実業の栞(じつぎょうのしおり)銃砲火薬商

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銃砲火薬商

[この]商業は全国を通じて免許証を有する者約五百名あれど、実際営業を続け居るは三割位よりなく、東京市中には僅[わづか]に九軒の少数あるのみ。旧家と称するは京橋銀座の大倉組[おほくらぐみ]、日本橋の金丸銃砲店[かなまるじうほうてん]、大阪の粟谷商店[あわやしゃうてん]等なり。

▲資本金

は各店とも非常なる相違あり、大資本となりては数万円、それ以下にては数千円にても営業しつつあれど、銃砲一通りと短銃[ピストル]杖銃[ぢゃうじう]付属品[ふぞくひん]猟具[りゃうぐ]なども取揃ふる事とせば、家屋は別として二万円位は要すべし。

▼猟具…狩猟のときにつかういろんな道具。
▲利益と取引

銃砲にて数十種あり、短銃[ピストル]にも数種ありて、其品[そのしな]により五割位の利ある物もあれど平均約三割の利益と見ば差支[さしつかへ]なかるべく、但[ただ]し外国製と和製とによりて相違あるは勿論[もちろん]なり。取引は現金は皆無にて、少なくも二三ヶ月の延取引[のべとりひき]が普通なれど、中には送荷[さうか]を受けながら、無事に二三ヶ月間に代価を支払ふものなく、甚[はなはだ]しきは狩猟期までも支払ひせざる者あり。されど先方を確実と信ずれば、勘定は残りありとも、註文品は送荷する事となり居れり。

▼送荷を受けながら…荷物を受け取っておきながら。
▲営業の時間

は他の営業と違ひ極[きは]めて短期なり狩猟開始期と定められたる十月初旬より売初[うりはじ]め十二月一杯が関の山なれば、僅か三ヶ月間に出来るだけの利益を見る事なり。されば資本の固定する事[こと]大方[おほかた]ならず、到底小資本にては営業を継続する事困難なり。さて此[この]期間を過ぐれば、修繕を為[な]すとか磨きをするとかいふ事のみに止[とど]まり狩猟期間の尽日[じんじつ]切迫するに従って売口[うれくち]覚束[おぼつか]なく、期間を過[すぐ]れば商業は皆無となり、唯[ただ]夏季には洋杖銃[ステッキじう]の売行[うれゆき]あれども、之[これ]とて極[きは]めて僅少なる売口なりと知るべし。

▼尽日…終了日。
▲営業の縮少主義

[この]営業者は何[いづ]れも年一年と縮少主義を執[と]り、進んで販路を拡張せんとする者は稀[まれ]なり。今[いま]其理由[そのりゆう]を聞くに、去[さる]廿七八年の日清役[にっしんえき]以来、尚武の気[き][やうや]く盛[さかん]になりて、此業[このげふ]もやや盛況を呈し来[きた]りし折柄[をりから]、一大打撃と狩猟法の改正にて、税金の増加は狩猟家に少なからぬ一撃を与へしより、ここに以前に増したる衰運[すいうん]を見るに至り此[この]法律改正の上ならでは迚[とて]も商況の挽回[ばんくわい]覚束[おぼつか]なきより、さてこそ縮少主義を執り居る次第なれ。

▼日清役…日清の役、日清戦争。
▼衰運…おとろえ。
▲残品の処分

は他の品物と異[ことな]り、一度[ひとたび][その]銃砲が顧客[こかく]を失ひたる時も捨売[すてうり]にする訳にはならず、さりとて之[これ]を潰しにすれば漸[やうや]く地金[ぢがね]の料たるに止[とど]まるより、已[や]むなく幾年も倉庫内もしくは飾棚[かざりだな]の一隅などへ揚置[あげお]き、殆[ほと]んど廃物同様の状態に陥[おちい]るものなり。

▼顧客…「こかく」というよみに注意。
▲売口よき品

連発銃より単発の方[ほう]販路よく、外国製なれば七八十円位より百円位までの処[ところ]、和製は村田銃[むらたじう]にて十五六円以上三十円未満の辺[へん]最も嗜好に投じ、短銃は概して六連発にて代価は十円内外の処[ところ]売口よろし。又火薬類は約五割の利益を見る事を得[う]れど、多分に之[これ]を使用する会社などは、直接に政府より払下げ、此[この]商人の手に依る事[こと][まれ]なれば、其余[そのよ]の売高は大抵知れたものにて、利益あれども其[その]割には金高[かねだか]とならぬものなり。

▼金高…おかねの額面が高い。利益率は高いものの、こちらは高くならなかったようです。
▲入梅期の困難

入梅[にふばい]の頃には鉄に錆[さび]を生ずるのみならず、台木[だいき]にも黴[かび]を生ずれば其[その]手入方[ていれかた]中々[なかなか]にて、特に帯皮[おびかわ]の黴は払ひても斑紋[しみ]が残るより、此[この]季節中の困難大方ならず。

▼入梅…梅雨の時期。
▼台木…銃身につけられてる木の部分。
▲工場及び職工

工場といふ工場を有する商店は全国を通じても至って稀[まれ]にて、多くは修繕等に用ふる細工場[さいくば]を持てるくらゐに過ぎず。職工の手間は廿七八年の頃には一日一円余となりしもの少なからざりしが、年々商売の悲況[ひきゃう]を呈し来[きた]りしより今は大抵の店にて体操用もしくは空気銃等を造るに過ぎねば、敏腕なる職工の必要なく、従って其[その]賃金も僅[わづか]に五十銭位を得[う]るに止[とど]まれり。さけば技量ある職工は何[いづ]れも伝手[つて]を求めて砲兵工廠[ほうへいこうしゃう]等の政府の仕事を為[な]すに至れり。

耳もとに鉄砲なるや雪の山 大梅

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▼廿七八年の頃…明治27〜28年。日清戦争のころ。
▼悲況…悲惨な状況。商売が先細ってあがったりでござんすよ。
▼伝手…てびき、紹介。コネクション。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい