津田浦大決戦(つだうらだいけっせん)第四回

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第四回

さても日開野[ひがいの]の金長は此度[このたび]小鹿の子[こがのこ]の注進に依って、穴観音の六右衛門狸が逆寄[さかよ]せをすると云ふ事を知りましたところから、一同を集めて評定をする事になりました、然[しか]るに田の浦太左衛門の下知に依りまして、先[ま]づ先陣と致して、藤の樹寺の小鷹[こたか]熊鷹[くまたか]と云へる者の願ひに依って、之[こ]れを繰出させると云ふ事になりました、さて金長は其の後に於きまして、先づ小鹿の子を手許[てもと]に招き 金長御身[おんみ]は定めしの最後を承[うけたま]はり無念ではあらうが先づ暫時我が館[やかた]にお止[とど]まりあれ、今に敵将六右衛門の首級[くび]を打取[うちと]って御覧に入れませうから」 小鹿の子は大いに悦びまして、小鹿何卒[なにとぞ]宜しく願ひまする」 と云ふ、茲で定めて此処まで駈着[かけつ]け来[きた]って疲れもあらんと、一室[ひとま]の内へ入れまして、小鹿の子を休息させましたる事でございます、

▼小鹿の子…津田山にすむ狸。鹿の子狸の妻。
▼田の浦太左衛門…田の浦の太左衛門。なまえは田左衛門、嘉左衛門とも。剣術に長けていたとも言われていて、小松島のあたりでは権威のあるおたぬきさまとして登場しています。
▼夫…鹿の子狸。

其後に於て金長は 金長各々方[おのおのがた]も聞かれる通りの訳合[わけあひ]である、依って何卒此の森に残し置く一族の者共を宜しく頼む、我れは是れより早速出陣を致し、鷹兄弟の後詰[ごづめ]をせん」 と、手疵[てきず]に屈せぬ金長は突立[つった]ち上[あが]って 金長ヤァヤァ誰[たれ]かある、馬を牽[ひ]けッ」 と下知を致しました事でございます、此時田の浦太左衛門は 太左金長、チョッと待った、御身如何ほどの勇ありとも、敵は四国の総大将、殊に六右衛門には四天王と云へる剛者[つはもの]あり、依って我々も共に出陣いたす事にせん」 金長之[こ]れを承はって 金長誠に是れは千万[せんばん][かたじけ]ない、然らば太左衛門どの御苦労でございまするが、万事お指図の程を 太左イヤイヤ、兎も角も御身は此度の大将である、我れは後陣にあって何彼[なにか]の指図は一統の者に致すとは云へども、総大将の役は御身がお勤めなさい、我々は副将と致して乗出す事であります 金長有難き仕合[しあは]せにございます、万事のところ何卒宜しくお願ひ申上げる」 と、茲に至って田の浦の太左衛門も味方を致して出陣と云ふ事になりました、依って誰が否[いな]やを言ふ者がありませうや、先づ地獄橋の衛門三郎を首[はじ]めとして、今日[こんにち]金長の授官を祝さんとて集まりましたる者は、何[いづ]れも銘々金長に従ひ、共々出陣をすると云ふ事になりましたのでございます、ソレ首途[かどで]の祝盃を挙げんと云ふので、茲で金長は部下の者に下知を致しまして、様々の馳走を取寄せ、事に依ったら是れが今生の別れの酒宴[さかもり]になるかも知らぬと、金長は素[もと]より決心の上でございますから 金長[ど]うぞ各々方、御一献お過[すご]し下さるように」と云ふので、其身も祝盃[さかづき]を挙げましたる事でございます、

▼此の森…日開野の森。金長狸たちのねじろになっています。
▼四天王…川島の九右衛門・川島の作右衛門・屋島の八兵衛・多度津の役右衛門。 六右衛門に従う四匹のつわもの狸。

少時[しばし]此処[このところ]にて首途[かどで]の祝盃[さかづき]とは云ひながらも、皆々決心の上覚悟を致して居りまする、ところへ木戸の口を開けまして、庭先へ飛び込んで参りましたは、一頭[ぴき]の小狸、小狸 御注進々々」と呼ばはったる事でございまして今[いま]広庭[ひろには]へ駈けて参りました其の容子[ようす]に、金長は、金長オォ汝は誰かと思へば芦野早太郎[あしのはやたらう]、何事であるか 早太ハッ恐れながら申上げまする」 と、早太郎はホッと太息[といき]を吐[つ]きまして 早太[わたくし]は御大将の命令に従ひまして此度先陣をお勤めになりまする、鷹の御兄弟に従ひ、同勢を繰出しましたる事でございます、今しも先鋒[さきて]は追々彼の小松島の金磯[かないそ]なる、弁天社の辺[ほと]りまで繰出し、此処にて英気を養ひ後陣の続くを相待ったる事でございます、然るに偶[ふ]と根井[ねゐ]の松原より、横州[よこす]の松原を浜伝ひに、数多の軍勢が押寄せ来[きた]る容子でございますから、銘々敵か味方か何者であらうと、片唾[かたづ]を呑んで相待ちました、然るに旗差物[はたさしもの]を押立てまして、此方[こなた]へ進み来りまする容子、小鷹御兄弟に於ては之れを御覧になり、ヤァヤァ誰かある、近寄る者は何奴であるか、見届けに及べッとの事でありました、依って先鋒[さきて]に進んだ兵士[つはもの]一頭[ぴき]、忽[たちま]ち彼の押寄せる同勢の側に繰出し、大音声[だいおんじゃう]に、ヤァヤァ、其処[そのところ]へ押寄せ来る同勢は何者であるか、何[いづ]れも姓名を名乗りたまへと呼ばはったるところ、彼の同勢は俄[にはか]に足を止[とど]めまして、其の中[うち]より若者一頭[ぴき]進み出[い] 我々の同勢は全く穴観音の城主たる彼の六右衛門奴[め]の、日頃の暴悪を憎み、彼れに何か事ある時は撃取[うちと]って呉れんと、日頃より致し時節の来るを相待ちたるところ、此度日開野の金長どのが彼の六右衛門を征伐なさる由[よし]である、殊[こと]に南方[みなみがた]の総大将田の浦の太左衛門どのの加勢と云ふ回章に依って、我々もさては[とき][きた]ったと心得、お味方を致さん為[た]め、此処まで押出したる次第である、全くは日開野金長どのにお味方を仕[つかまつ]る者でござる」 との事でありました、依って早々先陣の大将に此事を申上げますると、鷹の御兄弟は事の外[ほか]にお悦[よろこ]びになり、然らば其手の大将に面会せんと、を陣頭に進み出して相成りました、然るに此の同勢の中[うち]に天晴れ武者振り勇ましいところの一頭[ぴき]の将士[つはもの]、其処へ進み出まして、拙者[それがし]は佐古[さこ]天正寺を預かる庚申の新八の同勢である、また第二番手と致して繰出したる大将は大谷[おほたに]の臨江寺を預かるお松と云へる女狸武者、其他徳島地方に棲居[すまゐ]いたす狸党[りたう]の銘々、何[いづ]れも日頃から六右衛門を憎む余り、金長どのに加勢を致さんと是れまで繰出したる事であるとのことに、依って夫等[それら]の同勢を先[ま]づお迎ひ申上げたる事でございます、只今かの社[やしろ]の辺[ほとり]に後陣の続くを相待ち居りまする事でございます、依って御大将金長公には早々御出陣下さいまして、是等[これら]の方々に対して御挨拶あって然るべきよう、鷹御兄弟よりのお指図に依って、私[わたくし]是れまで乗込んで参りました、此段[このだん]御注進申上げます、何卒[なにとぞ]御大将、早々御出馬の程を願ひ奉[たてまつ]」 と云ふ、此の早太の注進を聞いたる時は、金長は大いに悦びましたる事でございまして 金長オォ芦野、注進大儀である、汝は控へて居れ、早速我れは出陣を致すであらう、[いづ]れもの方々、味方に追々同勢の加はると云ふのは、此上もない吉相[きっさう]でごさる、卒[いざ]や是れより乗出[のりいだ]さん」と云ふ事に相成りました、

▼片唾…固唾。
▼旗指物…軍幡。戦陣で旗先につけたりするおのおのの目印。
▼時…機会。六右衛門の統治はなかなかほかの狸たちからも不満があった、という設定。
▼馬…いくさらしく、ちゃんと馬にのって戦陣に向かってるという設定。
▼かの社…金磯の弁天さまのおやしろ。
▼何れもの方々…いずれも様。皆の者。

ところが金長は十分の扮装[いでたち]でございまして、彼[か]の用意の馬に打跨[うちまたが]りましたが、芒[すすき]の穂を以[もっ]て一本[ひとつ]采配[さいはい]を拵[しつら]へに及びました、之れを打ち振り打ち振り 「ヤァヤァ者共進めッ」 と云ふ号令を掛けましたる事であります、何がさて南方[みなみがた]の狸族[りぞく]の銘々、いでや出陣と云ふので、何[いづ]れも勇み進んで乗出しに相成りますると云ふ、さて彼[か]の小松島の辺[ほと]りにある、弁天の社を指して進んで参りまする、ところが何[いづ]れも此処[ここ]に先鋒[さきて]は屯[たむろ]を致し、大将の来[きた]るを相待って居りまする、尤[もっと]も此の処は阿波国勝浦郡小松島と称[とな]へまして、往昔[むかし]源平の戦ひのあった節[せつ]伊予守源義経公が一の谷の合戦が終りまして、平家の銘々何[いづ]れも退去を致しまして、八島[やしま]の浦へ引上げまする、夫[そ]れを義経公が後を追ひまして討取らんと云ふので、中々[なかなか]勢ひ盛んに致して既に尼ヶ崎[あまがさき]大物[だいもつ]の浦より船を四国へ漕ぎ出し、此の金磯[かないそ]小松島[こまつしま]の浦に船を着けて、弁天の辺[ほと]りに集って、夫[そ]れより彼[か]の八島の戦ひと云ふものが始まりましたものださうでございます、大体此辺の海岸は古戦場の跡でございまして、北は横洲[よこす]、根井[ねゐ]の松原、南は赤石[あかいし]の港より、東の方は一里ばかりと云ふもの、和田の松原と称へ突き出て居りまするが、実[げ]に浜辺の小松は緑[みどり]弥増[いやま]して麗しく、中々美[よ]い景色の処でございます、先年恐れ多く 皇太子殿下が徳島県へ御成りの節、此の小松島の港より御上陸に相成ったと云ふ、此事は諸君も御存知で在[い]らっしゃいませうが、即ち此の港でございます、

▼扮装…装備。
▼采配…軍を指揮するときにふる道具。
▼源平の戦ひ…源氏と平氏の合戦。

是れに対して狸党[りたう]の銘々陣列を乱さず、皆大将の進み来[きた]るを相待って居りました、ところが日開野[ひがいの]鎮守の森よりして、大将金長、今日を晴れと立派な扮装[いでたち]、馬上[ばじゃう][ゆた]かに打跨[うちまたが]り、芒[すすき]の穂の采配[さいはい]を打ち振り打ち振り、エイエイドウドウ進み来[きた]りましたが、後に従ひまするのは、地獄橋の衛門三郎、高須の隠元、金の鶏[にはとり]、松の木のお山[やま]を首[はじ]めとして繰出[くりいだ]す、さて総押[そうおさ]へとしては、副将田の浦太左衛門の同勢でございます、此時大将金長は味方の銘々を此処に止[とど]め、馬を陣頭に乗出[のりいだ]しまして、加勢の同勢に対[むか]ひ 金長是れは是れは各々方[おのおのがた]には、徳島地方より加勢を致し、態々[わざわざ]遠路のところ御苦労に存じ奉ります、斯[か]く申す拙者[それがし]は日開野金長でございます、各々方は我れを助けんと此度[このたび]御加勢下さる段、此の大恩は忘却仕[つかまつ]らず、長く我が家[いへ]の記録に遺[のこ]したく相心得まする、さりながら此後[こののち]各々方には戦場に於て、御下知[おんげぢ]等も致さぬければなりませぬ、何卒[なにとぞ]御一統さまの御姓名をお伺ひ申さん」とある、さて加勢に参りました同勢のうち、大将分はズッと其処[そのところ]へ坐列[ゐなら]び ました 新八是れは是れは金長どの、御高名は承知仕りまするが、併[しか]し初めて御意[ぎょい]を得ました、拙者[それがし]は佐古の天正寺[てんしゃうじ]庚申の新八と申す者、以来お見知り置かれまするよう願ひまする」其後[そのあと]に控へましたのは新八の妹と見えまして お松[わたくし]は佐古町臨江寺[りんかうじ]に棲息[すまゐ]を致しまする、お松と申す者でございます、以後お見知り置かれまするよう [わたくし]は寺島の赤門狸でございます 我れは八の丸に年を経たる帽子狸と申す者 お六我れは徳島[とくしま]寺町[てらまち]に年古く棲息[すまゐ]まするお六と申す女狸 ×此方[このはう]は八幡[はちまん]の森を守護いたす古狸[ふるだぬき] 我れは八幡[はちまん]夷山[えびすやま]に棲息[すまゐ]いたす円福狸と申す者であります」 さて後[あと]の押へには 「四国名代の立江寺[たつえじ]の堂を守る地蔵狸と云へる者」 と何[いづ]れも初対面の挨拶を仕[し]まして、其の手輩[てあひ]は或[あるひ]は七十、または五十、中には二百頭[ぴき]も伴[つ]れて居る者もあれば、何[いづ]れも部下を従へまして乗出した加勢、同勢六七百、

▼狸党…たぬきたち。
▼御下知…めいれいをくだすこと。
▼手輩…軍勢、家来たち。

其の同勢を見渡しましたる金長は大きに悦[よろこ]びまして 金長何方[いづれ]もさまには拙者[それがし]に同情を寄せられまして、遠路のところもお厭[いと]ひなく、御加勢下し置かれまする段、誠に以て有難き仕合[しあは]せ、定めて遠路の御出陣お疲れもあらん、先[ま]づ進軍の途中なれども粗酒[そしゅ]一献[いっこん]献上仕りませう、ヤァヤァ者共、用意の品を是れへ」と、中々金長と云ふ大将は如才がないものでありまして、今出陣の間際に臨んで、新[あらた]に加勢の者の気を引立[ひった]てる為めでございまして、万事の用意を申付けまして、様々好む品物、之[こ]れを兵粮方[ひゃうらうがた]に下知を致して、早くも取寄せたる事でございます、さて兵粮の長持[ながもち]を開いて、中より様々の物を取出しまして、皆々遠路を厭はず乗込んだる加勢の手輩に、之[こ]れを差出す事になりました、或[あるひ]は小豆[あづきめし]でございまするの、または稲荷鮓[いなりずし]、其様[そんな]な物があったか何[ど]うかは夫[そ]れは知りませんが、茲[ここ]で酒を取寄せまして、大将分は酒宴[さかもり]を致すと云ふ事になりました、

▼兵粮方…兵糧方。糧秣を担当する者たち。
▼長持…ものを入れて持ち運ぶためのおおきい箱。
▼大将分…大将格のものたち。

此時[このとき]田の浦太左衛門は 太左如何[いか]に金長、貴殿の器量を慕ひ、招かずと云へども斯[か]く多くの加勢を得たるは、此上もなき貴殿の幸運、最早是れにて大丈夫、貴殿は一時[いちじ]も早く陣頭に進んで、六右衛門と花々しく戦ひを致されよ、及ばずながら此の後陣は太左衛門が引受けたり、我れにも正一位の位階[くらゐ]あれば南方[みなみがた]の銘々はヤハカ我が命[めい]に従はざる者あらん、何[いづ]れも後を守り呉れるに相違ない、依って御身[おんみ]後のところは心配なく、先づ敵に当って一戦[ひといくさ]いたさるるが宜[よか]らう」 此時金長は大いに悦びました事でありまして 金長アァ太左衛門殿の仰[おほ]せに従ひ、我れは是れより早速進軍なし、敵の奴輩[やつばら]に一泡[ひとあは]吹かして呉れん、各々方の手を煩[わずら]はすまでもなく、六右衛門の生首は今にお目に懸け申さん」と勢ひ込んで述べました、早速是れより出陣を致すと云ふ、此の軍勢の先陣を願ひ進み出ましたる鷹の兄弟 「願はくば私共に宜しくお指図下さいまするよう」 とありますから、先づ此手[このて]には高須の隠元、衛門三郎、火の玉等[ら]の同勢合はせて先陣と定め、其勢凡[およ]そ五百余騎、陣列乱さず乗出す、狸と云へど中々その勢ひは凄まじい事でございます、エイエイ声を立てまして、津田浦の方へ進んで参りまする、

さてまたお話し転[かは]って、此方[こなた]は津田方の大将六右衛門でございます、是れも初めの勢ひでは彼[か]の津田浦の浜辺へ乗出しまして、此処で勢揃ひを致して直[すぐ]に打出さんと致しました、ところが何分部下の集りが少いので、俄[にはか]に打出す事でごさいますから、中にも己[おの]れの食物[くひもの]を探して居る者もありませう、用事があって他に参って居る者もありませう、夫等[それら]の手輩[てあひ]を集めまして何分俄の進軍と云ふのでございまして、何んとなく只[ただ]喧々[がやがや]小田原評定[をだはらひゃうぢゃう]と云ふ事になりました、穴観音の方から津田の浜辺へ乗出さうとはしたものの、中には少し日頃から金長を恐れて居る者もあります、何[ど]うしたものであらうと気後れいたして居る者もあります、マァ兎も角も御身[おんみ]が先陣を、イヤ貴殿がと、何んとなく其の評定が定まりません、其のうちに最[も]う何うやら東が白んで来る容子[ようす]でございます、彼等[かれら]夜を昼とし昼を夜とする畜生の事でございますから、マァ兎も角も此の一日は野陣を張って、明日[あした]緩々[ゆるゆる]評定を致さんと云ふので、到頭[たうとう]其日は一日此処で優柔[のらくら]いたして足を留めて了[しま]ひましたる事でございます、全く此度金長征伐と云ふ事を聞きまして、夫[そ]れは何より以て結構な事である、我々もお供を仕らうと、口では立派に言っては居りましても、さて乗出すと云ふ時には、第一己[おの]れの股間[またぐら]に釣付[ぶらつ]いて居る、睾丸[きんたま]のお了[しま]ひからせぬければならぬと云ふので、大きに励んで進まうと云ふ者もない、ツイ半刻[はんとき]後れ一刻[ひととき]後れと云ふ事になりまして、茲[ここ]子刻[ここのつ]過ぎまでと云ふも延びました、サァ其のうちに丑刻[やつ]になる、最[も]夜の払暁[ひきあげ]となって参りましたから  オイ愚図愚図[ぐづぐづ]いたして居ったら、また明日一日此処で沈[じっ]として居らぬければならぬではないか イヤ、夫[そ]れではボチボチ先陣から夫[そ]れ夫[ぞ]れ繰出すが宜[よか]らう」 と喧々[がやがや]騒いで居りまする、ところへ現今[ただいま]で申せば斥候兵、マァ其の時分の物見[ものみ]でございます、夫[そ]れが前[さき]に乗出して居りましたものと見え、狼狽[うろたへ]騒いで真青[まっさを]になって駈けて帰りました、

▼小田原評定…結論が出ないままぐるぐるずるずると評定・会議だけがつづく状態。
▼夜を昼とし昼を夜とする畜生…夜行性動物。
▼子刻…ねのこく。午前1時ころ。
▼夜の払暁…朝日がのぼってくる払暁(ふつぎょう)を「夜の引き上げ」と表現したもの。

物見御注進々々、甚[え]らい事が出来[しゅったい]いたしましてございまする」 と云ふので、ガタガタ慄[ふる]へて居りまする容子[ようす]でございますから オイオイ、此処へ来[きた]っても役には立たぬ、御大将の側[そば]へ乗込んで行けッ」 そこで漸[やうや]う此の注進の者を、大将六右衛門の控へて居りまする処へ出[いだ]しましたる事でございます 物見ハッ、御注進に及びまする、周章[あは]ててはなりません、マァ御大将御鎮まりあそばせ 六右控へよ、汝[おの]れが周章[あは]てて居るのではないか、全体その注進とは何事だ 物見来ました来ました、反対[あべこべ]に先方[むかふ]から参りました、 六右ナニ反対[あべこべ]に先方[むかふ]から参ったとは何んだ 物見エェ其の日開野の金長が、数万の軍勢を出[いだ]しまして逆寄[さかよ]せを致しましたのでございます、中々敵は目に余るところの大軍、迚[とて]も彼[あ]の大軍に対[むか]っては当る事は思ひも寄らぬ事でございますから、御大将は今のうちに、三十六計逃げるに若[し]くはなし、早々お脱[のが]れなさい、 六右控へろッ、何んと云ふ事を申す白痴漢奴[たわけものめ]が、豈夫[よもや]それは本当ではあるまい 物見中々以[も]ちまして、何うやら此の津田の浜辺の方へ押寄せまする容子[ようす]でございます、全く彼の同勢は金長方に相違ございません」 之[こ]れを承って思はず床几[しゃうぎ]を離れたる六右衛門 六右何んと云ふ、さては金長が逆寄せに及んだのであるか、奇怪千万[きっくわいせんばん]な彼れの振舞、ムムウ夫[そ]れは願ってもなき幸[さいは]ひ、と云ふのは、日開野へ乗込む事になれば、一つは土地の勝手を知らざる事ゆゑ、彼地[かのち]へ乗込むのは大きに不利と心得居ったるところ、彼れから逆寄せに及んだと云ふのは、願ってもない幸ひ、此上からは我々同勢此処に待ち受け、十分敵を引寄せて戦ふ方が我々の利益、此上は進むは却って宜しくない、依って汝等[なんぢら][いづ]れも防戦の用意に及べッ  「心得ました」 と一統の銘々茲[ここ]に於きまして、先づ備[そな]へを立てると云ふ事に相成りました、依って此の初度[しょど]の戦ひと云ふものが、此の津田の浜辺に於て始まると云ふ事になりました、愈々[いよいよ]狸同士の津田浦の合戦と云ふのは是れからでございます、チョッと一息入れまして次回[つぎ]に申上げまする。

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▼床几…腰かけ。
▼初度の戦ひ…初戦。
校註●莱莉垣桜文(2014,2018) こっとんきゃんでい