化物和本草(ばけものやまとほんぞう)

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[この]稗史[さうし]の趣向は原来[ぐはんらい]水虎[かっぱ]の放屁[ほうひ]のごとく。また野猫[たぬき]の鼾睡[いびき]に似たり。これをたためば二巻となり。これをひらけば十枚あって。阿菊[おきく]が皿の闕[かけ]たるもあり。見越[みこし]の頚[くび]の余れるもあり。廼是[すなはちこれ]当初[そのかみ]酒田[さかた]の金平[きんぺい]先生蛍合戦[ほたるがっせん]の明[あかり]をかりて。雪女児[ゆきをんな]の灯[ともしび] をかかげ剪禿[きりかぶろ]の筆を執[とり]て。徒[いたづら]一盞[いっさん]の油を減じ編[あめ]る処の書なり然[しか]狐色の表紙をかけ。緘[とづ]るに三ッ目の錐[きり]を用ゆ。恰[あたか]も詞書[ことばがき]は化物屋舗[ばけものやしき]の日記の如く画図[ゑがら]珍物茶屋[ちんぶつぢゃや]の招牌[かんばん]に似たり。予[よ]野には伏すとも宿かるなといへる。那[かの]一ッ家壁中[へきちう]より這書[このしょ]を得たり爾云[しかいふ]

寛政十歳戊午孟春  京伝戯題

▼阿菊…おきくさん。お屋敷のお皿を割ってしまったかどで斬られて井戸に捨てられてしまった女ゆうれい。「播州皿屋敷」などで有名。
▼見越…みこしにゅうどう。
(参照→和漢百魅缶「みこしにゅうどう」)
▼酒田の金平…「きんぴら」とも。寛文(1661-72)頃の浄瑠璃に多く登場していた人物で、坂田金時のむすこという設定。
▼蛍合戦…数多くのほたるの群れが乱れ飛ぶ様子を合戦と表現したもの。
▼雪女児…雪の夜に出るという女の姿のおばけ。白い着物をまとっている所から八朔の行事のときの吉原の娼妓たちもこう呼びます。
▼剪禿…花魁のしたに置かれている女の子。かむろ。「禿」の字と「禿筆」(ちびふで)の連想から。
▼一盞…一皿。
▼狐色の表紙…黄色い表紙。
▼三ッ目の錐…本をとじるときに糸の穴をあける道具。それに「三ッ目小僧」をかけたもの。
▼珍物茶屋…鳥や骨董など、めづらしいものを眺めさせて茶席料などをとっていたお店。孔雀茶屋などが有名。
▼宿かるな…宿は借りるな。
▼一ッ家…浅草の浅茅ヶ原に伝わる昔話で、旅人を泊めては殺していた老婆の家。
▼壁中より…漢籍などによくある古い書物の発見径路。大抵の場合は偽書。
▼寛政十歳…1798年

獅子身中虫[しししんぢうのむし]
加古川本草綱目[かこがはほんざうかうもく]に曰[いはく]獅子身中虫と云ふは頭[かしら]釣灯篭[つりどうろう]の如く羽は蜘蛛巣[くものす]の如く尻尾[しりお][ふみ]の如し常に縁[ゑん]の下に住居[すまい]を為[な]章魚肴[たこざかな]を餌食[ゑじき]と為[な]し其声[そのこゑ]由良どの由良どのと鳴くあるひと[かんざし]を手裏剣に打ってこの虫を殺し賀茂川へ流したるとなりもっとも赤鰯[あかいわし]を嫌ふ虫なり一体この虫はその家に生じその家の[ろく]を食[はん]でその家を滅ぼさんと謀[はか]る至って不義不善を好むなり憎むべく恐るべき虫なり
忠臣蔵七段目に詳[つまび]らかなり今爰[いまここ]に略す
「夕べの夢見が悪かったにげろにげろ
「のふ怖やおそろしや
「あの奴[やっこ]は菖蒲革[しゃうぶかわ]の着物を着ているから寺岡平右衛門かと思ってびっくりした

▼加古川本草綱目…『仮名手本忠臣蔵』の登場人物「加古川本蔵」と、植物や生物の薬効を記した『本草綱目』の地口。実際に増谷自楽というひとが書いた絵草紙に『加古川本草綱目』(1769)という同名のものがありますが直接の連絡は稀薄のようです。
▼釣灯篭…忠臣蔵の七段目の一力茶屋の場にある小道具から。
▼蜘蛛巣…一力茶屋のえんの下に隠れる斧九太夫がひっからまるものから。
▼文…一力茶屋で遊んでいた大星由良之助のもとに届いた密書から。
▼章魚肴…一力茶屋で斧九太夫が大星由良之助に食べさせるタコから。
▼由良どの…大星由良之助。由良さんこちら。
▼簪…一力茶屋でお軽が落としてしまうかんざしから。九太夫はこの場面で大星に退治されていて、この獅子身中虫は斧九太夫を虫に仕立てたものであることを示しています。
▼赤鰯…さびた刀。一力茶屋で斧九太夫と鷺坂伴内がこっそり大星の鞘をひらいてみたらコレだったという場面から。
▼禄…俸禄。武家のお給料。
▼寺岡平右衛門…忠臣蔵の登場人物のひとり。足軽の身分でしたが一力茶屋の場で由良之助から許しを得て四十七士に加わります。

平気蟹[へいきがに]
大の平気物語に曰[いはく]平気蟹と云ふはその昔寿永[じゅゑい]の乱れに平家の一門西海[さいかい]の浪に沈み男子[なんし]の一念は平家蟹となり女子[にょし]の一念は平気蟹となる甲羅は女の顔の如く鋏[はさみ]平元結[ひらもとい]に似て脚は鼈甲[べっかう]の簪[かんざし]の如し眼は髷結[わげゆわい]に似たり山の崩れるやうな事ありても平気なるゆへ斯[かく]は号[なづ]くるなり兎角[とかく]人に逆[さから]ふ蟹にて物事横にばかり歩むなり疑い深く胸の中[うち]に剣[つるぎ]を隠し悋気嫉妬[りんきしっと]のこころ多く稍[やや]もすれば男蟹[おがに]を尻に敷きたがる蟹なりそのゆへに漁師も恐れて近寄らずと云ふ恐れ慎むべき蟹なり
「わしが命はどふぞかにして下され
母様[かかさま]早く逃げさっしゃれ
「まだ昼飯前じゃから腹がへこついて逃げ憎いぞ

▼大の平気物語…『太平記』や『平家物語』と「平気」の地口。
▼寿永の乱れ…源平合戦はげしき頃。平氏が浪の下に多く没した壇の浦の合戦があったのは、寿永4年3月24日。
▼西海…九州。瀬戸内海。
▼平元結…幅広の紙の元結。髪の毛を結う時に使うもの。
▼鼈甲の簪…鼈甲で出来たかんざし。結髪の左右に何本何本もこれをさしているのは遊女達のおしゃれ。
▼髷結…髷をしめるために使う布。手絡。
▼悋気嫉妬…やきもち。じぇらじぇら。
▼かにして…「堪忍して」の地口。
▼母様…画面では漁師と漁師の親子が平気蟹を見て逃げてる姿が描かれています。

人面の鯰[にんめんのなまづ]
歌舞妓三階図会に曰[いはく]人面の鯰は一陽来復のとき陽気はじめて初春[はつはる]の頃芝居へ現はれ公家悪[くげあく]に与[くみ]して様々不善を為[な]実事師[じつごとし]のためには甚だ毒気[どくき]になり若[も]しこの魚[うを]の毒にあたりたる時は団十郎艾[もぐさ]を強[したた]かに据[す]へべしたちどころに毒を消すなり亦[また]この魚[うを][ほね]をたてたるしばらくしばらくしばらくと三遍唱へて喉[のど]を撫[なで]べし奇妙に抜けるなりいやはや途方もなき毒魚[どくぎょ]なり
地震の鯰[なまづ]まんざいらくまんざいらくと云へどもこの鯰はしばらくしばらくと云へば忽[たちま]ち逃げるなり
「捕[とら]まへたら好[よ]い見世物であろふこれを知ったら瓢箪[ひゃうたん]を持ってくればよかった

▼歌舞妓三階図会…『三才図会』と芝居小屋で下級の俳優たちをいう呼び名「三階」の地口。
▼一陽来復のとき…お正月。
▼公家悪…芝居に出て来る悪役。ここでは『暫』に出て来る清原武衝などのこと。この手下役のひとりに鯰坊主と呼ばれる役が出てくるところから。万象亭は『画本纂怪興』(1791)で「鯰坊主」という同様のおばけを出しています。
▼実事師…お芝居の役割のひとつ。悪玉たちの悪事をさばく役。
▼団十郎艾…市川団十郎の名が冠されて売られていたお灸。『暫』で鯰坊主たちを退治する役を団十郎が勤めることから。
▼骨をたてたる…骨がひっかかった。
▼しばらく…『暫』で主役の鎌倉権五郎などが登場時に呼びかけるせりふ。
▼地震の鯰…地中にいて地震を起こすと考えられていた大きななまず。
▼まんざいらく…万歳楽。地震に遭ったときに唱えるとよいと言われていたおまじない。
▼瓢箪…ひょうたんでなまずをつかまえるという禅宗や大津絵で知られた画題からの引き事。画面では人面の鯰を屋形船の上から見ている人が描かれています。

どぶから蛇[どぶからじゃ]
この蛇[じゃ]は毎年[まいねん]六月朔日富士まつりの後[のち]処々[しょしょ]の溝[どぶ]の中より現はるる蛇[じゃ]なり目[まなこ]は真鍮[しんちう]の鋲[びゃう]の如く舌と尻尾[しりを]の剣[けん]とは梅漬[むめづけ]の如く赤し惣身[そうみ]は麦藁[むぎわら]のやうに黄金[こがね]色に光る足は無けれどもよく何[なに]にでも巻付くなり大きなるもあり小[ちい]さなるもあり怖くもなんとも無き蛇[じゃ]なり
[じゃ]が曰[いはく]
「お女中いっしょに行かふわし蛇[じゃ]わし蛇[じゃ]
「のふ怖やたすけてたべ
小僧が曰[いはく]
「道が泥[ぬか]って根から蛇から逃げられぬ

▼六月朔日…六月一日の富士山のやまびらきに合わせて各地の浅間神社などで麦わら細工の蛇が配られていたことをモトにしています。この麦わらの蛇は台所などに飾られていて、それがごみになってどぶに流れていったものを、ここではおばけとして描いています。菊池貴一郎の『江戸府内絵本風俗往来』(1905)などにも火伏せのおまじないとしてこの麦わらの蛇が出されていた事が記されています。
▼尻尾の剣…蛇や竜の絵画や細工物のしっぽにつけられる剣状のもの。
▼惣身…全身。
▼足は無けれども…蛇に足が生えてるのを見ると縁起がよいという俗信を受けたもの。
▼一切という意味のことば「根から葉から」と「蛇」の地口。

爪の火[つめのひ]
爪の火と云ふは貪欲[どんよく]多き者の怨念也これ一生天道[てんどう]に背[そむ]きたる利を貪[むさぼ]り不自由のみして身を苦しめ多くの金を蓄[たくはゑ]て死したるひと黒闇地獄[こくあんぢごく]に堕[おち]て貪欲の闇黒[くらやみ]に迷ひ斯[かくの]如く爪に火を灯して娑婆[しゃば]に残し置きたる金を探し求めんとするなり浅猿[あさまし]き事ならずや
「恐ろしき執念[しうねん]じゃ

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▼爪の火…「爪の頭に火をともす」というケチを表す言葉をモトにしたもの。万象亭は『画本纂怪興』(1791)で同様に大きな手が爪から火を出している「しわん坊」というおばけを出しています。また京伝自身も後ちに『怪談摸摸夢字彙』(1803)の「古銭場の火」で同様の主題を再利用しています。
▼天道に背きたる利…悪いことをして財をなすこと。法外な利子をとること。
▼黒闇地獄…全域が暗黒に包まれていて、何も見る事が出来ない地獄。
▼娑婆…この世。
校註●莱莉垣桜文(2010) こっとんきゃんでい