実業の栞(じつぎょうのしおり)和紙商

凡例
目次

もどる

和紙商

[この]商売は旨と和製の紙類を販売するものにして、洋紙商に対して和紙商と謂へる也。さて弘く世に知られたる旧家は、日本橋区本町通りの小津[をつ]大橋[おほはし]、本所の岡本[をかもと]、京橋区元数奇屋町の鹿島[かじま]等なり。小売にては麻布区飯倉[いひぐら]萬屋[よろづや]、浅草区並木の茗荷屋[めうがや]、同元鳥越[もととりこえ]鍵屋[かぎや]等各名ある店にて、地漉問屋[ぢすきとんや]は下谷区阪本の鍵屋[かぎや]、千住の田原屋[たはらや]等有名なり。

▼名ある店…有名店。
▼地漉問屋…お店で紙漉きを行って販売しているお店。紙の種類については「紙の産地と名称」の項をご覧あれ。
▲問屋

の資金は少なくとも一万円以上は要すべく、之[これ]より以下にては決して問屋とは称しがたし。利益は平均五分に当り、取引は例へば問屋が土佐の荷主と取引する時、先[ま]づ誂品[あつらへひん]を産地より送荷[そうに]し来[きた]り、凡[およ]そ一ヶ月半も経たる頃、荷主は上京して問屋と直段[ねだん]の取極[とりきめ]をなし、相談纏[まとま]れば其[その]代金の半額を受取り、残金は後荷[あとに]の注文品が問屋へ着したる時、為替[かはせ]等にて支払を受くる規定也。但[ただ]し小売への卸売[おろしうり]は現金は稀[まれ]にして、大約[たいやく]二ヶ月位の延取引[のべとりひき]なり。猶[なお]相場の高低は西洋紙の如く[はなはだ]しからざれど、多くの中[うち]にて変動あるは半紙[はんし]半切[はんきり]等にて、時に二円位の高低を生ずる事あり。

▼土佐の荷主…土佐の国は土佐半紙の産地として有名。そのため、例に出てきている次第。
▼西洋紙の如く…「西洋紙商」参照。
▼半紙半切…どちらも和紙の種類名。半紙は縦の半分。半切は横の半分。
▲仲買

といふは此[この]商売に公然とはなけれど、神田明神下の堺屋[さかひや]などは、小津[をつ]大橋[おほはし]等の問屋より紙類を仕入れ、之[これ]を本郷もしくは小石川辺の小売へ卸し居れば、或[あるひ]は仲買[なかがひ]と謂はれざるにあらず。されど小売より見れば一種の問屋なる事[こと]論なし。其[その]利は二分位のものなれど、多く取引すればこれ以上の利はあるべく、猶此[なおこの]問屋が小売へ取引する勘定は、六十日位の延取引[のべとりひき]ありと知るべし。


▲小売

の資本は家屋は別とし、普通の紙類を大方[おほかた]取揃ふるに、少なくとも四五百円は要すべく、利益は平均八分位なり。利益の多きは、美濃紙[みのがみ]一本つぎが四五銭の利あり、半紙は三厘位、半切紙[はんきれがみ]は一円の原紙をつぎたるもの一円五十銭となり、ロール原紙は一〆[ひとしめ]九十銭位の品一帖売として一銭五厘には捌[さば]かれ、壁紙[かべがみ]短冊等は一枚六厘位のもの二銭位に売らる、併[しか]し素人[しろうと]に十枚廿銭に売る品も俳諧等の宗匠には特に十二銭位に割引する定めにて、壁紙等は百枚の内五十枚売行[うれゆけ]ば余[よ]は全く利益となる勘定なり。

▼原紙をつぎたるもの…半切をながくつないで作ってある巻紙手紙などに使われるもの。
▼俳諧等の宗匠…俳諧、川柳、雑俳の先生。
▲問屋の秘密

は例へば小売へ一〆[ひとしめ]一円の浅草紙[あさくさがみ]を一把[わ][まうけ]にて卸しても、一円に付[つき]キリ或[あるひ]はヒケと称し、大問屋との取引に、此[この]紙の枚数九十六枚に準じ、九十六銭を以[もっ]て一円に換算するより、小売の知らざる間に四銭の利益を見る事を得[う]る也。之[これ]に正式の一把儲を加ふれば多数となりては莫大[ばくだい]の利益にて、之[これ]こそ紙屋仲間の大秘密なれ。

▼浅草紙…廃紙やぼろ布を原料にした紙で、ちりがみとして使われていました。
▲小間紙

といふは俗に手を掛けし品か、或[あるひ]は細工せし物を総括せる名称なり。之[これ]には問屋といふものと、専門の小売とある。又浅草紙[あさくさがみ]の中[うち]にも監獄漉[くわんごくずき]といふものあり、之[これ]は名称の表はす如く、地方の監獄内にて囚人の製せるもの故[ゆゑ]、仲間にて斯[か]くは命名せるもの也。


▲紙の産地と名称

上等の紙を産するは越前にして、土佐美濃之[これ]に次ぎ、駿河其他[そのた]の各地よりも産出す。越前にては奉書[ほうしょ]鳥の子最も名あり、土佐は半紙、改良半紙、美濃紙、美濃より出[い]づるは美濃紙にて、駿河なるは駿河半紙、東京よりは地漉紙を出[いだ]す、浅草紙、鼠半[ねずみはん]元結漉[もとゆひずき]桜紙[さくらがみ]等は何[いづ]れも此中[このうち]に含まる。

▼鼠半…鼠半紙。安価な半紙で、お正月にこれと扇子(ばらばら扇)はお年玉としてよく贈られていました。
▼元結漉…髪の元結につかうための紙。
▼桜紙…廃紙を原料にした小型の紙で、ちりがみとして使われていました。
▲紙の枚数

浅草紙は素人の知る如く九十六枚を以[もっ]て百枚とし、美濃紙は四十八枚、西内[にしのうち]は四十枚半紙は廿枚を以[もっ]て一帖とすれど、惣じて四十八枚が一帖としては頭分[かしらぶん]なりと知るべし。

▼九十六枚を以て百枚…「問屋の秘密」の項で書かれているように、浅草紙にはこのような換算が常用されていました。
▲売口よき時期

地方の商人を得意とすれば、四月九月の両月頗[すこぶ]る繁忙を極[きは]む、近在を相手とすれば、約一ヶ月置きに仕入[しいれ]に出[い]で来れば、これぞと暇の時なきものなれど、概して夏季は閑散なり。これは冬季と違ひ、何処[いずこ]も障子[しゃうじ][ふすま]等の張替[はりか]へなどせざるに由[よ]れり。さて漸[やうや]く夜寒[よさむ]の頃となり十二月に入[い]れば、大晦日に切迫するに従ひ、障子用の美濃紙はいふに及ばず、歳暮用の半切[はんきれ]等日毎[ひごと]に売盛[うれざか]り来れば、小売商の書入時[かきいれどき]は大方此頃にあり、猶[なお]半紙の中[うち]にてもロール半紙が売口よく、こは普通の半紙が四五年来中々[なかなか]の高価を呈し来[きた]りしより、其[その]代用を為[な]すに至りしものなるべく、これら多数の商店中にありて、上等の紙類を販売するは日本橋のはい原にて、紙屋中の所謂[いはゆる]贅沢商店として聞えたる老舗[しにせ]なり。

恵比寿紙掛取帳の三枚目 其角

つぎへ

▼大晦日に切迫する…暮れがおしせまってくる。ギリギリになればなるほど。
▼書入時…もうけどき。
▼贅沢商店…高級店。
▼恵比寿紙…紙をキレイに裁ち切った時に出る端紙のこと。出雲に各地の神様が集会するとき、恵比寿さまが出雲に出かけず残るかみ、というところから。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい