御飯の炊き方百種(ごはんのたきかたひゃくしゅ)

はしがき
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麦飯

  麦の消化力に就ては前述の如くであって、一寸[ちょっ]と一般の常食には面白くない感じがするやうであるが、モルヒネも盛り方では良薬となり、人蔘[にんじん]も用ひ方では害毒を生ずるに至るものである。麦飯とて適度の方法に依て之れを常用に供するに於ては、多少消化力に不十分の点があるので、不消化物なりと排斥するは、一を知って二を知らざるに類する。古来麦飯は米飯に次[つい]で本邦人の常食にする一ッであって、農家などにては殆んど米飯を用ひない処さへある。中流以上の家庭にても随分麦飯を常食として居る向きもある。又一方には麦飯の効用を列[なら]べて之れを勧める人もあって、総て何事にも有する一利一害は免れぬ処だが、麦飯に就ては利多くして害の少いものと云ひ得られようと思ふ。消化が悪いと云ふても之れには消化菌なる枯草菌[こさうきん]が、麦飯中には最も多くあって、消化の働きを間断なく遣るから、決して普通強健の場合に腸を傷[いた]めるやうな心配は無用である。

▼モルヒネ…鎮痛剤、麻酔に用いられる。用量を超えると中毒になりやす。
▼人蔘…高麗人参。
▼一利一害…長所もあれば短所もある。
▼枯草菌…土の中に住んでいる細菌で、植物にくっついている。

  それに一般に称する麦飯となるものは、最も麦の分量の多いのでも、米と折半位が普通である。山間僻邑[さんかんへきいう]の農家などにて米二分に麦八分とか、又は米三分に麦七分とか云ふ割合のものは特例として、先づ折半が其の多量に麦を使用するものと見て好[よ]からう。併し米麦[べいばく]折半では都会の人々には常食として継続することが難[かた]い。食して不味[まづ]いのみならず、食するにモソモソする気味もあり、贅沢に馴れた者は咽喉[のど]に引ッ懸[かか]るなどと云ふもあるが、都人[とじん]の常食としては七三の割、即ち一升の飯を炊くと仮定し、白米七合に麦三合の割とすれば適度で、之れならば如何[いか]なる贅沢家とても口にすることが出来、また白米八分に麦二分ならば一層喰ひ好[よ]いのである。

  然[さ]れば農家等にて常食にするもの、或ひは何等かの事情または疾病等にて食するものの外は、麦と米との割合は先づ左の二法を適度のものとし、一般の常食として継続することが容易である、即ち一升の飯を炊くに就て、

 白米七合――――麦三合の割合
 白米八合――――麦二合の割合

  此の二割三割と云ふ処が丁度好[よ]い、折半などにして炊いたら五日や十日は我慢も出来やうが、必ず家族の中[うち]に苦情が出て継続するもので無い。飽きが来て到底永く続けられるもので無いのだ。処で麦飯にする麦は言ふまでもない大麦であって、大別して三種類ある。

 一、丸麦[まるむぎ]
 二、挽割麦[ひきわりむぎ]
 三、潰[つぶ]し麦、また捺[お]し麦、いまし麦とも云ふ。

▼山間僻邑…ひなびた田舎。
▼米麦折半…米と麦の分量半々。
▼都人…都会に住んでるお方。

  此の中[うち]丸麦は飯に炊きて殖ゑ徳用であるが、三種の中[うち]にて最も手数[てかず]を要する。挽割[ひきわり]や潰しに至っては手数は懸[かか]らぬ代りに、飯に炊きあげて殖ゑることは丸麦に及ばざる処[ところ]ある。其の味に至っては人々の嗜好にあれど、サラリとして冷飯に成っても、左ほど不味[ふみ]を感じないのは潰し麦で、次は挽割り、次は丸麦といふ順序に成るのである。

▼不味…まずさ。

丸麦の炊き方

  丸麦は大麦を十分に搗きあげたものであって、如何[いか]に能[よ]く搗きあげても、縦に窪[くぼ]んだ片面の処の皮は残らず剥落するもので無く、其の窪みには薄皮を縦に残すが、それが褌[ふんどし]をした形に似てゐるとて、此の残皮[ざんぴ]を褌[ふんどし]と称して商人間の通語となり、之れは褌[ふんどし]が多いとす無いとか云ふて居[を]る。即ち褌[ふんどし]の多い少いは搗き方の精粗[せいそ]にも因るものであらう。又その産地に因りて剥落の難易もあらう、けれども麦飯に炊くには成るべく、此の褌[ふんどし]の少いものを選ぶが好[よ]い。猶[な]ほ丸麦に限らず潰し麦にも挽割麦[ひきわりむぎ]にも、色の黒い質と白い質とがある。その味に於[おい]ても殖ゑる分量に於ても、双方とも格別の相違を見ないやうであるから、麦飯に炊き上げて箸を取る場合、黒いのよりは白い方が気持が好[よ]いは誰[た]れも同じであらう。そこで黒い質の方には余計に褌[ふんどし]を多くしてゐるのだ。白い方の質に褌[ふんどし]を締めてゐるのは割合に僅少であるから、成るべくは夫[そ]れ等[ら] の点も吟味して、原料を選むが好[よ]い。

  それを折半なり又は七三なり、其の白米に混合せんとする割合に対して、枡目を正しくはかって磨ぎあげ、之れを米と一所に炊けば好[よ]いのであるが。其の磨ぎあげ方、仕懸方、炊き方等にも夫[そ]れ夫[ぞ]れ遣り方で、美味[おいし]くも喰[た]べられ不味[まづ]くも成るものだから、実験と経験にて得た知識を記述しやう。

【磨ぎ方】丸麦の磨ぎ方にはいろいろある、米を洗ふとき共に水に浸し、ゴシゴシ磨いで炊くことは出来ないのだ。

一、一日位水に浸しおき、稍[や]や麦の膨[ふくら]みたる時に洗ふ。
二、温湯[ぬるまゆ]に浸しおきて、膨[ふくら]みの生じたときに洗ふ。
三、熱湯をヒタヒタにそそぎ懸け暫くおいて洗ふ。

  この三様の洗ひ方のうち、一、二は何人[なんびと]も行ふ処の磨ぎやうだが、第三は実地経験を重ねた一法である。熱湯に浸しおきて洗ふ時は、磨ぎ方も速く綺麗になって麦粒[ばくりふ]の欠け損じる憂[うれ]ひも少い。

  洗ふには十分に洗ひおかないと、何[ど]うかすると炊きあげて後[のち][かび]臭いやうな臭気のするのがある。熱湯に浸しておいて洗ったのには、其様[そんな]臭ひのするのは無い。

【湯煮】磨ぎあがった麦は鍋なり釜なりにて湯煮[ゆに]をして置かねばならぬ。十分に能[よ]く煮て火を通して置くが好[よ]い。と云[いっ]てドロドロに麦の本体を失[うしな]ふやうな煮方は感心しない、心[しん]まで能[よ]く火が通って和[やわら]かに成った程度を好[よ]しとする。

▼通語…通称。センモンヨウゴ。
▼精粗…精度のよしあし。

【火加減】煮沸[しゃふつ]してヌルヌルしたおネバの出るまでは、火力の十分なるが好[よ]く、噴出[ふきだ]したら火力を弱め蒸し煮の心持[こころもち]で、温火[ぬるび]で能[よ]く煮るが好[よ]い。

【仕懸け】釜へ仕懸けるには、洗米[せんまい]に掻交[かきま]ぜて水加減をするのだが、其の前湯煮をした麦を冷水[れいすゐ]にてザット洗ひ、ヌルヌルしておネバを能[よ]く洗ひ去る必要がある。此のおネバには滋養分が含んでゐるからと云って、其の侭に仕懸けると夏向きなどは早く腐敗する虞[おそ]れがある。最も冬季ならば其の侭でも腐敗の虞[おそ]れは無いが、炊きあがった御飯に湿潤が免[まぬか]れない、サラリとした御飯を好むならばおネバを洗ひ去るが好[よ]い。

▼煮沸…沸騰させる。
▼おネバ…炊き上がったご飯から出て来るあぶく状のもの。
▼温火…弱火。
▼夏向き…夏の季節。

【水加減】麦には十分に水分を含んで居るから、洗米の枡目だけの水にて仕懸ければ大過[たいくわ]はない。例へば米一升四合に麦六合の割にて二升の枡目と仮定すれば、水は米の量だけ一升四合の割合にて好[よ]い。最も米質[べいしつ]に依り水分を吸収することの多少あれば、水を引くこと多き米には心持[こころもち]水を増し、水を引くこと少[すくな]き米には水を減ずる心得が肝要である。

【炊き方、むらし方】これは普通の米飯と同じことで好[よ]い。

【うつし方】釜を下[おろ]しおき十分むれた後、之れを飯櫃[おはち]にうつす時は、中の御飯を能[よ]く掻き交ぜて取るのだ。麦飯は概[がい]して麦が上表[うはべ]に浮き、下へは能[よ]く交[まじ]り居[を]らぬものなれば、うつす時能[よ]く掻き交ぜねば万遍なく麦が廻らぬからである。

【防腐】夏季には御飯の腐敗する事あれば、之れを防ぐには梅干を一粒釜底に入れて炊けば、腐ることなしと普通に云へど、実験上よりする時は、酢を入れて炊く方が安全に腐ること無し。約一升の御飯に対して酢を三勺ほどの割合にて好[よ]し。斯[か]くして飯櫃[おはち]を空気の流通よき処に置けば、翌日の夕方位まで腐敗し安き麦飯も安全に保ち得ることが出来る。

【湯煮して麦の保存】湯煮した侭にて水に浸しおき、毎日毎日水を取り替ると冬季なら一週間は保ち、夏季にても二三日は保つのである。

【殖ゑ分量】これは的確には云[いは]れないが、丸麦のみ一升を炊きあげる場合ありとせば、一升五合から一升六七合まで、麦の質に由[よ]って殖ゑるが普通である。

▼大過…だいしっぱい。

挽割麦の炊き方

  大麦を挽き割ったものである。これにも其の質の黒ずんだのと白いのとあるが、概して白質[はくしつ]の方が良種である。挽割麦には丸麦の如く其の全形[ぜんけい]を存して居ないから、上皮[じゃうひ]は比較的能[よ]く剥落して彼[か]の褌[ふんどし]なるものは、只[た]だ痕跡を止[とど]めるまでで、粗製のものでない以上は残留して居るのは稀[まれ]である。

【磨ぎ方】普通は白米と一所に水に浸し、ガサガサと掻き廻して磨げば、夫[そ]れで好[よ]いとしてある、一般に其様[そんな]磨ぎ方に因って扱はれて居るが、米と一所に磨ぐ時は、挽割麦は其の質が脆[もろ]くなってゐるので、往々粉に成り毀[くだ]けたりして水と共に流れて了[しま]ふ、で、米と別々に磨ぎて後[のち]混交するか、或ひは米の稍[や]や磨ぎあがった頃に、挽割麦を交ぜて磨ぐが最も宜しい、斯[か]うすると粉になって毀[くだ]けたりする憂[うれ]ひなく、麦その物を損失しないで済むことにも成り、経済の原理にも適ふ訳である。

【火加減】御飯の炊き方、丸麦を入れた炊き方と大差ない、方法は同一で宜しい。

【仕懸け】これも別に異[かは]った秘伝なども無い、磨ぎあげた混合の洗米と一所に釜中[ふちう]に入れるまでだ。

【水加減】挽割麦は丸麦とは違って乾燥したものだから、水分を含んで居ないので、水を引く量が普通の米ばかりより多い、で、米と麦とで一升の枡目とすれば、水は一升一合乃至[ないし]一升二合位の割合とするが好[よ]い、最も混合した米質が水を引くこと多少を考へて、塩梅[あんばい]を要するは言ふまでも無い事である。

【炊き方、むらし方】普通の御飯を炊くのと変ることなし。

【うつし方】これも丸麦の飯と同じ事と心得て好[よ ]い。

【防腐】これも別に変った方法はない、矢張り酢を一升の量に対して、三勺ほどの割合にて入れれば、丸麦に変ることなし。

潰し麦の炊き方

  潰し麦は捺[お]し麦とも云ひ、またいまし麦とも云ってゐる。潰し麦、捺し麦とは共に捺[お]し潰した麦と云ふ意であって、いまし麦とはいました麦即ち茹[ゆで]た麦といふ事になるのだ。此の麦は丸麦を蒸して和[やはら]かに成し、それをロール器にかけ平に潰したのを、乾燥したものである。で、麦飯にするのに丸麦の如く湯煮をする手数も掛らず、磨ぐにも面倒もない便利なもので、麦飯家[ばくはんか]に重宝がられて需要が多くある。其の代りに丸麦の如く殖ゑる量は無くて、米の殖ゑる量と殆ど同一の量で、其の質に由[よ]って古米だけの増殖は無いかも知れないのである。

