東錦絵[あづまにしきゑ]は一に又江戸絵[えどゑ]と称し、江戸時代より▼田舎への土産物としていたく持囃[もてはや]されたるものなるが其[その]起源は至って古く、遠く▼延宝[えんぽう]天和[てんな]の頃に始りぬと云へば、今より殆[ほと]んど二百余年以前の事なり。斯[かく]て▼元禄年間に有名なる▼菱川師宣[ひしかはもろのぶ]出[いで]て一枚摺[いちまいずり]の▼丹絵[たんゑ]を創[はじ]め、▼享保年間▼奥村政信[おくむらまさのぶ]▼紅絵[べにゑ]を出[いだ]し、下って▼明和の初め▼鈴木春信[すずきはるのぶ]紅絵より更に進んで始めて錦絵なるものを作りしより、大[おほい]に時好に叶ひ何時[いつし]か江戸名物の一に数へらるるに至りぬ。其後[そののち]▼文化文政の頃に及んでは、菊川英山[きくかはえいざん]▼北川歌麿[きたがはうたまろ]池田英泉[いけだえいせん]柳川重信[やながはしげのぶ]鳥居清信[とりゐきよのぶ]歌川豊春[うたがはとよはる]同豊国[とよくに]国芳[くによし]一立斎広重[いちりうさいひろしげ]などの名手続々輩出して全盛を極めたるは何人も知る所なるべし。さるにてもここに可笑[をかし]きは此品[このしな]を売捌く商家を絵双紙屋[ゑざうしや]と云ふ事にて、錦絵屋とでも云[いへ]ば事足るべきを、今以てさは称せざる故[ゆゑ]如何[いかに]といふに、こは全く▼旧時の名の残れるにて、▼そのかみ此[この]版元といふは、何[いづ]れも当時の小説即ち草双紙[くさざうし]をも合せて刊行したるより、さてこそ絵草紙屋の名の起れるものなるを、星移り物変れる今日、小説刊行と錦絵出版とは全く分業になれるにも関らず、不思議にも其[その]名称だけは旧時の面影を残せるなり。
都下の所謂[いはゆる]絵草紙商は百廿余軒ありと云ふが、勿論これは問屋小売を通じての計算にして、問屋といふは其[その]出版元たる事いふまでも無し、其名[そのな]さへ矢張[やはり]旧称の▼地本錦絵問屋[ぢほんにしきゑとんや]と云ひ居れり。問屋中手広く業を為[な]し居るは日本橋人形町の具足屋[ぐそくや]室町の滑稽堂[こっけいだう]馬喰町の辻亀[つじかめ]、其他[そのた]辻文[つじぶん]大平[たいへい]などと云へるも何[いづ]れも聞[きこ]えたる店なり。さて小売店は是等[これら]出版元より出づるものを売捌くをもて業とせるが、今では昔時の如き売行なきより、余程よき場所ならぬ限りは大抵雑誌類と兼業の姿なれば、これにさしたる大資本を投ずる者稀にて僅[わづか]に二三百円も出せば相応の店は飾らるるものなり。
品物の仕込に付ては自ら決して版元に出向くの要なく、居ながら、仕込は出来得るなり。即ち版元の下には例の才取[さいとり]といふ者ありて僅の口銭[こうせん]にて日毎に各所の小売店を廻る事ゆゑ、その直段[ねだん]さへ甘[うま]く談判せば、商売は女子供のみにても容易[たやす]く出来得るなり。さて其[その]直段[ねだん]は例へば二十銭売[うり]するものならば、六掛[かけ]もしくは七掛[かけ]にて卸し行くを普通とすれば、小売店の純益は二十銭に付[つき]六七銭を見る事を得、頗[すこぶ]る割よきものなれども、昔時と違ひ今ではさまでの売行なければ、これにて蔵の立[たつ]るなどは少々夢のやうな話なるべし。
扨[さて]も新版物の出版されたる時は、何[いづ]れも看板として之[これ]を店頭に飾る事なるがこれ等[ら]の品は何時[いつし]か色変りて売物とならざるに至るものにて、之[これ]を各小売店に通ずれば決して少からざる損失のやうに思はるれど、それには又一種の捌口[はけぐち]あり以前は二もなく田舎向[いなかむき]として送出したるものなれど、何がさて色褪[いろざめ]たる古錦絵は東京名物たる東錦絵の名を汚す事多く、又田舎の年々に進歩するにつれ、追々販路も狭まるより、今は他に一法を考へ、件[くだん]の品を其侭[そのまま]に活用する事と成[なれ]り。其[そ]を何ぞと云[いふ]に所謂[いはゆる]▼縮緬絵[ちりめんゑ]と称する揉絵[もみゑ]と為[な]す事にて、斯[かく]せば絵具なども塗返すの要なく、古びたる物其侭[そのまま]新しき物にせられ、更に得意を海外に造る事を得るものにて、米国又は上海香港辺へ輸出をなす縮緬絵は、全くこの廃物利用の品物なりとす。
江戸時代にありては▼錦絵の得意も単に小児[こども]のみならず、役者絵などに至[いたり]ては▼西丸をはじめ諸家の奥女中どもが争うて之[これ]を求めたるものなれば、大[おほい]に盛況を極め従って立派なる物も出版せられたるが、明治になりては芝居道も昔時の如くならず、一方には似顔絵に勝る写真もあり進んでは写真版などといふ軽便主義の物さえ出来れば、東錦絵の中堅たる似顔絵もいたく衰ふる事とはなりぬ。然[しか]のみならず他方には石版絵の流行日を追うて盛[さかん]なれば、第一流の浮世絵師はこれと肩を並ぶるを恥[は]ぢ、容易に版元の需[もとめ]に応ぜねば益[ますま]す出色の錦絵は見る事難くなりぬるこそ口惜けれ。已[すで]に斯[かか]る悲況にありて猶且[なほかつ]問屋のさして驚かざるは、彼[か]の団扇製造をもて多くの利益を占[しめ]居るに因[よれ]り。団扇の事は別にその項に述[のべ]あるを以てここに略せり。
青柳や一枚絵にも出た娘 万字