実業の栞(じつぎょうのしおり)新聞雑誌商

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新聞雑誌店

新聞雑誌店と云へば新聞雑誌を並べ商ふ事[こと]元よりの話ながら、其実[そのじつ]新聞は客の傾きありて、常に雑誌が主となり居るもの也。市内にて此店の多きは本郷[ほんごう]神田[かんだ]の二ヶ所にして、こは購読者の多数が学生なるがゆゑ、さてこそ学校の本場所と聞えたる土地に営業者の多き訳なれ。有名なる店は神田にて東京堂[とうきゃうだう]、京橋の北隆館[ほくりうくわか]東海堂[とうかいだう]等にして、市内各所の店は大抵これらの大店[おほみせ]より卸し来るなり。

▼学生…大学生たち。
▲資本金

大売捌[おほうりさばき]となりては其[その]資本却って小さき出版元にも越[こゆ]べけれど、普通店頭には数十種の雑誌及び新作小説等を体[てい]よく並ぶるには、四五百円もあらば充分なり。

▼大売捌…出版社から雑誌や本を買って、店頭で販売をしている店。当時の本の奥付などにもよく記載されています。
▲利益

は雑誌は一割乃至二割なれども、定価より五分引[ごぶびき]にて売る品もあれば、先[まづ]は一割が関の山なるべし。小説類となれば二割乃至三割の利ありといふ。

▼関の山…限界。
▲売口よき品

は極[きは]めて俗なるものにて、同じ小説雑誌にても新小説のやや文学的なるよりは文芸倶楽部の写真版沢山[だくさん]なる方[かた]売口多きが如く、其他[そのた]小学児童相手のものも好況にて、近来また女学生向のもの売行あるは、全く都下に女学校勃興せるの結果、其[その]学生の漸々[ぜんぜん]増加するがゆゑなるべし。惣じて雑誌類は其[その]発行当日に最も売行よく、追々日を経[ふ]るに連[つれ]て売足[うれあし][にぶ]るものなれども、何しろ各所より出[いづ]るもの多ければ、毎日四五種づつは新刊物ある勘定にて、流行る店となれば常に客足絶[たえ]ず新旧取交[とりまぜ]て中々[なかなか]の売行あり。猶[なほ]委託販売のものは売残品[うれのこりひん]は凡[すべ]て発行元へ返す事とて、些少の損もなけれどサテ委託物に売口よきは少[すくな]し。

▼写真版…『文芸倶楽部』など当時の雑誌には芸者や遊女、役者の写真を載せたページなどが既にありました。
▼漸々…じわじわと。
▼委託販売…現在の書店での委託販売とほぼおなじかたちの販売方法。
▲繁忙の時期

定期刊行物として毎月発行さるる雑誌類にありても、猶[なほ]繁忙と閑散の時期あり、毎年九月前後より翌年一二月にかけては売行よろしけれども、夏季は閑散なり。之[これ]は書籍商[しょじゃくしょう]の如く購読者の多くは学生ゆゑ、暑中は休暇を得て帰省するもの多く、都下に止[とど]まるは土着の人に過[すぎ]ず、それとても随分避暑旅行に出立[いでた]つが多きを以[もっ]て也。

▼土着の人…お江戸うまれの下町っ子&山の手っ子。
▲新聞の売口

は迚[とて]も専門の新聞舗[しんぶんほ]の百分の一も及ばず、唯[ただ]ほんの店へ尋ね来る人の為[ため]、毎日一種につき十枚づつを店先へ並べ置くに過ぎず。されば今では之[これ]を置く店は極めて少数にて、新聞と雑誌は全く分業の体[てい]になれり。因[ちなみ]に記[しる]す、新聞舗とても大抵なる店は本社と取引するは少く、多くは大売捌[おほうりさばき]へ行きて卸し来るもの也。其[その]配達夫の如きも給料各本社と変らず、日給二十五銭を給するが常なれば、可なり多くの得意なくては営業とならざるより、開業の始めは代価を割引して得意を造り、主人自[みづか]ら草鞋穿[わらぢばき]となって働くが多きなり。また或店[あるみせ]の配達夫にして独立営業するには、百軒余の得意を造れば先[ま]づ配達夫なりし時と同じ位の収入はあるものにて、勿論[もちろん]自分にて何から何まで立働[たちはたら]くを要す。

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▼新聞舗…新聞店。契約をしている各戸各戸へ新聞を届けるお店。現在のものと大体同じです。明治10年ころまでは各新聞とも配達がまだまだ未整備でしたが、明治40年代には夕刊が配達できるほどにまで進化しました。
参考→「嘗て試みられたる新聞夕刊
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい