世帯平記雑具噺(せたいへいきがらくたばなし)上のまき
夫[それ]▼世帯平記[せたいへいき]の▼濫觴[らんじょう]は、雑具[がらくた]の国台所、▼唐人[とうじん]の寐言を引いて一葉の白紙[しらかみ]に毛鑓[けやり]の筆を染め、痩せ馬の机に凭[もた]れて綴りし知恵も浅草の傍[かたわ]らに、世の風流を好む▼うんつく孫左衛門と言ふ者あり、或夜[あるよ]台所に夥[おびただ]しき物音すると覚[おぼ]へ、何やらんと孫左衛門、▼夜着[よぎ]の袖より是を見るに、
▼竃[へっつい]の上より何か落つると見へしが、布巾[ふきん]の白幡[しらはた]をひるがへし、竃山[へっついざん]の領主、▼釜冠者炊安[かまのかじゃ たきやす]と号[なの]り、▼鍋貞任底炭[なべのさだとう そこずみ]を始めとして、一味の物を集め、板の間ヶ原[いたのまがはら]へと押し出し、釜冠者、進出[すすみい]で、「▼座敷道具の奴輩[やつばら]われわれを▼勝手道具と侮[あなど]り、人間を養ふ器[うつわ]を知らず、故に座敷方[がた]を討ち潰すべし」と言ひければ、面々もっともなりと▼組下[くみした]へ▼下知[げじ]をなす、ときに▼行灯美濃守張糊[あんどうみののかみ はるのり]は、「昼は勝手にありといへども夜は座敷方へも交はる事なれば、聞き捨てになりがたし」と家臣、▼油注信[あぶら つぎのぶ]を以て座敷方へ内通す、何やらんと座敷方の大将、戸棚中納言長持[とだなのちゅうなごん ながもち]の長男、重箪笥之輔為塗[かさねたんすのすけ ためぬり]進出[すすみい]で、内通の趣意[おもむき]聞くよりも、「小賢[こざか]しき雑具[がらくた]ども、攻め来たるを幸ひに討ち滅ぼし、うっぷんを晴らさん」と勢を集めけり、先づ一番に算盤主計頭玉成[そろばんかぞえのかみ たまなり]、▼店川[みせがわ]より馳せ来たり、▼二階と合体せば事むづかしとて柱を引きければ、 二階の諸道具雑具[がらくた]▼叩歯[はがみ]をなして上がり口へと控へたり、
此時、勝手方の先陣の大将は ▼竹田信玄弁当[たけだ しんげんべんとう]の▼後胤[こういん]▼食篭弁当[じきろうべんとう]そのころ名高き香の物、しおから衣[ころも]の陣羽織、その装備[いでたち]も華やかなり、あとに続くは▼今戸山七厘寺[いまどさん しちりんじ]の土瓶法師[どびんほうし]にて、▼錦手[にしきで]の陣羽織に、南京焼きの甲鉢巻[かぶとはちまき]を締め、▼長き口の駒に打ち乗ったり、組下には皿野八郎[さらのはちろう]丼満祐[どんぶりみつすけ]▼茶碗五郎八[ちゃわんのごろはち]各々[おのおの]▼刀や太刀をさしみ皿、われもわれもと馳せ来たる、中陣[ちゅうじん]の大将は▼流台[ながし]の城主、▼備前弥吉[びぜん やきち]が水瓶[みずがめ]は▼米磨桶[こめかしおけ]皮の大鎧[おおよろい]、敵の真向[まっこう]桐柄杓[きりびしゃく]の指物[さしもの]なしたるさるぼうと言ふ棒を小脇に掻込[かいこ]み出立[いでたっ]たり、組下には四斗樽右衛門箍切[しとたるえもん たがきれ]底抜小桶蔵人[そこぬけこおけのくらんど]小盥半盥[こだらい はんぞう]、いづれも▼向ふみづ桶の、▼弓のつるべを引きしぼり、▼荷担[にない]をかためんと待ち受けたり、後陣[ごじん]は文福茶釜判官煮高[ぶんぶくちゃがまのはんがん にえたか]茶柄杓[ちゃびしゃく]二十匁[め]がけの筒茶碗[つつちゃわん]を小脇に掻込み、煮高[にえたか]組下には、▼火箸坊掻尊[ひばしぼうかいそん]▼鉄弓入道[てっきゅうにゅうどう]▼火吹竹八[ひふき たけはち]▼十能祐成[じゅうのう すけなり]▼火打の苛八[ひうちのいらはち]、▼はがねの鎌槍[かまやり]を引っ提げ、▼石火矢[いしびや]に下知をなす、
遊軍として俵兵太夫米成[たわらひょうだゆう こめなり]は、▼ぽんぽち打ったる兜に、▼唐臼[からうす]織りの陣羽織、むかし取ったる杵柄[きねつか]の大太刀、▼千石通しの大身[おおみ]の槍、▼米舂毛[こめつきげ]の荒馬に打ち乗って、味方のこぬかと待つ間もなく、小米山[こごめさん]の▼三陀羅法師[さんだらほうし]▼弦掛升之介[つるかけますのすけ]▼日光膳之介[にっこうぜんのすけ]▼会津椀八[あいづのわんはち]丸盆久次[まるぼんきゅうじ]箸野一膳[はしのいちぜん]など来たるなり、
