実業の栞(じつぎょうのしおり)釣道具商

凡例
目次

もどる

釣道具商

[この]商業は釣道具一式と針専門とあり、針問屋は市中僅[わづか]に六軒あるのみにて、釣道具卸小売とを合せて五十余軒もあり針問屋と云へば縫針[ぬひばり]釣針[つりばり]に限らず、[あまねく]針を卸[おろし]するを云ひ、其[その]資本も数千円以上一万円余も要す、卸小売兼業の店も、地方行[ちほうゆき]の安物より釣竿[つりざを][おもり][うき]に至る迄、悉皆[しっかい]揃へて営業するには、二千円を要し、小売商にても四五百円は要すべし。

▼普く…ありとあらゆる。
▼悉皆…すべて。
▲利益と取引

此商売の品数は夥[おびただ]しきものなれば利益も同じからざれど、平均問屋は二割の儲[まうけ]あり、卸小売兼業の問屋は三割、一本売の小売商は品によりて三倍の売揚[うりあげ]となるもあれど、平均五六割余ありとぞ。取引は凡[すべ]て現金の規定なれど、地方によりては延取引[のべとりひき]多し。


▲釣竿の種類

延竿[のべざを]に用ゆる竹は、上等が野布袋[のぼてい] 次が作布袋[つくりほてい]、下が切布袋[きりほてい]、安物はガラ竹[たけ]、篠竹[しのたけ]等なり。野布袋製の釣竿となれば、一本五六円以上十円位、篠竹製の安物は長さにより少しの相違あれど一本十銭位なり。継竿[つぎざを]にも種々ありて、三十本継[つぎ]と云ふ洋服のポケットに収めらるる製作もあり、安きは三本継[つぎ]にて二銭よりあり、上等に至り二間半三十本継となれば、十五円以上となる之[これ]に用ふる竹は矢竹[やたけ]にて、安物は篠竹なり。竹の産地は埼玉県川口在辺にて、爰[ここ]より布袋竹[ほていちく]を出[いだ]せしが、今は各地より入荷[いりに]し、皆百本を一把とし、尺によりて区別しあり、安竹は房総より来[きた]るが多く、野布袋と云ふは野生の布袋竹にして、之[これ]を探索するは年月を費[つひや]し、珍物の竹は三年目に一本を得[う]るや計りがたく、高価なるも余儀なき事なり。針の産地は安物は諸国より出[いづ]れど、最も有名なるは播磨[はりま]なり。


▲繁忙なる時期

五月の八十八夜より鱚釣[きすつり]の季節となり、次で鯊釣[はぜつり]、海津釣[かいづつり]、鰡釣[ぼらつり]等の際には最も繁忙を極む、故[ゆゑ]に此営業を俗に半季商売と云ひ、五月より十二月迄がよく、一月より四月一杯が喰込[くひこみ]なり。


▲上等品を販売する店

は下谷区南稲荷町の泰地屋東作[たいちやとうさく]と云ふ家にて、今の東作 にて四代目なり。釣好[つりずき]と聞[きこ]えたり故堀越団洲[ほりこしだんしう]の如きは、常に此店より逸品を仕入れしといふ。

釣人[つりびと]の弁当ゆれる柳かな 多代女

つぎへ

▼堀越団洲…9世市川団十郎。
校註●莱莉垣桜文(2012) こっとんきゃんでい