小児相手の手遊屋[おもちゃや]商売は、一見割に合はざるやう見受らるれども、根が一種の贅沢品[ぜいたくひん]とて中々[なかなか]侮[あなど]るべからざる営業なり、今少しく其[その]状態[ありさま]を窺[うかが]へば、
には二種ありて、一を玩物問屋[おもちゃどんや]、一を雛人形玩物問屋[ひなにんぎゃうおもちゃどんや]といふ、昔は京都、大阪、名古屋等の地より玩物[おもちゃ]の荷受し、問屋より仲買小売へ卸売[おろしうり]する定めにて、此[この]問屋以外には決して▼上方[かみがた]の荷物を直取引[ぢきとりひき]しがたく、これぞ問屋の株なりける。また仲買は問屋よりすると他の品物は凡[すべ]て小売へ行商し、或[あるひ]は糶売[せりうり]するものあり。斯[かく]の如く昔は問屋と仲買の区別至って厳重なりしが、▼当時は仲買小売の別なく、金廻[かねまは]りさへよくば直接荷主と取引すれば、問屋仲買は更なり小売に至りても殆[ほと]んど何の区別もなき状態とは成れり。
には市中に店を搆[かま]ふると、浅草仲見世[なかみせ]或ひは各所の▼勧工場[くわんこうば]へ出店するとあり。其[その]仕入先[しいれさき]も問屋仲買よりすると、直接▼職工よりするとありて、元より一定し居らず。大店になりては数千円の資本も要[い]れど下等の小店にては▼僅々[きんきん]四五十円にても何[ど]うやら店に成るものなり。
とは各所の▼縁日[えんにち]等に、安物玩具を持行きて出店する者を云ふ。資本金は二三十円もあれば十分にて、▼晴天さへ続けば▼縁日の休みは一月の中[うち]一日もなきより、必ず何時[いつ]も出店するものなり。昔は六文屋[ろくもんや]、廿八文屋[にじゅうはちもんや]とて、六文若[もし]くは廿八文の手遊[おもちゃ]のみ販売せしより此[この]称[しょう]起りしが、今は一品▼十銭位の玩具も売れり。
これは浅草仲見世の辻にて。板がへしと称する手遊[おもちゃ]の一品売[ひとしなうり]をなす最下級の商人なり是等[これら]資本は僅[わづか]二三円もあれば事足り、仕入[しいれ]は問屋より買[かふ]と、家族にて製作せる者を売[うり]に出[でる]とあり。
は煉瓦家屋[れんぐわかをく]の▼借料場所の売買等にて、少なくも千円は入用[いりよう]なれば、これに品物の仕入金を加へて、千五百円以上二千円もなくば彼処[かしこ]への出店思ひも寄らず。されど老舗[しにせ]となれば容易に株を譲る者なく、それも道理、晴天なれば一日の販売高殆[ほと]んど五六十円余に上り、雨天にても猶[なほ]数円の売揚[うりあげ]ありとは驚くべし。
雛[ひな]五月人形[ごがつにんぎゃう]羽子板[はごいた]等の▼際物[きはもの]は、約五割小売の利益あり。問屋は一割内外、仲買も其[その]範囲内にて、相当の利あるは云[いふ]までもなく、小売露店立売商人等を平均して計算すれば、概して二割の利益なるべし。
惣[そう]じて安直[やすね]の品が捌[は]けよく(教育的の玩具は例外)儲[まうけ]も数が出るより割合よし。何種の手遊[おもちゃ]にても小児相手なれば、目先の変りし新奇なるが売口[うれくち]よく、最も流行するは鉄葉製[ブリキせい]の玩具[おもちゃ]が第一なれど、これとても矢張[やはり]高価なるは売口なしと知るべし。総じて▼日清戦争後は洋剣[さーべる]鉄砲等の軍事に因[ちな]める物男児向[だんじむき]に宜[よ]く、女児には矢張[やはり]人形がよろし、▼舶来の▼護謨鞠[ごむまり]、同[どう]▼人形等は直段[ねだん]の高き為[ため]遠く旧来の人形等に及ばず。因[ちなみ]に玩具の起源を記せば、何[いづ]れも支那朝鮮より渡来せしものなるべく、猶[なほ]現存する古物[こぶつ]には、奈良法隆寺には聖徳太子の御玩具[ごぐわんぐ]と称する物ありて、中々[なかなか]精巧を極[きは]めたり。斯[かく]て此品[このしな]江戸に入初[いりそ]めしは、▼徳川三代将軍の頃京より来[きた]れるものならんといふ。
丸盆に八幡みやげの弓矢かな 太祇