実業の栞(じつぎょうのしおり)飴細工

凡例
目次

もどる

飴細工

新粉細工[しんこざいく]文字焼[もんじやき]と並ぶべき飴細工[あめざいく]の行商は大約百四五十人あり、何[いづ]れも小児相手に市中を流し売[うり]する商人にて、昔は其[その]細工も極めて単純なる瓢箪[へうたん][にはとり]等の形状を造るに過ぎざりしが、明治以後精巧なる美術的細工を為[な]すに至りぬ。

▲資本と稽古

五呂荷[ごろに](天秤にて担ぐ荷)なれば桐製にて七八円、古物[ふるもの]にて二三円も出せば充分なりてんこ荷(肩荷)なれば蜜柑箱[みかんばこ]を土台にして造り得る事とて、五十銭内外にて一廉[ひとかど]の荷は出来る勘定なれど、叩き鐘[がね]飴を入るる鍋等の小物は別なりと知るべし、されど最初より荷拵[にごしらへ]して売[うり]に出[いづ]るは至って、稀[まれ]にて多くは親分より肩荷を借受[かりうく]るが常なり。さて行商に出[いづ]るには[かね]親分に就[つ]き、瓢箪[へうたん][すずめ]木槌[こづち]土瓶[どびん]等一通りの細工法より吹方[ふきかた]等を会得し、どうやら小児の注文物が出来るやうならざれば独歩[ひとりあるき]はむづかし。

▼てんこ荷…片肩に背負う荷の持ち方。
▼予て…あらかじめ。
▼独歩…いっぽんだち。
▲仕入と利益

原料は適宜近所の飴問屋より購入する事にて、得意先ある商人は五十銭も仕入して売[うり]に出[いづ]れば、売口よき時にて一円五十銭位中等にて一円廿銭位となり、七八十銭位売る者は下等の部にて、仕入も悉皆[しっかい]にて廿五六銭位と知るべし、顧客[とくい]の重[おも]なるは勿論[もちろん]小児にして利益は元より行商なれば手間等を加へて仕入の二三倍となるは珍からず、平均倍額の利はかかさぬものなり。

▼悉皆…もろもろすべて。
▲書入れの月

は一月、三月、十二月、の三ヶ月間と、祭礼の当日等なれど、暑気に向へば炎熱の為[ため]細工物も溶解[とけだ]し、折角の細工物も忽[たちま]ち形状を失ふ恐れありて、売口も氷水安物のアイスクリン等に押されて捌[さば]けず、依[よっ]て夏季は細工物はせず、皆[みな]吹物[ふきもの]を以[もっ]て売物とすれば、暑中は概して不況なる時と知るべし。

▼氷水…かき氷。
▼吹物…吹いてふくらませた飴。棒付細工。
▲飴細工の種類

蛤貝[はまぐりがひ]の中に種々の動物等を細工するを貝細工と云ひ、[よし]の先に瓢箪[へうたん]等を吹くを棒付細工と云ひ、恵比寿[えびす]、大黒[だいこく]等の面[めん]或は花鳥、人物等を板に付けて細工するを板付細工と云ふ。売口好き飴細工は在来の瓢箪、雀、狐、土瓶、鶏等にして、蜜を入れたる土瓶は十四五才の少年の嗜好に投じ、半玉[はんぎょく]及び半玉上[はんぎょくあが]りの芸妓[げいぎ]等も此[この]蜜入土瓶[みついりどびん]を嗜[たしな]むとは少々色消[いろけし]の沙汰なるべし。

▼葭…よしの茎の部分。ストローのように中が空洞になってます。
▼芸妓…芸者。
▼色消…いろっぽくない。
▲一流の名人

例に依[よっ]て其の名人を紹介すれば、浅草区千束町一丁目百三十六番地の住人武田政吉[たけだまさきち](四十九年)こそ其人[そのひと]にして、号を小松斎[こまつさい]と云ひ政流美術飴細工[まさりうびじゆつあめざいく]と称す。同人は十二才の頃より此[この]細工に従事し、根が美術思想ある男なれば、傍[かたは]ら檜材[ひのきざい]唐木[からき]等に洋犬[あるひ]は人物の彫刻をなし、又土を以て蛙[かへる]、狆[ちん]等をも造り、絵画もどうやら認[したた]め得る手腕[うで]あり細工の最も得意とせるものは、一つ家の婆[ひとつやのばば]鍾馗[しゃうき]、俳優の似顔、軍人の半身及全身像、西洋婦人、菓物[くだもの]等にて、去[さる]十九年中飴細工改良熱心の余[あまり]、開流元祖写真流と称し、顧客に写真を持来[もちきた]らしめ、即席それを摸写せしには吃驚[きつきゃう]せぬ人なかりきとぞ。其後作品を某殿下の御覧に供せし事もありて、彼[か]銀婚式の際、神田区鍛冶町の干菓子舗矢島某より、其筋へ献上せし干菓子伊弉諾冊尊[いざなみのみこと]の御顔[おんかほ]は、摸型を政吉が謹製したるものにて、同人は之[これ]を終生の栄誉となし居れり。

飴細工引伸[ひきのば]したる春日かな 疎山

つぎへ

▼洋犬…西洋種の犬。
▼一つ家の婆…浅草の浅茅ヶ原に伝わるもの。旅人を泊めては石のまくらで頭を砕き金品を奪ってた鬼婆。
▼鍾馗…唐の玄宗を悩ませてた虚耗という鬼を退治した霊神。魔よけとして端午の節句の飾り物によく描かれていました。
▼銀婚式…明治天皇の銀婚式。明治27年(1894)3月9日に祝典がひらかれた。
▼伊弉諾冊尊…日本の国土(日本列島)を生んだかみさま。
校註●莱莉垣桜文(2013) こっとんきゃんでい