毎年四月十日前後より六月一杯に掛けて、稗蒔[ひえまき]や稗蒔やと市中を▼呼売[よびうり]する行商あり、此[この]稗蒔の問屋と云ふは、都下にて下谷[したや]区入谷[いりや]町六十五番地平井長太郎[ひらゐちゃうたらう]方唯一軒あるのみにて、同家は代々之[これ]を業とし、▼当時の長太郎にて五代目なり。
稗蒔の鉢に乗せる台輪[だいわ](竹の蔓[つる]を付る物なり)、▼天秤棒[てんびんぼう]菅笠[すげがさ]▼息杖[いきづえ]印半纏[しるしはんてん]股引[ももひき]腹掛[はらがけ]等まで取揃へて二円内外もあれば充分にて、其[その]仕入は大小廿[にじう]鉢より多きは三十鉢以上に及び、仕入金は七八十銭以上一円位にて、何[いづ]れも現金払なるは勿論[もちろん]なり。
は売手の▼巧拙[こうせつ]により一定し難けれど、際物師[きはものし]は総[すべ]て何品に寄らず倍額の儲[もうけ]なければ商売にならねば、此[この]稗蒔も八十銭位の仕入にて、一円五六十銭に売揚[うりあ]ぐるを例とす。されど全くの際物師は卸直段[おろしねだん]十銭の稗蒔を五六十銭にも売付るが特色にして、品物を減[へら]さず一鉢か二鉢かを売りて、早くも一日の利益を見るものなり。素人[しろうと]の売手は直段を安く売る故[ゆゑ]、品物を捌[さば]くは際物師に比較して倍以上にもなれど、利益は遠く際物師に及ばず。
売[うり]に出る者は亀井戸[かめゐど]を第一とし、入谷[いりや]之[これ]に次ぎ、際物師とも合せて五十余名あり。何[いづ]れも▼冬季行商せし者か、又は経験なき素人上りが夏向[なつむき]の埋合せを付けん為に出るものにて、売歩く先は日本橋京橋等の繁華なる町々、もしくは山の手番町[ばんちゃう]辺を呼売[よびうり]し、夜に入りて縁日等へ出[いづ]るもあれど、これは五十人の中[うち]僅[わづか]二三人に止[とど]まる。
亀井戸等の遠路より、仕入に平井[ひらゐ]方迄来る者は、晴天には大凡[おほよそ]午前五時頃に出来[いできた]りて、思ふ程を仕入れ、爰[ここ]より担出[かつぎだ]して各々[おのおの]目的の町々へ商[あきなひ]に行くなり。斯[かく]て帰途は午後四時頃になり、戻りに翌日の売物を買ひ行くと、残品[のこりしな]あれば買[かひ]たして行くとあり。問屋にては際物師より素人上りが品を捌きくれるより、此方[このほう]が上客なれど、際物師も例年其[その]季節となれば、稗蒔を当[あて]にせるより、情合上[じゃうあひじゃう]卸さぬ訳には行かず、さて此[この]品の最も売盛[うれさか]る時は、五月に入りてより捌口[はけくち]よく、最初と末とは売口よからず。つまり五月一杯にて利益を見るより、儲の強き事は品物に一定の価格なく、云[いは]ば相手次第なり。それに▼声柄[こゑがら]の善悪[よしあし]によりて、売高[うりだか]に大関係を及ぼすは他の呼売する商売と、相違なし。
丸鉢と小判形と角鉢とありて金魚を入[いれ]る為[ため]鉢の大小によって二箇所に仕切[しきれ]ると一箇所仕切[しきれ]るとあり。其中[そのうち]多く商人が持行[もちゆ]くは、丸鉢尺位と小判形五寸位の丸形小鉢等にて、問屋より仕入る時は装飾の▼土製の鶴[つる]等は飾られず自[みづ]から考案して装飾の人形等は思ひ思ひに付るものなり。さて金魚は入れて売らざるが多く、そは買手が大概金魚の代料を稗蒔以外に買呉[かひく]れざるより、金魚を一尾なり二尾なり入れ置けば自然お負[まけ]となり決して利益とならざれば、十中の八九は金魚を入れて呼売するものなし。
番町辺の華族▼富豪紳士等の邸[やしき]に呼び込るれば、此[この]商人は最も利益あり。此時[このとき]は前に述べし如く十銭の品が五十銭にも売れるより、其[その]口上も買手の嗜好[しかう]に投ずるやう巧[たくみ]に饒舌立[しゃべりた]て、所謂[いはゆる]煙[けむ]に巻いて台輪より下[おろ]し、決して売急[うりいそ]ぐ様子を見せず、安直[やすね]を付けても顧[かへり]みず、己[おの]れの思ふ価[あたへ]に至らざれば売放[うりはな]たず、客に見散[みちら]かさして素見[ひやかす]は気の毒なりとの、感を起[おこ]さしむる如くに持掛るなり。されど是等[これら]は素人上りの駈出[かけだし]には出来ざる者にて多くは生粋[きっすい]の際物師のなす処なり、斯[かく]て是等[これら]の際物師は此[この]稗蒔が▼過ぐれば、丁度[ちゃうど]松葉牡丹[まつばぼたん]の季節となるより、忽[たちま]ちこれを売[うり]に出て之[これ]が終れば今度は直様[すぐさま]朝顔売[あさがほうり]に化[ばけ]るなり。
稗蒔[ひえまき]の離々として嗚呼鶴[つる]病めり 紅葉