▼江戸の怪奇小説に於ける、上田秋成の地位は、あだかも荒野の中へ咲き出でた、香ゆかしき一もとの桔梗である。
若し、▼大南北が、江戸末期の頽廃的花園に咲く、怪しい鬼あざみならば、上田秋成の『雨月物語』は、秋野の薄明の庭の妖艶な白桔梗でなければならない。
秋成の『雨月物語』は、▼近路行者の『英草紙』以後の怪奇小説界に於て最も芸術的なる、最も個性的なる、情調と特異性を持ってゐる。
『雨月物語』の中には、今までのどの怪奇小説にも見られなかったやうな、鮮明な色彩と、妖艶な芳香と、しかも私共の魂へせまる凄愴味とがある。
私が、薄明の庭の白桔梗にたとへ、其芸術味を賞した所以である。
上田秋成の一生は、その出生の頭初から、不幸で、多病で、淋しかった。大阪曽根崎の遊女の子に生れ「無父不知其故、四歳母、亦捨有倖上田氏所養、六歳養母逝、性多病、時々発馬癇、後母依恋愛成長」といふやうな薄幸な中に育って来た彼の生活が、誰にも増して悲痛でなかった筈がない。
彼のめちゃくちゃな遊蕩も、彼の懐疑的な性癖(この点は『当世妾気質』によく現れてゐる)も、又、彼の晩年の皮肉なすね者的生活も、皆な彼の経歴と、不幸な生涯との生んだ悲劇である。
彼の一生は、餓鬼のやうに淋しかった。その淋しさが、彼の芸術を深刻に燻し上げ、(たとへば『春雨物語』の如く)又その現実生活の中から『雨月物語』の如き夢幻的妖怪を生み出したのである。
『雨月物語』は、作者の薄暗い悲痛な生活が紙背に浸透してゐるだけあって、夢幻的なうちにも、何処か現実味が滲んでゐる。
ここが、同じ現実へ足をつけてゐる妖怪でも、謡曲の「▼修羅物」なぞと、大に異るところである。
『雨月物語』は、非常に独創性のある小説であるけれ共、その材料は皆な他の物語から貰ってゐるのだ。たとへば、「浅茅が宿」が、御伽婢子の「遊女宮木野」から、「蛇性の淫」が、御伽婢子の「ゆめのちぎり」その他から等の如く。
しかし、秋成は、それらの材料を、彼一流の▼芸術炉の中で、秋成式の空霊化し、又、彼独自の夢幻美、幽玄美、凄愴美を創り上げてゐる。ここに秋成の優れた芸術的才能がある。『雨月物語』中で、最も凄愴極りないものは、「吉備津の釜」であり、幽玄美のよく現れてゐるものは「青頭巾」であり、最も夢幻的なるものは「浅茅が宿」であるがどの小説にも、きっとついて廻ってゐるのは、作者の主観である人生観の暗さである。その暗さから、彼一流の凄愴幽暗な夜が生れ、「白峰」の超自然的な偉力が生れるのだ。
「浅茅が宿」のあばら家のやうに暗かった。秋成の表現した夜が、凄玄で、妖寂だったのは、けだし当然とは云はなければならない。
兎に角、秋成の『雨月物語』は、幽眛の美化といふ事に於て、又、夢幻美の現実化といふ事に於て、『英草紙』以後の芸術的妖怪小説だと云はなければならない。
そして又、『雨月物語』の特別な価値は、その小説の中に、時の不幸な民衆としての秋成の意識が、時には憂暢となり、時には霊性となって、独創的に表現されてゐるといふ事である。
今度は、江戸末期の妖星▼鶴屋南北の妖怪性について考察するのであるが、あの廃頽しつくし、糜爛しつくした▼時代に、大南北の如き幻術的▼デカダン的作家の現れたと云ふ事は、その背景である時代といふ方面から見ても、又、民衆の意識生活と云ふ方面から見ても、可成りに深い意義のある事である。
そもそも、江戸末期の民衆の知情意の生活は、その世紀末的思潮と共に▼頽爛し、歪み、益々、病的になってゐた。しかも、永い間泰平の夢の底で、享楽から享楽を追って、精神的にも肉体的にも疲れ果ててゐた民衆は、そのデカダン的な神経で、出来るだけ異常なもの、出来るだけ強烈な刺戟を求めて止まなかった。
で、彼ら民衆の、病的な神経が、唇を爛らして求めたのは何であったか…………即ち、センセーショナルな驚異の世界、惨虐的な刺戟、意表な幻術、変態心理的な恐怖等々であった。
就中[なかんづく]、妖怪的な驚異と、惨虐的な刺戟とは、喉を渇らして求めたところのものである。
このアブノーマルな民衆の意欲を「天竺徳兵衛」の幻術ならぬ、本来の敏感な頭脳で▼鋭察し民衆の潜在意識の表現として出現したのが、わが大南北の妖怪である、芸術である。
鶴屋南北は、紺屋の職人の伜[せがれ]に生れ、当時の▼戯曲家の通弊の如く無学であった。しかし彼には、現実を直感する鋭い感覚と、豊かな空想と、才気とがあった。
大南北は、世間的には所謂無学であったが、その鋭敏な▼直覚力で、本当の民衆の現実生活を味[あじは]った。
そこのところから、彼の深刻な戦慄の芸術は出発し、不思議な妖怪性は生れるのだ。
彼は、その自由奔放な空想と、神粛な潜在意識とを持って、「初寅曽我」「戻橋」「鏡山」「玉藻前」「小町桜」「累」「白木屋」「五十三次」「▼四谷怪談」等の妖怪や幽霊を書いてゐるが、最もよく彼の特長を発揮してゐるのは、「四谷怪談」の「お岩の亡霊」「累」の亡霊「鏡山」の▼岩藤の骨[こつ]寄せ等である。
中でも、「四谷怪談」は、彼の戯曲的才能の極致を示してゐると共に、彼一流の(つまり江戸末期の民衆の惨虐的デカダン性の)妖怪性の最高調である。
江戸末期の頽廃のどん底にゐた民衆が、自分達の▼うつぼつとした潜在意識の発展である「四谷怪談」を見て、その異常な刺戟や、変態的な恐怖に、自分自らがお岩の亡霊になったやうな驚異と、アブノーマルなときめきと感じた事は、実に想像に余りある。
この意味で、彼の惨虐的デカダン的妖怪は、民衆の生活意識の権化[ごんげ]であり、民衆の潜在意識の妖怪的表現なのである。
そこに、デカダン美があり、幻妖美があり戦慄美がある事は、完[まった]く当然である。
それから又、大南北は好んで、幻術的なものを書いた。その代表的作品は、『天竺徳兵衛韓噺』である。これも社会心理的に観れば、永い間種々な形で圧迫されてゐた民衆の意欲が、一つの架空的な驚異となって発展したものと見らる可[べ]きもので、悲痛な現実生活の、空想世界、幻想世界への遊離であると云ふ事が出来る。
この点で、大南北の幻術的作品は、センセーショナルな驚奇な芸術品であるといふ以上に、特別な社会的意義を加へられるのである。
彼の数多くの独創的な奇怪な作品が、その奇怪以上に、現実味に富んでゐたといふ事は、前述のやうな理由でけだし当然であらう。
江戸時代の終焉前後から、明治の初期へ掛けては、他の文芸的作品に見る可[べ]きものがなかったと同じやうに、妖怪小説怪奇小説等にも、何ら見る可[べ]き作に接しない。
それは、江戸作家の▼エピゴーネンのうちに、二三「百物語」的小説を書いたものがないでもないが、別に取立てて問題とするには足らないものばかりだ。
尤[もっと]も、この▼初期の終り頃に、時の大衆文学の偉才三遊亭圓朝が、『怪談牡丹灯篭』をあらはしたが、説話や▼テマの巧妙さは兎[と]に角[かく]としても、妖怪小説としては、既に類型のあるもので、大して出色の作とは云へなかった。
ただ、その幽霊に、東洋的人情味がある事の眼につくだけだ。
これは、明治十年前後、即ち渾沌[こんとん]期のことであるが、その後、日本の文界は、胎生期(啓蒙期▼れいめい期)に入るに及んで、▼長足の進歩をした。界
この時期は、表面には、科学的西欧文化の影響をうけた時期であるが、(翻訳文学の流行、人生派の出発等)内面的には、新らしい日本文学の出生期である。
かう云ふ時代は、時代そのものが、一個の妖怪性である。何をか文学に、妖怪の出現を要せんやである?
そして又、科学思想が滲透し、所謂自然主義の文学が現れるに及んでは、益々文学的新生の意義を明かにし、古い形の妖怪は、その分析的解剖的歯車のもとで死んで了[しま]った。
自然主義以後の文学に、非科学的な妖怪小説の現れないのは、頗[すこぶ]る当り前である。
尤[もっと]も、其間に、夏目漱石に『琴の空音』とか、秋田雨雀の『雪女』とか島崎藤村の『破戒』とかいふ伝説的怪気の現れるものもあるが、怪奇小説としては論ずる程のものではない。
只、いろいろな方面から研究に価[あたひ]するのは、谷崎潤一郎の妖術ものであるが、(たとへばハッサンカンの妖術その他)ここでは「此の妖術ものは、近代的アブノーマル心理の芸術的象徴化である」と一言云って置いて、くわしい研究は、「文学に現れたる妖術の研究」の中で説く事とする。
最後に、私は、彼[か]のヘルン、小泉八雲の怪談と硯友社の怪星泉鏡花の妖怪小説とを論じて、この小論文を終る。
詩人小泉八雲(ラフカヂオ、ヘルン)は、亡霊もの、妖怪もの等、数種の妖怪小説を書いてゐるが、(寧ろ物語と云った方が妥当であらう)その妖怪や亡霊は、皆な「御伽婢子」や「百物語」から取ったもので、独創的なものは一つもない。
一々出典を挙げてはゐられないが、「お貞の話」「ろくろ首」「むじな」「弁天の同情」「生霊」「耳なし芳一」「青柳の話」「因果話」「鐘と鏡」等皆然りである。
つまり、八雲は、従来の日本の妖怪談を彼一流の豊かな詩才に依って、より妖美に、より愴麗に芸術化したのである。
その点は、たとへば「青柳の話」と、その原本である『玉すだれ』と、あるひは「屏風の女」と『御伽百物語』と引きくらべて見れば、よく合点の行く事である。
けれ共、八雲の妖怪小説は、その材料を那辺に求めたにしろ、まるで彼自身の創意創作の如く独創的で、真に迫ってゐる。
実に、八雲の妖怪小説は、一篇の凄愴な詩である。しかも、その中に、東洋の人情味のあふれてゐる事は、異人種の作物として、寧ろ驚嘆に価する。
だが、それは参考品としての事であって、妖怪性の本質の方から観れば、出典が古いだけに、決して新らしい意義を持つものではないのである。
こんなところで、此麼事を言ふのもいささか変であるが、今後の小説界に、必ず科学的妖怪性を持った作品が現れなければならないと信じてゐる私は、又、それを創作しようとしてゐる私は、かうした本質の点で、八雲も次に説く鏡花も頗[すこぶ]るあき足らないのである。
その不服を▼単的に云へば、彼らの妖怪小説の中には、時の民衆の潜在意識的生活が含まれてゐないといふ事になる。
つまり、社会性がないのである。
或は、妖怪小説に、社会性も可笑[おか]しいではないか、なぞといふ無勘弁な人があるかも知れないが、それは実に妖怪の本質を理解しない言葉で、この妖怪くらゐ時の民衆の生活と密接な関係を持ってゐるものはないのである。
この事については、大南北の条[くだ]りで、出来るだけ暗示して置いたつもりである。
泉鏡花の妖怪小説は、妖怪小説といふよりも、怪奇小説といふよりも、寧ろ幻妖小説と云った方が当ってゐる。
氏は今度、『鏡花全集』を▼上梓したが、その目録の中を見ても、第一巻から第十五巻までのうちに、素晴らしい数の幻妖小説がある。氏が、明治から大正へかけての、唯一の妖怪作家と云はれる所以[ゆえん]である。
鏡花は、今日までに、略[ほぼ]百七十篇の幻妖小説を書いてゐるが、氏の幻には既に一つの定型定調がある。
その特質を挙げれば、(一)北国情調(二)神秘的(三)趣味的(四)象徴的(五)美の幻妖化(六)夢幻的(七)超自然的等である。
鏡花の幻妖小説は、氏がすぐれた芸術家だけに、妖艶であり、幽凄であり、神秘ではあるが、その妖怪を生み出す根本生命が本当の現実生活についてゐないので、(余りに通人的であり、趣味的であるが為めに)ただ雰囲気だけがつくられて、その本来の凄愴味が私共の魂に迫って来ない。
それは成程、鏡花の幻妖は、確かに独創性のあるものにちがひないが、その夢幻性にも(雨月物語の如く)象徴性にも、(御伽婢子系のもの)超自然性にも、(多くの百物語系のもの)そして又、氏の好んで用ふる鳥獣草木の妖怪化にも(▼天斎の『御伽厚化粧』その他の如く)既に先駆があるので、内容的には決して新らしいものとは云へない。
鏡花の幻妖小説の採る可[べ]きところは、その特異な芸術的表現にある。
そこを置いては、何ものもない。
といふのは、鏡花の幻妖小説の中には、明治でなければ生めない妖怪性、大正でなければ現れない妖怪性、といったやうなものは、どこにもないからだ。
それは、この作者の妖怪を創造するこころが、余りに趣味的情調的で、自分の踏んでゐる現実生活の中から(私の言葉で云ふと民衆の潜在意識の表現としての)妖怪をつらまして来ないからだ。
鏡花の幻妖小説が、あれ程に芸術的でありながら、私共のこころに▼真迫して来ない理由はここにある。
しかし、その科学的▼せんさくを止めたら、鏡花の幻妖小説は、正に怪しき香気の不思議な花である。