御飯の炊き方百種(ごはんのたきかたひゃくしゅ)

はしがき
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米の飯

  お天道様と米の飯は付きものだとは、誰[た]れも能[よ]く云ふことであるが、其の毎日々々喰[た]べるところの米の飯に就[つい]て、多くは無我夢中で喰[た]べ、美味[おいし]いとか不味[まづ]いとか云って居るのである。米は実に我れ我れの生命であって、米食に馴れた者は之れが無いと山海[さんかい]の珍味も何かせんで、世界一の美味[びみ]あると云ふ仏蘭西[フランス]のパンでも、決して美味[おいし]いとは思はれない。内地産の米で炊いた御飯の味は、何[ど]うしても忘れられないものである。夫[そ]れだのに米の研究や御飯の炊き方などは、大道[だいどう]蒲焼[かばやき]の匂ひほどにも気に掛けないで平気でゐるばかりで無く、台所任せにして澄[すま]し切るのは大胆過ぎる。米は日本人の生命である以上は、米の事を知らないのは生命[いのち]の大本[おおもと]を知らないのである。何人[なんびと]の家庭にも標準米といふものを備へおいて、米屋から米を買ふときに其の米に比べて買ふやうにしたら、同じ金を払って不味[まづい]米を食せずとも宜[よ]いことに成るのである。であるが夫[そ]れも中々[なかなか]一寸[ちょっ]と面倒だ、ソレ米屋さんか来たと一々標準米と比べて見るにしても、元来が其の知識に乏しい人々には善悪良否を判定することは出来ないものだから、先[ま]づ手ッ取[とり]早く内地産の米を御飯に炊くまでの準備知識より、舒々[じょじょ]と略述して参考にする。

▼お天道様と米の飯は付きもの…どこへ行ってもどんな事があってもごはんは食べるもんだぜということ。おてんと様と米のめしはどこへでもついてまわる。
▼山海の珍味…めずらしいおいしい食べ物。
▼大道蒲焼…屋台などで売られていた安いかば焼。
▼舒々…ゆっくりと。ぼちぼちと。

米は何様ものか

  我れ我れ平食[へいしょく]とする米は、稲の実の胚乳[はいにう]即ち乳[ちち]のやうなものである。米粒の被[かぶ]ってゐる籾[もみ]即ち皮を剥くと、白い粒が残って粒の上の方に黄色[わうしょく]を帯びた小さな芽がある。之れが米の主人公であって、他の白い澱粉質のものは其の主人である芽を養ふ為の食物[しょくもつ]である。人間で云へば乳である。来年蒔かれて芽を出し空気中に養分を取るまで、土中[どちう]で若芽を養なってゐるので胚乳と云ひ、卵で云[いへ]ば黄身と同じことである。我れ我れは臼でその芽わ摺り潰して胚乳だけを食料とする。米に滋養分の多いと云ふのは、斯[か]うした働きを有[も]つからで、殊に日本の産米は気候風土の関係から糊精分[こせいぶん]に富み、外国米よりはずっと味が良いのである。新米の殊に美味[おいし]いのは此の糊精分が多いからであるが、消化力は鈍いので逆上[のぼ]せる気味を生ずる。依[よっ]て新米ばかり喰[た]べると身体[からだ]に障[さは]ると云ふのは、つまり此の消化力に関して云ふので、新米を食するには古米[こまい]を交[ま]ぜて炊く方が好[よ]いのである。

  良否の鑑定は小粒で不透明で粒の揃ったのが好[よ]い。上等の米にした処がまた下等の米にした処が、此の粒の揃ふと云ふことは、御飯にした上で美味[おいし]い不味[まづい]に大関係があるのだ。米粒に大小があると煮え方に不同がある。米の煮え過[すぎ]たのと生煮[なまにえ]とが出来る訳で、其の味が一致しないから不味[まづい]ことになるのだ。又米が肥えて肉が多ければ味がよく、それに反して痩てゐると味が悪いのだから、米を買ふときに此の肥痩には注意を要すべきである。猶[なほ]米の形にも注意をしなければ成らぬ、それは形の悪くて竪[たて]に筋の深く喰込[くひこん]でゐるのは、御飯に炊いて屹度[きっと]不味[まづい]ものだから、先[ま]づ素人で米の良否を見るは之れ等[ら]が簡便の一法であるのだ。

▼平食…いつも食べている。
▼胚乳…種の中にある栄養をもっている部分で、この栄養分は芽を出すときに使われます。
▼滋養分…カロリー。
▼糊精分…糊化でんぷん。これが多いと、ごはんにした時のもちもちした触感が高まる。

  御飯に炊きあげてから米の良否を見るには、誰[た]れでも頗[すこぶ]る見易い方法がある。温かい炊き立てには一寸[ちょっ]と解[わか]り悪[にく]いが、御飯に美しい光沢のあるものは上米[じゃうまい]である。之れに反して少しの光沢もなく潤んだやうな色をして居るのは、大抵は良くない下米[げまい]である。又冷飯になって湯を掛けた時一粒一粒サラサラと分[わか]れ、湯水の少しも濁らないのは米の質の良いのに限るので、若[も]し冷飯に湯をかけても塊[かたま]った侭[まま]で容易に解けず、掛けた湯や茶が白い色に濁って来るのは良くない質である。最も湯茶をかけ濁る御飯ははや腐敗しかけたのにもあるが、此の場合とは違って、同じく白く濁るので濁り方が、腐った濁りほど悪どく無いのである。又御飯に酢をかけて直ぐ吸収するのは下米で、海苔巻鮨[のりまきずし]の御飯の切口が光沢[つや]があって綺麗なのは上米で、之れに反し切口のザクザクして醜いのは下米に多いものである。又良米は炊き立ては左程解らないが、冷飯になると著[いちじ]るしく 味の能[よ]く解るものである。

▼上米…質の良いおこめ。
▼下米…質の悪いおこめ。
▼海苔巻鮨の切口…のりまきの切口がべちゃべちゃにならずにしっかりしているものは良い質であるというのは、以前のページでも述べられていて、ひとつの判断基準になっています。

  夫[そ]れから白米を長くおくと味が悪くなるから、余り沢山に置くのは感心しないものである。処[ところ]で米の種類や上等のもの撰んでも、搗き方で其の味が大層違ふもので、水車搗きと器械搗きが一般に行[おこな]はれて居るが、水車搗きは白米に水分を多く含んでゐるから、御飯に炊いても手搗きほどに水を引かず、従って殖えることが少ない上、米がボロボロ欠ける虞[おそ]れがある。水車搗きも器械搗も近頃では一般に砂を交[ま]ぜて搗くので味が大層悪[わ]るい。美味[おいし]い御飯を喰[た]べやうとするならば、手搗き足蹈[あしふ]で搗く時から吟味して掛からないと、到底[とて]も美味[おいし]い御飯は喰[た]べられるもので無い。炊き方が幾干[いくら]上手でも米その物の味を失って居たら、美味[おいし]く炊ける道理が無いのである。

▼搗き方…おこめを精白すること。
▼水を引かず…水分の吸い込みが悪い。
▼手搗き…人力で玄米を白米にするやり方。
▼足蹈み…足踏み臼を使って人力で玄米を白米にするやり方。明治以前の各町内の米屋で多く使われていた精米。

  白米を貯蔵するには各自種々[いろいろ]講究されて居るやうであるが、兎角[とかく]虫が付き易[や]すくして困る。且[か]つ味が違って来る、同一の米でも一ヶ月前に精白したものと、昨日今日精白したものと喰[た]べ比べて見ると、何[ど]うしても同一米とは思はれない程である。況[ま]して夫[そ]れ以上の日数を経たのでは論外で、それが特[ひと]り白米のみでない、玄米でも同じことである。桶や箱に儲蔵[ちょざう]したものは一層虫付きも早い、味に於ても強[いた]く劣る傾きがある。亜鉛[トタン]函に空気の入らぬやうに密閉したのは、前の物よりは稍[や]や好[よ]いが、白米は素[もと]より其の他の米および穀類を儲蔵するには、大きな陶器瓶[たうきがめ]が一番好[よ]いやうである。陶器の瓶に白米を儲蔵して蓋を確[しっか]り成し、目張り厳重に密閉するときは、一ヶ月くらゐは左[さ]ほど大差が無い、搗き立ての精白米と双方を一所に喰[た]べ比べたら、劣ることがあらうが、別々に喰[たべ] る時には遜色がない。湿潤の季節でも陶器瓶に密閉して貯へた米は、美味を傷[きずつ]ける事は殆ど無いとは云[いは]れまいが、深く感じる程の毀損[きそん]を来たして居ないから、米櫃[こめびつ]などよりも陶器瓶を用ふるが確[たしか]に好[よ]いのである。だから常に用ふには蓋を其[その]瓶に合[あは]せたトタンにて作っておくと、絶対的鼠の害も防ぐから非常に重宝である。

▼陶器瓶…かめ。つぼ。
▼湿潤の季節…つゆどき。

御飯の炊き方

  『三度炊く飯さへこわしやわらかし思ふ侭[まま]にはならぬ世の中』という和歌[うた]もあるほどで、御飯を炊くのは中々[なかなか]むづかしいものである。その炊き方に就て大別して炊き干し、湯取り飯、二度飯[ふたたびめし]等がある。

一、炊き干しは、白米を能[よ]く洗ひて笊[ざる]に揚げおき、釜の湯のグラグラと煮立つ時に米を入れ、蓋を確[しっか]りして一[ひと]しきり沸騰させ、ブツブツ噴出[ふきだ]せば、火力を弱くして蒸れしむるものである。

二、湯取飯[ゆとりめし]は米を磨いで前夜から水に浸しおき、明朝釜に湯を沢山沸[わか]して米を入れ、半[なかば]過ぎ熟した時を見はからひ、柄杓[ひしゃく]にて汲み笊[ざる]に揚げ、度々[たびたび]水をかけて粘り気なきほどに能[よ]く洗ひ、蒸籠[せいろ]に掛けて能[よ]く蒸す一法である。晩の飯ならば朝より米を水に浸しおくが好[よ]い、胃の弱きものなどには軽くして好[よ]いが、幾分滋養分を減らす様である。

三、二度飯[ふたたびめし]は炊き干し飯の冷えたを煮直すことで、先[ま]づ鍋に湯を沸して沸騰した時に飯を入れ、やがて其の湯を悉[ことごと]くしぼり蓋をして、文火[とろび]に蒸すやうにするのである、冷飯を蒸籠で蒸し直し、御飯蒸[ごはんむし]でむすのも皆[みな]この類であるのだ。

▼三度炊く飯さへこわしやわらかし思ふ侭にはならぬ世の中…便便館湖鯉鮒(べんべんかんこりゅう)の詠んだ狂歌。
▼熟した…煮え立った。
▼御飯蒸…蒸籠のような構造の鍋で、下部にお湯をはってそれを熱して出す蒸気で冷ごはんをあたため直す仕組みであって、こうして作るごはんも、すなわち、ふたたび飯。

  炊き方は大方針に就ては先づ以上の通りであるが、いよいよ炊くまでには夫[そ]れ夫[ぞ]れ順序があるのだ。世間には往々[おうおう]空々[くうくう]で何等[なんら]の考えもなく、米を水でガサガサと磨いで炊いて居るのが多い。お焚[さん]どんを使ってゐる家庭などになると、飯炊きはお焚どんの 権限中に委[ゐ]して少しも顧[かへり]みないのもある。毎日一升づつ炊く御飯に、一斗買[かっ]た米が九日は炊けない、八日も炊くと跡に僅[わづか]しか余らないと云ふ奇現象があっても、大方[おほかた]お爨[さん]どんが量り込んで了[しま]ったのでらう位に澄[すま]して居る。素人の量るのと商人の量るのと枡目に相違のあるは誰[た]れも知る処だが、一割以上の辛[から]い枡目には何処[どこ]かに曰[いは]くがあるべきである。一日に三升四升の御飯を炊く家[うち]では、其の欠陥[けっかん]も年中では大したものに成る、別して近時のやうな大暴騰の場合には、一層研究すべき事実ではあるまいか。

▼空々…からっぽちん。
▼お焚どん…女中。
▼権限中に委して…全権委任。
▼奇現象…オカシイナ。1斗は10升であるのに足りない。この原因は一体なんでしょう。
▼近時…このたび。

磨き方

  磨ぎ方に就ては二様ある。一は水で磨ぐもの一は温湯[ぬるゆ]で磨ぐもの。温湯で磨ぐことに就ては、宜しくないとの説もあるが、実験上からは敢[あへ]て変[かは]りが無い。ある場合には寧ろ糠[ぬか]が早く落ちて便利である。

  又丁寧に磨ぐと脂肪を去り滋養分が失[うせ]て宜しくない。成るたけザット磨ぐが好[よ]いと云へど、余りザット磨いで置くと炊きあげてから糠[ぬか]臭い、また夏季[なつ]などは速く腐敗するので、洗ひ方を麁略[そりゃく]にするは考へものである。中庸[ちうよう]を取って先づ濁水[だくすゐ]の澄む位までは、水を流し流しして洗滌[せんでう]するが普通の磨ぎ方である。

  米を磨ぐには米の割れないやうに、手早くして丁寧なるが好[よ]い、無砂米[むすなまい]だと云っても全く無砂[むすな]なのは稀[ま]れで、洗って見ると砂の残るのが多いから、米を磨ぐとき此の砂を流し出す必要が要[い]る。それは磨ぎあげて後[のち]桶へ沢山水を張り、両手で桶をゆすぶりながら洗米を笊[ざる]の中へ流し込むのだ。左様[さう]すると小石や砂は米より重量[おもみ]があるので、桶底へ自然と淀[よど]み落ちる、之れを三度も四度も遣ると大抵は小石や砂は無くなって、御飯を喰[た]べてゐて、チャリと歯へ当[あた]る様な厭[いや]な心持[こころもち]が仕なくも好[よ]い。

  米を磨ぐ時に出る濁水、即ち白水[しろみづ]は大抵惜気[をしげ]もなく流して了[しま]ふが、不経済の甚だしい事と云はねばならぬ。之れは沢山の滋養分を含んで居るから種々[いろいろ]に使へる、鮒[ふな]の甘露煮なども白水で茹[ゆで]る、海鼠[なまこ]料理にも白水で茹ると美味[おいし]くなる。竹の子や牛蒡[ごぼう]も早く軟かくなる。又白地のものを洗濯するにも能[よ]く、白水を桶なり瓶[かめ]なりに溜[ため]ておくと、底へ粘土[ねばつち]のやうな物が淀む其れを煮ると糊の代用が出来る。植木の肥料[こやし]には無論なる。こんな功用[こうよう]のあるものを毎日流して了[しま]ふのは実に意[こころ]なき業[わざ]である。

▼麁略…ざつにあつかう。
▼中庸…まんなかあたり。
▼濁水…おこめをといだ時に出る白い水。
▼無砂…おこめを精白するとき、ぬかの層を削りやすくするため器械の中などでまぜ込まれる「砂」を使っていません、というもの。しかし、器械で搗かれているものは大抵、砂が混入していたようであります。
▼小石や砂は米より…底本には「小石や砂米よりは」となっていますが、意味が通じないので本文の如く校訂。

仕懸け方と水加減

  洗米を釜に入れて炊くには、洗米を水に浸して置いたものと、笊[ざる]に揚げて置いたものと、洗って直ぐ仕懸けるものと、夫[そ]れ夫[ぞ]れ水加減に相違があるのである。其の水も水道ならば軟かに成って居るから好[よ]いが、井戸の水で炊くときは、汲みあげて直ぐ使っては、御飯が腐敗し易い。井戸の水は汲みおきて水中の汚塵[ごみ]鉱物質を沈殿させ、其の上水[うはみづ]を用ゐなければ成らないのである。

  水加減は米一升に水一升一合余の割合が適当である。世間の書[かい]たものには一升二合が適度のやうに成って居るが、米の質にも拠るから一様には云[いは]れないけれど、一升二合の水加減では軟かに成り過ぎる事がある。先づ一升一合を標準として水を吸収する米と吸収しない米に由[よ]り、手加減を要するのである。水車で搗いた米は水分を含んでゐるから加減を軽める。御飯に成っても殖ゑ方も少[すくな]い、手搗き足搗きのものは水分を含むことが少いから、水加減も心持[こころもち]増さねば成らないのだ。

▼鉱物質…水に含まれているミネラル分、あるいは溶け込んでいる銅、鉄、亜鉛など。
▼世間の書たものには…世に流布しているお料理の本。
▼手搗き足搗き…手搗きは杵など、足搗きは足踏み臼などで精米をしたおこめ。

火加減とむらし方

  火の力が平均であっても、火の炎が釜の一方にのみ中[あた]っては美味[おいし]くは炊けないから、火加減と云ふ事には注意を払はねば成らないのである。火の燃[も]し方は初めチョロチョロ中パッパの原則通りが好[よ]い。即ち初めは余り強くなく、中程は強く、噴き出したら火を落[おと]すか極[ごく]文火[とろび]にするかして蒸らすのである。

  燃料に就ては薪[まき]、藁[わら]、炭、瓦斯[がす]、石炭等があるが、薪で炊くのが一番御飯が膨[ふっく]ら好[よ]く出来るものだ。

一、薪も雑木[ざふき]の軟かなものや松薪で炊いたのは、上等でない。堅木[かたぎ]で上手に炊きあげた御飯が一番美味[おいし]い。農家などでは藁にて炊くが、之れも好[よ]い御飯が出来る、藁火は殆ど蒸し炊きに類するもので、文字[もんじ]の説明は困難である。実地の経験に依らないと火加減が能[よ]く解らないものである。

二、炭にて炊くには湯炊きにするが実験上好[よ]い。一升釜でも炊く米の量によって、一升の米に対し一升二合弱の水を入れ、グラグラ煮立つを待って米を入れると、約十分間もするとブウブウ噴き出して来るから、直ぐ火の口を閉ぢる。さうしてお釜の鍔[つば]を卸[おろ]すのである。斯[か]うすると焦げることがない、クワックワッと勢ひある火勢を圧伏して弱めるからである。炭は余りガサガサした雑木は只だ火がパットするばかりだから宜しくない。土釜[どがま]の中位の処が適してゐる。堅炭[かたずみ]は堅すぎて火力が強く、蒸らす時に至って、火の口を閉めても火勢が容易に衰へないから、何[ど]うしても焦[こげ]安く、悪くすると黒焦[くろこげ]に成る虞[おそ]れがあるのである。

三、瓦斯で炊くのは初めは火力を余り強くせず、釜の十分暖まって手を触れて熱さを感ずる程度で、漸々[ぜんぜん]火力を強めて炊き、噴き出したらグット強め、シューシューと釜の蓋の間から蒸気の盛んに発し、おネバのこぼれるを度として、又火力を段々弱くして往き蒸らすのであるが、瓦斯炊きは此の蒸らすのが炭火や薪を焚[た]いたやうに、自由の働きが出来ないので何[ど]うも出来揚がった御飯が、真[しん]の米の味を出すことが出来ない、瓦斯炊きの御飯が美味[おいし]くないと云[いは]れるのは、此処にあるのである。

四、石炭で炊くのは何[ど]うしても味が良くない、石炭炊きの御飯は美味[おいし]いものは殆ど出来得ない。殊に個人の台所などで使用するものではない。

五、蒸らす程度は普通薪、藁、炭などで炊いた場合は十分から十三四分であって十五分も竈[かまど]の上におくと少し蒸れ過ぎる嫌ひがある。蒸れ過ぎると炊きあがった御飯が塊[かたま]って、サラリとした美味[おいし]い味が失せて了[しま]ふのである。普通の場合としては火を引いてから竈の上に十分間ほど置き、下[おろ]して五六分間で飯櫃[おはち]にうつせば好[よ]い。瓦斯炊きの御飯になると同じ蒸らし方をしても、味が何[ど]うも好[よ]くないのである。

▼瓦斯…ガスこんろは、明治30年代から輸入品がもたらされるようになっていました。
▼雑木…切り払われた枝など。
▼松薪…松の木の薪では煙が強く出てしまい、余りごはん炊きには向かないようである。
▼堅木…水分がとび、繊維のつまった堅い薪。
▼文字の説明…理路整然と文章にしたデータ説明。
▼漸々…とろとろゆるゆる。

御飯の取扱ひ方

  炊きあがった御飯は、飯櫃[おはち]へうつして蓋をするのが普通のであるのが、その蓋をする時には必ず蓋の間へ布巾[ふきん]を蔽[おほ]ふが宜しい。温かい御飯よりは湯気が盛んに立昇る、其の湯気は飯櫃の蓋に溜って、ポタリポタリと御飯の中へ垂れるものである。斯[か]くして蒸留した水が再び御飯へ逆戻りをすると、其の部分の御飯は早く腐敗するものであるから、布巾に蒸溜した水を吸収させ、御飯へ逆戻りをさせぬやうに防ぐのである。

  また一法としては飯櫃[おはち]にうつしたら、暫[しばら]く飯櫃の蓋を取って置き、湯気を十分に立たせて後[のち]蓋をするのが好[よ]い。夏季などは此の取扱ひ方が、最も御飯を腐らせない事になる。確[しっか]り蓋をして空気を飯櫃の中へ入れないやうにすると腐らないと云ふ人もあるが、飯櫃の蓋はした侭[まま]では置かれない、御飯を喰[た]べるときは是非開けたり閉めたりするので、空気が自由に入るから此の法は感心されない。矢張り前の一旦湯気を散[ちら]して了[しま]ふ法の方[かた]が好[よ]い。之れは数[す]十年来の実験で斯[か]くして炊く時[す]を入れておけば、何様[どんな]盛夏の節であるとも物の腐敗し易い秋の初めでも、御飯の腐ったと云ふは殆ど知らない事である。

  冬季に成って御飯の冷[ひえ]ないやうにするには、飯櫃[おはち]入れに飯櫃を入れて置くが好[よ]い。若[も]し飯櫃入れの無い場合には、蒲団のやうな綿の沢山入った物で幾重にも包んで置くが好[よ]い。飯櫃入れに入れて置くよりも蒲団で、幾重に確[しっか]り包んで置く方が御飯の冷え方は少[すくな]い。朝炊いたものでも翌朝になっても、ボロボロするやうな事はなく、猶[な]ほ幾分の温味[ぬるみ]を有[も]って居る。この場合には飯櫃と蓋の間には布巾を挟み、湯気は御飯の中へ垂らないやうに心懸けるのが宜しい。

  飯櫃は成るべく古い物が好[よ]い、古い木の十分にかれた物を常に能[よ]く清潔[きれい]に洗ひ、それへ御飯をうつせば、飯櫃へ御飯の水気[すゐき]を吸収するので、サラリ炊きあげた御飯ならば決してグチャグチャになる事は無いが、若[も]し飯櫃が新しく水気を吸収することが出来ないと、冷飯に成ると牡丹餅のやうに塊[かたま]るものである。此様[こんな]のは腐敗することが最も速い。仮令[たとへ]防腐法を行[おこな]っても効力が無いのであるから、容器にも相当の注意を払はねば成らぬ。啻[ただ]に夏季腐敗を早めるばかりで無く、うつし取った御飯が水気立って、冷飯に成ると味が著るしく違って来る。

▼是非開けたり閉めたり…どうしても開け閉めせざるを得ない。
▼酸…酢。
▼飯櫃入れ…わらで編まれた入れ物。蓋がついていてスッポリおひつを蔽ってくれます。

防腐の法

  御飯の腐らないやうにするには、左の方法が簡略である。

一、一升の御飯の中ならば、酸[す]三勺の割合にて仕懸ける時に入れる。

二、釜の底に梅干一ッを入れる。又御飯を飯櫃[おはち]にうつす時、飯櫃の底に入れると好[よ]い。多少効力はあるが、前者ほどの著るしい効力は無いのである。

校註●莱莉垣桜文(2010) こっとんきゃんでい