
▼題目…記事の見出し。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい