幾ら文化が進み、人間の頭が科学的になっても、「妖霊」とか「怪奇」とか云ふ言葉は、不思議と私共を誘惑する力がある。
世に、「怖いものみたさ」という諺があるが、これは人間心理の重大の一方面、即ち、「恐怖心理」の方面をよく言現した言葉で、私共の本能の組織が変らない限り、この諺は誠に真理である。
そもそもこの「妖怪」と云ふものは、私共の本能である「恐怖心理」の自然的現れであって、その▼始原は、遠く▼蒙昧時代の恐怖的迷信から出発したものである。
だから、たとへばどんな科学的、知識的な時代が来ても、私共がこの恐怖心理を本能とする限り「妖怪」といふものはこの人間の世の中からは消え去らないのである。
何となれば、この妖怪と云ふ怪し気なものは、その実、私共の心の影だからである。
ただ、時と、人と、その生活的条件とに依って、其内容と、形を異にするだけである。
以上は、妖怪の出発点を心理的に観たのであるが、これを歴史的に見れば、妖怪性の本質といふものは、ある時代の民衆の、潜在意識の変態的現れなのである。
従って、民衆の恐怖心理の現れの変化、即ち妖怪の変化の跟[あと]をたづねて見る事は、民衆生活の心理的側面史を繙いて見るやうなもので、なかなか興味が深い。
それと共に、民衆の潜在意識史の腸の底へ首を突込んで見るやうなもので、一段と必要な事である。
言ふまでもなく、妖怪とは何であるか、と云ふ事を研究しただけでも、立派に一つの題目となる。
だが、最早、私共に取って、「妖怪」は摩訶不思議な神秘ではない。一つの変態的な心理現象に過ぎないのだ。
しかし、科学的にはさうであっても、これが絵画とか文学とか云ふ芸術に現はされると、一種の凄愴美、妖怪美といふやうな芸術美となるから、その怪奇的な幻想に、矢鱈科学的メスを振ふと、折角の恐怖の芸術化が、あへなく幻滅させられて了ふおそれがある。それこそ、浮ばれない次第だ。
けれ共、研究といふ事は、既に科学的な為事だ。私共は、この研究の上に、この分析の上に、新らしいより以上のものを生んで行かなければならない。幻滅は、創造への、新らしい一歩だ。ここに未来の予覚と、綜合とがある。いかに、美しくとも、いかに善くとも過去の芸術は矢張り過去だけのものである。私共は、現在と未来に生きる。過去のものは、私共の足場だ。この意味に於て、足場の研究即ち、凡てのものの歴史的研究は義務と価値がある。
私は、かうした立場で、過去の「妖怪」を見る。過去の民衆の変態的な潜在意識を見る。以上は、私の、文学に現れた妖怪研究の覚悟だ。
日本の文学は、そのそもそもから、支那の影響をうけてゐる。
平安朝時代は、丁度▼仏教の伝来した時代なので、その頃の文学は、大分▼仏教臭い。この時代のものでやや妖怪味のあるのは、▼『浜松中納言物語』であるが、ほとんど仏教思想的なものである。
鎌倉時代は、武道政治の時代だけに、変態的なものは大分多いが、――彼の▼『とりかへばや物語』なぞは顕著なものだ――妖怪的なものは、二三種しかない。矢張り、仏教的、訓戒的な『地獄草紙』、そして、夢幻的な▼『松浦物語』これである。
次は、室町時代であるが、この時代は、歴史上所謂暗黒時代と云はれるだけに、いろいろな妖怪変化が現れる。
夢幻的ではあるが、未だ妖怪的とまでは行かないものに、▼『転寝物語』があり、いくらか怪奇味のあるものに、『桜の中将物語』『秋月物語』『橘姫物語』がある、で、折紙つきの妖怪物に『土蜘蛛草紙』『酒顛童子』▼『大しょくわん』がある。しかし、これらの作物は、伝説から材を取った、余りに無稽な物語である。
又、はじめから、人の恐怖的な好奇心に訴へる積りで作為された絵物語に、『化物草紙』『狐の草紙』『付喪神絵詞』『小幡狐』▼『玉もの前』等がある。これらは、今見ると、その幼稚さが寧ろ愛嬌である。
この室町時代は、彼の外来の仏教思想が大分日本化されて来た時代なので、その為めに▼本地垂跡を主題とした文物が盛んに現れて来てゐる。その中には可成り霊怪的なものがある。たとへば『御曹司島渡り』『毘沙門の本地』『一寸法師』等それである。
その他、奇談的な作に『鏡破物語』がある。この美の表徴化の▼テマは、その後いろいろな物語の中に織込まれてゐる。この研究の中には、独創性のものが(勿論妖怪の)少ないといふ意味で謡曲は入れなかったが、若し入れれば、この『鏡破物語』は、謡曲の『松山鏡』の原本ではあるまいかと、議論のあるところである。但し落語の方では、疾うに悪用してゐる。
近世、即ち江戸時代にうつると、この妖怪を主題とした作物は、物語に、小説に、▼じゃうるりに、狂言本に台帳に豊富にある。
私は、この時代では、最も芸術的な上田秋成の妖怪性と、彼のデカダン的変態心理的な妖怪作家鶴屋南北とについて論じたいので、他の作家たちのは、出来るだけ簡単に書いておく。
近松門左衛門の八十八種の著述のうちには、可成りに妖怪的なものが出て来るのがあるが、どうも前の草紙の影響や、支那的怪異譚の影響に立つものが多い。
たとへば、▼『[木+色]狩剱本地』の中へ現れる鬼神なぞは、百物語的で、荒唐無稽である。しかし、人情作家近松門左衛門は、どこまでも自分の本質を忘れず、『天神記』の十六夜の幽霊や、『傾城反魂香』のお宮の霊なぞは、どこまでも人情的で、妖艶だ。
▼馬琴の「怪談物」は、いかにも彼らしく、支那的で、且つ怪奇荘奔だ。▼一九も『怪談筆始』▼『怪物余論』等十二三種あるが、そのどこ迄も飄逸な事に於て、自分の本質を忘れない。
で又、江戸のプロレタリア作家馬場文耕には、▼『大和怪談大百日物語』が、山東京伝にも、『化物和本草』『近世捜奇録』等がある。
而して又、其他、桜田治助も、柳亭種彦も、烏亭焉馬も、芝全交も、各々二三種づつの妖怪的なものを書いてゐる。井原西鶴も妖怪ものを書いてゐるが、さう大したものではない。
然し、以上の作家達の妖怪ものは、その本質的な為事の余技であるから、単に亜流的で独創性がない。
江戸時代の、怪奇物語の研究家達は、当代の怪奇物語、小説等の系統を二つに分けて、御伽物語系のものと、百物語系のものとにしてゐる。
前者は、▼前代の御伽物語の流れを扱ったもので、形式は多く草紙のかたちに依り、内容は夢幻的な妖怪を主とするものである。
これらの作物の主なるものには、浅井了意の『新御伽婢子』『狗張子』、▼林文会堂の『玉櫛笥』『玉箒木』及▼柳糸堂の『拾遺伽婢子』及江戸作家の鬼才▼都の錦の『御前御伽婢子』等がある。
これらの作品のうちで、一番独創性に富んだものは、文会堂主人の『玉箒木』で、この作の中には、民衆の潜在意識が表現されてゐる。そして又、この作品の中へ現れて来る妖怪は(但し全部ではない)めづらしく、現実生活へ足を踏みつけてゐる。寧ろ、この妖怪は、現実生活の幻想的な夢なのだ。このところに、文会堂の特質と、独創性とがある。
後者即ち百物語系統のものは、時の▼奇談怪説を集めたもので、形式は多く奇談ばなしの口調で行き、其内容は宗教的因果物語、支那的奇談、擬人的幽霊、その他雑多の奇怪物語である。
▼細分すれば、この中には、所謂「百物語」と、「怪談諸国物語」とがある。しかし「怪談諸国物語」の方は、内容形式共に、前の御伽婢子へ▼帰服したものであるから、▼純然たる「百物語」とは云[いは]ない…………。
今日「百物語」と云へば、▼怪談百物語のことになってゐるが、「百物語」といふものが、初めて出た頃には、怪談は入ってゐなかったのである。単に、▼いろいろな物語を集めたものに過ぎなかったのだ。
いつの頃から、この単なる百物語に、妖怪談が入り、又、その妖怪談が主となったかと云ふ事は未だよく分らないが、万治寛文の頃からではなかったかと思ふ。
この「百物語」には、一つの法式がある。
その定式の事は、『御伽婢子』の巻末に書いてあるが、簡単に云へば、月暗き夜、数人の者が一堂に会し、なりたけ、凄寂な行灯を点じて、各自妖怪物語をするのである。
所謂「百物語」の主なるものには、▼山岡元隣の▼『近古百物語評判』▼北条団水の『本朝智恵鑑』『怪談諸国物語』及▼錦文流の『本朝諸士百家記』▼俳林子の▼『諸国新百物語』▼青木鷺水の『御伽百物語』『近代因果物語』菅生堂主人の『太平百物語』▼近路行者の『古今奇談英草紙』(これは御伽婢子系のものなるが如し)等がある。
これらの「百物語」のうち、最も凄愴で、しかも、豊かな情趣のある怪奇小説は、青木鷺水の『御伽百物語』である。
鷺水の怪奇小説には、どこかに独創的な新味と、不思議な戦慄の創造とがある。
けれ共、そこに文会堂のやうな現実味、あるひは、民衆の潜在意識といったやうなもののないのは、なんとなく物足りない。平板と云はれる所以は、ここにある。
菅生堂主人の『太平百物語』は、別に新味も、特異性もあるものではないが、数多くの怨霊物語が出て来るといふのが一つの特長である。
近路行者の『古今奇談英草紙』は、後の読本の先駆をなし、又、秋成の『雨月物語』に幾多の影響を与へたもので、御伽婢子以後の完成された怪奇小説集である。
この作品の第一の特長は、多く史上の事件より材料を取ったといふ事と、それらの史的な事件に、彼一流の鋭い批判を働かしたといふ事とである。そして、第二の特長は、取材の事件に現実味が厚濃で、従って、時の民衆の意識生活、感情生活が深刻に現はされてゐるといふ事である。
これらの特長は、彼が科学的素養があった(博物学の)と云ふところから来るところのもので、近路行者の研究家は、余程注意しなければならない所のものである。
それから、第三の特長は、その文章の構成で、漢文脈へ国文脈を取り入れて、一種特別な文章を割り出したといふ事である。
この点が、後の読本へ及ぼした影響は、一通りならず大きい。いづれにしても、近路行者は、当代の怪奇小説にいろいろな意味で一紀元を劃したものといはなければならない。
以上で大体「御伽物語」系の妖怪小説と、「百物語」系の怪奇小説との概説を終ったが、この時代の妖怪小説の特質を一言以て言へば、単なる超自然的怪奇物語が多く、頗る現実味が少ないと云ふ事である。これを社会心理又は民衆の精神生活の方面より観れば、余りに民衆の潜在意識が表現されてゐないと云ふ事になる。
そして又、この時代の妖怪小説の一つの特長は、(寧ろ変則と云はうか)他の▼浮世小説類と同じく、時の常識的道徳の影響を受けて、宗教的、訓戒的、武士道的、保意的であると言ふ事である。けだし時勢として已むを得ざる事であらう。
次に上田秋成を論じたいのであるが、その前に、▼林屋正蔵について一言したい。正蔵は、所謂「▼化政期」の有名な落語家で、二世鹿野武左衛門を名乗り、非常に怪談に妙を得てゐた。その著に▼『怪談桂の川浪』▼『怪談春告鳥』其他がある。然し、彼の特質は、只その怪談的説話術の妙味にあって、その説くところ、著す所は、従前の御伽物語的、百物語的を一歩も出なかったのである。
従って、妖怪講談師としては一家を成して居たかも知れないが、妖怪小説家としては、別に取立てて言ふ程の事はないのである。