○化物[バケモノ]▼虚字[ウソジ]之部
女ニ尾ノアルハ▼【キツネ】トヨム
リッシンベンニツノハ【心の鬼】トヨム
カシラノ上ニ皿ノアルハ【カッパ】ト云字デモアラフカ
▼カゼガマヘニ▼クビスヂト云字ヲカキテ【ミコシ入道】トヨムソノワケハナゼトイツテミサツセヘクビスヂカラカゼヲ引ハサ
▼イトヘンニカヒト云字ハ▼【ネコ】トヨム
コレハタレガミテモ【三ッ目入道】ト云字ナリ
井ノナカニ皿ト云字ハタレガミテモ▼【サラヤシキ】トヨマフ
イトヘンニ目ト云字ヲカキテ▼【ゴイサギ】トヨムソノ心ハ▼アンジン町デキイテミナ
イトヘンニクビハ▼【ロクロクビ】ナリ
女ト云字ノ白キハ【ユキ女】トヨム
女ト云字ノコシカラ下モノクロイハ▼【ユウレイ】トヨム此字ハモト▼評判記ノ上ノ字ヨリハジマル
▼ムネノウヘニ手ヲオケバ【ウナサルル】ト云字ナリ
リッシンベンニマヨフトカキテ【バケモノ】トヨム▼化物トミルハオホカタ心ノ迷ナリ
コンナ文字ガ▼唐ニモアロスアイナア
山東庵京伝 戯著
享和三年癸亥孟春
およそ和漢の著述を見るに多くはひまなる人のしわざなり紫式部は▼石山寺[いしやまでら]にひきこもりて山水のよい景色を観ながら据ゑ膳で▼源氏をつくり▼宇治大納言は茶店をいだし旅人のくにばなしを聞きて▼宇治拾遺をつくるこれみな▼日遣番匠[ひやりばんじゃう]の仕事なり他によい株式のある人のせし事なり唐人[とうじん]の書をつくるもおほくは株家督[かぶかとく]ある人のあそびしこと楽隠居の深山幽谷にひきこもりて人にみせる気もなく書きつけおきたる物なり
そもそも草双紙の作といふやつは▼師匠もなく弟子もなく法もなく式もなく胸から出次第やたら無性に書くものなりさればその代はり▼引書[いんしょ]もなく手本もなくどこをつかまへて安生[あんじゃう]といふあてもなく闇の夜に鉄砲を放つが如きものにておならの如くただふっとした案じよりいづるものなりそのくせ本屋の催促▼日をかぎりて性急なり▼篤[とく]と考へる間もなくいつも▼壁へ馬をのりかけてつくるものなれば出来不出来はあるはづなり
「もしもし草双紙の作は出来ましたか毎日毎日催促で▼足がすりこぎになります▼野郎の▼人丸か凡夫の▼如意輪観音といふ身で▼寝押してござりますとさすが本屋の小僧だけ少しは思ひつきを言って此[この]▼一丁を賑やかすこれ忠心者なり
●予[よ]此[この]ごろ本屋の頼みによつてかの▼闇の夜に鉄砲の気取りにて考へてみたところがさっぱりよい案じが出ず篤[とく]と考へるひまは無し本屋の催促は毎日なり▼しゃうことなしの山科に▼由良之助がそら寝入り▼鯉口ちゃんと夢ものがたり一夜づけの急作左の如し
「草双紙の趣向に夢とは▼古いやつほんの切ない時の神だのみだと寝言に言ふ
○見越入湯[みこしにふとう]
▼見越入湯は金持ち親父の亡魂なり▼据ゑ風呂の中へ入って居るうちも油断はせず台所の味噌塩の▼いりめそれでは薪がついえるそれでは汁が濃すぎるなどと菜箸[さいばし]の転んだ事までも目をぬかれまいぬかれまいといふ一念にておのづから首が長くなるなり据ゑ風呂の中から家内のすみずみを見越してにらみまはすゆゑ見越入湯となづけて▼やうちぢうが怖がるなり
●▼ゑり首三千丈見越によってかくのごとく長しとはおれがことだ
「此親父ゑりをひらがなのへの字のやうにのばしてそこらをにらむ
「今年は金ものびたが▼ゑりものびたでこれではゑりまきを▼二丈五尺も買はずばなるまい▼上総木綿では間尺に合はぬ
○悋気の角[りんきのつの]
▼悋気[りんき]の角はなんのとりとめたることはなくただ人のしゃくりやかげごとを聞きて生へたる角なり此女[このをんな]悋気つよく常に亭主をひざの下に▼おっかって▼ぎうと物言はせぬ性[せう]にしなし己[おのれ]は却[かへ]って身をたかぶり何かしぞあると亭主を脇へかきのけてしゃしゃりいでつべこべと口をたたき朝寝昼寝▼宵睡[よひまどひ]大ざけ▼食好[しょくごの]みに銭づかひ荒くややもすれば大声で呶鳴り家内を暴[あた]け散らす恐ろしきばけものなり
「ああら▼恨めしいの木▼首尾[しゅび]の松いまごろかへってねこがばばその手を食はうか食ふまひか思ひ知らせん▼ももんぐはあももんぐはあとは▼古風なおどしやうなり
「▼このふみを残らず読んだがみのうへの大事とこそはなりにけりだなどと▼由良之介もどきで亭主平気の顔なれども実はかかあをおそろしがる
○古銭場の火[こせんじゃうのひ]
このところは昔▼よくどう四郎兵衛爪長がたてこもりし▼土倉[どぞう]づくりの一城のあとなり▼とんだ高利[かうり]欲の川原の▼一銭[いっせん]に地獄の一足とびをして借銭[しゃくせん]の淵にはまり謀叛[むほん]勝負に敗北して▼一家一門なしに▼身代[しんだい]残らず討ち死にしたる▼古掛[ふるがけ]の古銭[こせん]じゃうなり
いまも雨の降る夜ならば爪にともしたる火燃えてああら▼一分[ぶ]恋しやなヒウドロドロドロドロドロドロと泣き叫ぶよし▼土人[どにん]のものがたりなり
「▼なまいだなまいだなまいだなまいだ念仏はかうしっかりと▼なまいだにくぎを打つやうに申さねば役にたたぬ
○のうらく息子[のうらくむすこ]
のうらく息子は商売のことに疎[うと]く若いみそらでのらくらとしてずんど働きの無きばけものなり自手[わがで]に稼いで食ふことを知らず常に年寄りたる親爺の痩せた臑[すね]をかぢり▼身のあぶらをなめてゑじきとす憎むべし戒むべきばけものなり
●古人▼桑楊庵光[そうようあんひかる]の▼ざれ哥[うた]に○母のちち父のすねこそこひしけれひとりでくらふことのならねばといへるも此[この]ばけもののことなるべし
「おとっさんのすねは▼干し大根のやうな味がするこれから身のあぶらをなめましゃう頭のあぶらは▼薬缶のやうで銅[あかがね]臭ひ同じことできんたまのあぶらは気がないぞ
「子は三界の首枷[くびかせ]とはよくいったもんだおのれいつになってもおれがすねばかりかぢりをる年寄りて身代[しんだい]のやりくりはああくるしやくるしや
○こんにゃくの幽霊[こんにゃくのゆうれい]
こんにゃくの幽霊はよく人のいふ事なれどただ▼ぶるぶるするばかりにて何のうらみによりて迷い出[いで]たるかいまだ詳[つまび]らかならず和漢の▼化物本にもかつてなき新型仕出しのゆうれいなり
ある人の曰[いはく]
こんにゃくの幽霊は身に▼竹の串をさされ鍋のふたの上でたたかれとうがらしみそを塗られたる恨みなりそれだからこんにゃくは水に入れても▼浮かまずといふ▼しかるやいなやを知らず
いくら親爺の法事にあがってもやっぱりこんにゃく屋のこんにゃくでいまに▼石灰[いしばい]のなかに白くなって迷ふているわいナァ糸のやうな声でうらみを言ふこれ糸こんにゃくのはじめなり
「なんぼ▼おでんあったかいといってもこっちは寒くってぶるぶるしてゐやんす
「みがるになって早く逃げましゃう▼荷を捨ててこそ浮かむ瀬もありだ
○十面のおやぢ[じふめんのおやぢ]
夜遊びにいで酒に酔って帰りたる息子の目で見れば何もかもちらちらして親爺の顔は▼十面にみへる▼長三[ちょうざ]の文句におやぢは十めんかかは五めんといふは此ことなり母親は甘口にて今度ばかりは▼了見してやらしゃいませどうぞごめんごめんと親爺の立腹のそばから詫言[わびごと]してやるゆへにかかは五めんといふよし或[ある]物識[ものしり]の語りき
「あなたの▼おつぶりはいれかはり▼役者付[やくしゃづけ]の隅のほうか▼五百羅漢の土用ぼしか▼冬瓜[とうがん]舟のばけものと見へます
「あなたが▼居相撲[ゐすもう]をとるといふ身でご立腹はよくよくな事ご堪忍ご堪忍
「おのれにっくいやつの▼久米の平内[へいない]とおれとはひぢの張りあんばいはどうだもう一面あるとおれも▼観音さまにまけぬ惜しいこった
「おれがあたまは▼芝居のきりおとしをかぶったやうであらうがや
○壁に耳[かべにみみ]
壁に耳あり▼垣に目あり人のかげごとを言ひ▼後ろ暗きことをすべからず五月雨[さみだれ]のうち続きたる時分▼壁や畳に毛のはへるをみれば耳も目も▼ありかねまじきことなり
みみがいふ
「ちと▼簪[かんざし]をかしておくれ耳にもろもろのぶしゃう者もこころに此頃のぶしゃうを思はずだ▼虻[あぶ]にならぬうち些[ち]と垢[あか]を取りましゃう
垣の目も負けずに口を利く
「おれが顔へ蔦[つた]めがからみついてうっとうしくてならぬ目の下の▼まいまいつむりは▼泣きぼくろと見へねばよいが
「ちょっと耳を貸しなあののみみつとう
「▼此女[このをんな]▼十二段の牛若をむかひにでるといふ身で立ってゐる