▼一日[いちひ]都の花観むとて。大坂より▼汽車に乗じ。▼西京の書肆[しょし]駸々堂[しんしんどう]を訪[と]ひしに。主人▼提籃[ていらん]を携へて。余[おのれ]を▼一酒楼に誘引[いざなひ]。陪食[ばいしょく]の後に籃[てかご]を開き。京製の美菓。▼兎道[うぢ]の芳茗[めいちゃ]数種を進めて佳境に入[いら]しむ。然[しか]して其茶[そのちゃ]は▼一煎毎[いっせんごと]に棄[すて]ては更に煎換[いれかへ]るを。余[おのれ]惜みて謂曰[いへるやう]。今日[こんにち]の饗応[もてなし]に至れり尽せる事ながら。貴[たふと]き茶殻[ちゃがら]を一煎にして棄[すつ]るは物体[もったい]なからずや。冀[ねがは]くは其糟[そのかす]を▼落葉壷[らくえふこ]に貯へ置[おき]。余[おのれ]に賜はば▼旅寓[りょしゅく]に帰[かへり]て。再度[ふたたび]味[あじは]ひ楽[たのし]まむと。乞[こへ]ば主人は莞爾[うちわらひ]て。先生も亦[また]廃[すた]るを惜む哉[か]。棄るを惜むの意[こころ]あらば。従来[これまで]各社の新聞雑誌へ。記載[かきのせ]られし▼長物語も。一時で廃るは惜[をし]からずや。此[これ]を集めて再版せば。衆人[しゅうじん]の眼を楽ましめ。且[かつ]勧懲の一助と成[なり]て。茗[ちゃ]の糟粕[だしがら]には増[まさ]らむと。説[とか]れて▼茶にした返辞[こたへ]もならず。二番煎[せんじ]は香[か]も薄けれど。味[あじお]ふてだに賜はらばと。諾[だく]して直地[ただち]に▼東京[とうけい]より。旧作の稿[こう]と▼挿絵の版木を。取寄[とりよせ]て全部▼五帙[ちつ]の活字本にものせしを。柳亭叢書と題号[なづけ]しは。自負するに似て嗚呼[おこ]がましと。呵責[しから]せ玉ふ▼看宦[ひと]あらば。茶に酔[ゑひ]たりと答へなんかし。
柳亭種彦