純然たる海産物商と云へば、主として昆布[こんぶ]和布[わかめ]荒布[あらめ]などの海藻と乾物[ほしもの]を売捌[うりさば]くものなれども、これらの品はさして日用に欠くべからざるものにあらねば、問屋といふ側を除[のぞい]ては、相応の資本を下したる▼純乎[じゅんこ]たる海産物商は世に稀[まれ]なり。有触[ありふれ]たる店は単に昆布商と見るべき小店か、さらずば塩物[しほもの]商と称するものの兼業か、もしくは乾物屋[かんぶつや]の兼業に止[とど]まり居[を]るものなり。されば市中にて其[その]大店と謂[いは]るべき向[むき]は、勢ひ魚河岸[うほがし]に軒を並べたる家に▼指を屈すべし、その他に独立せる者は、純然たる海産物商といふ名を付し難きが多し。
されど一度[ひとたび]眼[まなこ]を転じて之[これ]を見れば、此[この]品は実に▼好箇[かうこ]の輸出品にして、殊[こと]に我国の如き四面海をもて環[めぐ]らされたる国にありては、真[まこと]に無尽蔵の産物なるが上、何処[いづこ]の海にても採取されざる事なければ、その産出高驚くべき巨額に達すべし。殊[こと]に北海道の地は産出▼他国に越え、殆[ほと]んど全国に冠たりとも云ふべく、年々莫大なる外国の需要に応じ居れり。その主たる輸出先は清国[しんこく]一帯の地にて、彼[か]の▼国人[こくじん]は最も海産物を嗜[たしな]むより、輸出港の盛況は実に驚くべきものありと云ふ。
上[かみ]に記せる如く、真の海産物商と見るべきものは、先[まづ]問屋のそれなるが、元より産地の荷主と取引せんには、勢ひ小資本にては叶ふべくもあらず、何[いづ]れも万以上の運用を為[な]し居[を]る事[こと]今更[いまさら]述[のべ]んも▼管[くだ]なりや。斯[かく]て稍[やや]純乎たる店に近き昆布商といへるには、▼さまでの大店なく、通常の分は二百円より三四百円にて営業するが多く、店頭[みせさき]にて三四人の職人が其[その]仕上[しあげ]を為し居るを見ても、大凡[おほよそ]資金の程度は推計[おしはか]らるべきなり。下って塩物屋乾物屋となりては大家[たいけ]も決して少[すくな]からねど▼こは元より兼業の事とて縦令[よし]塩物屋には▼乾魚類の数はありとも、海産物の名の下[もと]に眼目と見るべき海藻類は至って少[すくな]きものにて、却[かへ]って小資本なる昆布店の品数取揃へるに及ばざるは是非もなし。さて其[その]利益といふは平均二割乃至[ないし]二割五分三割の辺にありとぞ。
は至って多く、先[まづ]第一に昆布、その逸品といふべきは本昆布[ほんこんぶ]とて、白髪昆布[しらがこんぶ]細工昆布[さいくこんぶ]の原料とし、兼て元揃昆布[もとぞろへこんぶ]鼻折昆布[はなをりこんぶ]に製するものなり。次には長昆布[ながこんぶ]これは長切昆布[ながきれこんぶ] 刻昆布[きざみこんぶ]とす、次には猫足昆布[ねこあしこんぶ]粘液昆布[とろろこんぶ]細目昆布[ほそめこんぶ]等ありて何[いづ]れも奥州より北海道千島[ちしま]にかけて産出するものなり、和布[わかめ]は鳴門[なると]伊勢[いせ]志摩[しま]地方より多く出[い]で、荒布[あらめ]また伊勢[いせ]志摩[しま]に産す、さて乾物類は貝類魚類の二種ありて、重[おも]なるものは乾鰈[ほしかれい]乾鱈[ほしたら]乾鰕[ほしえび]乾鮑[ほしあはび]海参[なまこ]乾蠣[ほしかき]等にして、何[いづ]れも清国[しんこく]へ▼多料に輸出せらる。
はこれらの海藻類魚類貝類が採取盛[さかん]なる頃[ころ]即[すなは]ち春先にて、市中の所謂[いはゆる]昆布店[こんぶみせ]も▼歳晩頃より初春にかけ、最も売行[うれゆき]よきものなりとす。
秋日和海鼠の砂を掃ひけり 疎山