実業の栞(じつぎょうのしおり)西洋小間物商

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西洋小間物商

小間物商に対して西洋小間物商といふ。物同じきが如く見えて決して然らず、彼の商ふ物品は主として婦人が頭髪[つむり]の装飾品なるに引換へ、是は随分小間物ならぬ大物をさへ売捌[うりさば]き居[を]れば、一に此[この]業者を唐物商[たうぶつしゃう]と称し、その義は洋物商の意なりと解せらる。さもあれ爰[ここ]に奇なるは、小間物商の商品中その眼目[めぬき]とも云ふべきは簪[かんざし][くし]のそれにある如く、此[この]西洋小間物にありても主たるは帽子のそれにありて、彼は女これは男の何[いづ]れも頭の物たる事なり、斯[かか]る意味より云へば彼は女性小間物これは又男性小間物とも称さるべくや。

▼唐物商…輸入品をあつかっていた店の呼び名。明治以前に多く使われていました。
▼眼目…めだま商品。
▲資本と利益

元より西洋式の物品のみを扱ふ事とて、此[この]商売はさのみ古きものにあらねば、従って旧家と称すべきなく、珍奇の物品のみ陳列せらるる銀座街頭などに軒を並ぶる商家など、同業中の稍[やや]資本家と見らるべき者なり、先[まづ]開業の当初店に飾る品々には、少くとも小千円を投ぜざれば店らしき店は張る事出来難しと云へば、大抵資本の程度は推知せらるべく、その利益は一定しがたけれど、通じて二割乃至[ないし]二割五分の辺を上下すると云へり。

▼銀座街頭…東京の銀座。明治のはじめ頃にレンガ造りの町並みが造られて以後、あたらしい職種もあつまる街となっていました。
▲重なる商品

仕入る商品の種類は、元より日本小間物に比べて、その数極めて多けれども、重なる商品は云ふまでもなく帽子なり。但し直段[ねだん]の高下より云へば、これより以上の物も少なからねど第一店の装飾[かざり]ともなり、且つ客をして店の品数多く思はしむるものは、全く此品の多寡如何にありとす。そが上四時の流行は最も烈しく此品に現はるるより、眼目とすべきは何[どう]あっても帽子にて、連[つれ]ては西洋小間物商と帽子商とは最も親密の関係を有し、同業組合さへ結ばれ居れり。さて斯[か]く迄[まで]重なる品と目さるる帽子は、西洋小間物といふ名の表す如く、果[はた]して舶来の物かといふに決して然らず、実は和製八分外国製二分と云ふ勘定にて、製造者の一手段として和製の物にも外国製の如き商標を付するを常とし、以[もっ]て顧客[こかく]を欺[あざむ]き居るなり。但しこと元よりさのみ悪意ありての業[わざ]ならてせ客の多くが舶来物とさへ云へば無性にこれを貴[たっと]みよしや少し位[ぐらい]質も形も悪くとも、文句なしにそを買行くより、真[まこと]の外国製に上越[うへこし]たる和製品も、正直にそを名乗ば敢[あへ]て顧[かへり]みる者なきゆゑ、始めは苦し紛れに虚偽[うそいつはり]をつきたるものの、何時[いつ]しか習慣のやうになり、今では相方[さうはう]承知づくにて、へい是は舶来でございますと売捌[うりさば]く事となりしが、実に奇妙なる営業振[えいげふぶり]と謂ふべし

▼四時…季節それぞれ。
▼舶来の物…輸入品。
▼上越たる…出来のよい。
▲繁忙なる時期

は四季をりをりの変遷[うつりかはり]の頃にある事[こと]論なく、殊[こと]に正月を前に控へたる歳晩[くれ]は最もその書入時[かきいれどき]なりとす。これに反して閑散なるは二三月の頃と七八月の時分にして、売行[うれゆき]よき品は流行の変移早き帽子を主[しゅ]とするものとすれど、矢張[やはり]ずんずん悪くなる物[もの]即ち靴下[くつした]襯衣[しゃつ]ハンカチーフなどの小物が数多く出づるものなり。

弁慶も七ッ道具や春の風呂 井筒

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▼書入時…商売のにぎわいどき。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい