這[この]稗史[さうし]の趣向は原来[ぐはんらい]水虎[かっぱ]の放屁[ほうひ]のごとく。また野猫[たぬき]の鼾睡[いびき]に似たり。これをたためば二巻となり。これをひらけば十枚あって。▼阿菊[おきく]が皿の闕[かけ]たるもあり。▼見越[みこし]の頚[くび]の余れるもあり。廼是[すなはちこれ]当初[そのかみ]▼酒田[さかた]の金平[きんぺい]先生▼蛍合戦[ほたるがっせん]の明[あかり]をかりて。▼雪女児[ゆきをんな]の灯[ともしび] をかかげ▼剪禿[きりかぶろ]の筆を執[とり]て。徒[いたづら]に▼一盞[いっさん]の油を減じ編[あめ]る処の書なり然[しか]も▼狐色の表紙をかけ。緘[とづ]るに▼三ッ目の錐[きり]を用ゆ。恰[あたか]も詞書[ことばがき]は化物屋舗[ばけものやしき]の日記の如く画図[ゑがら]は▼珍物茶屋[ちんぶつぢゃや]の招牌[かんばん]に似たり。予[よ]野には伏すとも▼宿かるなといへる。那[かの]▼一ッ家の▼壁中[へきちう]より這書[このしょ]を得たり爾云[しかいふ]
▼寛政十歳戊午孟春 京伝戯題
獅子身中虫[しししんぢうのむし]
▼加古川本草綱目[かこがはほんざうかうもく]に曰[いはく]獅子身中虫と云ふは頭[かしら]は▼釣灯篭[つりどうろう]の如く羽は▼蜘蛛巣[くものす]の如く尻尾[しりお]は▼文[ふみ]の如し常に縁[ゑん]の下に住居[すまい]を為[な]し▼章魚肴[たこざかな]を餌食[ゑじき]と為[な]し其声[そのこゑ]▼由良どの由良どのと鳴くあるひと▼簪[かんざし]を手裏剣に打ってこの虫を殺し賀茂川へ流したるとなりもっとも▼赤鰯[あかいわし]を嫌ふ虫なり一体この虫はその家に生じその家の▼禄[ろく]を食[はん]でその家を滅ぼさんと謀[はか]る至って不義不善を好むなり憎むべく恐るべき虫なり
忠臣蔵七段目に詳[つまび]らかなり今爰[いまここ]に略す
「夕べの夢見が悪かったにげろにげろ
「のふ怖やおそろしや
「あの奴[やっこ]は菖蒲革[しゃうぶかわ]の着物を着ているから▼寺岡平右衛門かと思ってびっくりした
平気蟹[へいきがに]
▼大の平気物語に曰[いはく]平気蟹と云ふはその昔▼寿永[じゅゑい]の乱れに平家の一門▼西海[さいかい]の浪に沈み男子[なんし]の一念は平家蟹となり女子[にょし]の一念は平気蟹となる甲羅は女の顔の如く鋏[はさみ]は▼平元結[ひらもとい]に似て脚は▼鼈甲[べっかう]の簪[かんざし]の如し眼は▼髷結[わげゆわい]に似たり山の崩れるやうな事ありても平気なるゆへ斯[かく]は号[なづ]くるなり兎角[とかく]人に逆[さから]ふ蟹にて物事横にばかり歩むなり疑い深く胸の中[うち]に剣[つるぎ]を隠し▼悋気嫉妬[りんきしっと]のこころ多く稍[やや]もすれば男蟹[おがに]を尻に敷きたがる蟹なりそのゆへに漁師も恐れて近寄らずと云ふ恐れ慎むべき蟹なり
「わしが命はどふぞ▼かにして下され
「▼母様[かかさま]早く逃げさっしゃれ
「まだ昼飯前じゃから腹がへこついて逃げ憎いぞ
人面の鯰[にんめんのなまづ]
▼歌舞妓三階図会に曰[いはく]人面の鯰は▼一陽来復のとき陽気はじめて初春[はつはる]の頃芝居へ現はれ▼公家悪[くげあく]に与[くみ]して様々不善を為[な]し▼実事師[じつごとし]のためには甚だ毒気[どくき]になり若[も]しこの魚[うを]の毒にあたりたる時は▼団十郎艾[もぐさ]を強[したた]かに据[す]へべしたちどころに毒を消すなり亦[また]この魚[うを]の▼骨[ほね]をたてたる時▼しばらくしばらくしばらくと三遍唱へて喉[のど]を撫[なで]べし奇妙に抜けるなりいやはや途方もなき毒魚[どくぎょ]なり
▼地震の鯰[なまづ]は▼まんざいらくまんざいらくと云へどもこの鯰はしばらくしばらくと云へば忽[たちま]ち逃げるなり
「捕[とら]まへたら好[よ]い見世物であろふこれを知ったら▼瓢箪[ひゃうたん]を持ってくればよかった
どぶから蛇[どぶからじゃ]
この蛇[じゃ]は毎年[まいねん]▼六月朔日富士まつりの後[のち]処々[しょしょ]の溝[どぶ]の中より現はるる蛇[じゃ]なり目[まなこ]は真鍮[しんちう]の鋲[びゃう]の如く舌と▼尻尾[しりを]の剣[けん]とは梅漬[むめづけ]の如く赤し▼惣身[そうみ]は麦藁[むぎわら]のやうに黄金[こがね]色に光る▼足は無けれどもよく何[なに]にでも巻付くなり大きなるもあり小[ちい]さなるもあり怖くもなんとも無き蛇[じゃ]なり
蛇[じゃ]が曰[いはく]
「お女中いっしょに行かふわし蛇[じゃ]わし蛇[じゃ]
「のふ怖やたすけてたべ
小僧が曰[いはく]
「道が泥[ぬか]って▼根から蛇から逃げられぬ
爪の火[つめのひ]
▼爪の火と云ふは貪欲[どんよく]多き者の怨念也これ一生▼天道[てんどう]に背[そむ]きたる利を貪[むさぼ]り不自由のみして身を苦しめ多くの金を蓄[たくはゑ]て死したるひと▼黒闇地獄[こくあんぢごく]に堕[おち]て貪欲の闇黒[くらやみ]に迷ひ斯[かくの]如く爪に火を灯して▼娑婆[しゃば]に残し置きたる金を探し求めんとするなり浅猿[あさまし]き事ならずや
「恐ろしき執念[しうねん]じゃ