此[この]業の始めて江戸に行はれしは、今を去る事二百数十年の昔にしてそれより明治十五六年の頃に至るまで、その販路中々[なかなか]広く、染物[そめもの]色紙[いろかみ]菓子[くわし]錦絵[にしきゑ]等より、小児の▼玩弄物[ぐわんろうぶつ]の着色にまで使用せしが▼明治十七年の頃▼洋紅が安価を以[もっ]て手広く競争の衝[しゃう]に当りてより、世人の多数は品質の善悪を論ぜず、染[そめ]の浸出[しみだ]し若[もし]くは▼褪色[たいしゃく]をも厭[いと]ひなく憐[あは]れにも、唯[ただ]直段[ねだん]の一点に留意せるより、大[おほい]に販路を絶[たた]れたり、されば其[その]製造問屋と称する者、全盛時代には江戸市中四十三軒の多きに及びしが、今は僅[わづか]に数軒に其[その]名残を示すのみ。
問屋の資本は諸道具より原料の紅花を調ふるに、略[ほど]五千円は要すべく、利益は大抵二割五分位の見当なり。さて此[この]業の職工は京都には渡り職人あれども、東京には絶へてなく、何[いづ]れも其[その]家々の丁稚小僧[でっちこぞう]より仕上げ、主人より製造の伝習[でんじゅ]を受[うく]るに止[とど]まり。家々によりて製法に各秘密あり、所謂[いはゆる]一子相伝とも称すべきものならん。
取引は総て現金にして、仲買といふ者なく、問屋から直接に小間物商もしくは菓子屋へ販売す、直段[ねだん]は小町紅[こまちべに]上等一円に付[つき]十二三匁、中等十七八匁、細工紅[さいくべに]は最上等十二三匁、下等は廿五匁より三十匁まで数等あり。之[これ]に反し洋紅は原料に絵具[ゑのぐ]を調合せしものにて、一斤(百六十匁)三十銭位なり、其[その]懸隔非常なるは驚くの外[ほか]なし。
は入梅より酷暑の頃にして入梅頃は紅が水となるものゆゑ、此[この]業者の非常に辛苦する際[きは]なり、さて最も▼楽境[らくきゃう]なるは寒中にして、此頃[このごろ]に売口[うれぐち]至って宜[よ]く、寒紅[かんべに]とて丑の日には▼丑紅[うしべに]を売出す事[こと]已[すで]に世人の能[よ]く知れるが如し。
小売商と云っても紅専門は皆無にて何[いづ]れも小間物商の兼業なり。さて最も売口よきは▼紅猪口[べにちょく]に刷[は]きたる物にて、其[その]利益殆[ほと]んど三割なり。
紅の品質を撰定する簡便法は、火の上にかざして▼樺色[かばいろ]となるものを本紅とすべく、鳥の子餅等の着色も変色せざるものは洋紅にして有害なりと知るべし、又京都製のものは必ず青色を呈する事なるが、これは同地の水質灰汁[あく]の強き故にて、東京製は其[その]色極めて光沢よく、京都製とは比べ物にならず。
染物に本紅を使用せば。決して▼浸潤[しんじゅん]の患[うれひ]なきのみか、布地[きれぢ]を毀損[きそん]する事もなし、之[これ]を錦絵の色摺[いろずり]に用ふれば、年経ても更に褪色の恐[おそれ]なく、又[また]手遊[おもちゃ]に紅色を用ふるは、紅を嘗[な]むれば小児の便通を好[よ]くせる故にて、また肌着等に紅染を用ふるも熱を冷ます徳あればなり。▼芭蕉翁の句に、『行末[ゆくすゑ]は誰[た]が肌ふれん紅の花』とあるも、早くよりさる言伝へありける故なるべし。尚[なほ]紅を菓子の着色に用ひそめしは、さる公卿[くげ]が薬用のため子息に紅を嘗めさせんとせしも、兎角[とかく]に之[これ]を嫌うで意の如くならざりしかば、思案の末[すゑ]之[これ]を菓子に着くるに至りしが其[その]▼濫觴[らんちゃう]なりとか。故に真正の紅を使用せし菓子は衛生上有益なれど、洋紅類を用ひし物は恐るべき害を含めるものなれば各自の注意専一[せんいつ]也。
紅屋の祖先は元来武家出にて、或時[あるとき]水戸家に対して大方ならぬ功蹟ありしかば、同家より目印にせよとて▼猩々緋[しゃうじゃうひ]の陣羽織[ぢんばおり]を拝領せしが、件[くだん]の陣羽織をさすが其侭[そのまま]看版にも為[な]し難ければ、紅染として陣羽織の如くなし、斯[かく]て店頭に出[いだ]せるが、今に名残を止めたるものなりとぞ。
製造場は最も清潔を貴[たっと]び、恰[あたか]も刀鍛冶[かたなかぢ]の細工場と同じく、其[その]周囲に▼七五三[しめ]を張り堅く婦女子の出入を禁じ、万一ここに出入する事あらば、紅の色が焼[やけ]るとて甚[いた]く厳格を極むるもの也、されど▼現時は醜悪なる洋紅の跋扈[ばっこ]甚しきより、惜しや江戸名物の紅[くれなひ]も年々製造場の数を減じ、新[あらた]に此[この]業を開く者は皆無の姿なり。
昔は最上[もがみ]産を以[もっ]て上等品とし、此外[このほか]諸国より出[い]でしが、今は紅花を栽培するとも以前の如き収益なければ、内国産は殆[ほと]んど跡を絶ち、▼多部分は何[いづ]れも清国[しんこく]四川省順慶府より仕入るる事あり。因[ちなみ]に記す、この紅花はサフランの上質なるものにて、湯煎[ゆせん]にして服用せば婦人▼血の道の最大良薬なりとぞ、紅といへるものの効験偉大なりといふべし。
▼詐欺的行商の田舎には立廻[たちまは]る事多く、彼等[かれら]の手段は東京の製造元の商標をいと大切に裏打[うらうち]し、之[これ]を携[たづさ]へて田舎者を▼瞞着[まんちゃく]し、紅殻[べにがら]を紅と称して▼入物[いれもの]に刷[は]き、時過ぐるを見て開[ひら]かざれば褪色の恐[おそれ]あるなどと、好加減[いいかげん]なる嘘八百を並べて、其間[そのあひだ]に尻尾を巻いて逃出[にげだ]すを常とす。さりながら▼実際の行商は、元来▼金高なる紅を商ふ事とて、昔は到る処[ところ]▼胡摩[ごま]の蝿[はい]に付狙[つけねら]はるる恐[おそれ]ありしかば、大抵長い刀[もの]を一本護身に差し居たり。
丑紅や好一対の寒牡丹 兼水