当世故事付選怪興(とうせいこじつけせんかいきょう) 21-30


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魔夫 [まおとこ]

長途[ながたび]の留守の家へは必[かならず][きた]って[ぬし]ある女[なめ]

▼主ある女…人妻。
▼嘗る…ちょうだいする。

鷺娘 [さぎむすめ]

一ととせ羽州[うしう]橘郡[たちばなこほり]市村[いちむら]瀬川[せがわ]といふ所へ出て見物[けんぶつ]おびただしかりしが[ふたたび][いで]見し人の語りしは雪女[ゆきおんな]に似てそれよりも美しく路考[ろかう]申されずとぞ

▼羽州橘郡市村…市村座。市村羽左衛門の「羽」、市村家の紋の「橘」、座名の「市村」をつかってつくった地名。
▼瀬川…「鷺娘」をはじめて歌舞伎の舞台で踊った二世瀬川菊之丞からつけた地名。
▼再出ず…1762年に市村座で演じられた『柳雛諸鳥囀』にある「鷺娘」は、以後ながい間にわたって演じられることはありませんでした。
▼雪女…雪の降る日に出るというおばけ。「鷺娘」の着物が真っ白いのを引いたもの。
▼路考…瀬川菊之丞の俳号。「路考」と「とこう」の地口か。

吉田鳥 [よしだてう]

鐘撞堂[かねつきどう]の辺[へん]に住[すみ]て蝙蝠[かうむり]と同じくおふまが時にむらがり出[いで]湿深[しつふか]の地を好んで柳がもと[あるい]材木の間に彳[たたず]行人[かうじん]を引込[ひきこむ]老鳥[ろうてう]にも振袖[ふりそで]の翅[つばさ]あり此[この]怪鳥[けてう]にあふもの日ならずして鼻をうしなふ[ふたたび]行く気は中橋[なかばし]中橋[なかばし]

▼鐘撞堂の辺…本所入江町にあった時の鐘のこと。すぐ先には夜鷹という私娼が多く立ち、その場で売春をしていた事で知られる吉田町があり、ここではその界隈をさしています。
▼おふまが時…逢魔時。夕暮れどき。
▼湿深の地…じめじめしたところ。
▼柳がもと…柳の木のした。
▼材木の間…立てかけられたり、寝ころがされている材木。柳の木と材木置き場はともに夜鷹の商売場所。
▼行人…通行人。
▼老鳥…夜鷹のなかには、とんでもない年季の入ったものもいて、そういう夜鷹が年に不相応な振袖を着て立っていたことをくすぐったもの。
▼日ならずして…幾日もしないうちに。
▼鼻をうしなふ…梅毒で鼻がとれちゃう。夜鷹の多くは梅毒に感染していました。

夜衾 [よふすま]

紙蝶[してう]化して夜衾[よふすま]となる紙蝶の時は野ぶすまのごとく夜衾[よふすま]と化[け]しては狸の睾[きん]のごとし羽団[はうちは]魔風[まふう][はげ]しき愛宕[あたご]の下より初めて出しゆへ天徳寺[てんとくじ]とも人呼ぶ

▼紙蝶…紙で出来た蚊帳の「紙帳」と「蝶」のぬえ合成。
▼夜衾…衾は、夜ねむるときに体にかける大きな着物のような形の寝具。布団がひろまるまで、一般の家の寝具として使われていました。
▼野ぶすま…ももんがのような姿をしているもので、夜道などでひとの顔にかぶさってくると言われたりしていました。
▼狸の睾…狸の金玉。俗に八畳敷きの大きさに広がると言われています。
▼羽団…羽団扇。「天狗」の持ち物としてよく知られるもの。本来は軍師の持ち物。
▼魔風…「天狗」などが巻き起こすという突風。つむじ風。
▼愛宕…愛宕山。京都の愛宕山は「天狗」の巣として有名ですが、ここでは江戸の芝にある愛宕山。
▼天徳寺…紙で出来た寝具。紙衾。芝の天徳寺で考案された事からこの呼び名があります。

見得坊 [みゑぼう]

実は裸虫[はだかむし]なれども借り着[ぎ]いきちょんと化[ばけ]る手に銀ながしのきせるをもち口にりきんだ熱を吹くその様[さま]不景気

▼裸虫…おさいふカラッケツ。
▼借り着…見栄えのよろしい貸衣装。
▼いきちょん…イキな髪形の御仁。
▼銀ながし…銀めっき。外だけ飾って内側は、という「みえっぱり」のこともこう呼びます。

坪皿屋舗 [つぼざらやしき]

清女[せいじょ]が書[かけ]るおそろしき月夜も品定めのしょぼしょぼ雨夜も丑みつ頃には極[きは]めて夜発蕎麦[よたかそば]に手を鳴らす至[いたっ]てすばらし

▼清女…清少納言。『枕草子』の「心地のあしくもののおそろしきをり夜のあくるほどいと心もとなし」を引いたものか。
▼源氏…紫式部の『源氏物語』の「帚木」にある光源氏たちが女の品定めを雨降る夜に話す場面を引いたもの。
▼丑みつ頃…午前2時ごろ。
▼夜発蕎麦…夜、街中に屋台を背負って蕎麦を打って歩く商人。お客は主に夜おそくまで仕事をしているひとですが、中には夜おそくまで「つぼふり」のサイコロの目を見て丁だの半だの呶鳴っている方々も。

赤坂野狐 [あかさかやこ]

祭りには神慮[しんりょ]をすずしめ旅立[たびだち]には人気[じんき]をいさましうす[おつ]化物なり近年は鳶凧[とびだこ]の状[かたち]を借り天狐[てんこ]とならんことを望む与勘平[よかんべい]も今は白狐[びゃっこ]にや成[なり]ぬらん

▼乙な…お祭り行列や、大名行列に出て来るやっこさん、赤坂奴のカッコイイ姿かたちをさしたもの。
▼鳶凧…やっこ凧のこと。
▼天狐…やっこ凧が空にあがる様子を、位がたかくあがった狐を言う「天狐」にかけたもの。
▼与勘平…浄瑠璃の『芦屋道満大内鑑』に出て来るやっこさん。狐つながりという事での登場。

五十象 [ごぢうぞう]

じくじく[たに][はたけ]などに[すむ]そそり唄のツサといふ所に感じ姿をあらわし己[おの]が穴へ引[ひき]ずり込む彼[かの]元興寺[ぐわんかうじ][莫+(鹵-ト)]化[ももんぐわ]の類[るい]なり

▼じくじく…じめじめ。
▼住…谷や畑に住んでるというのは、「五十蔵」という一回五十文でお客をとっていた私娼が、そういう場所で活動してた事から採ったもの。(柳多留「五十蔵大根を持て追って出る」)
▼そそり唄…そそり節、なげ節。遊里のことをうたった歌。
▼元興寺…平城京にある寺。ひとを喰う鬼が住んでいたという話は『日本霊異記』などにも載っていて古くから知られた話。
▼[莫+(鹵-ト)]化…ひとを食べちゃうというおばけ。ももんがぁ。

御門祖父 [ごもんぢぢい]

番町小川町へん[]多しみな織介[おりすけ]角内[かくない]などのとし古く成[なり]たるが化[け]して是[これ]に成る此[この]化物を見届んと魚鳥[ぎょてう]といふ誹人[はいじん][かれ]が栖[すみか]に至る[き]早くも知之哉[これをしるや][ふだ]を出[いだ]し置[おい]て不許入[いることをゆるさず]其札[そのふだ]の面[おもて]魚鳥留[ぎょてうとめ]

▼番町小川町…どちらも武士の家が多く建っていた屋敷町。
▼織介角内…どちらも武家のしもべにはよくある名前。ちゅうげん。
▼とし古く成たる…武家屋敷の門番をするために立っている辻番所の番人のことを、コワイおばけをあらわす呼び名のひとつ「ももんじい」とかけたもの。清水晴風の『神田の伝説』(1913)などによれば辻番にはたちの悪い者も多くいたそうです。
▼渠が栖…辻番の小屋。
▼鬼…ごもんじじい。
▼魚鳥留…法事や忌日のときに門前によく張り出されていた文言。これを使いたいがために魚鳥という号の人物が登場するというシカケ。

真黒首 [まくろくび]

轆轤首[ろくろくび]ほどにはあらねども[たぼ]損ずるを厭[いと]小袖に襟垢[ゑりあか]の付くのを悲しみ首筋[くびすじ]長くぬき出し袖頭巾[そでづきん]黒雲のごとく風に翻[ひるがへ]して通る故[ゆへ]に此名[このな]あるでござりやす

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▼轆轤首…夜になると首がするするとのびて飛び回るというもの。
▼髱…結った髪のうしろのふくらみ。
▼損ずるを厭ひ…くずれちゃうのはイヤン。
▼首筋長くぬき出し…着物のえりが汚れるのがイヤだから首を前に、えりを後ろにウンと出して着てる様子を「ろくろ首」としてくすぐったもの。
▼袖頭巾…目の部分だけを残してぐるりと頭を覆う頭巾。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい