神田川又は本所竪川[たてかは]等の▼河岸[かし]に、薪[まき]炭[すみ]を山の如くに積みたるは云[いは]ずと知れし薪炭商の河岸揚場兼用の置場なり。
此[この]卸商には海手問屋奥川問屋神田川問屋千住大川組問屋等の区別あり、海手問屋は主として▼紀、豆、駿、相等の海路を経て来[きた]る荷物を捌き、奥川問屋は▼常、総、上、野等の▼河積[かはづみ]の荷物を扱ひ、神田川千住大川組問屋は▼上武常磐等の汽車積荷物を扱ふなり。又薪問屋と炭問屋との別もあり。諸▼官衙[くわんが]の納品をのみ扱ふ御用商人と称するもあれど、之[これ]は自宅に品物を積置き、官衙の入札に間に合ふは稀[まれ]にて、大方は落札してより▼山方の荷主へ引合ふか、或は仲間を買歩いて納品なすを例とす。又普通仲買所謂[いはゆる]小売商へ卸す問屋あり。
同商人の営業の有様は通常の問屋と異なり、手代雇人の外[ほか]に度量[はかり]取扱役(俗に器械と云ふ)を多額の給料にて抱へ置き、納品の際には此[この]度量取扱役が官衙に行きて貫々をなし役人に渡す。之[これ]には種々の秘訣ありて、量器[はかり]を扱ふに上手なると下手なるとにより、大に給料の点に相違あれど、大方は例の○○○○へコンミッションを握らせて、少し位劣れる品も文句なしに通す事なり。さて▼貫目に狂[くるひ]出[いづ]れば莫大の損益あるより近年は此[この]商人組合を設け、競争入札にても順番に商ひすれば、非常なる損益なく、利益金を一箇年平均する時は殆[ほと]んど▼算当とならずといふ。
は小売へ卸が堅固なれど、山方の荷主が▼金詰[きんづまり]と称し、前金或は荷着と同時に仕切金を渡さねば荷を送らず、売先は貸[かし]となり、其貸[そのかし]も不景気の為総じて入金なけれど、之[これ]を恐れて貸売[かしうり]せざれば商[あきなひ]なく、貸は常に溜るのみにて、荷主へは▼即金払とすれば其[その]苦しさ一方ならず、それ故近来資本を減ぜし者も尠[すくな]からず。旧来は荷主より口銭として、仕切金の一割乃至[ないし]一割五分を問屋へ出[いだ]せしも、現今は漸く五分位となれり。又小売商も纏めて仕切るだけの金あらば、何[いづ]れも▼直接山方へ引合ふより、金の廻らぬ連中のみ問屋と取引する状態[ありさま]なり。されば間に立ちて面白からぬは此[この]問屋なりとす。さて其[その]店搆へは派出所位の家屋にても、大なる置場さへあれば▼得意の信用はあるものにて、大問屋に至っては資本に際限なけれど、従業者三人(小僧二人若衆[わかいしゅ]一人)位にて営業するには資本金五百円もあれば何[ど]うやら繰廻[くりま]はして行[ゆか]れるものなり。
小売は至極堅き商法なれど、夏季は▼全[まる]で営業とならず。已[や]むなく▼炭団[たどん]を製して囲ひ置き冬季に売りて夏季の▼喰込[くひこみ]を取返すが上等の部なり営業の仕方は、小売商とても大店あり小店あり、小店に至りては夫婦に小僧の一人も使役し、資本は五十円以上百円も売揚[うりあげ]あれば暮しも楽なれど、夏季は五円はさて措き一円も売行なく、僅[わづか]に▼行水の薪が少し売れる位に止[とど]まる。利益は大凡[おほよそ]平均一割より一割五分位なれば、中々[なかなか]儲ある如くなれど、金高[きんだか]にはならず、総て金高となる営業は儲の薄きものなりとす。又薪専門にて飲食店▼湯屋等を得意とせし商人も、近頃は多く▼コークス石炭等の影響を受けて大[おほい]に売口を減じたり。さて炭団は割合よき売物なれど、甚[いた]く労働を要し、其[その]原料は粉炭[こなずみ]瓦炭[かわらずみ](▼瓦焼などに用ふる松葉枝を焚[たき]たる灰)灰汁[あく]の三種を交ぜて搗くものにて、粉炭を自店の品のみ使用するには大店[おほみせ]ならざれば出来ず、大方は他より買入るる例なるが、さる場合には瓦炭一樽十四銭粉炭一樽十六銭これに灰汁の代価を加へて三十二三銭の資本[もと]を要す、之[こ]れを炭団としての売揚は六十五銭位となる、一寸[ちょっと]見れば割のよき様なれど、搗[つき]て丸めて▼干上[ほしあげ]るまでの手数は非常なり、されば若衆[わかいしゅ]の給料を入るれば結局手間を取る位に止[とど]まり、平均卅銭の手間に当らざれば、畢竟▼手明[てあき]の時に製せざれば利益を見るを得ず。
御薪にしのび笑ひの聞えけり 樹石