柳亭叢書(りゅうていそうしょ)覚ての夢(さめてのゆめ) 第一回〜第五回│第六回〜第十回│第十一回〜第十五回

第一輯

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○覚ての夢 第六回

積悪[せきあく]の家に余殃[よわう]ある教へを知れば妻お作は孫平が臨終[しにぎは]のよからぬ而己[のみ]か其[その]場所も了実が墓所なるを悲しみ天恐[そらおそろ]しく思ふにつけ屡々[しばしば]夫を諌[いさ]むれば「否何[いやなに]これは世の中の廻[めぐ]り合[あはせ]といふもので仏三昧[ほとけざんまい]の善人に短命もあり児[こ]のない奴もあるが浮世[うきよ]の習ひなれば何も恐れる所はない任意[よもや]法事をしたからとて死[しん]だ和尚や孫平が蘇生[いきかへっ]て来る道理もないから過去[すぎさっ]た件[こと]を喃々[くどくど]と云[いは]ずと心を大きく諦めろと天窓[あたま]ごなしに呵[きめ]つけられ何と返辞[へんじ]も泣伏[なきふし]つつ深猿[あさまし]事に想ひけり茲[ここ]にまた甚[いと]怪しむべきは四五年以来[このかた]又助が為[な]す事々に[その][そのづ]に当り大利を得たる故[ゆゑ]により諸々方々[しょしょはうばう]へ売払[うりはらひ]し穀物の代金なんども遅滞[とどこほり]しことなかりしかば倍々[ますます]金融[きんゆう]のよかりしを孫平が横死したる出費[ものいり]よりして引続き不都合の事のみ重[かさな]りて売払[うりはら]ふ品は価[あたひ]安ひ貸[かし]たる[かけ]は取上[とりあが]らず万事齟齬[ばんじそご]するばかりなれば漸次[しだい]身代[しんだい]不如意[ふにょい]に成[なり]しは俗[よ]にいふ下坂[くだりざか]とやらにて多年の悪の報[むく]い来[く]る緒端[いとぐち]なりと知らぬ主人[あるじ]は此[この]損失を償[つくの]はんと勉めて裘[あされ]ば回島[あさる]ほど尚[なほ]損耗[そんまう]のみ打続[うちつづ]を只管[ひたすら][なげ]きゐたりしが夥多[あまた]得意の其中[そのなか]にも多数に品を売込[うりこみ]たるは勢州四日市[よっかいち]の某氏[なにがし]にて此[こ]は数年来先方より聊[いささか]遅延する事なく代価を郵送されたるが如何[いかが]なしけん此頃[このごろ]は些[ちと]の入金とてもなければ催促状を頻[しき]りに出せども何の答[いらへ]もなきを訝[いぶか]り尋ね行[ゆか]んと想へども隣国なれば手重[おってう]にて何時[いつ]か何時[いつ]かと待[まつ]甲斐なく入金せぬは如何[いかが]すべきと困却したる夫婦が話を側[そば]に聞[きき]ゐる徳次郎は今年[こんねん]既に十七才にて一人前の役にも立[たち]農事[のうじ]を務[つとむ]る傍[かたは]らに穀物の売買をも担当してゐたりければ両親の前に座をしめて四日市への掛取[かけとり]は如何[どう]ぞ私に言付[いひつけ]て下さいましといふ仔細[わけ]は此[この]村中[むらなか]でも甲乙[たれかれ][ぬけ]参りに出た皇太神[おいせさま]へ参詣がして見たいから此[この]代金を残りなく請[うけ]取ったらば其[その]褒美[ほうび]に僅[わづか]路用を其内から如何[どう]ぞ私に下さいと乞留[ねだり]かければ平日[つねづね]の至って鄙吝[ひりん]の又助が苦笑ひしてうち点頭[うなづき]これは成程[なるほど]最も千万[せんばん]無闇[むやみ]に家[うち]をかけ出して参る者さへあるといふ太神宮[だいじんぐう]様の事なれば此[この]掛取は汝[てめへ]に任せて伊勢へ立[たた]せる事にしやうといへばお作も傍[かたは]らより「[とん]と常[つね]には神信[しんじん]といふ気の出ない親父[おとっ]さんがお蔭[かげ]参りをしろとあるは吾儕[わたし]も嬉しく想ひますから翌日[あす]にも立[たた]せて遣[やり]たいが何をいふにも未[ま]だ十七で童[こども]ばなれのせぬ者を単身[ひとり]で遣[やる]は気づかひなれば深切[しんせつ]な好[よ]い連[つれ]があるなら附て遣[やり]たいと尋[たづぬ]るうちに折[をり]もよし同村中の細民[こさくにん]にて伊勢へ参詣したいと願ふ老人のありしかば是[これ]往来[ゆきき]の路用を与へ徳次郎が着換[きがへ]を脊負[せおは]せ発足[ほつそく]さする黎明[あさまだき]に心祝ひの[かしら]つき乾物[ひもの]と酒を膳につけ母のお作と姉お浜が「道中随分気を注[つけ]と詞[ことば]を添[そゆ]る門送[かどおく]り互[たがひ]に見かへる親同胞[おやきゃうだい][なが]の別れとなるべしとは神ならぬ身の知らざりけり

▼積悪…悪事をかさねつづける。
▼余殃…わざわい。
▼仏三昧…信仰に凝ってるひと。
▼深猿き…「深」という字が使われていますが、用字のあてかたから考えると「浅猿き」のような気がします。注意点。
▼其図に当り…思い通りにことが運びまくる。
▼大利…巨大な利益。おおもうけ。
▼金融…かねまわり。
▼債…掛け。期日を決めてあとから集金をすること。江戸時代に多く使われていた決済方法。
▼万事齟齬…すべてうまくゆかぬ。
▼身代不如意…財産が底をついてニッチもサッチもゆかなくなった状態。
▼損耗のみ打続く…損益つづき。
▼得意…お得意さまな取引先。
▼勢州…伊勢の国。
▼手重…「おっくう」の誤植か。
▼座をしめて…正座をして。
▼掛取…集金のこと。多くの場合は盆と暮れにそれまで取引した代価の集金をしていました。
▼甲乙…誰彼。だれだれもそれそれも。
▼抜参り…商家の小僧など、子供が親や主人に断りを得ずに寺社参詣の旅に出ること。
▼皇太神…伊勢神宮のこと。天照大御神をおまつりする日本随一の神宮。
▼路用…路銀、旅行のおりにかかるおかね。
▼鄙吝…激しくけちんぼ。
▼お蔭参り…伊勢神宮へお参りへゆくこと。伊勢へのお参りを先導してくれる伊勢講などの発達などもともなって、江戸時代後期に参詣者が爆増しました。
▼往来の路用…旅行のための交通費。
▼黎明…夜の明けるほんの少し前ぐらい。
▼首つき…おかしらつきの魚。とは言っても又助の家はだんだん経済が悪くなっているので、お膳に出されたのは、干し魚。
▼長の別れ…永遠のわかれ。

○覚ての夢 第七回

麦舂唄[むぎつきうた]に明[あけ]てゆく空に初音の杜鵑[ほととぎす]より待[また]るるものは妹[いも]が声「此方[こなた]は又助殿の長女[むすめご]お浜さんかと呼[よびか]けられ「オオ誰かと思へば香華院[だんなでら]の徳浄[とくじょう]さんかと立戻れば「[まだ]だ漸く明放[あけはな]れた薄暗いのに何処[どこ]へ行[いっ]たか是[これ]は必定[てっきり]村内[むらうち]に情郎[よいひと]が出来たに因[よっ]て昨夜[ゆうべ]は泊[とまり]に出かけたのだな噫[ああ]坊主の身は果敢[はか]ないものだ是[これ]が一寺の住職で小遣銭[こづかひぜに]でも贈ったら貴嬢[おまへ]の気にも入[いる]だらふが天窓[あたま]に毛のある情郎[よいひと]に見換[みかへ]られても一言[いちごん]の怨[うらみ]もいへぬが所化[しょけ]の悲しさ若此[もしこの]密会[こと]が明白[あからさま]に露[あらは]れた日には[からかさ]一本で梵天国へ遂放[おひはら]はれる女犯[にょはん]の弱身[よわみ]はしかたがないと諦めながらも腹が立[たつ]はぇアア意外[めっさう]な徳浄さん貴僧[おまへ]とは如何[どう]いふ縁か幼稚[ちいさい]ときから惚合[ほれあっ]て御本堂の阿弥陀様の前で夫婦の誓ひをした中[なか]仮令[たと]へ如何様[どのよ]な好男子[よいおとこ]が村にあらふと天から降[ふら]ふとお貴僧[まへ]の外[ほか]には男は持[もた]ぬ是[これ]が夫婦になられずば一所[いっしょ]に死[しな]ふとお互ひに盟[ちか]った詞[ことば]を忘却[わすれ]てか何を証拠の其[その]妬言[ねたみ]それは聞[きこ]えぬ聞[きこ]えぬと歎[なげ]く脊中[せなか]を摩[さすり]ながら「[さ]一ずゐに怒っては話も出来ぬがマァ聞[きき]やれいとど短い夏の夜の明放[あけはな]れぬに女の身で何用あって此[この]村端[むらはづれ]へ独[ひとり]で出かけて来たのだェ[その]疑ひは尤[もっと]もなれど吾儕[わたし]が此所[ここ]へ来た仔細は家[うち]の弟[おとと]の徳次郎が四日市へ掛乞[かけとり]かたがた皇太神[おいせさま]へ立[たっ]たに付[つい]て慈母[おっか]さんと村端[むらはづれ]まで送別[おくっ]て今が帰路[かへりみち]慈母[おっか]さんは孫平が去年縊[くび]れて亡[なく]なった馬頭観音様の塚へ参詣をして行[いく]とて途中で別れて吾儕[わたし]ひとり帰る所でござりますオオ然[さ]う聞[きい]て沸騰[にえたっ]た胸が漸く落着[おちつい]た成[なる]ほど貴嬢[おまへ]の舎弟[おととご]が伊勢参宮するに付[つい]て河端[かはばた]の太十[たじふ]爺が同士に行[ゆく]といふ話しを遂[つひ]四五日前[このあひだ][きき]ましたが今朝[こんてう]出立[しゅったつ]されたのか天気都合もよくって結構それは右[と]に左[かく]この畦道[あぜみち]で会[あっ]たは丁度よい機会[てはず]いろいろ積[つも]る話もあれば此[この]松蔭[まつかげ]の地蔵堂で寸間[ちょっと]休憩[やすむ]で行[いっ]ては如何[どう]だェ吾儕[わたし]も幸ひ貴僧[おまへ]には言[いい]たひ事も聞[きき]たひ事も山々あれど朝の間[ま]ゆゑ何処[どこ]でか誰かが見てゐはしまいか[いま]明放[あけはな]れたばかりなれば誰も耕作[かせぎ]に出る筈[はず]はない人目に懸[かか]らぬ其隙[そのひま]に積る話しをサァ来[こ]とお浜が手を採る徳浄が六道[ろくだふ]能化[のうけ]の仏場[ぶつぢゃう]を破戒に穢[けが]冥罰[みゃうばつ]の二人が上に報[むく]い来るは宿業[しゅくがふ]の因[よ]る所ならんか

▼麦舂唄…農家で作業のときに唄われていたうた。ここでは農村の風景を示すための下座音楽のような感じで書き出されています。この回はせりふの部分が多く芝居仕立てな一幕。
▼香華院…旦那寺は檀家として入っているお寺のこと。又助の家の旦那寺が香華院というお寺だという表記。
▼所化…お寺の和尚さんの下でまだ修行をつんでる身分の僧侶。所化坊主。
▼傘一本…僧侶の五戒のひとつである「女犯」を破った僧侶が、お寺から追放される際に傘一本だけを持たされたことから。
▼一ずゐ…一随。一途に。
▼いとど短い…とてもみじかい。
▼同士に行…同行する。
▼四五日前…この用字で「このあいだ」という傍訓がつけられているあたりに注意。
▼明放れた…夜が明けた。
▼六道能化の仏場…地蔵堂。
▼冥罰…悪業をつんでしまったために受けてしまう罰。

○覚ての夢 第八回

却説[かへってとく]又助が次男[じなん]徳次郎は明治五年の文殊初日[なつのはじめ]四日市駅[よつかいちじゅく]へ赴[おもむ]きて花主[とくい]の債[かけ]を催促せしに悉皆[しっかい]仕払[しはらひ]たりければ思ふに倍[まし]たる幸ひなりと勇み進むで太十と共に神風の伊勢の国度会郡[わたらひのこほり]に太[ふと]しく立[たて]る内宮外宮[ないぐうげぐう]を拝し終りて古市[ふるいち][さと]には遊ばねど尚[なほ]ここかしこを暦覧[みめぐらん]二見が浦より乗船して海上遥に漕出[こぎだ]したる此日[このひ]は天気晴朗[ほがらか]にて漁舟[ぎょしう]の多く出[いで]たる景色言葉に尽すべくもあらざらねば徳次郎太十を始め乗合[のりあひ]の人々も頗[すこぶ]る佳興[かきゃう]に入[いり]たるが未下刻[ひつじさがり]とおぼしき頃ほひ[たつみ]の方[かた]に一掴[ひとつかみ]ほどの黒雲現るると等しく瞬間[またたくま]に蔓延すれば夥多[あまた][いで]たる漁舟[すなどりぶね]は暴風[はやて]にならんと推[すゐ]しけん力を尽して漕去[こぎさ]る間に彼[かの]黒雲は一天に墨を流しし如くに広がり一陣の烈風[れっぷう]遠山[えんざん][ふきおろ]す其勢[そのいきほ]ひは千雷[せんらい]の落砕[おちくだく]るかと思ふばかりに浪音[なみおと]烈しく徳次郎が乗[のっ]たる船は唯見[みなみな]山の如くなる激浪[げきらう]の上に幾上[いくじゃう]となく上[のぼ]るかと思へば千尋[ちひろ]の底に到るかと疑ふほどに打下[うちおろ]され恰[あたか]も木の葉の吹[ふか]るる如く虚空に漂ふ困難に[竹+高]工[かこ]楫取[かんとり][ら]は力の限り汀[みぎは]へ寄[よせ]んと働け共[ども]風はますます吹荒[ふきあれ]て防禦[ぼうぎょ]の術も尽果[つきはて]ければ何[いづ]れも覚悟あるべしと水夫の詞[ことば]に乗組の客は生[いき]たる心地もなく力を落[おと]して平常[つね]に信ずる神仏[かみほとけ]の御名[みな]を称[とな]へ親子夫婦の輩[ともがら]帯と帯とを結び合[あは]せ更に死を待計[まつばかり]なるおりからどうと打[うち]つける怒涛[おほなみ]の為に此[この]船は掌[たなぞこ]を返すが如く転覆[よこたはり]て乗組たる客も水夫も一同に沈むと見るより援船[たすけぶね]は浪を凌[しの]いで四五艘[そう]漕寄共[こぎよ]せ溺るる者を救ひしかば泳[およぎ]を知らざる乗客も辛[から]ふして一命を助[たすか]りたる者半数[なかば]に過ぎ底の水屑[みくづ]と成[なり]たるは僅[わづか]に四五名なる中に憐[あはれ]むべし徳次郎は十七年を一期[いちご]として大魚[たいぎょ]の腹に葬[はふ]られしか死骸も見ゑず成[なり]にけり這[こ]も亦[また]その父又助が非道の所業の児[こ]に報[むく]いて御蔭参[おかげまゐり]の利益[かげ]もなきは神の祟[たたり]か仏の罰[ばち]か恐[おそれ]ても猶[なほ][おそ]るべし

▼明治五年…1872年。
▼四日市駅…四日市は東海道の宿場のひとつ。京都へ向かう道とお伊勢参りにゆく道へのわかれめあたり。
▼悉皆…すべてまるまる。
▼神風の…「伊勢」のまくらことば。
▼古市…伊勢街道の宿場のひとつ。お伊勢参りのひとたちには遊郭のあるポイントとして知られた存在。
▼廓…遊郭。
▼二見が浦…伊勢の国の名所のひとつ。夫婦岩の間にのぼる初日の出の景色などで高名。
▼未下刻…午後2時ごろ。おひるすぎ。
▼巽の方…東南のほうがく。
▼一天に墨を流し…あたり四方は真っくら。
▼激浪…ものすっごい大浪。
▼千尋の底…ふかいふかい海底。
▼[竹+高]工楫取等…船の水夫たち。
▼帯と帯とを…帯で体をおたがいにしばりつけておいて、いざおぼれて死んでしまっても、一緒に打ちあげられるように行なうもの。
▼底の水屑…うみのもくず。さかなのえさ。

○覚ての夢 第九回

ヘェ唯今[ただいま]帰りました太十[たじふ][おやぢ]でござりますと聞[きい]てお作は端近[はしぢか]く走出[はしりいで]て莞爾[にこにこ]と「オオ太十どん戻ってか徳次郎は後[あと]からか村内[むらうち]で誰にか逢[あふ]て話しでもしてゐる事か遠くから帰ったら何は兎[と]もあれ家[うち]へは寄らぬぞ此頃[このごろ]夢見の悪さに案事[あんじ]てゐた親の心を子知らずとは能[よ]く言[いっ]たものと雀躍[よろこぶ]を見て差俯向[さしうつむき]ばらばらと涙を飜[こぼ]せば「[これ]は可咲[をかし]な太十どん滞[とどこほ]りなく参宮[さんぐう]を済[すま]せたはお互ひに目出度[めでたい]事ゆゑおまへ達が今日帰ると知[しっ]たなら赤の飯でも焚[たい]て置[おか]ふに何を不吉な其涙[そのなみだ]イヤモシ其様[そのやう]に仰[おっ]しゃるほど私[わたし]の胸が張割[はりさけ]るやうでお話しが致されませぬと頭[かうべ]を掻[かけ]ば又助も立出[たちいで]て不審さうに「悲しくて物がいへぬといふは徳次郎が身の上に気遣[きつか]はしい事でもあってか[あっ]た段ではござりません徳次郎さんはオオ徳次郎は死なっしゃいましたエエと愕然[びっくり]両親が面[かほ]見合せて気も潰[つぶ]れ物をも言[いは]ず茫然たりしがお作は太十に膝すり寄[よせ][しん]だといふは如何[どう]したわけでサァ其[その][しな]しった仔細[わけ]といふは四日市では充分に話しが届いて[かけ]もとれ伊勢参宮も首尾よく済[すま]せ二見[ふた]が浦より船に乗[のり]明神様へ参る途中[とちう][にはか]に暴風[はやて]が吹起[ふきおこ]り漕戻[こぎもど]す間も荒波[あらなみ]に船を砕[くだ]かれ徳さん始め乗組の者は船頭[せんどう][ま]で一同に海に沈み底の藻屑[もくづ]と成[なる]べき処へ援船[たすけぶね]が漕寄[こぎよせ]て思ひがけなく吾輩[わたしら]は命拾ひをしましたが巻込れたか押流されたか徳さんの外[ほか]三人の旅人は死骸も見ゑず殊[こと]にはお命ばかりでなく徳さんの胴巻[どうまき]には四日市で受取[うけとっ]た百円余[あまり]の金も其[その]まま行方知れずに成[なり]ました是[これ]と知ったら吾輩[わしら]が方[ほう]へ預かって置[おき]やしたに命も金も時の間[ま]に玉なしにした其[その]不運さ花の盛[さか]りの若旦那を殺して此世[このよ]死後[しにおく]れた太十が独[ひとり]生残り帰って来るは面目なけれどとあって吾輩[わしら][とが]でもなし此[この]一件を知らせずにも置[おか]れませねば阿容々々[おめおめ]と戻って親御さん達に御目に懸[かか]るも極[きま]りが悪いと云[いひ]つつ叫[わっ]と泣伏[なきふせ]ばお作は心も転倒し孫平といひ兄までも引続いての横死[しにざま]は何[なん]たる因果ぞ夢ではないか夢なら覚[さめ]よ去[さり]ながら是[これ]さへ夫[おっと]又助が悪の報[むく]いの為[な]す業[わざ]かと天恐[そらおそろ]しさも強増[いやまし]て声も惜[おし]まず号哭[なきさけ]べば友音[ともね]に啼[なく]や浜千鳥[はまちどり]姉のお浜は悪業[あくごう]の報[むく]いなりとも白浪[しらなみ]の暴[あら]きを怨む破船の話しに身を震はせて母と娘[こ]と太十も共に三人が六ッの[たもと]を絞れども父又助は徳次郎が果敢[はか]なき最期[さいご]はさのみに歎[なげ]かず四日市より受取[うけとっ]たる百円余りの大金を失[うしな]ひたるを只顧[ひたすら]に惜[おし]みて頻[しきり]に呟[つぶや]きしとぞ

▼夢見の悪さ…えんぎのよくない夢ばかり見ていたということ。
▼参宮…お伊勢参り。
▼赤の飯…おせきはん。
▼気遣はしい事…しんぱいごと。不安事。
▼話しが届いて…話がよく通って。四日市の取引先での取引がサクサクと進んだこと。
▼底の藻屑…うみのもくず。
▼胴巻…お金や貴重品などを入れておくもの。着物のしたに巻きつけて肌身はなさず持ち歩けるようになっています。
▼死後れた…死にぞこないな老人。
▼科…咎。つみとが。
▼友音…共音。いっしょに鳴くこと。
▼白浪…徳次郎を襲った大波と、了実から金を奪った又助の犯罪をかけたもの。白浪は盗賊を示す熟語。
▼袂を絞れども…涙をたくさんこぼして泣く。

○覚ての夢 第十回

実に光陰[くわういん]は矢よりも早く赤原村[あかはらむら]の又助は二人の男子[なんし]を失ひし歎[なげ]きの中[うち]に夏も果[はて]秋さへ立[たち]ていつしか明[あく]れば明治六年の花の盛[さかり]も散[ちり]がたに麦苅時[むぎかりどき]も近付[ちかづく]ころ徳次郎が一周忌の来[きた]りにけれど又助は非道の性[さが]の直らずして法事を執[とり]も行[おこな]はねばお作は 陰[ひそか]に了実が祟[たたり]を説[とき]て又助の心を改めさせんとて手製[てごしらへ]にせし牡丹餅[ぼたもち]を徳次郎が一周忌と孫平が三回忌の供養の為に香華院[ぼだいじ]へ贈る使ひを娘お浜が強[しひ]て臨[のぞ]みて出行[いでゆき]しは兼[かね]私通[わけ]ある所化[しょけ]徳浄に密会せんとの為なるべし斯[かか]る事とは露[つゆ]しらぬ父又助は了実を縊殺[くびりころ]して百円の金を奪ひし時よりして為[な]す事毎[ごと]僥倖[しあはせ]よく一昨年[おととし]までは日に増[まし]て其[その]悪運の強きこと旭の昇るが如くなりしが世俗に所謂[いはゆる]怪地[けち]の付く[とき]至りけん孫平が馬頭観音の塚の上にて縊[くび]れ死[しし]たる頃よりして売払[うりはら]ふ物は価[あたひ]安く貸[かし]たる品は取上[とりあが]らず[あまつさ]へ所有の田畑へ生[つき]たる虫に穀物を年々多く喰枯[かみから]されて駆除の法さへ他[よそ]の人の田畑ほどには効験[しるし]なければ身代[しんだい]忽地[たちまち]不如意になり去年は百円余[よ]の貸[かし]を偶々[たまたま][え]たる徳次郎が溺死して残[のこり]なく失ひたるも身に積[つも]る悪の報[むく]いと知りもせば疾[とく]改心もすべきなれど奸侫[ねじけし]ものの性質[さが]として禍[わざは]ひの基[もと]を顧[かへり]みず只[ただ]一挙[ひといき]に身代[しんだい]を再立[たてなほ]さんと想ふより一端[いったん][やめ]たる博賭[とばく]の勝負に大利を獲[え]んと不慧[あざとく]も又其徒[またそのむれ]に入[いり]しかど場に臨む毎に想ふ目の外[はづ]れて続く敗軍に持[もっ]たる田地[でんち]も又旧[またもと]の抵当[ひきあて]にして借尽[かりつく]し再度目[にどめ]身代限りにも成[なる]べき場合に至りしを不然体[さらぬてい]にて過[すご]しゐたるが当日[このひ]二人の倅等[せがれら]が仏事の為にお作が配りし牡丹餅の殻重箱[あきばこ]を返しに来たるは旧知己[もとちき]なる隣村の常使[じゃうづか]ひ三吉といふ男なるが先[まづ]寒暖の礼を述べ彼[かの]重箱を取出[とりいだ]し「月日の立[たつ]のは早いもので徳次郎さんがモウ一年孫平さんも三年にならっしゃるに付[つき]まして御志[おこころざ]しの重[ぢゅう]の内を頂きながらも嚊[かかあ]と談[はな]すに人の躰[からだ]は七転び八起[やおき]とかいふ通り又助どのが此[この]四五年の僥倖[しあはせ]の続いたは魂消[たまげ]た事だと想ふうち又引続[ひきつづ]いて子供衆[しゅ]が二年に二人亡[なく]なるとは取[とっ]て返しの出来ない不幸それに付[つい]ては大層な浪費[ものいり]もさしったか田畑も大かた[まげ]られたげな嘸[さぞ]内々[うちうち]は困ってらつしゃらふとお察し申[もうす]に付[つき]まして些[ちと]耳よりな話しがあるが何[なん]と相談なさらぬかと語出[かたりいだ]すは如何[いか]なる事ぞ次回を読[よみ]て積悪[せきあく]の報[むく]ふ所を見給[みたま]へかし

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▼光陰は矢よりも早く…月日はあっという間だ。
▼明治六年…1873年。
▼私通…こっそり付き合っているという事情。
▼僥倖よく…運がよい。
▼怪地のつく…運がわるい。
▼取上らず…かえってこない。
▼奸侫もの…こころのまがった悪いひと。
▼敗軍…負け負け負け。
▼身代限り…破産の申告をすること。
▼旧知己…ちいさい頃からの知り合い。
▼寒暖の礼…季節のあいさつ。
▼曲られ…手放してしまった。
校註●莱莉垣桜文(2009-2010) こっとんきゃんでい