▼四時[しじ]行[おこなはれ]百物生[はくぶつなり]天何言[てんなにいふ]との言葉▼実[げに]むべなり造物化する其例[そのためし]多し世に行[おこなは]るる怪異[くわいい]の説は細雨[さいう]の夕部[ゆふべ]雷[らい]の暮々[くれぐれ]白妙[しろたえ]にあらはれ出[いづ]る言草[いひぐさ]のみなり斯[かく]戸ざさぬ 御代[みよ]静[しづか]なれば怪異の有[ある]べきことにしもあらず予[よ]筆に言ひもて行[ゆけ]ば各々[おのおの]世に行[おこの]ふなまめかしきこと亦[また]は名聞[みゃうもん]くるしき言葉つきづきしを拾ひ集[あつめ]て我師[わがし] ▼鳥山翁[とりやまおう]の画給[ゑがきたま]ひにし▼百鬼夜行[ひゃつきやぎゃう]の標題にもとづきて一騎夜行と表[ひゃう]す初[はじめ]に優[ゆう]にやさしき男と心も猛[たけ]きいと▼さうざうしき人▼玉の盃[さかづき]の底なき霞[かすみ]汲分[くみわけ]て世の名聞を問答なし次に見越入道の古[ふ]る事[ごと]は芸術も人の上みに立[たた]んことを戒めあやしの狐火に▼奕打[ゑきうつ]者のひかりかすかな物語は幽霊の話[わ]に▼妓女小鬟[ぎじょせうくわん]の慎みを書[かき]つとひ羽[は]を伸[のす]天狗に定めなき世は▼槿花[きんくわ]の栄[さかへ]を思ひ合[あは]せ姑獲鳥[うぶめ]の世話[せわ]に処女が▼糸竹[いとたけ]の音色の乱るるを妬[ねた]み▼皿屋しきの数は女の罪の深きを悟[さと]す狒々[ひひ]の猿知恵は▼いぶせき名利[みゃうり]の心の花の香[にほ]ひを留[とめ]鬼の空言は但一口[ただひとくち]に空言[くうげん]なる昔語[むかしがたり]を彼是[かれこれ]十種取集[とりあつめ]て教訓の助[たすけ]にもなりなんと世にあらはし侍[はべ]りき▼僣踰[せんゆ]の罪ゆるしてよかしと其初[そのはじめ]に筆を染[そむ]る事とはなりぬ
▼安永九
▼鳳城北根津隠士
裏町斎 志水ゑん十 自序
▼いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまじと詠[えい]ぜられぬるも断[ことはり]なる哉[かな]▼天眼[てんがん]通をしらずして▼芦[よし]の管[ずい]を持[もっ]て青空[てんじゃう]を覗[のぞ]けば 天の川の▼ちちくり合[あひ]有り地に▼地廻[ぢまは]りの▼ちょんのまあり後世可畏[こうせいおそるべし]とはかかることをや言[いふ]ならん斯[かく]太平の御代[みよ]静[しづか]に▼諌[いさめ]の皷[つづみ]批謗[ひぼう]の木[き]久[ひさ]かたの雨あらかねの土▼万里[まんり]の外の国までも▼五風十雨豊[ゆたか]なれば押[おし]くるめて▼大通にいたらんと心ざす息子株[むすこかぶ]は諸芸を少しづつ覚[おぼ]へ人を眼下[がんか]に見るをもって我心[わがこころ]通なりとす爰[ここ]に同じ流れの▼のらくらものあり所は▼おたんす町引出し横丁に鍵屋錠右衛門[かぎやぢょうゑもん]と言[いふ]金物や親父は例の▼銀ぎせる銀の様[やう]だと誉[ほめ]るくらひの▼あたじけなき生[うま]れゆへ▼身上[しんしゃう]何不足なく暮[くら]しけるに花も一度は散り月も晦日[みそか]はくらやみの如く此世[このよ]を▼十万億土へ店替[たなが]へするが否[いな]や御惣領の▼野良蔵[のらざう]跡をふまへ▼手習[てならひ]の師匠様で覚へた学文[がくもん]を鼻に懸[かけ]詩歌[しか]連誹[れんぱい]香[こう]茶湯[ちゃのゆ]生花[いけばな]盆石[ぼんせき]の会に催主補助[さいしゅほじょ]となる侭[まま]だれも野良蔵様[のらぞうさま]と言人[いふひと]なく馬鹿様[ばろくさま]馬鹿様[ばろくさま]と▼誹名[はいみゃう]が通り名になり段々▼通の魔道[まどう]へ引摺[ひきず]り込[こま]れ丁山[ていざん]は物ごしやはらか花扇[はなあふぎ]は口元がじんぜう▼抔[など]と知[しっ]たぶりが▼からくりのはじまり先うらの空地の▼鞠場[まりば]を崩して別荘を建[しつ]らひ知った自慢の普請[ふしん]の造作[ぞうさく]▼鼠壁[ねづみかべ]に丸窓[まるまど]三角床[さんかくとこ]に炉[ろ]を切開[きりひら]き三枚折の屏風[びゃうぶ]五分縁[ごぶべり]の畳[たたみ]椽頬[ゑんがは]には▼蒲莚[がまむしろ]敷詰[しきつめ]床飾[とこかざり]左には▼雪花堂[せっくわどう]の彫刻[かいはん]せし鳥山先生▼百鬼夜行の青表紙[あをびゃうし]くり返し貴人高位の御居間と同じき結構なり馬鹿[ばろく]は毎日▼家職には構はず十露盤[そろばん]は▼開平以上でなければ術にあらずと高ぶり伴頭[ばんとう]任せの投[なげ]やりさんぼう夜遊びがこうじて朝▼鉢坊主が中食喰[ひるめしく]ひに帰る頃[ころ]目をこすりこすり起[おき]て唐机によりかかり古句[ふるく]を以[もて]手柄[てがら]をせん事を考へ夫[それ]に輪を懸[かけ]て▼唐詩選[とうしせん]で絶句が一二句も切抜[きりぬき]が出来て来るゆへ▼文徴明[ぶんてうめい]風の▼石摺[いしずり]を広げ立[たて]て書[かき]ちらしうぬぼれ流の読[よめ]かねぬ手となりけらしまたその頃▼茅場[かやば]丁辺[へん]より引越たる浪人に笠野衛守[かさのゑもり]とて眼[まなこ]は蛇[じゃ]の目の如く奥歯に小骨のはさまったる様[やう]に人中で恥をかひても皃[かほ]に紅葉抔[など]とはむかしの事とて▼白張[しらはり]のやうなる短才文盲ぶ骨[こつ]の生[うま]れ付[つき]なりしが馬鹿[ばろく]は叮嚀[ていねい]にもてなし酒肴を出して饗応す時に衛守馬鹿に問[とふ]て曰[いはく]昔[むか]しよりちと▼古文真宝[こぶんしんぽう]と言人[いふひと]をば野夫[やぼ]と名づけ▼廓[くるわ]の穴とやらを知るものを粹[すい]とやら通[つう]とやらと言[いへ]るがその野夫[やぼ]は身を持[もち]おふせ粹[すい]は身を喰ふ事[こと]眼前[がんぜん]なり如此[かくのごとく]今は代[よ]もおだやかなれば武は下方[しもかた]を専[もっぱら]らにし町人は貴様の様[やう]に文徴明が筆跡[ひっせき]▼古法眼[こほうげん]の懸[かけ]もの▼利休の茶酌[ちゃしゃく]と奢[おご]り日々に増長せり此[この]趣意はいかにいかにと▼宝暦時代に流行[はやり]し真鍮[しんちう]の桜▼張[ばり]で畳を▼晦日掃除[みそかそうじ]程[ほど]扣[たたい]て問懸[とひかか]れば馬鹿は手杵[てぎね]張の▼やに下[さが]り▼扇ばちばちにて錦々然[きんきんぜん]として笑[わらっ]て曰[いはく]夫[それ]は▼非学者論に不負[まけず]との諺[ことはざ]なりおまへも昔[むか]しは武家方なれば▼黒ひ米の食[めし]を喰[く]ふたお方なれど先[まづ]武家は礼[れい]楽[がく]射[しゃ]御[ぎょ]書[しょ]数[すう]の六芸[りくげい]を専[もっぱ]らにいたすべきを遊興の皷太皷[つづみたいこ]にうつつをぬかすとの問[とひ]はから一がいの論成[ろんなり]刀は鞘[さや]を出ざるを以[もって]尊[たっと]む鎧[よろい]は神輿[みこし]先払[さきばらい]に▼法師武者を見て初[はじめ]て鎧たる飾立[かざりたて]を知る如此[かくのごとく]なるあいだ今は鎧の飾り様[やう]を剣術師の伝授口伝と成るむかし▼保元平治より軍初[いくさはじま]り▼大相入道[きよもりにうどう]廿四年が間穏[おだやか]にして▼寿永文治の兵乱[ひゃうらん]又は▼南北朝の時分に鎧を着るを伝授せばよき金儲けなるにその時分は今の加州蓑[かがみの]を雪見に着るよりこころ安かりしと見ゑたり世の静[しづか]に随[したがっ]て礼[れい]は▼小笠原と窮屈がり楽[がく]は千部の▼笙篳篥[しゃうひちりき]を吹立[ふきたて]るを楽[がく]と覚[おぼ]へ其上[そのうへ]を一段やはらげて▼紫檀[したん]の細棹[ほそさほ]下方[したかた]皷[つづみ]がむかしの▼胡徳楽[ことくらく]河南浦[こうなんほ]の洗ひ鯉の肴で呑倒[のみたを]れと成[なり]馬はどんな客でも▼鬼影[おにかげ]のやうによせつけざるふってふってふりぬく▼妓女[ぢょうろ]を乗[のり]しづめ弓を引[ひく]ことも▼能登殿[のとどの]は五人張[ばり]に十五束[そく]▼鎌倉の権五郎[ごんごろう]は眼[まなこ]の矢を抜[ぬか]ずして鳥海[とりのうみ]に返矢[とふのや]を射[い]かけしとは昔[むか]しの力強[ちからづよ]の沙汰[さた]今は五間[けん]間口[まぐち]に裏へ七間[けん]灯篭[とうろう]鬢[びん]を尻目に懸[かけ]て▼楊弓[やうきう]の楽[たのし]み矢は一箱の内で五本か三本位[ぐらい]どんと言[いふ]は処女[むすめ]に気をとられて的[まと]にかかはらず誠に鹿を追ふ猟師は山を見ず▼枕草紙[まくらさうし]は言葉を不読[よまざる]の譬[たとへ]也[なり]書[かく]ことは四角な文字は知らずとも▼御ぞんじかしくを上手ににじくり▼独り寝の行灯[あんどん]にうっかりと枕淋[まくらさび]しき郭公[ほととぎす]抔[など]と切字[きれじ]もなひ発句[ほっく]を書[かく]と▼裏町[りてう]さんの▼手は可愛[かわひ]らしうありんすと言へば姉娼[をいらん]の▼文[ふみ]の上書[うはがき]を頼[たよら]れ自切[しきり]の▼鼻紙で封じて▼かよふ神をさらさらとなぐればこんど行[いく]と喰[く]ひものでも有[あら]ふと真実[しんじつ]らしく▼大恩寺前を人魂の飛[とぶ]やうに段々に礼に来てどふやらぬしをこふ言[いふ]ては御てうし申[まをす]やうでありんすが▼せんどは御文の上書[うはがき]を大[おほ]きに御世話でありんしたと言[いは]れる数[すう]の道[みち]は十露盤[そろばん]にはづれたるをもって太平の宝とす▼胸算用[むなさんよう]で大[たい]がいなことを▼ずい流しにす世の人の奢[をご]りも如斯[かくのごとく]我等[われら]をはじめ▼分限[ぶげん]に応じて此様[このやう]に別荘抔[など]を建[たて]たと思はるるか大の不了簡[ふれうけん]先[まづ]家を建[たて]るにもどこぞの物数寄[ものすき]な家の▼こわしを買[かっ]て夫[それ]に手を入れ随分と金安に仕立[したて]内造作[うちぞうさく]其外[そのほか]諸道具も皆▼おっかぶせものを最上とすそこを▼穴知りとも通りものとも言[いふ]気生[きおひ]也[なり]お前も▼両腰さして歩行[あるか]ずと細身一本落[おと]しざし何か読[よめ]ぬ字の書[かひ]て有[ある]扇ばちばちになり給へ大通になりて夜行する時は百鬼も眼[め]に▼さへぎらす▼鬼も一口に喰ふ昔男の▼色狂ひ近き事は白河法皇祗園の社[やしろ]の巽[たつみ]の御所に忍び車の夜[よ]の御幸[みゆき]にあやしの光りもの飛行なしたるを▼北面▼忠盛[ただもり]青狩衣[あをかりぎぬ]に上潜[くく]り下に萌黄[もへぎ]の腹巻して細身作[ほそみつくり]の太刀を帯[はい]て此[この]化物を生[いけ]どりけるに▼社頭[しゃとう]の油つぐ七十斗[ばか]りの法師なりけるよし是[これ]も白河帝の大通にて忠盛が萌黄[もへぎ]仕立[したて]の一肌ぬけた金錦[きんきん]の出立[いでたち]なれば人を殺さず育ててやりし大通心と云[いふ]べし夫[それ]はお先真闇[まっくら]な▼五月雨の物語今はなほさら▼箱根からこっちに野夫[やぼ]と化物は珍らしく▼雪国から尊[たっと]き仏の開帳のとし▼鬼娘の生取[いけど]りを見せて朝参りぬる燈灯[てうちん]見物の帰りも是[これ]がために▼牛頭馬頭[ごづめづ]の様[やう]な婆々様[ばばさま]も巾着銭[きんちゃくぜに]を▼六道銭[ろくどうせん]に一割を懸[かけ]て見物の声▼修羅[しゅら]の如くなりしが又上の段を思ひつく奴が出来て似せ鬼娘の替へ玉を▼橋向[はしむか]ふに拵[こしら]へて終に正真の鬼娘は▼はめにつきし発明な世の中なればおまへの様[やう]に一本さして燈灯[てうちん]は不用心と嘲[あざけ]り夜道をすれば百鬼夜行が若[もし]あらば出そふなものと云[いふ]疑[うたがひ]が胸に出来る是[これ]迷[まよ]ひの壱つとなりて▼襦袢[じゅばん]の干[ほし]たが幽霊に見へ▼玉杓子[おたまじゃくし]が見越入道に成る鳥山翁[をう]の書[かき]し百鬼▼前後の扁[へん]も初[はじめ]に松の老木[をいき]の▼夫婦が千[ち]とせを経[ふ]る通[つう]の昔[むか]し物語より書出[かきだ]して▼生霊[いきりゃう]死霊[しりゃう]の墨の濃[こ]き薄きをあらはして後集[こうしう]に遣[つか]ひ仕舞[しまっ]て▼衣々[きぬぎぬ]の夜明方[よあけかた]▼あほふ烏[からす]の啼渡[なきわた]る頃[ころ]影も幽[かすか]な言葉のゑんをとりて今年もはやまた▼拾遺の化物あり必[かならず]必[かならず]▼いかいことある物と思ひ給ふな▼漢帝の▼反魂香[はんごんかう]も色事の▼一[火+主][た]なれば通の難有[ありがた]さは又格別なりなんでも今夜は内を出たが昏鐘だから▼根岸[ねぎし]通りをちっとも急ひで敵めがこうかけたらこうかけてと一身不乱に思ひつめて行[いく]から誠に鼻の先へ幽霊が出ても其人[そのひと]の面蔭[おもかげ]ではないかと思ふまま皆[みな]女の様[やう]に見ゆるぞかしと言[いは]れて衛守も此[この]返答に行暮[ゆきくれ]てとむかしむかしのせりふそう言給[いひたま]へば皆尤[みなもっとも]だが壱人夜道を貴公[きこう]の様[やう]に思ふてする社[こそ]百鬼[ひゃくき]の夜行ではなく一騎夜行の馬鹿[ばか]ものなりサァうちくつろひで一献汲[くま]ふと呑[のみ]をれさすればさしをれ呑[のむ]はと二ッ巴[ともへ]に定九郎[さだくろう]が親指のせりふやや▼盃盤狼籍[はいばんらうぜき]して二人ともに入子枕[いれこまくら]の組合[くみあわ]せ弐人[ふた]り漕[こぎ]出す▼白川夜船[しらかはよふね]荘子が▼小蝶の夢ならで鳥山翁[おう]が筆の跡[あと]恨[うらみ]を世に伝ふるをこの草稿[そうし]の発端[ほったん]とはなしぬ
去る程に弐人[ふた]りなから高鼾[たかいびき]の枕元にあやしき物音して咄[はな]し声有[あり]両人は目を閉[とぢ]てうつつ心に聞[きき]ぬるに初[はじめ]にゆるぎ出たるは大▼童子格子に紫の▼丸ぐけを前で結び一座を白眼[にらみ]し其[その]光りあたかも姿見の鏡の如くさて各々[おのおの]我[われ]を▼化物の随一▼見越入道と号して怪異[くはいい]の▼正座[せうざ]を穢[けが]す阿呼[ああ]残念成[なる]は末世[まっせ]の凡夫[ぼんぷ]から一通りに我[われ]のみを見越入道と覚へて己[おのれ]己[おのれ]が身の上に見越入道の有事[あること]を知らず如何[いかん]となれば闇の夜に古木[こぼく]の杖を突[つき]せんせうらしく人の後[うしろ]から見越ゆへに名とすと聞[きく]我是[われこれ]を聞[きい]て腹の皮をでんぐり返して笑ふたりまだちと利口らしき奴は▼青鷺[あをさぎ]が帯の上へ泊[とま]ると見越さるると云[いふ]馬鹿もの有[あり]何[なん]ぞ今時そのやうなまだるい事で人が化[ばか]さるるものにあらずむかし▼大宮人[をうみやひと]も▼臥猪[ふすゐ]の床[とこ]を恐ろしがりし猪を吸物になし白鷺も振袖の塩梅[あんばい]よしとなる花に帰る雁金[かりがね]水に住[すむ]泥亀[すっぽん]何[いづ]れか▼鍋へ這入[はい]らざらんやと書[かき]しもむべ也[なり]今時青鷺位[ぐらい]の化物[ばけもの]人をたぶらかす事なるべきや我[わが]曇[くも]る心よりして見越見越と呼[よば]れ▼庭の松の木に混[こん]じて甚[はなはだ]迷惑なり▼我身[わがみ]つめりて人のいたさを知り己[おの]が身の臭[くさ]きを知らざるぞかなしけれ先[まづ]今の▼業界[きゃうがい]をつらつらをもん見るに家業を脇にして遊びを専一[せんいち]となし其上[そのうへ]▼子曰[しのたまはく]でもちっと斗[ばか]り読[よみ]かぢるがさいご物を知らぬ人は▼風塵[ふうじん]の客と見やしみ晋朝[しんてう]風の▼卓犖不羈[たくらくふき]が面白みが厚しと号して放蕩の友は誠の朋友にあらず学者は学者のやうながよしと▼飽魚肆不知嗅[ほうぎょいちぐらくさきことをしらず]段々それがこうして▼老子をちと読習[よみなら]ふと▼知恵出有大偽[ちゑいでてたいぎあり]と言文[いふぶん]を聞[きき]はつり知恵は偽りの始[はじま]りと▼のろまの玉子焼と成[なっ]て▼牛の刀を用[もち]ひられざる憂[うれい]を去りしと身は▼隠逸[いんいつ]を表に飾りまた人が見下[みくだ]したくなり歌学を少し耳にはさみ今は歌道も▼手爾於葉がむづかしく諸人[もろびと]と言[いふ]つらぬることかならず▼貫之[つらゆき]が古今集に別勅[べつちょく]を蒙[かうむ]りて千首といへども千九拾九首あり其中[そのなか]に▼糸くずの歌と難[なん]ずれども▼紫式部が総角[あげまき]巻には▼貫之が此世[このよ]ながらのわかれをだに心ぼそきと引用[ひきもち]ひたりと言聞[いひきか]せまた連歌[れんが]は格別いたしよひものにて一躰やはらかに仕立[したて]をおもといたすと高ぶる是[これ]はまた人柄[ひとがら]も能[よ]く聞[きこ]ゆるが此下[このした]に今[いま]流行[はやる]見へ通とて誹諧[はいかい]に評持[ひゃうもち]の名をおも入[いれ]に書[かか]せ代物[しろもの]は手放すにをそく座席に居ぬ人の句を難[なん]じあれは▼古句遣[ふるくづか]ひで▼武玉川[ぶたまがは]斗[ばか]りを買[かひ]こんで置[をく]の一枝選[いっしせん]も聞[きく]が違[ちがっ]て来たの誰[た]れが通り句はむかしの童[わらべ]の的[まと]にありありと有[ある]とむせうに我斗[わればか]り上手の様[やう]に口をしゃべり二句言[いひ]か三句言[いひ]の誹席[はいせき]で句を書付[かきつけ]執筆[しゅひつ]に渡し前の宜[よろしき]ところへ御加入[かにう]と筆太に右と言[いふ]字の不届[ふとどき]さうぬもやっぱり▼刀の錆[さび]は刀より出[いづ]るとやらにて古句遣ひなるべしとり分[わけ]て此[この]道は人を誹[そしる]を手柄[てがら]の様[やう]に覚へて発句[ほっく]はお下手[へた]古句[ふるく]は上手[ぜうず]で例の本から抜[ぬき]さしの十七字拙[つたな]く風雅の面白みを失[うしな]ゑり▼銀ぎせるやに下[さが]りに至[いたっ]ては▼着物のごとき羽織を着[ちゃく]し細身の大小いかつげに▼さしこばらし弐三人連[つれ]て三日は大師[だいし]八日は薬師[やくし]と日を定めて▼地蔵娘[ぢぞうむすめ]へ腰を懸[かけ]ては若[もし]▼六道能化[ろくどうのうけ]の導[みちびき]も有[あろ]ふかと皃[かほ]を見詰[みつめ]て茶をがふがふと呑[のみ]ながらそろそろ遊町先生[ゆうてうせんせい]帰りませうと言[いふ]が二時[ふたとき]ぐらひその時▼兼平[かねひら]ではないが娘こころに思ふは箒木[ほうき]が目立[めだた]ずは建[たて]たきぐらいなるべし斯[かく]茶やに長居[ながい]をする輩[ともがら]同じ面長[おもなが]な▼片足上へ上[あげ]て居る奴旅は道連[みちづれ]世は情[なさけ]一河[いちが]の流れも他生[たせう]の縁[ゑん]なればともどもに▼芝居咄[しばいばなし]でもするかと思へば左[さ]にはあらずあいつ斗[ばかり]あの娘が▼先度[せんど]はおかたじけと言[いっ]たからは何をやったかがてんが行[ゆか]ず互[たがい]にをかしな眼付[めつき]そしてきせるの毛彫[けぼり]も▼藤の丸こいつ少し▼嗅奴[くさきやつ]と感[かん]を付[つけ]て疑へばこちらの▼二才もやっぱりその通り多葉粉[たばこ]が無[ない]とて貰らって呑[の]んだか▼多葉粉箱の比翼紋の片われはあの男が羽織の紋所と敵[かたき]を尋[たづ]ねるやうな注文にて皆[みな]行過[ゆきすぎ]故[ゆへ]物をも言[いは]ず娘のそばに▼草ざうしを読んで膝[ひざ]へでも手を遣[や]る事を▼見へとすそれがこうじて後[のち]には▼地蔵の証文[せうもん]も高利の催促に辛[から]き目に逢へども世間知りの▼味噌咄[はな]し山下の咲玉[さきたま]やは少[ち]と色が白からふものならどうもいへぬの地蔵娘がもちっと太ると▼閻浮檀金[ゑんぶだごん]よりうつくしいと世話にもならぬよまひ事[ごと]夫[それ]を商[あきな]ふ娘[むすめ]何[なん]ぞこいつ▼鼻毛な奴と思はざらんや人になぶらるるを商売として情[なさけ]を売らずして人をたらす夫[それ]に鼻の下の童子格子を染[そめ]出して茶屋知り自慢の高咄[たかはな]し是等[これら]もやっぱり中見越入道[ちうみこしにうどう]と言[いふ]べき仕打[しうち]のその中にまた三味線を弾き身振りを覚[おぼ]へちと細長ひ声で▼きぎす啼[な]くでも唄ふ奴は▼西川風は昔[むか]しの手で面白くなし▼六三郎位[ぐらい]なものはござらぬ我等[われら]も▼杵屋[きねや]を此頃[このごろ]▼貰[もらい]ましたと先祖より伝はりし苗字をば明渡[あけわた]しとやら除[の]き渡しとやらに仕[し]て▼竹格子の浮住居[うきずまい]末は▼芸者となりて成りて▼拳番[けんばん]の居候が▼茶屋の聟[むこ]となりついに粹[すい]自慢の▼船底[ふなぞこ]で落[をち]て誰れ引き上[あげ]る碇綱[いかりつな]もなく一生▼身振[みぶり]声色[こはいろ]で喰[くわ]ふと思ふとも年が古くなるに随ひ人が用ひぬからまたふりつけ師と化[ばけ]て家主[をうや]の娘を放蕩[どら]ものにし地主[ぢぬし]の妹も船芸者[ふなげいしゃ]と成る▼六段目の切[きり]に店[たな]を追[おわ]れて末は土場[どば]の夜浄瑠璃[よじゃうるり]か祗園囃子の合[あひ]の杭[くさび]を弾ひて渡世とするもじたい人中[ひとなか]で弾[ひか]れぬ芸に年が寄るに随ひ▼引摺[ひきずり]女房に米を仕懸[しかけ]てあてがふゆへ手が強[こわ]く成[なっ]て米櫃[こめびつ]を噛[かぢ]ると評判されて短冊紙[たんざくがみ]が御酒[みき]の口を売るやうになるも初[はじめ]士[ぶけ]の時[とき]朋輩[ほうはい]の外[ほか]を克付逢[よくつきあ]へば勤まれども此[この]▼扶持切米[ふちきりまい]が無[なけ]ればをれは立派に暮[くら]すと言[いふ]高慢から起[おこっ]て斯[かく]のごとし始[はじめ]にもいふ通り少し儒[じゅ]の端[はし]を覚[おぼ]えるとから▼すてっぺんに仏法を誹[そし]る是[これ]非学の始也[はじめなり]其謂[そのいはれ]は仏法も▼用明帝[ようめいてい]▼厩戸皇子[むまやどのわうじ]時[のとき]の▼大連[をうむらじ]と大いざこざを出[しで]かして取立[とりたて]給[たま]ふ程のことなればむせうに悪く言[いふ]も経文論記のことを言[いわ]ずむせうに末世[まっせ]の坊主▼囲[かこ]ひ者をするのやれ▼般若湯[はんにゃとう]を呑[の]むの▼天蓋[てんがい]▼碁石[ごいし]▼袋足袋[ふくろたび]を常の喰物[くひもの]に仕[し]て山様[やまさん]と言[いふ]▼諡[をくりな]取[をとり]羽織を来て▼医者化[ばけ]る事は悪く言[いへ]ど何[なん]ぞ法を謗[そしらん]や已[すで]に▼妻子珍宝及王位[さいしちんぼうきゅうわうい]臨命終時不随者[りんみゃうずいじふずいしゃ]との仏の金言[きんげん]を思ひ合せて見よどんなあたじけない奴が死んでも▼金魂[かねだま]と人魂[ひとだま]が道行[みちゆき]を仕[し]ながらも飛[とば]す此世[このよ]で位[くらい]▼三公に連[つら]なりし御方[おんかた]もやっぱり御供[おとも]なしの▼独り旅二世も三世もと書[かい]た▼起請[きせう]を当事[あてごと]に添[そう]た女房は夫の死んだ当座は人見せに涙は手拭[てぬぐひ]をぬらしてふけども相応な男をこしらへて牛に馬を乗替[のりか]へました前の亭主は▼喰物好み▼勝負好▼酒の上が六ヶ敷[むづかし]ひと八百八品程[ほど]難癖[なんくせ]を付[つけ]て此世[このよ]にしゃあしゃあまじまじと仕[し]て居れど起請[きせう]の神の御罰もなひと思ふが当違[あてちが]ひ末は置き去りにされて人のすすぎ洗濯をして浮世を暮[くら]しかね▼せうことなしの▼でも坊主となる是[これ]則[すなはち]神罰の▼顕然[けんぜん]たる所也[ところなり]▼相対死[あいたいじに]を仕[し]たればとて▼未来で半座を分[わけ]て弐人[ふたり]でふらつく▼蓮の葉の上に▼九尺弐間[くしゃくにけん]の店[たな]を持[もっ]て誰[たれ]が店請[たなうけ]に成[なっ]たやら極楽の▼十七屋から飛脚が来[こ]ぬからほんの当仕舞[あてしまい]▼やみの夜[よ]の鉄砲也[なり]誠や空[くう]に入[いっ]て空[くう]に帰る愛別離苦[あいべつりく]は高ひも低ひも同じ掟[おきて]▼夢幻泡影[むげんほうやう]の消[きゆ]る所は電光石火[でんこうせきくわ]の如しとは有[あり]がたき事なるべきを空即是色[くうそくぜしき]も▼五十余帖の色事の▼大序と見破り▼黄金不多交不深[をうごんをうからざればまじはりふかからず]とむせうに▼ちんふんかんを専[もっぱら]として楽[たのしみ]を極[きは]めて命長きに及[しか]ずとやたらに呑喰[のみく]ひ聖人の心ざしを茶に仕[し]て始皇帝もどきに自由にならば▼不老不死の薬でもとりに遣[や]り度[たい]こころでしかつべらしく▼孔子も▼顔回[がんくはい]は早夭せしを惜給[をしみたま]ふむべなる哉[かな]聖と呼[よば]れても回の如く四十の花の盛[さかり]を見ず▼盗跖[とうせき]は寿長して八十の雪転ばしを見るとまた口もへらずに四角な咄[はな]しこそ論語読[よみ]の論語知らず是[これ]もやっぱり後[うしろ]から帯へ泊[とま]る青鷺の見越入道を見下す長咄[ながばな]し諺[ことわざ]に言[いふ]ごとく▼鳥なき里の蝙蝠[こうもり]も破れ扇を見てもその面影に見ゆる情人眼中[じゃうじんがんちう]に▼西施[せいし]をいだすの言葉思ひ合[あは]せてことはり哉[かな]多葉粉[たばこ]輪に吹[ふく]▼太羅宇[ふとらう]の煙[けぶり]幽[かすか]に消へ失せけり