  一方には左様[さう]した遜色があるがもまた一方には味の点に於て丸麦よりも美味しい、挽割よりも美味[おいし]いといふ美点を有[も]ってゐるので、差引[さしひき]勘定は十分に付くことに成るのだ。前には述べた通りこれは丸麦を其の侭に捺[お]し潰したのであるから、彼[か]の褌[ふんどし]なる皮は一粒毎に必ず付着して居る。其の質にも黒いのと白いのとがあって、黒いのは潰れ方が少ないが、白いのに成ると大抵は扁平[ひらっ]たく成って捺[お]し潰された方が多いやうである。ロールにて圧搾[あっさく]する際に滋養分を多く絞り出す関係からででもあるか、或ひは蒸[むし]た度が過ぎ和[やはら]かに成り過ぎたので、成分の蒸発して了[しま]ったのであるか、扁平[ひらっ]たく捺[お]し潰された白質の方が、何[ど]うも美味が薄いやうに感じられる。色が白いので御飯に炊きあげた処では、此の方は見掛けは綺麗で美味[おいし]さうに見えるが、実際これを味[あじは]ふことになると、不味[まづ]さうに思はれる黒い方が、美味を有[も]って居るのである。一概に黒質が美味[おいし]くって白質が不味いとも云ひ得られないけれど、十中の七八までは黒白[こくはく]で標準を取ることが出来やうである。大抵の場合に於ては黒い質の潰し麦は一斗に付[つき]十銭方[がた]は高価であって、水を引くことが多いだけ殖ゑる量も亦[ま]た多い道理である。白い質の方は之れに反し圧搾の度が強いので、水を引くことも従って殖ゑることも少いのである。

【磨ぎ方】一旦いましたものを乾燥させてあるのだから、其の質が脆[もろ]くなって居るは云ふまでも無い。で、之れを磨ぐにも白米と一所にガサガサ遣っては欠け損じる、粉に成る等の虞[おそ]れがある。磨ぎ方に注意しないと洗ってゐる中[うち]に粉に成って流失する量が少々で無い、故に米を磨いで幾度[いくたび]も流し、水の濁りの薄く成った時に、其の中に潰し麦を入れ米と共に掻き廻し、水の済むを程度として洗ひ了[おは]るのである。米を磨ぐごとくゴシゴシ揉[もん]だなら皆[みな]粉微塵[こなみぢん]に成って、濁水と一所に流出して了[しま]ふから、最も注意すべきことである。

【火加減】これは飯を炊く古来の約束通りで、別に変った方法を用ふるには及ばないのだ。

▼麦飯家…むぎごはんを愛好する人々。

【仕懸け】此の麦はいました上に乾燥してあるので、水分を含んで居ないから、兎角[とかく]上へ上へ浮きたがる癖が、前の二種よりも一層多くある、幾等[いくら][よ]く掻きまはしても浮き上がる、で最も念入りに掻き交ぜ、成るべく米を上の方へ置くやうにするが好[よ]い。

【水加減】水を引く程度は殆ど米と同じことだから、普通の御飯を炊くと同じ水加減で好[よ]いが、硬[こわ]い御飯が好きだと云って、普通の御飯を硬[こわ]く炊く気で、水加減をすると炊き立ては夫[そ]れで好[よ]いけれど、冷飯になるとボロボロに成り過ぎて困ることがある。米と麦とで一升とすれば水も一升強位の処が適当である。又熱湯にて炊くときは、米麦[べいばく]の枡目の量より湯の量の越えざるやう注意しないと、意外に和[やはら]かい飯となる事がある。

【炊き方、むらし方】これは別段に変った方法はない、只だむらし方は心持[こころもち]長くするまでである、例へば普通の御飯のむらしが十分とすれば十二分とか十三分とか云ふ位で好[よ]い。

【うつし方】この麦は特に浮き易いから、釜の蓋を取ると上表[うへ]は一面に麦と成り、米粒を認めない程である、で、飯櫃[おはち]にうつす時能[よ]く麦を掻き交ぜないと、むらに成って米と麦の多い処が別々になる、釜底の方は麦が少く成るが例なれば、うつす時に十分注意することである。

【防腐】丸麦の御飯ほど腐敗は速[すみや]かではないが、普通の米飯より腐敗仕易いから、冬季は格別夏季は防腐の必要がある。手段としては梅干も好[よ]からうが、実地経験上酢の方が遥[はるか]に効力を認められる、其の入れる割合は矢張り米麦[べいばく]にて一升の枡目に対し、酢三勺にて足る、斯[か]くして十分に炊きこめば如何なる盛夏、また腐敗し易い秋の初めでも、朝炊きたるものも翌日夕方までは、腐敗の虞[おそ]れ更に無い。然[さ]れど風通しの悪い蒸暑い場所に置き或ひは朝日夕日に当[あて]たりしては、効力を減殺[げんさつ]されて了[しま]ふは言ふまでも無いことである。

▼前の二種…丸麦、挽割麦。
校註●莱莉垣桜文(2010) こっとんきゃんでい