惣大将[そうだいしょう]釜冠者炊安は、鉄色の陣羽織に▼銅壷[どうこ]の蓋の前立物[まえだてもの]、青銅[からかね]つくりの大太刀を横たへ、五徳の駒に打ち乗ったり、つき従ふ面々には、鍋貞任[なべのさだとう]▼薄刃季武[うすばのすえたけ]▼庖丁貞光[ほうちょうさだみつ]▼銅鍋綱[あかなべのつな]▼浅倉山椒介入道擂粉木[あさくらさんしょのすけ にゅうどうすりこぎ]擂鉢前司成安[すりばちのぜんじなりやす]▼切匕次郎片連[せっかいじろう かたつら]▼ささら三八[ささらさんぱち]を始め、味方は三万余騎、一丁身[み]をば堅木[かたぎ]と堅め、雑器[ぞうき]にあらで雑兵[ぞうひょう]などまで敵をいまやと待つ、薪野焚付[まきのたきつけ]駆けつけ相加[あいくわわ]る、えんの下より加勢として、▼下駄左衛門政行[げたのさえもん まさつら]駒下駄[こまげた]の手綱ひきしめ小脇に掻込み、▼長刀[なぎなた]なりの革草履[かわぞうり]、足駄三郎[あしださぶろう]▼雪駄四郎[せったしろう]草鞋介紐永[わらんじのすけ ひもなが]を始め、百万力の鼻緒[はなお]勢、▼腰兵糧[こしびょうろう]には▼冷や飯草履[ひやめしぞうり]、蛇目[じゃのめ]の馬には▼唐傘六郎[からかさろくろう]、▼夕太刀[ゆうだち]の鞘[さや]抜き放し、▼馬の背分けんと一度にどっかと押し出[いだ]す、
座敷方には火燵櫓[こたつやぐら]に馳せのぼり、根付[ねつけ]の望遠鏡[とおめがね]を取出[とりいだ]し、寄せ来る勢を見なんも、▼灰吹太郎[はいふきたろう]は▼吹殻[ふきがら]の烽火[のろし]をあげ、鉄砲組に煙管蔵人[きせるのくらんど]、▼雁首[がんくび]の弾を込め、吸口薬[すいくちくすり]の用意して、味方の合図を待ち受けたり、先陣の大将、高島硯之介石政[たかしますずりのすけ いしまさ]が装備[いでたち]は、文鎮[ぶんちん]の兜に筆立[ふでたて]の指物、▼孔雀の羽の陣羽織、千枚通しの大身の槍、筆の命毛つづくだけ▼刺刀[さすが]の斬れ味みせんとて、馬は名に負ふ磨墨[するすみ]の手綱[たづな]掻繰[かいく]り▼ぶんまわし、▼卦算[けさん]と名付けし金[こがね]の棒を、小脇に掻込み出立[いでたっ]たり、続いて大福帳右衛門[だいふくちょうえもん]、▼糶帳[せりちょう]を腰につけ机の馬に乗って、敵をくるりと巻紙[まきがみ]して、胴切り或いは半切りの、功名せんと乗出[のりいだ]す、組下には、小遣帳蔵[こづかいちょうぞう]▼万覚帳太郎[よろずおぼえちょうたろう]秤与市[はかりのよいち]、中陣[ちゅうじん]書物勢の大将、▼武鑑太夫厚綴[ぶかんのたゆうあつとじ]は、▼徒然草[つれづれぐさ]の鎧に八十貫目の▼三才図会[さんさいずえ]を小脇に掻込み、▼江戸砂子[えどすなご]の鞍[くら]置いたる駒に乗り、▼四書五経丸[ししょごきょうまる]▼今川仲秋[いまがわなかあき]百人一首を左右に随がへ、ひら一散[いっさん]に乗出[のりいだ]す、後陣[ごじん]の大将、古表具守裂成[ふるひょうぐのかみ きれなり]、活け花の前立物[まえだてもの]、獅子口[ししぐち]の駒に乗り、寸胴切[ずんどぎり]と名付けたる遠州流の槍を横たへ、弓手[ゆんで]には▼碁盤忠信[ごばんただのぶ]▼四ッ目ごろしの大太刀を横たへ、敵を押さへて斬って高名[こうみょう]せんと、手ぐすね引いて出立[いでたっ]たり、馬手[めで]には将棋判官[しょうぎのはんがん]香車の槍に桂馬の手綱、飛車先の歩[ふ]を突き止めんと、角みち開いて乗出[のりいだ]す、
遊軍として▼肥前入道徳利斎[ひぜんにゅうどう とくりさい]金の小粒の指物なし、▼盃毛[さかづきげ]の駒に金蒔絵の鞍置いて、呑出[のみだし]たるその勢ひ、唐[もろこし]の▼関羽[かんう]にあらで、冷や酒の銚子[ちょうし]も斯くやと知られたり、二番には三味前司糸道[しゃみのぜんじ いとみち]、▼花梨胴[かりんどう]の鎧、▼八ッ乳[やつち]の革の腹巻し、象牙の撥[ばちのあたりを払ひ胡弓[こきゅう]の弓を横たへたり、 続いて▼調六弥太琴爪[しらべのろくやた ことづめ]琵琶弥四郎[びわのやしろう]太鼓どん五郎[たいこどんごろう]よぶこの笛を懐中なし、 鯨波[とき]に取り手の▼修羅鼓[せめつづみ]ぽんぽんと打ち鳴らし馳せ来る、
惣大将、重箪笥守為塗は、そのころ富裕の天下一、鏡を打ったる前立物[まえたてもの]▼幌蚊帳[ほろかや]かけてさっくと着[ちゃく]し、馬は名に負ふ縮[ちぢみ]▼手綱[たづな]染めの扱[しごき]引き締め乗出[のりいだ]す、