此[この]業は大店小店[おほみせこみせ]を問はず、市中到る処[ところ]に見らるるものにて、問屋の本場は云ふまでもなく▼魚河岸なり。彼処[かしこ]に接比[せっぴ]する各店は何[いづ]れも昨今出来星のものならで、遠く江戸時代の昔より引続き来[きた]りしもの、其間[そのあひだ]多少の変遷なきにあらねど、代がはりとならざる店となれば、先[ま]づ二百年がほどの▼星霜[せいさう]を経たる旧家とて、今では中々[なかなか]の▼大身代[おほしんだい]、大黒柱永く揺[ゆる]ぐまじう見受[みうけ]らる
さて市中各所の店は規模の大小に違ひこそあれ、何[いづ]れも小売店たる事は▼一なり。其[その]資本も店によりて種々の差異あれど、元より同業者の多き商売とて、一店にて独占の利を得んこと決して出来得べき業[わざ]ならねば、従って▼さまでの大資本を最初より注[そそ]げるものなし、普通ありふれたる店にて、やや品数の並べる処[ところ]三四百円乃至[ないし]五六百円、一層小なるものとなりては物の百円も掛[かけ]れば店になり行くもの也[なり]。但し此[この]場合亭主は店売[みせうり]の外[ほか]に、自[みづか]ら得意廻[とくいまはり]を為[な]すべきは云ふまでもなし。
は普通生魚[なまうを]二割五分▼塩物[しほもの]のものなれども、売口[うれくち]悪き時即[すなは]ち夜八九時頃まで捌[はけ]ざる時は、元より一夜[ひとよ]も越[こさ]すべき品物ならねば、止[やむ]なく元直[もとね]やうやうにて売切る事少[すくな]からねば、先[まづ]平均二割の勘定なり。極の素人[しろうと]より此[この]業を始めたるものにて、ほんの▼棒手振[ぼてふり]ながら、甘[うま]く行けば一日二円の売上[うりあげ]難[かた]からずとは経験者の話なり。
不漁[しけ]の時を除き何時[いつ]とて魚[うを]のなき折[をり]あらねど、繁忙期と云へば春秋二季魚の旬時[しゅんどき]を以て最[さい]とす。夏季は生物の事とて其[その]▼手置[てをき]なかなか困難にて、稍[やや]もすれば刺身用のものなど▼玉なしにする心配あり、客も凡[すべ]て念を入るる事とて、余り売行[うれゆき]捗々[はかばか]しからねば、仕込も他の時と比べて幾分控目にする事なり。少しく大店となり▼歳暮用の鮭[さけ]鱒[ます]など数多[あまた]懸置[かけを]く事となれば、十二月の如き中々[なかなか]多忙を極むるものなり。
は先[まづ]買出しの時にあり、されば根から幾年かの年期を入れたる者ならでは迚[とて]も出来がたき事なり。そは魚[うを]の識別に全く盲目[めくら]なる時は、思はぬ▼出[で]の悪[あ]しき品を押付らるる恐[おそれ]あるゆゑにて、例へば同じ大[おほき]さの鯛[たひ]比目魚[ひらめ]などにて、一尾一円ぐらゐのものと四五十銭位のものとあり、勿論[もちろん]格安の方[かた]捌きよければ、知らぬ中[うち]は先[まづ]その方に目を付るが大間違にて、これは決して同じ処の出[で]にあらず、安物は多く仙台地方の出[で]ゆゑ、其味[そのあぢ]に至って格段の相違あり。されば心ある営業者は決して振向ても見ざれど、さても世は様々にて、山手[やまのて]あたりか▼田舎出[いなかで]の官吏連を得意に持つ手合[てあひ]若[もし]くは貧民窟付近の商人は、好んで此方[このほう]を買入[かひいれ]ゆくなり。
肴屋の日記にのらん月見哉 柳水
ゑびす講や殊に難波の魚市 闌更
魚市の引けて目につく柳かな 三華