大通俗一騎夜行(だいつうぞくいっきやぎょう)巻之五

巻之一
巻之二
巻之三
巻之四
巻之五

もどる

狒々現世の楽を悟す

[さて]その跡より一疋[ひき]の大猿座席につらなりて段々と各々[おのおの]の論を聞くに皆[みな]恨みのみ多[ををく]人を導[みちびく]為にあらず我[われ]もその昔はまさる目出度[めでた]と門口[かどぐち]からほふり込[こま]れてお時宜[じぎ]を仕[し]て壱文[いちもん]づつ貰[もら]ふて歩行[あるき]しが今は数年[すねん]星霜[せいそう][つも]りて狒々[ひひ]と言[いふ]一名笑ひとも名付[なづく]世俗[せぞく]狒々に成[なら]んとするには骸[からだ]松脂[まつやに]を摺り付[つけ]て砂をまぶると咄[はな]す然[しか]する事有[ことある]とも心の猿の利口[りこう]より仕[し]て奉公人の口入[くちいれ]を仕[し]て末は山師[やまし]仲間にならんより山奥に居[きょ]をしめて猟人[りゃうし]の浮目[うきめ]を助[たすか]るが宜しからん先[まづ]我々が骸[からだ]へ砂をまぶるより人間万事南京[なんきん]返し黒仕立[したて]紺の半沓[はんくつ]八わた黒白ひ所は歯と帯のはかた島[じま][ばか]りにて腹に月の輪の有る熊の如くはっち尻はしょりと言[いふ]事が初[はじま]り呉服やも裾廻[すそまは]の切[きれ]を横に付[つけ]て四度[よたび]に遣[つか]ふ口伝を教[をし]ゆ晦日屋[みそかや]と言[いふ]雑巾売[ぞうきんうり]歩行[あるけ]朔日丸[ついたちぐわん]と書ひた女医者の看板有[あり]誠や飛鳥川の淵瀬[ふちせ][かは]る世にしあらねばとやらにて人々の楽[たのし]みつきることなきも万歳[ばんぜい]の世の印[しるし]なるべし正直の頭[かうべ]に宿る太々講[だいたいこう]の仕舞[しまい]は二文四文の取遣[とりや]りと成り御法談の帰りは婆々様[ばばさま][た]チの嫁を誹る中立[なかだち]と聞[きこ]開帳場[かいてうば]上ゲ物の札[ふだ]年賦金[ねんぷきん]を見るやうに一割増しに書付[かきつけ]奉納の燈灯[てうちん]の名は随分大文字なるを以[もっ]てよしとす是[これ]所謂[いはゆる]世間の見へを仕[し]信々[しんじん]は口斗[くちばか]りなり第一芸に遊ぶもの[その]芸の生覚[なまおぼ]へに成[なる]と茶道[ちゃどう]ならば袖口[そでぐち]の出来上り程[ほど]帛紗捌[ふくささば]きがちっと音[ね]が能[よ]く成ると風呂先キには枕屏風[まくらびゃうぶ]の二枚折と混雑せぬやうに工夫をこらし咎[とが]をば我[われ]にをひにけらしなと言[いふ]茶碗の趣向サァ是[これ]からが四畳半のにじり込[こみ]裏店[うらだな]の無ひ路地懸[がか]が出来ると中立[なかだち]後座の百持[もっ]て御膳に付ひたやうになんでもかでも残らず喰[く]ふが礼儀だと言[いふ]客を呼集[よびあつ]め末は茶座敷の別壮[べっそう]を建[たて]捨金[すてきん]と言物[いふもの]を出して誹諧[はいかい]の口まねには呉竹[くれたけ][かこは]と呼ぶと表向[おもてむき]は重き手代[てだい]の名にして内証[ないせう]は皆[みな]御物入[おものいり][なり]誠や文[ふみ]の上書[うはがき]に何之何右衛門様[なんのなにゑもんさま]初汐浦右衛門[はつしほうらゑもん][など]と書[かき]て中はみすの封[ふうじ]かよふ神こがるる様[さま][はつ]からと仕組んだ長口上を見るやうなもの又生花[いけばな]も昔[むか]しは名有人[なあるひと][た]チの心の楽しみにせられてさのみ人に是[これ]見よかしの慰[なぐさ]みにあらず夫[それ]を今は三日十八日抔[など]と何[なん]ぞ神仏[かみほとけ]の縁日を心懸[こころかけ]て茶屋を借切[かりき]り誰[たれ]社中生花会御見物九ッ時よりとちゃらくら流の大文字を松板一ぱいに紙を張[はっ]て書付[かきつけ]当日になれば二階下へ幕打廻し毛氈[もうせん]を敷詰[しきつめ]各々[おのおの][かんがへ]こらして獅子口[ししぐち]に牡丹は富貴[ふうき]の人の生[いけ]たると覚[おぼ]釣舟[つりふね]に杜若[かきつばた]一色[いっしき]堀の亭主の趣向[しゅこう]釣瓶[つるべ]には枝垂柳[しだれやなぎ]に夏ぎくの[と]番町辺の御屋敷方で勝手役人の趣向かぞへる花の面白みいふもさらなり見物の輩[ともがら]に鼻の先キへ札[ふだ]を張ってそれが生ケたと言[いわ]ぬ斗[ばか]りに富の札よりちと格好の大キナ紙へ文粹花廓[ぶんすいくわかく][など]烏石[うせき]を真似た手で書ひて張付[はりつ]け正面の床[とこ]の間に置き花生ケに河骨[かわほね]の一[ひと]もと是[これ]は名も張付[はりつ]けず外[ほか]より随分寂[さび]た生ケやう水際立[みずぎはた]チて一座の先生と見ゆるぞかし是皆[これみな]花の会にあらず器物[うつわもの]の会[なり]古代は物にかかはらず器物に寄嫌[よりきら]ひなく生たるままに投入[なげいれ]と呼[よぶ]今は此[この]花瓶[くわびん]閻浮檀金[ゑんぶだごん]だのいや釣瓶[つるべ]の木は赤栴檀[しゃくせんだん]の香木抔[など]羅漢[らかん]達が寄合[よりあひ]て極楽で花の会をするやうに大[たい]さうな器物也[なり][これ]花は表向[おもてむき]一通りにて我[わが]道具を人に見て貰ひたがるより起[おき]るきのふ迄の仏器のお前花を生ケた花売[はなうり]もけふは酒[さ]ケ苦斎[くさい]と号して立花[りっくわ]の師匠と成る俗が匕[さじ]を以[もっ]て薬を盛る様[やう]に小石を並べ敦盛[あつもり]の石塔へ手向[たむけ]る様[やう]にして楽しむ是等[これら]の人[ひと][うは]ばへ[ばか]りの付け焼刃[やきば]で心は皆[みな]見へ通の類[るい][なり]花を生[いけ]んよりは心の花の香[にほ]ひ深きを専らとし給へ其外[そのほか]に商人[あきんど]も見世[みせ]の椽鼻[ゑんばな]で将棋をさし碁を打[うち][あるひ]漢楚軍談[かんそぐんだん]三国志の類[るい]を大黒柱に寄りかかって読んで居る輩[ともがら]中以下の商人見世[みせ]にあるものなり見への人目いぶせしあの亭主は身上[しんせう]を能[よく]するはづだあのやうなむづかしい字を克読[よくよむ]と二[ふ]タ月も利足[りそく]を負けて貰ふた奴が誉[ほめ]るやうに仕かけて目利自慢[めききじまん]がこうじて似せ政宗[まさむね]の胡麻錆[ごまさび]の来るものを質に取ってどっちへ参りませうと言[いふ][やから][みな]七ッ目と言[いふ]ものを信向[しんこう]して我らがやうな猿へ冠をかぶせ犬に烏帽子を着せてその位[くらい]に至らんと言[いふ]天運循環を不知[しらず]よりして無利なる願ひごとをするぞをかしけれ一段下の下品[げひん]に至[いたっ]ては[わし]大明神は運の神と名付てむせうに朝夜霧を払って出て行[ゆけ]運の神だから強そふなものだが帰りには皆[みな]胴取[どうとり]の方へむまみをとられ侘言[わびごと]してうけつことやらを仕て漸々[やうやう]芋の頭[かしら]を竹を輪にして釣り下げてひだるそうな顔色[がんしょく]で帰々[かへりがへり][あ]き店[だな]へ道具を運ぶ様に夜食を喰ふ此等[これら]の人浅草の市で大黒を盗むと仕合[しあは]せが能[よ]ひと言[いふ][ともがら]にて夜は長ひ燈灯[てうちん]に何町[なにてう]若者[わかいもの]講中[こうぢう]と書ひて有るを灯して御詠歌[ごゑいか]和讃[わさん]念仏を申[まうし]て歩行[あるき]さらしの手拭を頬冠[ほうかぶ]りの様に仕て口に喰[くは]へ塗下駄を履[はひ]音八が突っかかる様な声根[こわね]帰命頂礼地蔵尊[きみゃうてうらいぢぞうそん]と言出[いいだ]すと同音に釈迦の心を憶念[をくねん]じと唱[となふ]れば障子を細目に明けて上げやせうと此頃[このごろ]色気付ひた娘がをひねりを出すと手を握るやうにして受取[うけと]る是[これ]を名付けて世帯仏法腹念仏[せたいぶっぽうはらねんぶつ]と言[いう]彼等[かれら]が毎晩歩行[あるい]て溜[たま]った銭で寺の建[たっ]たを見ず仏の箔代[はくしろ]よりは人の箔をはがして漸[やうやう]出来る所が双鐘[そうばん][ふ]タから是[これ]もまた唱歌[せうか]の分[わか]らぬ念仏を申[まうす]も譬[たと]へよしんはせよしやよしかしの楽[たのし]みならめ兎角[とかく]迷ひの雲は晴れぬから何に遊ぶとも深入[ふかいり]をせぬやうに跡先[あとさ]き考へて我々は人間に毛が三本足らぬと呼[よば]れても竜宮で生肝[いきぎも]をとらるるからき目をのがれにしぶ柿を喰[くわ]せて腹を立たせて慰[なぐさ]桃太郎の御供には日本一の黍団子[きみだんご]を喰[くい]けるまま各[おのおの]人間と生[むま]れては猿知恵をかはるることなく毛の三本多ひ替[かは]りに呼子鳥[よぶこどり]を猿と思ひ給ふなど言伝[ことづ]所作事[しょさごと]の仕舞[しまい]では無ひが元の座にこそ直りけり

▼まさる目出度し…お正月の猿まわし。「猿」と「勝る」のかけことばから縁起物として喜ばれまていました。
▼星霜…年月の流れ。
▼笑ひ…狒々が唇をひんむいて笑うという動作から。実際は笑うというより威嚇の行動。
▼松脂…体毛の上に松やにを何重にもぬりこんで、弓や鉄砲を通さぬようにしていたという昔話などから引いたもの。この化粧法は化け猫などにも使われています。
▼まぶる…まぶしちゃう。ふりかける。
▼心の猿…「意馬心猿」から。
▼口入…雇い人を斡旋してあげること。
▼山師…俗に、あやしい儲け話などを持ち込んでくるようなひと。
▼南京返し…渡来物の織物や布地。
▼半沓…馬乗りぐつ。
▼八わた黒…八幡黒。黒く染められた八幡革。山城国八幡山の名産品。
▼はかた島…博多縞。
▼腹に月の輪…まっ黒ずくめな着物の中で目立っている博多帯の白を、月の輪熊の白い月の毛に比したもの。
▼はっち…ぱっち。ももひき。
▼裾廻し…着物のすその部分につける布。
▼朔日丸…女性用に売られていた薬。毎月一日に服用すると避妊のための予防薬になる、といわれていました。
▼女医者…婦人科のお医者。中条流など。
▼淵瀬替る世…世の中ころころ変わること。
▼万歳の世…天下泰平。
▼正直の頭に宿る…正直の頭に神やどる。次の「太々講」につなげるための縁語関係。
▼太々講…太神楽。本来は伊勢講のこと。
▼御法談…お寺で行なう坊様の講話。
