御飯の炊き方百種(ごはんのたきかたひゃくしゅ)

はしがき
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白米中の混合物

  米価の暴騰も今回の如き甚だしいのは、ほとんど前例のない最高価に達し、一等白米は一円に二升を喰ひ込むに至った。かく天井相場を出してゐるのに利欲の一点張りで、更に公徳心のない奸商[かんしゃう]どもは種々[いろいろ]の悪策を弄[ろう]し、ますます窮民[きうみん]を困[くる]しめ枡[ます]の底に糠[ぬか]を塗るものありとの説を為[な]す位である。其の真偽は暫く措[を]くとしても、市中に小売する白米を取って厳密に検査してみたら、其の白米は一石[こく]中に九斗強より無からう。之[こ]れは強[あなが]ちに暴騰に依て昨今の内地産白米にのみ行はるる例では無い。従来より行はれて居た慣例で、不正な米屋が必ず行ふことである。今日では外国米にも波及した傾きが無いでもない。

▼二升…約3.6l
▼天井相場…高すぎる相場価格。
▼奸商…悪徳商人。
▼窮民…まずしき人々。
▼一石…約180l

  一石の白米が正味九斗より無いとは、一寸[ちょっ]と聞くと受取り難い説で、米屋さんから何様[どんな]苦情を持込まれるか知れない。夫[そ]れを監督官庁で能[よ]黙許[もくきょ]して置くとの疑問も起[おこ]るが、正直真法[まっぽふ]に自分の家[うち]でゴドンゴドンと搗[つ]いて、店売専門に遣[や]って居る家[うち]でも、玄米を精白する際には砂を混交して搗く、多少の糠や小米を掴み込む例は随分ある事だ。また水車とか搗屋[つきや]とか称する精白を営業とする側になると、無論混合物をする、中には夫[そ]れを知らずに売る店もあらう。然[さ]れど商業[しゃうばい]は道によって賢[かしこ]とさへ、諺[ことはざ]にも云ふほどであるから全然知らないとは言抜[いひぬ]もされまい。其様[そんな]ことは別問題として、一石中の九斗は正真の白米で、他の一斗は何であるかと云へば、磨砂[みがきずな]が三升、小米が五升、糠が二升が混合してあるのだ。此のやうな瞞着[ごまか]しを遣ってゐるに関[かかは]らず、不心得[ふこころえ]な商人になると、一時的米の容積を膨大せしめる為に、精白米に苦汁[にがり]その他の液体を注ぎかけて米に湿潤気[しめりけ]を有[も]たせる。其の結果として一石の普通白米も精白後数日を経[ふ]れば、約一升二三合を減じ、一ヶ月も貯蔵すると確[たしか]に三升乃至[ないし]四升は減少する。

▼監督官庁…営業を管理している各省庁。
▼黙許…なんにもせずにだまってる。
▼水車…玄米を受け取って水車小屋でそれを精米する商売。
▼搗屋…玄米を受け取って踏み唐臼などでそれを精米する商売。
▼商業は道によって賢し…商売の事はその商売人が一番よく知っているというたとえ。蛇のみちは蛇。
▼言抜け…言いつくろう。ごまかす。
▼磨砂…米を精白する時に臼などに加えられていた物。
▼小米…砕けた米つぶ。
▼苦汁…海水などから造る汁。

  試みに一掴みの白米を掌中[てのひら]に戴せ、二三度転輾[てんてん]して見よ、手の平には真白[まっしろ]なる粉が一面に付着するであらう。此の真白な粉は何[なん]である、磨砂と糠の混合物であることは、直ぐ合点[がてん]の参るべき筈[はず]であるのだ。一般の我れ我れは此様[こんな]米、一石の内に一斗からは磨砂と糠と小米の交[まじ]った物を、不正な米屋から売付けられて居るのだから、仮に今日の素敵[すてき]もない高価を払って一斗の米を買っても、洗ひあげて見れば磨砂や糠は悉[ことごと]く流れて了[しま]ひ、小米も半分以上は流れ去るので、実際食用になるのは九升二合五勺位しかない、残る七合五勺の磨砂や糠や小米は洗ふ時に空しく下水に流れて消散するのだ。然[さ]れど買ふ時は枡目の計算であるから、磨砂、糠、小米等にも矢張[やはり]高価な米と同一の代価を払はされてゐる。一円に二升五合の白米と仮定したら、一斗の価[あたひ]は四円と成るから三十銭は下水へ流して了[しま]ふのである。今一度これを繰返して細説すると、仮に家族五人で一日約一升四合の米を炊く家庭とすれば、年に五石一斗一升で、其の内三斗八升二合五勺は食用にならない磨砂、糠、小米を買はされるので、之[これ]を前の価[あたひ]に予算すると十七円三十銭は、米商[べいしゃう]の為に狼費[らうひ]させられる事になる。之れを拡大したら其の数[すう]の如何[いか]に巨額なるかに驚かざるを得ない。飯と云ふ事から些[ち]と縁遠い話にはなるが、其の土台となる内地産の白米に関した一寸[ちょっ]と人の気の注[つ]かない事実で、外国で精白した輸入米には此の悪弊が従来は無かったが、近時外来米にも奸商輩中に小米や糠を掴み込むと云ふ噂がある。是等[これら]は何とか取締法を厳重にして、斯[か]ういふ悪弊は芟鋤[さんじょ]して貰ひたいものである。

▼転輾…ころがす。
▼素敵もない…ものすごい。
▼細説…こまかく説く。
▼芟鋤…刈り取る。つまみ去る。
校註●莱莉垣桜文(2010) こっとんきゃんでい