此[この]株式と云ふ営業は、今より僅[わづか]に廿余年前に開始したるものにて、其[その]盛況を極[きは]めたる頃には、仲買人の数も九十九人の多きに達したるも、其後[そのご]種々の事情ありて、当時は仲買人の数[かず]大[おほい]に減少し五十一人となれり。
此業[このげふ]に従事するものの第一に必要なるは、取引所へ納付すべき身許保証金一万二千円なり。次には仲買免許料百円と組合加入金千円とを要すれば、資本を措[お]いても差詰め一万三千百円は要する訳なり。さて此[この]金もの調達出来ても直[ただち]に仲買とはなれず、二ヶ年間此業に経験を有すせる人ならでは、取引所にて許可せさせる事ゆゑ、如何[いか]に▼資力ありとても、到底素人[しろと]の開業せん事思ひも寄らず。猶[なほ]此他[このた]に運転資金の二三万円は入用なれば、家族等は別とし現在五十一人の仲買中にても、資本に余りあるはまづ沢山[たくさん]はなき方なりといふ。
は定期取引[ていきとりひき]直取引[ぢきとりひき]限月売買[げんげつばいばい]等ありて、本月限[ほんげつかぎり]を当切[たうきり]と云ひ、中物[なかもの]先物[さきもの]とあり。仲買の中[うち]にても客の売買註文のみ扱ふと、▼自個[じこ]が思惑[おもはく]則[すなは]ち売買に従ふ俗に手張師[てはりし]と云ふものと、又乗換屋[のりかへや]といあものとあり。此[この]乗換屋といふは此方[こなた]の株を売り彼方[かなた]の株を買うて、先物々々と所謂[いはゆる]乗換のみを為[な]者なり。惣[さう]じて是等[これら]の商人は銀行にて株を担保として割引し貰ひ、銀行も又[また]之[これ]を割引して▼日歩[ひぶ]を取るが慣例[ならはし]なねが、其実[そのじつ]▼さのみ面倒なる手数を経ずとも、株の受渡[うけわたし]に際し銀行に受取人となりて貰ひ、其[その]受渡[うけわたし]の株を引取[ひきとり]貰へば、日歩を出[いだ]さずして済むわけなり。さて此間[このあいだ]に立入[たちい]りて双方の歩合[ぶあひ]を取るを鞘取[さやとり]と云ふ。
は株によりて一定しがたきも、実際手数料は一株平均十銭内外なり。繁忙を極むる時には一日五百円の収入ありて、有名なる店に至れば千円余の収入あるものなり。されど▼閑散となれば一日に一厘の収入なき事決して珍しからず。
は約九月より翌年二月までの間ながら、前年の如く日英同盟の成[なり]たる、若[もし]くは今年[こんねん]の如く日露[にちろ]戦[たたかひ]を交[まじ]へ居る時など、非常の場合は例外なり。閑散なるは花時[はなとき]にして、▼暑中休暇頃は例年同様の現象なり。
株によりて種々証拠金に相違あるは勿論[もちろん]なり、取引所規定の証拠金を同業者は本式と云ひ、これに不足金の生ぜし時に追徴[ついちょう]して之[これ]を満[みた]す為[ため]請求するを追式[おいしき]と名付く。
は郵船株[いうせんかぶ]東株[とうかぶ]にて日鉄[にってつ]街鉄[がいてつ]炭鉱[たんこう]等の諸株[しょかぶ]之[これ]に次ぐ。惣じて取引所に掲示せる株は五十余種あれど、取引の出来るは此内[このうち]少数にて▼余[よ]は端株[はかぶ]と云ふ。因[ちなみ]に云ふ、一様に株と云へば、一株にても売買の出来るものと、十枚より以下は売買出来ざるものとありて、十枚と云へば十株の事なり。さて取引所株は東京の分を東株[とうかぶ]と云ひ、大阪にては▼当所株[とうじょかぶ]と呼ぶ。凡[すべ]てこの例にて別に符牒といふはなけれど、何[いづ]れも株を呼ぶには略語を以[もっ]てするを常[つね]とす、日本鉄道株を日鉄と云ひ、日本銀行株を日銀[にちぎん]と称するなど皆この例なり。
は他[た]の商人とは大きに異り、例へば領収書の如き決して出[いだ]す事なく、幾万円の価格ある株にても店へ持来[もちきた]れば、受取[うけとっ]た渡したと云って、領収書なり預書[あづかりしょ]なりを出[いだ]さず、信用一つにて預け預かると云ふ無雑作加減[むざうさかげん]には、素人[しろうと]の驚くも無理ならず、されば此[この]商売にては殊[こと]に信用を貴[たっと]び、一度[ひとたび]信用を失へば得意よりも別して仲間の排斥甚だしく、決して其者[そのもの]とは取引する者なきに至る。惣じて▼平常[へいぜい]領収書預書などいふ形式なる事を避け居る代り、斯[かか]る時は直[ただち]に道徳上より制裁を加ふる事▼非常に厳[げん]なり。
店によりて下小僧[しもこぞう]より番頭[ばんとう]に至るまで、盆暮[ぼんくれ]には利益の幾分を配当する向[むき]もあれど、平日は多く給金なり。さて場立[ばたち]する雇人[やとひにん]を手振[てぶり]と云ひ給金は一箇月廿円[にじゅうえん]以上を貰ひ、主人に代りて取引所に至り売買に従事す。但[ただ]しこれは経験ありて▼目先敏捷なる者ならでは為[な]しがたし。因[ちなみ]に記[しる]す、立会[たちあひ]は世人[せじん]の知るが如く、午前と午後の二回ありて午前の分は前場[ぜんば]と云ひ、午後の分は後場[ごば]と称す。
大方盛況なる時の営業振にて経済を立[たつ]るより、不況に当り忽[たちま]ち其[その]影響を蒙[かうむ]らざるは無く、暮し向[むき]とても其様[そのやう]に、平常[へいぜい]極めて贅[ぜい]を尽すより、思はぬ悲境に陥[おちい]り見る見る閉店の不幸を来[きた]すもの多し。されば物慣[ものなれ]たる五十一人の現在の仲買等は、能[よ]く盛況不況の平均を取り居れば、▼朝開暮閉[ちゃうかいぼへい]の憂目[うきめ]は見ず。開廃[かいはい]の多数は未熟の新規商人に多きものなり。
客の註文を望みの如く売買すれば差支[さしつかへ]なきを、ややもすれば売物を以[もっ]て買[かひ]に廻り、思惑[おもはく]して▼目算はづれし時、客に弁償せずして其侭[そのまま]姿を隠すものあり、此輩[このやから]を俗に呑屋[のみや]といひ、▼現時[げんじ]は斯[かか]る危険なる人間の数[すう]大に減じたるが、これ一つは彼[かの]制裁の厳なるに因[よ]れり。
初春や戦[いく]さも勝て兜町 松濤舎