▼開帳場…寺社のご開帳にあわせて立ち並ぶ色んな小屋など。
▼上ゲ物の札…お祭りのときに寄付した金品をその人の名と共に書いて貼り出したもの。
▼年賦金…年ごとに支払うお金。利子がつく。
▼奉納の燈灯の名…寺社に奉納する提灯に記される奉納者たちの名前。
▼信々…信心。寺社の祭礼などに関することが信仰心よりも世間からの目とか世間への見得から発動していることをくすぐっています。
▼芸に遊ぶもの…諸芸をたのしむ人々。
▼風呂…風炉。お湯をわかすために使う、持ち運び出来る形の炉。
▼にじり込…茶室のにじり口に突入すること。
▼路地懸り…茶室に至るまでの庭の道のこと。裏店が無いというのは普通の街中にある路地とひっかけたくすぐり。
▼捨金…遊女を身受けするとき払う内約金。
▼囲れ…おかこいさん。おめかけ。
▼みす…御簾紙。遊女たちの常備懐紙。
▼かよふ神…こいぶみ。
▼九ッ時…昼の12時ごろ。
▼ちゃらくら…へっぽこ。いやはやゲージュツ的な字でごすね。ハァー。
▼獅子口…竹で出来た花器のひとつ。
▼富貴の人…牡丹の異名が富貴草というところからの推理です。
▼釣舟…陶器や竹木で出来た花器のひとつ。
▼一色…一種類の花だけでまとめた生花。
▼堀の亭主…隅田川の向かいにある堀切の菖蒲からの推理か。
▼留メ…下の段に配置する花枝のこと。
▼番町辺の御屋敷方…釣瓶に夏菊ということから、番町皿屋敷と推理したというこじつけ。枝垂柳を配置したのは幽霊の道具だて。
▼それが生ケた…鼻に紙きれを貼ってそれを鼻息でとばす遊びから。花を「いける」と、紙がべろべろ動いて「生ける」ようだ、のかけことば。
▼富の札…とみくじ。
▼烏石風…松下烏石のような書風。烏石は服部南郭のもとで儒学を学んだ文人で、欧陽詢の書法を習得して唐様を得意としていました。
▼河骨…水辺に咲く野草のひとつ。
▼器物の会…貸し座敷などで開かれていた生け花の会で、どんな貴重な花器を使っているかということに心血をそそいでいた面々が居たことをくすぐったもの。
▼閻浮檀金…天竺に伝わる川の中から採れるという黄金。超高級品ということ。
(参照→和漢百魅缶「しょうごんじゅ」)
▼羅漢…阿羅漢。仏法の悟りを得た坊さま達。
▼お前花…ほとけ様の前にそなえるお花。
▼敦盛…平敦盛(たいらのあつもり)。
▼上ばへ…上映え。見た目の立派さにだけ執着すること。
▼漢楚軍談…『通俗漢楚軍談』。漢と楚の争いをえがいた軍記物語。
▼三国志…魏と蜀と呉の争いをえがいた軍記物語。漢楚軍談などと共に江戸時代にも講釈師などが良く読んでいました。
▼商人見世…商家。中以下とあるので、床店などの簡単な造りのお店などが対象。
▼あのやうなむづかしい字…漢字がいっぱい出て来るじゃんね。
▼似せ政宗…ニセモノのマサムネ。正宗は名刀の代名詞。
▼七ッ目…妙見さま。七曜星などが神紋につかわれていたところから。
▼信向…信仰。
▼猿へ冠をかぶせ犬に烏帽子を…「沐猴冠」や「猿に烏帽子」などのたとえを引いたもの。
▼鷲大明神…おとりさま。実際のところは別の悪いあそびの場所をさしているようです。
▼むまみをとられ…あまい汁を吸われちゃう。
▼芋の頭を竹を輪にして…浅草の鷲神社で、酉の市のときに売られていたもの。
▼浅草の市…年末に浅草で行なわれていたお正月道具などの市場。
▼長ひ燈灯…ゆみはりちょうちん。
▼御詠歌和讃念仏…神仏を拝むときに唱えるもの。
▼音八…歌舞伎俳優の嵐音八。当時、道化方の役者としては最も名の知られていた俳優。
▼帰命頂礼地蔵尊…お地蔵さまを拝むときに唱える和讃の出だし。
▼ひねり…おひねり。
▼双鐘…双盤。芝居に使われる音楽の一ッ。お寺の場面などに演奏されます。
▼唱歌…琴や三味線などにあわせてうたう歌。
▼毛が三本足らぬ…猿は人間とくらべて三本足りないので猿知恵しか使えない、と言われています。
▼生肝…猿の生肝がくすりになるということで竜宮からくらげが遣わされる御伽草子などにある話を引いたもの。
▼蟹…猿蟹合戦の話を引いたもの。
▼桃太郎の御供…猿は、犬と雉といっしょに鬼征伐のおともとして活躍しました。
▼黍団子…「きび」ではなく「きみ」というよみになってる点に注意。
▼呼子鳥…猿の別名の一ッ。
▼所作事…踊り。

猛き心を和らぐる鬼の兼言

皆様[みなさん]の長物語りにつけて我[わ]が親父も参るはづでござりますが去年は大晦日が豆蒔[まめまき]でどこかへ逃[にげ]て参られました其節[そのせつ]わたしに一通り申[もうし]あげよと言付[いいつけ]ましたをはづかしいと言[いい]ながら出た所が青黛[せいたい]の眉の渡[わた]丹花[たんくわ]の口付き愛々[あいあい]しく桃李[とうり]の粧[よそほ]ひ芙蓉[ふやう]の眸[まなじり]緑の簪[かんざし]雪の肌[はだ]毛[女+嗇]西施[もうしょうせいし]四百余州の沙汰[さた][さか]り過ぎたる妖桃[ようとう]の春をいためる百[もも]の媚[こび]小野小町桜姫といふ様[やう]ぼっとりもの鼻紙を手でふきふき下へ居[すは]り御免なさりまし私は口不調法でと言[いひ]ながらしゃべり出すまづ皆[みな]人が邪けんなるものは鬼よ蛇よと言[いい]給へども心の鬼に身をせめられて虎の皮の下帯をする替りには緋縮緬[ひぢりめん]の湯具を〆[し]牛頭馬頭[ごづめづ]の姿を引替[ひきかへ]五分月代[ごぶさかやき]に人につらの皮を千枚張[せんまいばり]と譬[たと]へられて牛のづうづうと仕た心ざしに馬の皮の様に厚き皃[かほ]の言分[いいわけ]をするる奴こそ鬼なるべし人の子を売り又は養子娘を仕て妾奉公[めかけぼうこう]を勤[つとめ]させ人はのめろうが死[しな]ふが不搆[かまはず]是等[これら]の類[るい]を皆[みな][ひと]鬼の女房[にゃうぼ]に鬼神[きじん]が成ると言へども鬼神も鬼も一ッ事なり昔[むか]渡部[わたなべのつな]の綱が羅生門の金札の仕打[しうち]も我慢心[がまんしん]のなす所伯母[をば]に化[ばけ]て来た鬼は物真似の上手な茶返し色の鬼にて孟嘗君[もうせうくん]が函谷関[かんこくくわん]鶏の声色[こはいろ]を遣[つか]った馮驩[ふかん]と言者[いふもの]地獄へ落[をち]て鬼に出世した奴ならんかし拾遺集に平兼盛[たいらのかねもり]あだちが原の黒塚と詠[よみ]しは源重之[みなもとのしげゆき]が妹のことを聞及[ききおよ]ぶ鬼に鉄棒[かなぼう]とはぶうぶうを言[いっ]て金冠紫紐[きんかんむりむらさきひも]と太平楽を言[いふ][てう]送りにする時の諺[ことはざ]にて鬼の目にも涙とは其日[そのひ]を喰ひ兼[かね]て己[をの]れが子を捨[すて]て人に拾[ひろ]ふて貰ふを脇目から見て居る時の空涙[そらなみだ]なり近年は仲赤[なかあか]の厄が出来て我々が親も真っ赤な鬼の目をめくり出して六百六十の数を合[あは]せしも今は七八九の青物店に秀鶴[しうかく]の大立物[おほたてもの]には皆[みな]はめに付けられ子供の鬼事[おにごと]には天魔[てんま][あっ]てひまをとる我が留守に洗濯を仕て又鬼と成るもをかしくかしましし瓦の形[かた]には浮名[うきな]を屋根に止[とど]め古くなりては石菖[せきせう]を植[うへ]て[魚+皆][めだか]を飼[かは]書判[かきはん]を看板に仕て[めとぎ]くり返す者は官鬼[かんき]の爻[こう]には待人[まちびと][きた]らずと占[うらな]ふたまたま師走[しはす]の空の辛[から]き目をのがれて春に至らんとすれば鬼は外福は内と明きの方[ほう]から升[ます]へ入れたままで蒔散[まきち]らし漸[やうやう]疱瘡神[ほうそうがみ]法施宿[ほうしゃやど]をする内で斗[ばか]り戸を明けて真木[まき]で拵[こしら]へた神棚に赤い紙を敷ひて茶に福が這入[はい]ったと咄[はな]しを仕て居る内へ逃込んで一夜を明[あか]す豆ぐらいで鬼は逃[にげ]そふもないものだと言ふがそこが鬼神に横道[をうどう]なし兎角[とかく]人間にはその横道が有るから能々[よくよく]慎み給へ已[すで]に承暦[せうりゃく]の春の頃[ころ]都に藍婆鬼[らんばき]と言[いふ]鬼出て十歳以下の子供をとりければ大裏に青陽の初子[ね]の日の御会[をんくわい]なかりけるとかや草も木も我[わが]大君の国なればいづこか鬼の住家[すみか]なるらんときくからは人面獣心の心をひる返して心の鬼に身を罪することなく横道の無き様に仕給へと初手の見越入道から万八[まんぱち]千三[せんみ]の啌咄[うそばな]しを世の人の春の笑ひに備ふると言[いふ]て二人の夢を覚[さめ]させる所だがマァ夫[そ]れはよしにもしやせうと言[いへ]ば青表紙の百鬼夜行の本の中から大勢の声でソリャア何の事だ声替[こへかは]りも仕ねひ小女[あま]の癖にそのやうに可愛[かあい]そふに弐人[ふたり]ながら野良[やらう]人身御供[ひとみごくう]を見るやうに寝かして斗[ばか]り置[をか]れるものかと言[いへ]ばわたしも親に似ぬ子は鬼子でも鬼薊[おにあざみ]ほどは人中も見やしたから一通り二人わ寝かして置[をく]趣向をお聞[きき]なされましと言[いへ]ば又大勢の声で言[いい]やうが悪ひと引き立[たて]両国橋で見せ物の裏を替へすと言へば此娘[このむすめ]鬼篭[おにこも]る町と聞ひたる江戸の花吉原時計を見たかいんやそれは爰[ここ]で入[い]らぬこと弐人を起[をこ]すか起[をこ]さぬかサァサァサァと言[いふ]所へ切戸口[きりとぐち]の方[かた]で本屋の声として[しばら]く暫[しばら]弐人にしたたか鼾[いびき]をかかせて後扁間違論は春[はる]長々[ながなが]ホホ敬白[うやまってもうす]

▼青黛…うつくしい眉ずみ。
▼丹花…きよらかなくち紅。
▼毛[女+嗇]西施…毛[女+嗇]と西施はどちらも美女の代名詞。
▼四百余州…大陸全土。
▼妖桃…夭桃。美少女のたとえ。
▼小野小町…平安時代の歌人。日本の美女の代名詞。クレオパトラか楊貴妃かはたまた小町か衣通か。
▼桜姫…浄瑠璃の『一心二河白道』などの登場人物。清水寺の清玄という僧侶がその美しさに恋こがれた事で有名。
▼ぼっとりもの…まるっこくてかわいい美女。
▼虎の皮の下帯…虎のふんどし。鬼たちがよくしめていると言われていた服飾品。
▼緋縮緬の湯具…赤いこしまき。
▼牛頭馬頭…地獄で亡者たちをせめる獄卒の姿。俗に鬼の容貌にも。
▼五分月代…剃らずにのばしているさかやき。月代はちょんまげ頭の剃ってあるところ。
▼つらの皮を千枚張…つらのかわが厚い。
▼妾奉公…お金持ちなどに自分の娘をおめかけとして差し出して、そのお手当てを生活の目当てにするもの。
▼鬼の女房に鬼神が成る…冷酷非道な両親。
▼渡部の綱…渡辺綱。源頼光の家臣で四天王のひとり。
▼伯母…羅生門で渡辺綱に腕を切られた鬼が、綱の伯母御に化けて腕を取り戻しに来たという話を引いたもの。
▼茶返し色…おもてもうらも茶で染めた着物。
▼孟嘗君が函谷関で…孟嘗君は斉の国の軍師。秦の国から脱出するときに孟嘗君の食客のひとりが鶏の鳴きまねをして、朝にならないと開かない函谷関の関所を突破した話を引いたもの。
▼馮驩…孟嘗君の食客のひとり。
▼あだちが原の黒塚…「みちのくのあだちが原の黒塚に鬼こもれりといふはまことか」という『拾遺集』にある平兼盛の和歌を引いたもの。
▼源重之が妹…平兼盛の黒塚の和歌の題「みちのくになとりのこほりくろつかといふ所に重之がいもうとあまたありとききていひつかはしける」を引いたもの。
▼ぶうぶうを言て金冠紫紐と太平楽…べろべろでくだをまいてる酔っぱらい。
▼町送り…ぐでんぐでんの酔っぱらいを町の木戸番が次の木戸まで送っていくこと。
▼仲赤の厄…かるたで青の「七八九」の役を仲蔵、赤の「七八九」の役を赤蔵と呼ぶところから引いたもの。「厄」は「役」のかけことば。
▼七八九の青物店に秀鶴の大立物…かるたの青の「七八九」の役。
▼留守に洗濯を仕て…「鬼の居ぬ間の洗濯」を引いたもの。
▼瓦の形ち…おにがわら。
▼石菖を植て[魚+皆]を飼れ…古くなった瓦を再利用した鉢などをさしたもの。
▼書判を看板に仕て…よめないようなのたくった文字の看板。書判は花押のこと。
▼官鬼の爻…「官鬼」は占いに使われる六親五類の一ッ。鬼つながりでの登場。
▼明きの方…恵方。その年の福が入ってくるという縁起のいい方角。節分の豆まきの時にはこの方角へ「福は内」とやります。
▼疱瘡神…疱瘡(天然痘)をもたらすと言われていた神様。
▼法施宿…報謝宿。疱瘡神をもてなして早く立ち去ってもらうために行なったもの。
▼赤い紙…赤い色は疱瘡神が好む、あるいは疱瘡神が避けると言われていた色。
▼鬼神に横道なし…鬼神はまがった事はしない、というたとえ。
▼初子の日…月のはじめの子(ね)の日。
▼草も木も我大君の国なれば…大和朝廷の命を受けて紀友雄(きのともお)が藤原千方(ふじわらのちかた)を退治するときに詠んだ和歌。
▼万八千三ッ…どちらも嘘つきのこと。
▼藍婆鬼…承暦元年(1077)平安京に出たという鬼。もともとの「藍婆鬼」は天竺に伝わる子供を害するという鬼のひとり。
(参照→和漢百魅缶「らんばき」)
▼人身御供…いけにえ。
▼両国橋で見せ物…両国で興行されていた「鬼娘」の見世物を引いたもの。
▼江戸の花…江戸の名物。
▼百鬼夜行…『画図百鬼夜行』(1776)
▼後扁…後編。『間違論』は『一騎夜行』の続編として燕十が予定していた作品。
▼暫く暫く…歌舞伎の「暫」で使われる文句。
▼ホホ敬白…歌舞伎の「暫」で使われる文句。

後篇
大通間違論 五冊近刻

化物の罷出[まかりいで]たる雪の道
安永九年 子の春       燕十
東都書林 雪花堂

▼大通間違論…こちらは出版はされなかった模様。
▼安政九年…1780年。

校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい