柳亭叢書(りゅうていそうしょ)覚ての夢(さめてのゆめ) 第一回〜第五回│第六回〜第十回第十一回〜第十五回

第一輯

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○覚ての夢 第一回

春雨[はるさめ]の軒[のき]うつ音[おと]を花の為に憂[うれ]ふる閑居[かんきょ]の徒然[つれづれ]林羅山[はやしらざん]先生丙辰紀行[けみ]しゐたる折から棋友[きいう][なにがし]の此[この]ごろ三河路[みかはぢ]に遊びて帰りしが訪[とひ]来て彼地[かのち]の事ども何くれとなく語れる中に最[いと]面白き因果応報の奇談あり此[これ]は丙辰紀行にも川流無昼夜[せんりうむちうや]人物有西東[じんぶつさいたうあり]と豊橋を過[すぐ]る詩意に似て[ゆく]水の流[ながれ]は絶[たへ]ざれど人には出離生死ありて迷悟[めいご]の間に浮沈[ふちん]する世は一睡の夢にして小堀遠州[こぼりゑんしう]が三河名所の歌にも覚[さめ]て夢と詠[よみ]たれば其侭[そのまま]この書の表題に仮用[かよう][ここ]に説話[ときいだ]す一奇事は愛知県下[あいちけんか]三河国加茂郡赤原村といへる地は豊川稲荷[とよかはいなり]の神社より秋葉[あきば]へ出[いづ]るの順路にして戸数は二百有余に及ぶ其[その]村内[むらうち]に相応の田畑[でんばた]を領[もて]る百姓にて又助といふ夫[をとこ]あり放蕩乱惰[はうたうらんだ]の性なれば両親の病死してより色に溺れ酒に耽り賭博[かけごと]をさへ好みしかば慶応の元年の春の初め産を破って旦昏[あけくれ][けぶり]も細き土竈[つちかまど]並木[なみき]の堤[どて]に築[きづき]かけ葭簀[よしづ]に囲う休憩所[みづぢゃや]にて些[ちと]飴菓子なんどを商ひ妻のお作[さく]が情悍[かひがひ]しく行路[みちゆく]人に茶を進め[かす]けく其日[そのひ]を送るのみ此[この]とき長女お浜[はま]は十一才次男徳次郎[とくじらう]は十才末男[ばつなん]孫平は当才[たうざい]にて親子五人が口を糊[こ]するに足[たら]ぬがちなる痩世帯[やせぜたい]の然[さ]なきだに又助は亡父母[ぼうふぼ]の為に年忌を営み追福なんどを執行[とりおこな]善根とては露ほどもなき暴人[ぼうじん]なれば妻のお作は是に心を苦しめて屡々[しばしば][いさ]め勧むれど馬耳東風[ばにとうふう]に聞[きき]なして採用[とりもち]ふべくもあらざりけり

▼林羅山…(1583-1657)朱子学者。徳川幕府の頭脳係で武家諸法度など様々な御触れの草案をまとめました。
▼丙辰紀行…林羅山による紀行文。東海道の景色などを記し、それぞれ漢詩を付したもの。
▼閲しゐたる…読んでいた。
▼棋友…碁や将棋をたのしむ友だち。
▼三河路…三河の国。
▼川流無昼夜人物有西東…林羅山『丙辰紀行』(1616)の「吉田」にある漢詩「行行何日窮 相送数州風 馬過暁霜上 竜横道路中 川流無昼夜 人物有西東 一枕還郷夢 家書久不通」の一句を引いたもの。
▼行水の流は絶ざれど…ひとには必ず様々な出来事がふりかかるものという意味。
▼小堀遠州…(1579-1647)小堀遠江守政一。茶人として高名なお大名。
▼仮用し…はいしゃくして。
▼豊川稲荷…豊川にあるお稲荷さま。
▼秋葉…浜松にある秋葉山の事。火伏せの神様としての信仰がおアツイ。
▼放蕩乱惰の性…だらしない生活が好きダヨ。
▼慶応の元年…1865年。
▼産を破って…身代限りを出す。はやいはなしが破産。
▼烟も細き…「ほそいけむり」は苦しい生活をあらわすもの。ここでは茶店の煙とかけことば。
▼並木…並木道。
▼葭簀…よしの茎を編んでつくったすだれ。
▼幽けく…うっすらと。かろうじて。
▼当才…零歳。数えで一歳。
▼口を糊する…ごはんを食べる。
▼年忌を営み追福なんどを執行ふ…お寺で法事をする。
▼暴人…あらくれもの。
▼馬耳東風…意見きく耳もちませぬ。

○覚ての夢 第二回

野は作らねど面白う紫雲[すみれ]英蒲公[たんぽぽ]さまざまに色を争ふ下萌[したもえ]どき空は長閑[のどか]に晴[はれ]ながら身に積む憂苦[いうく]に塞[ふさが]る胸の曇[くもり]に啼[なく]や夕雲雀[ゆふひばり][あげ]ては下[おろ]懸茶屋[かけぢゃや]の暖簾を捲[まき]て又助の女房お作は[くど]の辺[ほとり]を片付[かたづけ]ゐたる其折[そのおり]から廻国行脚[くわいこくあんぎゃ]といはでも知るき五十余才[あまり]の老僧が店の傍[かたへ]に立[たた]ずみて「愚僧は是より鳳来寺[ほうらいじ]へ参詣しやうと存[ぞんず]るが暮[くれ]るに間のない[この]斜陽[そらあひ]鳳来寺まで行途[ゆくみち]によい旅店[はたごや]が有[あり]ませうかと問はれてお作は振[ふり]かへり「鳳来寺へは三里余り是[これ]から先の途中には宿屋といふてはござりませぬと聞[きい]て老僧頭頂[あたま]を掻き「[さう]いふ事を知たなら吉田あたりで早くとも泊[とまり]につけばよかったに困った事をしてのけたと当惑するをお作は見てとり「それは嘸[さぞ]かしお困りでござりませうが今日は幸[さひは]母の命日に当りますれば見苦しい破屋[あばらや]お厭[いと]ひなされませぬならばお宿を致しませうほどに御回向[ごゑかう]をして下されば有難ふござります 「ソリャ願ふてもない幸ひ回向は素[もと]より僧の職掌[やくめ]お宿を下さるお優しいお言葉に甘へまして今宵の所を願ひませうか 「左様ならば御一所に御案内をと卒忽卒忽[そこそこ]に茶店をしまふて先にたつお作は兼[かね]て双親[ふたおや]の追善供養を勧むれど良人[おっと]が仏事を営まねば[その][むく]にて産を破り斯[かく]まで零落せし事かと思へば後世[ごせ]も恐ろしきに母が忌日[きにち]に旅僧[たびそう]を泊[とめ]るも他生の縁にして功徳[くどく]の端[はし]にもなりぬべしと思へば家に伴[ともな]ひて心の限り饗応[もてな]せば僧は頻[しきり]に喜び受[うけ]て晩餐[やしょく]をしまい手を洗ひ口を清めて家廟[ぢぶつ]に向ひ骨柳[こり]の内より一巻の阿弥陀経を取出し家主人[いへあるじ]の亡父母[なきふぼ]の為に冥福を祈り現在の夫婦子供等[ら]が為には無異長久[ぶいちゃうきう]を念じ終ればお作は奥に寝所[しんじょ]を設け「[さぞ]御草臥[おくたびれ]でござりませうサァサァ御緩[ごゆる]りお休みなされと旅荷[たびに]を纏めて枕元へはこぶ間もなく老僧は昼のつかれに熟睡[うまい]せし[をり]から門[かど]の戸うち叩きて「お作よ大そう早く寝たな己[おれ]だ己だといふ声は当家[このや]の主人[あるじ]又助が深更[よふけ]て帰り来[きた]りしなり

