此[この]商売は旨と和製の紙類を販売するものにして、洋紙商に対して和紙商と謂へる也。さて弘く世に知られたる旧家は、日本橋区本町通りの小津[をつ]、大橋[おほはし]、本所の岡本[をかもと]、京橋区元数奇屋町の鹿島[かじま]等なり。小売にては麻布区飯倉[いひぐら]の萬屋[よろづや]、浅草区並木の茗荷屋[めうがや]、同元鳥越[もととりこえ]の鍵屋[かぎや]等各▼名ある店にて、▼地漉問屋[ぢすきとんや]は下谷区阪本の鍵屋[かぎや]、千住の田原屋[たはらや]等有名なり。
の資金は少なくとも一万円以上は要すべく、之[これ]より以下にては決して問屋とは称しがたし。利益は平均五分に当り、取引は例へば問屋が▼土佐の荷主と取引する時、先[ま]づ誂品[あつらへひん]を産地より送荷[そうに]し来[きた]り、凡[およ]そ一ヶ月半も経たる頃、荷主は上京して問屋と直段[ねだん]の取極[とりきめ]をなし、相談纏[まとま]れば其[その]代金の半額を受取り、残金は後荷[あとに]の注文品が問屋へ着したる時、為替[かはせ]等にて支払を受くる規定也。但[ただ]し小売への卸売[おろしうり]は現金は稀[まれ]にして、大約[たいやく]二ヶ月位の延取引[のべとりひき]なり。猶[なお]相場の高低は▼西洋紙の如く甚[はなはだ]しからざれど、多くの中[うち]にて変動あるは▼半紙[はんし]半切[はんきり]等にて、時に二円位の高低を生ずる事あり。
といふは此[この]商売に公然とはなけれど、神田明神下の堺屋[さかひや]などは、小津[をつ]大橋[おほはし]等の問屋より紙類を仕入れ、之[これ]を本郷もしくは小石川辺の小売へ卸し居れば、或[あるひ]は仲買[なかがひ]と謂はれざるにあらず。されど小売より見れば一種の問屋なる事[こと]論なし。其[その]利は二分位のものなれど、多く取引すればこれ以上の利はあるべく、猶此[なおこの]問屋が小売へ取引する勘定は、六十日位の延取引[のべとりひき]ありと知るべし。
の資本は家屋は別とし、普通の紙類を大方[おほかた]取揃ふるに、少なくとも四五百円は要すべく、利益は平均八分位なり。利益の多きは、美濃紙[みのがみ]一本つぎが四五銭の利あり、半紙は三厘位、半切紙[はんきれがみ]は一円の▼原紙をつぎたるもの一円五十銭となり、ロール原紙は一〆[ひとしめ]九十銭位の品一帖売として一銭五厘には捌[さば]かれ、壁紙[かべがみ]短冊等は一枚六厘位のもの二銭位に売らる、併[しか]し素人[しろうと]に十枚廿銭に売る品も▼俳諧等の宗匠には特に十二銭位に割引する定めにて、壁紙等は百枚の内五十枚売行[うれゆけ]ば余[よ]は全く利益となる勘定なり。
は例へば小売へ一〆[ひとしめ]一円の▼浅草紙[あさくさがみ]を一把[わ]儲[まうけ]にて卸しても、一円に付[つき]キリ或[あるひ]はヒケと称し、大問屋との取引に、此[この]紙の枚数九十六枚に準じ、九十六銭を以[もっ]て一円に換算するより、小売の知らざる間に四銭の利益を見る事を得[う]る也。之[これ]に正式の一把儲を加ふれば多数となりては莫大[ばくだい]の利益にて、之[これ]こそ紙屋仲間の大秘密なれ。
といふは俗に手を掛けし品か、或[あるひ]は細工せし物を総括せる名称なり。之[これ]には問屋といふものと、専門の小売とある。又浅草紙[あさくさがみ]の中[うち]にも監獄漉[くわんごくずき]といふものあり、之[これ]は名称の表はす如く、地方の監獄内にて囚人の製せるもの故[ゆゑ]、仲間にて斯[か]くは命名せるもの也。
上等の紙を産するは越前にして、土佐美濃之[これ]に次ぎ、駿河其他[そのた]の各地よりも産出す。越前にては奉書[ほうしょ]鳥の子最も名あり、土佐は半紙、改良半紙、美濃紙、美濃より出[い]づるは美濃紙にて、駿河なるは駿河半紙、東京よりは地漉紙を出[いだ]す、浅草紙、▼鼠半[ねずみはん]、▼元結漉[もとゆひずき]、▼桜紙[さくらがみ]等は何[いづ]れも此中[このうち]に含まる。
浅草紙は素人の知る如く▼九十六枚を以[もっ]て百枚とし、美濃紙は四十八枚、西内[にしのうち]は四十枚半紙は廿枚を以[もっ]て一帖とすれど、惣じて四十八枚が一帖としては頭分[かしらぶん]なりと知るべし。
地方の商人を得意とすれば、四月九月の両月頗[すこぶ]る繁忙を極[きは]む、近在を相手とすれば、約一ヶ月置きに仕入[しいれ]に出[い]で来れば、これぞと暇の時なきものなれど、概して夏季は閑散なり。これは冬季と違ひ、何処[いずこ]も障子[しゃうじ]襖[ふすま]等の張替[はりか]へなどせざるに由[よ]れり。さて漸[やうや]く夜寒[よさむ]の頃となり十二月に入[い]れば、▼大晦日に切迫するに従ひ、障子用の美濃紙はいふに及ばず、歳暮用の半切[はんきれ]等日毎[ひごと]に売盛[うれざか]り来れば、小売商の▼書入時[かきいれどき]は大方此頃にあり、猶[なお]半紙の中[うち]にてもロール半紙が売口よく、こは普通の半紙が四五年来中々[なかなか]の高価を呈し来[きた]りしより、其[その]代用を為[な]すに至りしものなるべく、これら多数の商店中にありて、上等の紙類を販売するは日本橋のはい原にて、紙屋中の所謂[いはゆる]▼贅沢商店として聞えたる老舗[しにせ]なり。
▼恵比寿紙掛取帳の三枚目 其角