柳亭叢書(りゅうていそうしょ) 第一輯

第一輯

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一日[いちひ]都の花観むとて。大坂より汽車に乗じ。西京の書肆[しょし]駸々堂[しんしんどう]を訪[と]ひしに。主人提籃[ていらん]を携へて。余[おのれ]一酒楼に誘引[いざなひ]。陪食[ばいしょく]の後に籃[てかご]を開き。京製の美菓。兎道[うぢ]の芳茗[めいちゃ]数種を進めて佳境に入[いら]しむ。然[しか]して其茶[そのちゃ]一煎毎[いっせんごと]に棄[すて]ては更に煎換[いれかへ]るを。余[おのれ]惜みて謂曰[いへるやう]。今日[こんにち]の饗応[もてなし]に至れり尽せる事ながら。貴[たふと]き茶殻[ちゃがら]を一煎にして棄[すつ]るは物体[もったい]なからずや。冀[ねがは]くは其糟[そのかす]落葉壷[らくえふこ]に貯へ置[おき]。余[おのれ]に賜はば旅寓[りょしゅく]に帰[かへり]て。再度[ふたたび][あじは]ひ楽[たのし]まむと。乞[こへ]ば主人は莞爾[うちわらひ]て。先生も亦[また][すた]るを惜む哉[か]。棄るを惜むの意[こころ]あらば。従来[これまで]各社の新聞雑誌へ。記載[かきのせ]られし長物語も。一時で廃るは惜[をし]からずや。此[これ]を集めて再版せば。衆人[しゅうじん]の眼を楽ましめ。且[かつ]勧懲の一助と成[なり]て。茗[ちゃ]の糟粕[だしがら]には増[まさ]らむと。説[とか]れて茶にした返辞[こたへ]もならず。二番煎[せんじ]は香[か]も薄けれど。味[あじお]ふてだに賜はらばと。諾[だく]して直地[ただち]東京[とうけい]より。旧作の稿[こう]挿絵の版木を。取寄[とりよせ]て全部五帙[ちつ]の活字本にものせしを。柳亭叢書と題号[なづけ]しは。自負するに似て嗚呼[おこ]がましと。呵責[しから]せ玉ふ看宦[ひと]あらば。茶に酔[ゑひ]たりと答へなんかし。

柳亭種彦



覚ての夢(全十五回)

第一回〜第五回第六回〜第十回第十一回〜第十五回

松襲操の色(前編)

第一回〜第五回

奥付

▼一日…とある日のこと。
▼汽車…大阪と京都の間に鉄道が全線開通したのは1877年。藍泉の種彦がおもむいているこの頃は東海道線がまだ全通してない時代。
▼西京…京都のこと。明治の頃は西京・東京という呼び名が使われていました。
▼提籃…持ち手の付いてる竹編みかご。
▼一酒楼…とある料理屋。
▼兎道…宇治。古くからのお茶の名産地。
▼一煎毎…一杯お茶をつぐごとに。
▼落葉壷…お煎茶をいれる時につかう道具のひとつ。
▼旅寓…やどや、はたご。
▼長物語…新聞や雑誌などに連載されたつづきもの。明治10年代は多くの場合、実際起きた事件に脚色や潤色などの尾ひれをつけて数週間から数ヶ月にわたって連載するのが主な作品でした。
▼茶にした返辞…ごまかしたり、おちゃらかしたりした返答。
▼東京…「とうけい」という音に注意。
▼挿絵の版木…明治30年代まで、印刷物の図版には石版や亜鉛版などの新技術も使われていましたが、多くは活字の中に木版をはめこんだ形で印刷されていました。
▼五帙…五巻。
▼看宦…読者のこと。白話小説から引き継がれて使われてる用字。
校註●莱莉垣桜文(2009-2010) こっとんきゃんでい