▼色を争ふ下萌どき…草花がきれいに芽吹く頃。春ののどかな景色。
▼身に積む憂苦…つのりつもる不安の種。
▼懸茶屋…道端などに小さな屋台を作って営業している茶店。旅人の休息場として街道沿いなどに立っていました。
▼竈…かまど。
▼廻国行脚…諸国各地の寺院をまわっている修行僧や巡礼さん。
▼此斜陽…この夕暮れぞら。
▼鳳来寺…新城にある煙厳山鳳来寺。東照宮があり参詣人も多かった三河の国の有名な寺院のひとつ。
▼旅店…やどや。
▼吉田…東海道の吉田の宿。三河の国の宿場の中でも随一の賑わいをみせていました。
▼母の命日…又助の母親の命日。又助はずっと両親たちの命日に法事をしたりする事なくだらだらと過ごしていました。
▼お厭ひなされませぬならば…おいやと思われませんでしたら。
▼御回向…ほとけの供養をしてあげること。
▼今宵の所…今夜のやど。
▼其報ひ…悪いことをおこなえば、その身にそそぐ悪いこと、因果応報を身にうけて。
▼後世…死んだあとの来世で受ける報い。
▼忌日…命日。
▼他生の縁…これもなにかのお引き逢わせ。他生というのは前世のこと。
▼功徳の端…ほんのちょっぴりの功徳。
▼家廟…各家に置かれている位牌など。
▼骨柳…柳行李。ものを納めておくためのいれものとして長らく使われていました。
▼無異長久…なにごともなく平和であるように。
▼熟睡せし…ぐつすり眠りにつく。

○覚ての夢 第三回

其夜[そのよ]夫の又助皈来[かへりきた]りて旅僧を[やど]しし仔細を尋ぬれば「是は吾儕[わたし]が平生[つねづね]から法事をさせて下さいと強願[せがめ]どおまへが搆はぬゆゑ今日[けふ]僥倖[さひはひ]と鳳来寺へ御参詣の和尚様にお宿を申[もうし]て心ばかりの御経を読[よむ]でいただきましたと云[いふ]を無理とも[しひ]かねて咎めもやらず打臥[うちふし]たるが[その][あかつき]に彼[かの]旅僧は流行病[りうかうびゃう]の類[たぐ]ひにや遽[にはか]吐瀉[としゃ]して苦痛するにぞお作は素[もと]より又助も子供等[ら]までも起出[おきいで]て種々[さまざま]に介抱し医師には乏[とぼし]き僻地なれば近所に至りて薬を乞ひ力の限り看護すれども次第次第に衰弱して其[その]翌日の晩刻[ゆふこく]には息も絶[たえ]べき容躰[ようだい]なるが漸く重き枕をあげ又助夫婦を呼近[よびちか]づけ「[さて]これ迄は一方[ひとかた]ならぬ御介抱に預りましたが今にも知れぬ此[この]大病それに付[つい]てお話し申すが拙僧は越中国射水郡友坂村なる浄覚寺の住職にて了実[れうじつ]といふ者でござるが近年本堂大破に及び檀家[だんか]寄進を需[もと]むれども時節柄[じせつがら]にて充分ならず漸く百円集まりたれど不足の所を江戸に在る古い檀家の人々に勧化[くわんげ]を乞はんと思ひたち行脚[あんぎゃ]に出[いで]たる途中にて此[この]重病に罹[かか]りては迚[とて]も全快覚束[おぼつか]なし今にも往生致したら一樹[いちじゅ]の蔭[かげ]の縁に因[よ]り火葬にしたる其[その]骨を如何[どう]ぞ自国[くに]まで届けて下さい就[つい]ては是この頭陀[づだ]の中に百円の寄附金がまだ手附[てつか]ずに有[あり]ますから其[その]半額は看護の御謝[おれい]と遺骨を送る手数料とに御夫婦へ進上いたせば五十円と骨だけを寺へ送って今月今日此[この]地で死[しん]だといふ事を寺へ伝へて下されと頼む息さへ絶気[たゆげ]なれば又助は腹の内に[こ]は好[よ]き僧を宿したりと雀躍[よろこぶ]心を色にも出さず[ただ][と]に右[かく]に慰め励まし頻[しきり]に看護を厚くすれど了実は遺言を述[のべ]たる后[のち]念仏のみ称[とな]へて死を俟[まつ][てい]なりしが命運未だ尽ざるにや日に薄紙[うすがみ]を剥[はが]すが如く漸次漸次[しだいしだい][こころよ]くて三十日を過[すぐ]る間に全く本復[ほんぷく]したりければ本人はいふも更なりお作が悦[よろこ]び譬[たと]へんに物なく尚[なほ]深切[しんせつ]に看病[みはり]しかば今は旅行も成[なる]べしとて了実は支度[したく]をととのへ金十円を紙に包み夫婦が前に差置て「これは甚[はなは]だ軽少[けいせう]ながら計[はか]らぬ縁で御夫婦が御丹精のお蔭を以[もっ]て危[あや]ふい命を助かったお謝物[れい]と申程[もうすほど]にはゆかねど先頃もいふ通り勧化[くわんげ]に歩行[ある]く貧僧なれば九牛の一毛とも思ふて収めて下されと出すをお作は過分なりと辞[じ]するを強[しひ]て受納[じゅなう]させ幾度[いくたび]ともなく再生の恩を謝しつつ立出[たちいづ]る其[その]背後[うしろかげ]を又助が見送りながら四五丁も行[ゆき]しと思ふ頃ほひにオオ大切な用向[ようむき]を和尚の発途[たち]ゆゑ忘れゐたドレ一走り行[いっ]て来やうとお作に告[つげ]て裏口より飛[とぶ]が如くに馳行[はせゆき]

▼舎しし…泊めてあげた。
▼誣かねて…まげさせかねて。「法事をしてもらうために泊めたのです」と言われてはさすがの悪漢又助もあんまり文句も言えませぬ。
▼打臥たるが…寝てしまった。
▼吐瀉…吐いたり下痢をしたり。
▼息も絶べき…いまにも死んでしまいそうな。
▼寄進…大破してしまった本堂修理のための寄付金。
▼時節柄…この物語は、慶応の頃の話なので徳川幕府と大和朝廷のまわりをめぐって各藩もドシドシと政争に明け暮れていてどこもかしこも騒がしい頃でした。
▼勧化…お寺への寄進を募ること。
▼一樹の蔭の縁…家に泊めてくれた縁。
▼頭陀…頭陀袋。物を入れるための大きめにつくられた袋。本来は托鉢の際などの物入れに使われていたもので、了実の持ってたのは本式のずだぶくろ。
▼絶気…消えいりそうな。
▼色にも出さず…顔に出さないで。
▼念仏…なむあみだぶつ。
▼薄紙を剥すが如く…少しずつ少しずつ病状がよくなってゆくこと。
▼快くて…体調がよくなった。
▼本復…もとのごとくに体が全快すること。
▼金十円…五十円もらえるはずが、了実が快復してしまったので五分の一にナッチャッタ。
▼九牛の一毛…ほんのほんのちょっぴり。
▼過分なり…多すぎます。
▼再生…重病状態から再び健康状態にもどったこと。
▼頃ほひに…そのころに。
▼発途…たびだち。

○覚ての夢 第四回

思ふ事なくても長き秋の夜に過去[こしかた]未来[ゆくすゑ]さまさまと思へば涙先立[さきだつ]共音[ともね]に啼[なく]や嬾婦[きりぎりす][かごと]がましき茅屋[くさのや]隙間[ひま][も]る風に影暗き行灯[あんどん]の火を掻立[かきたて]るお作と共に又助も眠[ねぶ]り兼[かね]しが舌打[したうち]して「丁子頭[ちやうじがしら]は吉事[よいこと]の前兆[しらせ]であるに何故[なぜ][てめへ]は掻捨[かきすて]るのだと咎むれば「おまへは如何[どん]な吉事[よいこと]がある目論見[もくろみ]かは知らねども此頃[このごろ]融通[つがふ]のよいのが一円[いちゑん]合点[がてん]がゆかぬわけは茶店を出[だし]て僅宛[わづかづつ]孔方[おあし]を獲[と]る身に不相応な賭博[てなぐさみ]にも続々と黄金[おかね]で張[はる]との人の噂どう算段が出来たのかと不審を立[たて]れば怪しい事は若[もし]やおまへは旅僧[たびそう]の了実様を途中にて 「アア是[これ]滅多な事をいひだすまい静[しづか]にしろと制慎[たしな]めて四隣[あたり]を見廻し声を潜め「[さ]う暁[さと]られたら今更に隠されねへから実の所を明[あか]していへば彼[かの]坊主がなまじひに百円といふ金を半額[はんぶん]だけは遣るといったが互[たがひ]の因果[いんぐわ][やま]ひの癒[いえ]たが不本意さに出立の日に尾[あと]をつけお遺失物[わすれもの]が有ますと追近付[おひちかづい]て絞[しめ]殺し金を奪って死骸は其[その]まま前の渓河[たにがは]へ蹴落したを今日まで凡[およそ]一月あまり首尾よくしれずにしまったれば[も]う気遣ひはないといふもの是を資本[もとで ]に一旗挙[あげ]ずば己[おれ]と汝[てめへ]も左[と]も右[かく]も子供の為に行末[ゆくすゑ]が案じられると親心に悪い事とは覚[しり]ながら遂[つい]伎倆[やらかし]た荒稼ぎ必ず人には語[いふ]まいぞと聞[きい]てお作は[さ]もこそと思ひ当れど又更に天恐[そらおそろ]しく只顧[ひたすら]に歎き悲しみ悪人と連添ふ罪の怖ろしければ離別してよと乞望[こひのぞ]めば又助は頭を掻き愧[はじ]たる面色[おももち]にて「一端の心得違へは重々[ぢゅうぢゅう]恐れ入[いっ]たれど夫婦別れをしたからとて了実様が蘇生[いきかへる]わけでもなければ是からは身を慎むで追善供養を心の限りしやうから此事[このこと]ばかりは無言[だんまり]多くの子供もある事なれば如何[どう]ぞ此儘[このまま]居てくれと拝まぬばかりに頼むにぞ「吾儕[わたし]口が腐っても良人[をっと]の悪事を他言[たごん]はせぬが女の道と思ふゆゑ おまへと姻[そっ]たを因果と諦め決して人には咄[はな]さねど悪い事と後悔したなら盗[とっ]たお金を身に附[つけ]ず了実様のお墓を建[たて]てその余[よ]故郷の寺院[おてら]へ返納[もど]し問[とひ][とぶら]をしたならば罪亡[つみほろぼ]しにもならふから必ず必ず此詞[このことば]を忘れずに善心におなりなされと泣声[なきごゑ]を袖におさへて諌[いさ]むれば又助は只管[ひたすら]に後悔したる体[てい]に挙動[もてな]し「なるほど汝[てめへ]異見の通り今より心を改めて追善供養をしやうから此[この]一件は沙汰なしにと妻に詫[わび]入り慰めて旦夕[あさゆふ]念仏は称[とな]ふれど[やぶさ]にして法莚[ほうゑん]を営む景色もあらざればお作は冥利[めうり]の恐ろしさに身の心願と偽[いつは]って吾[わ]が実家[おやざと]より金を取寄[とりよ]せ赤原村の畑中[はたなか]へ自費にて馬頭観世音[ばとうくわんぜおん]の五字を彫たる石碑を建[たて][こころ]の中[うち]には了実の墓と見做[みなし]て怠[おこた]らず香華[かうげ]を備[そな]へ経を読[よみ]良人[をっと]が犯[おか]せる罪を詫[わび]て心苦しき月日を送りぬ

▼嬾婦…『詩経』にある「趨織鳴嬾婦驚」を引いてる用字。
▼喞…ぶつぶつものを言う様。虫が静かに鳴いてる表現にも使われます。
▼茅屋…そまつな家。くさぶきごや。
▼隙間洩る風…壁の穴や戸板の間からピューピュー入ってくるすきま風。
▼丁子頭…灯芯のてっぺんに丁子のような形が現われると良いことが起こる前触れとされていたもの。茶柱とかの類だネ。
▼融通のよい…おかねまわりが良いのネ。
▼一円合点がゆかぬ…まるっきり納得がゆかない。さっぱりわからない。
▼孔方…小銭。一文銭。しかくい(方)あな(孔)が空いてるところからの漢語な呼び名。
▼しれずにしまったれば…殺しの事実が知られることなく過ぎ去った。
▼左もこそと…そうでだろうと。
▼天恐しく…なんともおそろしく。
▼離別…離縁。
▼多くの子供…お浜、徳次郎、孫平の三人。
▼口が腐っても…どんなことがあっても言いません、ということ。
▼故郷の寺院…了実の寺。越中の国友坂村の浄覚寺。
▼吊ひ…おとむらい。当時は「弔」よりもこちらの字が使われてました。
▼異見…当時は「意見」よりもこちらの字が使われてました。
▼吝か…真心がこもっておらぬ。
▼法莚…故人の供養のためにひらかれる法事、法要のこと。
▼景色…気色。様子。ぜんぜんこころの入れ替わった様子が見られない。
▼冥利…善悪の積み重ね具合によって受けるご利益。もちろん、悪が重ければ良いご利益は受け取ることが出来ませぬ。
▼馬頭観世音…馬頭観音。馬や牛のまもり神としてまつられている観音さま。
▼香華…花と線香。

○覚ての夢 第五回

人定[さだま]って天に勝[かつ][たとへ]に漏[もれ]ず又助は了実を縊[くびり]殺し金を奪ひし時よりして為[なす]こと毎[ごと]気運よく賭博[とばく]は負[まけ]るといふ事なく畑物[はたもの]なんどを売払[うりはら]ひても[あん]の外[ほか]なる利を得[う]るにぞ衰へ果[はて]身代[しんだい]も瞬間[またたくま]に回復[たてなほ]り這許彼許[ここかしこ]へ質入[しちいれ]したる田地[でんち]も追々[おひおひ]受戻[うけもど]し僅[わづか]に四五年ばかりにして小作人など雇ふ程の身代[しんだい]と成[なり]たるは凡夫[ぼんぷ][さか]んに神祟[かみたた]りなしといへる俗語も的当[あたれる]かな然[しか]れども又助は素[もと]より残忍なる性[さが]なれば妻のお作が[いさめ]を聴[いれ]了実が為の追善供養は忘れし如く打捨[うちすて]鄙吝[ひりん]に金を貯[たくは]ふる甚[いと]浅間[あさま]しき事どもなり茲[ここ]に此[この]ごろ赤原の村端[むらはづ]れなる松の枝に一条[ひとすぢ]の縄をうち懸[かけ]首を縊[くく]りて死[しし]たる者あり此[こ]は之[これ]何国[いづく]の旅人なるや知るべき手蔓[てづる]もあらざれば領主より検屍[けんし]を乞ひ式[かた]の如くに埋葬せしが片田舎には掛[かか]る変事の珍らしきゆへ近村より見に来る者の群集[むれあつま]り里の幼稚[をさな]き小児等[こどもら]は此[この]首縊[くびくくり]の真似をするも一時の流行[はやり]遊びとなりしが一日[あるひ]村内[むらうち]の小童[わらべ]らが圃[はたけ]の中へ打寄[うちよ]って「サァサァ皆[みんな]が此処[ここ]へ来て首縊[くびくくり]をして遊ばねへかと一個[ひとり]がいへば四五人が「それは面白からふけれど首縊[くびくくり]になるのは誰も忌[いや] 「何でも是[これ]石鋏紙拳[ぢゃんけん]にして負[まけ]た者が首縊[くびくくり]になり其次[そのつぎ]が死骸を下[おろ]す穢多[かはじう]になり其次[そのつぎ]が正里[しゃうや]さん次が検屍の官吏[おやくにん]さま次が寺院[おてら]の坊さんと順を立[たつ]てやらかさふ約定[やくぢゃう]なして四五人が拳の勝負を争ひしに本年[ことし]漸く七歳[ななつ]なる又助が末男[せがれ]孫平は遂に拳に打負て首縊[くびくくり]の役に当[あて]られしかば「[おら]ァ忌[いや]な役だなァ然[そんなら]ば此[この]石塔の上へあがって斯[か]うすれば宜[いい]のか何心[なにこころ]なく[あが]りたる石碑の後[うしろ]に差出[さしいだ]し榎[えのき]の枝にかけたる縄を輪にして之[これ]を両手に分[わけ]地へ飛下[とびおり]んとしたりし機会[はづみ]に過[あやま]って其[その]縄の端の腮[あご]にかかるを払ふ間もなく体の重みに縄は攀[よぢ]れて哀れむべし孫平は虚空を掴[つか]むで苦しみつつ忽地[たちまち]息は絶[たえ]たりけり残る童等[こどもら]は之[これ]を見て周章[あはて][まど]ふて抱下[だきおろ]ししかど早[はや]諦切[こときれ]詮方[せんすべ]なければ四方に馳[はせ]て又助が家へも[かく]と告[つぐ]るにぞ又助夫婦は大[おほき]に驚き走来[はしりきた]って抱[いだき]あげ薬よ水よと立[たち]騒げど其[その]甲斐もなく[はて]たりし[この]孫平が上りし石碑は七年前[ぜん]に母お作が了実が墓として建立したる物にして馬頭観世音の五字を彫し此[この]墓の上に横死を遂[とげ]しは怪しかりける宿縁なり

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▼人定って天に勝…人間が勢いづいていると天の配剤した運命の枠から飛び出ることがあるということ。『史記』にある「人衆者勝天」を引いたもの。
▼気運よく…運のめぐりが実によい。
▼畑物…畑でとれたお野菜やらお豆やら。
▼案の外…おもった以上の。
▼身代…財産。
▼小作人…農作物をつくるための土地を借りてそこで働く農民たち。
▼凡夫熾んに神祟りなし…「人定って天に勝つ」と同じく、人間が勢いよく活動を繰り広げているときは、天も特に事件を巻き起こしたりせぬということ。
▼諌を聴ず…意見に耳をかたむけない。
▼忘れし如く打捨て…ころっと忘れて。
▼鄙吝…いやしくケチをすること。こつこつかつかつとコガネを貯める。
▼知るべき手蔓…さぐる手段。
▼石鋏紙拳…文字で読めるごとく、グー、チョキ、パーで勝負をつけるじゃんけん。用字としては割合いめずらしいもの。
▼約定なして…とりきめて。
▼拳の勝負…じゃんけんの勝負。
▼何心なく…なにげなく。
▼諦切て…呼吸も止まってバッタリしたまま。
▼詮方なければ…対処が何も出来ない。子供たちだけなので応急処置も出来ません。
▼斯…かくかくしかじか。
▼果たりし…亡くなってしまった。
▼横死…おもわぬ事故での死のおとずれ。
▼宿縁…さだめ。
校註●莱莉垣桜文(2009-2010) こっとんきゃんでい