鑓手婆々 [やりてばばあ]
▼鉄熊手[かなくまで]古く成[なっ]ていよいよするどく▼鎗[やり]と化して▼やりてとなるしかれども熊手の性[しゃう]うせずして掻込[かきこみ]たがる
▼鉄熊手…先が鉄で出来ている熊手。合戦や捕り物のときに敵をからめとって引き寄せる道具。
▼鎗…鑓と同様。
▼やりて…女郎屋で纏頭(花代)をちょこちょこ要求してくる「やりて婆」と武器の「やり」をかけたもの。
臑の火 [すねのひ]
▼貧州[ひんしう]非渡[ひと]の浦或[ある]は▼身代[しんだい]八瀬[やせ]の里にあり馬鹿[ばか]を▼つくしの果[はて]身を▼しらぬひ又は根太[ねだ]をたく火みな同火[どうくわ]なり此[この]妙火[みゃうくわ]家に至るときは▼十の字の尻を曲[まげ]札[ふだ]にしてはれば急難をのがる
▼貧州非渡の浦…「駿州三保の浦」の地口か。
▼身代八瀬の里…財産がカラッケツに向かう「身代が痩せ」と、京都大原の「八瀬の里」のかけことばで作った地名。
▼つくしの果…「ばかをつくし」と「筑紫の果て」のかけことば。
▼しらぬひ…肥前肥後の海などで見られるという海の上に浮かぶふしぎな火。
▼十の字の尻を曲…七。「質屋ヘ飛ベ」という指令。
座頭金 [ざとうがね]
此[この]▼光り物はじめはわづかの▼目腐金[めくさりがね]五両壱歩三両一歩に世間の▼目玉抜け終[つい]に一とかたまりの▼座頭金となるさぁそれからは▼火の降る家々へ飛来[とびきた]って▼強気[がうき]に利を喰ろふ▼御釜[おかま]返しといふも類[たぐ]ひ同じ
▼光り物…空をぴかぴか光りながら飛んでゆくというふしぎなもの。
▼目腐金…ほんのちょっぴりの銭金。
▼目玉抜け…はげしくおどろく揺さぶらされる。
▼座頭金…座頭さんたちが商売として融通してくれるお金をくすぐったもの。一般の金融よりも利息が高かった。
▼火の降る家…首が右にも左にもまわらなくなった家。
▼強気…座頭さんたちの取立ては幕府の後ろ盾という金看板があるので大変きびしかった。
▼御釜返し…次から次へと順ぐりにかえること。ここではあっちで借りこっちで借りをつづけるひとのこと。
己等野の夜婦会 [おいらがののよふくわい]
▼絵馬の喰ふたる草の跡▼鬼こもる▼おいらが野といふこの野のぬし美人にして▼天上より落つかと疑ふ絶[たへ]て不見[まみへざる]人を見ては怖[こは]と叫ぶ又[また]恨[うらみ]ある者の髪をきる▼さいつ頃▼髪きりとて世に恐懼[おぢおそ]れしも此[この]▼夜婦会[よふくわい]より発[おこ]る彼[かの]▼玉藻[たまも]の前にひとしく実は▼九尾にて多くの客を誑[たぶら]かす寝る迄[まで]は狐の衣裳をいろどり▼閨[ねや]に入[いり]ては白狐[ひゃっこ]となる猟人[かりうど]却而[かへって]罠にかかる奴サ
▼絵馬の喰ふたる草の跡…絵馬から馬がぬけだして外で草を食べたり畑を走って荒らしたりした、という昔話を引いたもの。江戸では浅草寺の狩野元信の絵馬が有名。
▼鬼こもる…浅草の北あたり、浅茅が原の一ッ家の鬼婆を引いたもの。ようするに吉原の方角。
▼おいらが野…「おいらが」は「おいらん」の語源になったと俗に言われるかむろ等が使う「おいらがねえさん」から。
▼天上より落つ…天女と見まがう美しさ。
▼さいつ頃…先ごろ。
▼髪きり…ここでは実際に噂にのぼった髪の毛をバサッと切ってしまう怪異と、遊女が客に切った髪の毛を渡すことをないまぜにして書いています。
▼夜婦会…妖怪。「遊女に会う」という字面でまとめたあて字。
▼玉藻の前…足利時代のお伽草紙『玉藻前』などに出て来る狐が化けたという美女で、鳥羽院の寵愛を受けて世を乱そうとしましたが正体を暴かれて退治されます。
▼九尾…玉藻前の正体は俗に「九尾狐」といわれています。ただし足利時代の段階では二尾でした。
▼閨…ねどこ。
矢口の茶里場狐 [やぐちのちゃりばきつね]
近き頃此村[このむら]にて▼百性[ひやくせう]ども皆[みな]化[ばか]されたり▼鎮守[ちんじゅ]の神主を▼伊久太夫[いくたゆふ]と云[いひ]▼つかはしめの狐を▼道念[どうねん]といふ邪[よこしま]ある者の胸中を知る事神霊[しんれい]のごとしおし包[つつみ]懺悔[ざんげ]せざれば▼まだあるまだ有[ある]といふ
▼百性ども…百姓。のうみんたち。
▼鎮守…鎮守さま。村のうぶすなさま。
▼伊久太夫…豊竹伊久太夫。浄瑠璃がたり。
▼つかはしめ…使姫。神様のつかい。
▼道念…浄瑠璃の『神霊矢口渡』(1770)の登場人物から。四段目では稲荷の社を舞台に、道念が主家の旗をまもるために狐のお面をつけて出て悪人たちの悪さを言わせる場面があり、それを引いたもの。
▼まだあるまだ有…『神霊矢口渡』(1770)の四段目で狐に化けた道念が「まだ有るまだ有る。隣の権助が房州へ鰯網にいた留主で。かかぁを汝がちょろまかし、孕ませた迄知ってゐる」と、ついでに、百姓に自白をさせてしまうせりふから。
躍狐 [おどりこ]
この艶獣[ゑんじう]馬[むま]の骨ならぬ▼象牙をたしなみもち猫の皮にて張[はり]たる器に▼三すじの線[いと]をかけこれを弾[だん]じて▼迦陵頻迦[かれうびんが]の声を発し目利懸[めりかけ]或[あるい]は▼匂ひざくらのはんな笠など諷[うた]ふそれを面白い妓[ぎ]と化[ばか]されきまらんとすれば大きに喰らひ込む▼送り狼とは異[こと]にして己[おのれ]▼転んで人を乗らしめ赤口[しゃくこう]を開き▼金気[きんけ]を吸ふ近寄[ちかよる]者▼眉毛をぬらすべし
▼象牙…象牙製の三味線のばち。
▼三すじの線…三味線の弦。
▼迦陵頻迦…天竺につたわる美しい声で鳴く鳥。
▼匂ひざくらのはんな笠…長唄の『鷺娘』に出て来る文句。「はんな笠」は漢字でちゃんと書くと「花笠」。
▼送り狼…夜の山道で狼がひとのうしろをついて来るというもの。あるいはそれから転じて夜、女のうしろをついて来る男のこと。
▼転んで…「送り狼」につけられている時に転ぶと襲われてしまう、ということを引いたもの。ただし、ここでの「転ぶ」はお客のいいひとになるという意味の「転ぶ」です。
▼金気…おかね。
▼眉毛をぬらす…俗にいう、狐や狸に化かされないようにするためのおまじない。
山寝子 [やまねこ]
山の手には▼赤城[あかぎ]▼水辺[すいへん]にては両国回向院[ゑかういん]前にのみ有りしが近頃は市ヶ谷八幡の山へも出て▼会[くわい]をなすよし▼傾城[けいせい]と地女[ぢおんな]を▼ひりくるみにしたるけだものにして尤[もっとも]毛あり
▼赤城…牛込にある赤城大明神。
▼水辺…隅田川のほう。簡素に申せば下町。
▼会…怪。「己等野の夜婦会」の「会」と付けかたは同様。
▼傾城と地女…遊女とふつうの町娘。この「山寝子」はひそかに売春をしていた女性をさす「山猫」をもとにしたものなので、遊女と町娘をまぜたような、という表現が書かれています。
▼ひりくるみ…ひっくるめる。
古老薬鑵 [こらうやくわん]
出[いで]ては▼馬喰町を寓[やど]とし▼公事[くじ]の▼穴を知り下より出[いで]諸人[しょにん]の股[また]を潜[くぐ]り▼下っ腹に毛なくして挙句の果[はて]には人を茶にする村の▼兀頂[こつてう]其[その]光る事▼薬鑵[やくわん]のごとし
▼馬喰町…公事宿と呼ばれる江戸に裁判をするために来たひとたちのための宿屋が多くありました。(柳多留「馬喰町ひとの喧嘩で蔵を建て」)
▼公事…裁判。
▼穴…あることについてのこまかいこと。ここでは裁判ごとに関するあれこれ。
▼下っ腹に毛なくして…あくどいじじい。「古狼」はおなかの毛がない、と言われるところから出来たことば。
▼兀頂…はげたあたま。
▼薬鑵…「やかん頭」は「はげ」のこと。ここではひとにあだなす野獣を示す「古狼野干」をかけて名前を造っています。
野暮女 [やぼめ]
むかしむかし▼内心[ないしん]夜叉[やしゃ]のごとく嫉妬[しっと]深き婦[をんな]化して焼餅[やきもち]となるこれ▼殺生石[せっしゃうせき]の▼おっかぶせなり今も夫婦喧嘩に女房の尻をもち▼悩[ほむら]を焼[やか]しむ
▼内心夜叉…「外面如菩薩内心如夜叉」というおんなごころを評したことばを引いたもの。
▼殺生石…上野国の那須野ヶ原にあった石で、まわりによると生き物が死んでしまうと言われていたもの。
▼おっかぶせ…まがいもの。にせもの。
▼悩…炎。胸の炎。
意気婦 [ゐきをんな]
花の顔[かんばせ]柳の腰▼桟舗ヶ嶽[さじきがたけ]にて羽衣を着替[きかへ]ること度々[たびたび]にしてめったに五色[ごしき]に変[かは]る其[その]怪[あやしみ]をしらずして愛す男は忽[たちま]ち▼腎気[じんき]を吸[すは]れ五尺骸[からだ]が三尺解[とけ]る▼化粧のものといふも是[これ]なり
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▼桟舗ヶ嶽…芝居小屋の桟敷席。
▼腎気…精力。むかしは腎臓で精液が製造されると考えられていました。
▼化粧のもの…「化粧」と「化生」のかけことば。