御飯の炊き方百種(ごはんのたきかたひゃくしゅ)

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外国米と内地米との比較

  外国米は内地米に比較すると、滋養分が少し少ないけれども、夫[そ]れは蛋白質が僅[わづか]に少ないだけで、双方の間には大した相違はないのである。内地米には通常二合半で千三百乃至[ないし]千五百の滋養量[カルリー]即ち力を出すが、外国米は内地米に比べて僅に四の力だけが少いのであって、其の差の僅少なことが明らかに知れるのである。千三百乃至千五百の中[うち]で僅かに四と云へば、殆[ほとん]ど其の差がないと云っても好[よ]い程であるのだ。又同じ滋養分と成るところの脂肪に至っては内地米よりも外国米の方が多い、蛋白質に於て少量の点を脂肪質に於て補ふ処があるから、差引き勘定して外国米と内地米との隔[へだた]りを無くする訳になるのだ。

▼二合半…約450ml
▼滋養量…カロリー。「カルリー」と傍訓がついているのはこの文章では前半のみ。後半では「じやうりやう」と振ってあります。

  今試みに内地米と外国米とを比較した一例を挙げて見ると左の如き数字を示すことが出来る。

蛋白質

脂肪

炭水化物(澱粉)

日本白米一等

八.二〇

〇.二二

九一.二〇

日本白米五等

八.一四

〇.二二

九一.一六

蘭貢[ラングー]

七.六二

〇.四六

九一.一四

東京[トンキン]

六.七一

〇.四八

九二.〇四

▼蘭貢米…ラングーンのお米。当時数多く輸入されていて外国米の代表格のひとつ。加工食品や醸造用としても使われていました。
▼東京米…ベトナムのお米。

  以上のごときものを得られるが、之れを平均したものを内地米と外地米と比べて見ると、下の如き数字を得られる。

蛋白質

脂肪

炭水化物(澱粉)

内地米

七.九七

〇.二九

九一.三四

外国米

七.一六

〇.四七

九一.七三

  斯様[こんな]やうな訳であるから、殆ど双方とも相違が無いと云っても差支[さしつか]へないのである。即ち双方とも一升の米で平均比例を取れば、其の滋養量[カルリー]

内地米の平均  六千〇七十六
外国米の平均  五千九百三十二

であるから双方の差としては、百四十四であって僅[わづか]に少量のものであるのだ。

  之れに拠って見ると、内地米と外国米との差等は斯[か]くの如く少量なもので、滋養量に於ては殆んど遜色ない事になるのだ。内地米は粘力[ねんりょく]があるが、外国米は軟弱な質[たち]であるので砕け易く、且つ臭気があるので食するに悪感[あくかん]を生じ、喰[た]べて美味がないから内地米に馴れた者には、嫌忌[けんき]さるる処があるけれども、臭気を除去すれば決して喰[た]べ悪[にく]いもので無い。一週間も食し馴れれば決して喰[た]べ悪[にく]いことは無いのである。内地にて収穫する米だけにて、我が同胞の食料を供給するに足りないものとすれば、何[ど]うしても外国米の応援を待[また]ないと、我れ我れは米食することが出来ないことになるのだ。内地に産出する米のみにては一人に一石余にしか当らないので、六分は他より食料品を求めねば成らない、其の不足を米に需[もと]めるとすれば、外国米と朝鮮、台湾等の米に依るの必要となる、到底麦その他にて之を補ふことは難[かた]いのである。

  平時にして猶[なほ][か]くの如しであるから、非常の決心を以て非常の方法を採らなければ、生活して往けないことと成るは、今更に云[いは]ないでも知れ切って居ると思ふが、非常の場合に臨んで美味[おいしい]の不味[まづい]のと贅沢を云って居ては、大にしては国民の消長に関することに成る、小にしては一家の台所経済に大影響を来たすのである。外国米ばかりを炊いたら、不味[まづい]であらう、食するに難儀であらう、けれども内地米に混合して炊くときは、幾分の舌触りは悪いかも知れぬが、馴れて了[しま]へば更に苦痛を感ずるものでないから、常に外国米の併用を心懸けるのは、実際我れ我れの急務で、寧[むし]ろ国民の義務と云っても好[よ]いでは無いか。

  それに外国米のみを炊いても、臭気を去る方法は幾等[いくら]も講究されて、人の嫌悪する臭気も殆んど無臭の境に達する手段もある。又冷飯に成ってボロボロに成る弊も防ぐ法が行はれてゐる。一升の飯を炊くのに外国米八合に餅米二合を混合すると粘り気は十分に生じボロボロになることも無い。更に七合の外国米に三合の餅米を投[とう]ずると、炊きたては粘り気が強過ぎるほどある。此の後者の分量に拠る時は冷飯に成ってもボロボロする虞[おそ]れは無く成ると云ふ。殊[こと]に餅米は極[きは]めて糖化し易いもの、即ち消化の速いことが米のうちで第一であるから、之[こ]れを外国米に混合しても、消化力を悪くするなどの憂[うれ]ひは更に無く、外国米その物ばかりを炊くよりも、滋養量の上から見ても、亦[ま]た消化力の上から見ても、米の力を増しても減ずることは無いのである。

御飯にしての消化力は何[ど]うであるかと云ふと、第一が餅米、第二内地産の米、第三が朝鮮米、第四が外国米といふ順序であるが、常に我れ我れが食する内地米の御飯と外国米の御飯とはホンの僅かの違ひがあるまでである。それも数字に現はれる処の差に過ぎないで、実際の上に於[おい]ては更に相違が無いと云っても差支[さしつか]へない程、極[きは]めて少量の差であるのだ。又カスの出ることも内地米と外国米とは、少し外国米の方が多いけれども、之[こ]れとて勘定に入れる程の数[すう]で無いのである。序[ついで]に一寸[ちょっ]と餅米の成分を挙げて置かう。

蛋白

脂肪

炭水化物(澱粉)

餅米

九.四一

〇.四八

八九.六一

  であるのだ。一升の餅米に就て出す滋養量は平均六千四十八であって、内地米の一等より五等までを平均したものの、六千七十六より二十八の遜色あるが、餅米には大層品質の相違あるもので、従って非常に滋養分の多いのと、それに正反対に普通白米より以上に少いのとあるから、一概に餅米であれば滋養分が多いと云はれないが、慨して内地米より多いのが通例であるのだ。

  今日の如く米価暴騰して、猶[なほ]急に下落の見込みなく個人経済に大影響を与ふるの時外国米の併用は国民の進んで行わねば成らぬことで、其の嫌悪さるる臭気も去ることが出来る。ボロボロに成ることも防げるのに、一円に二升何合といふ高価を払って内地米のみを食するのは愚である。滋養分も内地米に劣らない、割安な外国米を排斥[はいせき]するのは其の意を得ないと云って好[よ]い。

▼一円に二升何合…大正7年当時の米の価格は、一升80〜50銭あたりで、明治40年代に比べると約2倍ほどに高騰していました。
校註●莱莉垣桜文(2010) こっとんきゃんでい