実業の栞(じつぎょうのしおり)玩弄物商

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手遊商

小児相手の手遊屋[おもちゃや]商売は、一見割に合はざるやう見受らるれども、根が一種の贅沢品[ぜいたくひん]とて中々[なかなか][あなど]るべからざる営業なり、今少しく其[その]状態[ありさま]を窺[うかが]へば、

▼「玩弄物」も「手遊」もどちらも読み方は「おもちゃ」
▲問屋と仲買

には二種ありて、一を玩物問屋[おもちゃどんや]、一を雛人形玩物問屋[ひなにんぎゃうおもちゃどんや]といふ、昔は京都、大阪、名古屋等の地より玩物[おもちゃ]の荷受し、問屋より仲買小売へ卸売[おろしうり]する定めにて、此[この]問屋以外には決して上方[かみがた]の荷物を直取引[ぢきとりひき]しがたく、これぞ問屋の株なりける。また仲買は問屋よりすると他の品物は凡[すべ]て小売へ行商し、或[あるひ]は糶売[せりうり]するものあり。斯[かく]の如く昔は問屋と仲買の区別至って厳重なりしが、当時は仲買小売の別なく、金廻[かねまは]りさへよくば直接荷主と取引すれば、問屋仲買は更なり小売に至りても殆[ほと]んど何の区別もなき状態とは成れり。

▼上方…関西。
▼当時…現在。
▲小売商

には市中に店を搆[かま]ふると、浅草仲見世[なかみせ]或ひは各所の勧工場[くわんこうば]へ出店するとあり。其[その]仕入先[しいれさき]も問屋仲買よりすると、直接職工よりするとありて、元より一定し居らず。大店になりては数千円の資本も要[い]れど下等の小店にては僅々[きんきん]四五十円にても何[ど]うやら店に成るものなり。

▼勧工場…大きなたてものの中に通路をはさんでたくさんの小店が営業している商業施設。ショッピングモールの古いかたちのもの。
▼職工…おもちゃ工場や、おもちゃ職人。
▼僅々…わずかっぱかりの。
▲露店商人

とは各所の縁日[えんにち]等に、安物玩具を持行きて出店する者を云ふ。資本金は二三十円もあれば十分にて、晴天さへ続けば縁日の休みは一月の中[うち]一日もなきより、必ず何時[いつ]も出店するものなり。昔は六文屋[ろくもんや]、廿八文屋[にじゅうはちもんや]とて、六文若[もし]くは廿八文の手遊[おもちゃ]のみ販売せしより此[この][しょう]起りしが、今は一品十銭位の玩具も売れり。

▼縁日…神社や寺院にこの日お参りをするとよいと言われてる特定の日。
▼晴天さへ続けば…雨だと営業できません。
▼縁日の休みは…むかしは、子の日だとか午の日だとか二の日だとか八の日だとか、月や旬のなかにもこまかく縁日が行なわれていて、東京市内だけでも毎日どこかしらの神社や寺院が必ず縁日に当たっていました。
▼十銭位…十銭のほかに三銭で売る露店商人もあったようで、長崎抜天の『絵本明治風俗詩』(1971)には「何でも三銭チョイチョイ買いなよ」という売り声でおもちゃを売ってた露店商人の事が記されています。
▲立売商人

これは浅草仲見世の辻にて。板がへしと称する手遊[おもちゃ]の一品売[ひとしなうり]をなす最下級の商人なり是等[これら]資本は僅[わづか]二三円もあれば事足り、仕入[しいれ]は問屋より買[かふ]と、家族にて製作せる者を売[うり]に出[でる]とあり。


▲仲見世の小売店

は煉瓦家屋[れんぐわかをく]借料場所の売買等にて、少なくも千円は入用[いりよう]なれば、これに品物の仕入金を加へて、千五百円以上二千円もなくば彼処[かしこ]への出店思ひも寄らず。されど老舗[しにせ]となれば容易に株を譲る者なく、それも道理、晴天なれば一日の販売高殆[ほと]んど五六十円余に上り、雨天にても猶[なほ]数円の売揚[うりあげ]ありとは驚くべし。

▼借料…賃貸料金。
▲利益金

[ひな]五月人形[ごがつにんぎゃう]羽子板[はごいた]等の際物[きはもの]は、約五割小売の利益あり。問屋は一割内外、仲買も其[その]範囲内にて、相当の利あるは云[いふ]までもなく、小売露店立売商人等を平均して計算すれば、概して二割の利益なるべし。

▼際物…季節商品。
▲売口よき玩具

[そう]じて安直[やすね]の品が捌[は]けよく(教育的の玩具は例外)儲[まうけ]も数が出るより割合よし。何種の手遊[おもちゃ]にても小児相手なれば、目先の変りし新奇なるが売口[うれくち]よく、最も流行するは鉄葉製[ブリキせい]の玩具[おもちゃ]が第一なれど、これとても矢張[やはり]高価なるは売口なしと知るべし。総じて日清戦争後は洋剣[さーべる]鉄砲等の軍事に因[ちな]める物男児向[だんじむき]に宜[よ]く、女児には矢張[やはり]人形がよろし、舶来護謨鞠[ごむまり]、同[どう]人形等は直段[ねだん]の高き為[ため]遠く旧来の人形等に及ばず。因[ちなみ]に玩具の起源を記せば、何[いづ]れも支那朝鮮より渡来せしものなるべく、猶[なほ]現存する古物[こぶつ]には、奈良法隆寺には聖徳太子の御玩具[ごぐわんぐ]と称する物ありて、中々[なかなか]精巧を極[きは]めたり。斯[かく]て此品[このしな]江戸に入初[いりそ]めしは、徳川三代将軍の頃京より来[きた]れるものならんといふ。

丸盆に八幡みやげの弓矢かな 太祇

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▼日清戦争後…明治28年(1895)以後。
▼舶来…外国製の輸入品。
▼護謨鞠…ゴムボール。
▼人形…外国製の人形。
▼徳川三代将軍の頃…徳川幕府の3代将軍、徳川家光のころ。17世紀のなかごろ。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい