▼嵐がむせびし松が千とせをまたで薪[たきぎ]にくだかれ古き塚はすがれて田となり其[その]形ちだになくなりぬるかなしさよと言[いい]ながら懐より乳呑子[ちのみご]を出して脊中[せなか]に笈[お]ひて▼をくれの髪を撫[なで]上げながら我も現世[げんぜ]の人の▼口の葉にかかる▼産婦[うぶめ]とて雨夜のつれづれに嬰子[みどりご]を抱[いだ]いて其[その]子を抱ひて下されと頼[たのみ]かけて涙交りのくどきごとを言[いい]ながら消へ失せるよし我も是を聞ひて世の人を笑ふ事甚[はなはだ]し跡にて其[その]頼[たのま]れたる人抱ひたる子を見れば石仏[いしぼとけ]の抔[など]を持[もた]せたりと語れども是より▼近き世に有[ある]化物共我子[わがこ]を人に抱[いだか]せんと工夫する輩[ともがら]多くあるぞかし其家業を芸者と言[いい]又[また]踊り子と呼[よぶ]必々[かならずかならず]鯲[どぜう]の吸物の類に混ずる事なかれまづ花の盛[さかり]には▼上野[うへの]飛鳥[あすか]の空に知られぬ雪を踏んで女のあるまじき紋付[もんつき]の羽織を着[ちゃく]し▼五枚裏三枚裏の寄せ緒[を]の草履[ぞうり]を履ひて▼地口を言[いい]ながら多葉[たば]この閉[つまっ]た長ひきせるの▼雁首[がんくび]を笄[かんざし]で堀りながら行姿[ゆくすがた]男を茶にした身のとり廻し歩行[あるく]拍子に紅[もみ]のぱっちと浅黄縮緬[あさぎちりめん]の下帯[したをび]が▼竹馬の古着売[ふるぎうり]が涼風[すずかぜ]に見世[みせ]を出すやうにひらりひらりと見へ継棹[つぎさほ]の三味線は▼菊岡が高き価[あた]ひをいとはず撥[ばち]の▼さい尻の紋所[もんどころ]は金泥[きんぷん]の光を増し▼根尾[ねを]の金物は飾り師の細工細[こま]やか也[なり]糸は▼座糸をもって最上とし▼箱の中は▼歌の本と菓子を包んだ紙が混雑をなす夏は楼舟[やかたぶね]の二[ふつ]か酔ひ秋は▼二夜[ふたよ]の月にかか様[さん]の袷[あわせ]の表[をもて]をねだり出し冬は雪見年忘れにちと身を嗜[たしな]む人の喰[くは]ぬ鰒[ふぐ]を喰[く]ふ姿は女にして心は男也[なり]此[この]遊芸の始[はじま]りは▼漢家[かんけ]には虞氏[ぐし]楊貴妃[やうきひ]王昭君[わうせうくん]▼吾朝[わがてう]には鳥羽帝[とばのみかど]の▼島の千歳[せんざい]若の前より男舞[をとこまい]と言事[いふこと]始[はじま]りけり後[のち]に水干[すいかん]に袴[はかま]斗[ばか]り着て舞ふ是を女舞[をんなまい]と名付[なづく]其[その]流れを汲む踊り子は形は女心は男とは先[まづ]親々[をやをや]の気立[きだて]に相違なること有り▼女は母親の育[そだて]がらといふ諺[ことわざ]の通り幼少の時よりいかに賎[いや]しき生[うま]れなりとも心はなどか賢[かしこき]より賢[かしこき]にもうつさばうつらざらんと言[いふ]本文[ほんもん]の如く手習[てならい]読物[よみもの]針仕事を専一[せんいち]と教[をし]ゆべきをアノ師匠は▼手がかたくって女のには悪ひそして▼天神講が高ひと言触[いいふ]らし読物[よみもの]も▼庭訓[ていきん]より外[ほか]に無ひ物と心得[こころゑ]師匠から帰るとヤレ秋の彼岸から▼中食[ちうじき]に帰らぬから▼ひだるからふとてお袋神が▼杉の葉を燃[もし]つければ旦那殿が双紙を干しながら女で此[この]位[くら]い書けば▼無筆にはならぬと読[よめ]ぬ癖の▼なまものじりやふやふ茶が出来て飯を喰ふて仕舞ふと▼一ッ長屋の作次兵衛が娘のおさるが誘ひに来てサァおうたさんあひびなわたしゃァきのふ畳ざんを上げやしたヨアノ▼合の手は夜鷹[よたか]けころばし船まんぢうと言[いふ]文句に能[よく]合ひやすよと▼長ひ路次[ろじ]に敷詰[しきつめ]てある板を▼草履下駄[ぞうりげた]と駒下駄[こまげた]の音かしましく出て行[ゆけ]ばしばらく過[す]ると薄ひ黒ひ表紙の本と切り交[まぜ]の撥[ばち]を持[もっ]てしゃがれた声で▼大きな紋の書ひて有る障子を明けて内へ這入[はいっ]て夫[それ]から親子兄弟並んで居る所で起請誓詞[きせうせいし]をむねに書き▼すいとすいとの実くらべとかたれば親父は親はないかと誉[ほめ]れば母親は湯を汲替[くみか]へて遣[や]る一寒[ひとかん]通して声を盗むことを覚へて来ると奉公口を聞立[ききたて]て一春奉公[ほうこう]仕[し]て見る所が内に居るやうで無[なけ]れば七月[あき]の▼宿下[やどを]りから旦那が六ヶ敷[むつかし]ひの奥様の御夜詰[およづめ]が長ひと色々な難癖を付[つけ]て暇[いとま]を取りふらふら内に居ると屋敷の伯母様の所から▼月待[つきまち]に呼[よば]れ表[をもて]の地主の▼恵比寿講[ゑびすこう]で一段語[かたっ]て聞[きか]せれば大勢が物の入[いら]ぬことだからをしひものだから春から座敷を勤[つとめ]たが克[よ]ひと言[いわ]れて両親ながらその気に成り是からが芸者の▼発端[ほったん]で座敷へ出てをもをもしくどなたも御免なさりましとにじくり出て三味線箱の蓋を明けて袂[たもと]から紅麻[こうあさ]の手拭[てぬぐい]を出して糸をふひて上駒には鼻紙を寄[よっ]て拵[こしら]へ立て調子を合[あはせ]て▼法楽はあら面白の春景色から弾出[ひきだ]して花のあたりはよぎて吹[ふけ]から魚[うを]と水とへ飛越[とびこ]し京鹿子[かのこ]は色を含みし桜花さわらば落[をち]ん風情なりけりと三味線を下に置き▼めり安を好まれて▼本調子の一チを少し低くして▼二上[あが]りを弾出[ひきだ]す▼拳酒[けんざけ]に至[いたっ]てめったに人に手をさげず馬鹿らしひ客を見付ては▼金十郎と名を付て人をさみし少しひけそふな息子にはめりやすを教へて我内[わがうち]へ引き込みお袋に目くばせをすると仕廻[しま]ひ湯へ出て行くどふやらこふやら此[この]息子から仕送りをするやうになると親々[をやをや]の了簡ではどふぞ娘が▼酢ひものを好むやうに神仏へ祈るぞをかしけれ朝は人に持ち起[をこ]されて飯を喰って浴衣を持[もっ]て湯へ行[いっ]て戻ると髪を結ひ仕舞へば▼七ッ下[さが]りに成る両親は己[を]れがすごすと言[いふ]皃[かほ]が表[をもて]にあらはれやれ油は▼家橘[かきつ]がゑんがん香でなければ髪が▼ねまるの▼下村[しもむら]が舞台香の替[かわ]りに▼五十嵐[いがらし]が雪月花[せつげつくわ]も皃[かほ]になづみが克[よ]ひと号し綻[ほころび]壱ッ縫ふことはならず笄[かんざし]で▼茶漬[ちゃづけ]ても喰ふことを仕習ひ▼猫や鼠を飼ひたがり▼こはくの帯は塵が付[つく]と見やしみ▼風通[ふうつう]は▼囲ひ者の様[やう]で克[よ]く無ひの黒繻子[くろじゅす]は〆[しま]りが悪ひとのよまいごと▼三段めの切[きり]には▼広袖仕立[ひろそでじたて]の放蕩[どら]ものと転び合[あい]終[つい]に腹合[はらあは]せの兄[あに]さんの有る芸者と成りその末が天滴[あまだれ]程な流れの身となる是[これ]こそ親々が金の有る人に抱[だか]せたがるより起[をこ]るぞかし始[はじめ]にも言[いふ]通り幼き時より袋のいらぬやうに継[つぎ]ものでもさせるが女の道なるべきを後には悔[くひ]ても益なく親に不孝と呼[よば]るもをかしけれ仏も昔[むか]しは凡夫[ぼんぶ]なり我等[われら]も終[つい]には仏なりと唄ひし▼祗王[ぎわう]祗女[ぎぢょ]が母親は▼大相国[ぜうかい]の気にさからはず嵯峨[さが]の奥に常楽我浄[ぜうらくがじゃう]の観を凝[こら]して▼仏御前[ほとけごぜん]が善知識を招く人の親としては慈に止[とどま]ると書[かか]れしを少しは耳に挟み▼山庄太夫[さんしゃうだいう]▼猿島惣太[さるしまそうた]と名を後代に人買[ひとかひ]と残す今は娘に遊芸を習はせて子捨[こすて]籔[やぶ]には山吹の色を増す▼唐大宗[とうのたいそう]は▼鄭仁基[ていしんき]が女[むすめ]を▼元花殿[げんくわでん]に入[いれ]んと仕給ひしを魏徴[ぎてう]大臣彼女[かのをんな]には他夫[たふ]有りと言[いひ]しかば殿[でん]に入[い]るることを止[とめ]給ひしと聞[きく]ものを襟元[ゑりもと]に付ひて誰にも彼にも面白をかしき言葉付[ことばつき]は芸を売[うる]にあらず情[なさけ]を売[うる]にあらず己[をのれ]が心ざしを市のせりものにする道理ならずや芸が身を助[たすけ]て▼孔明が楼上で琴を調[しらべ]て▼仲達[ちうだつ]を退[しりぞ]け▼張子房[てうしぼう]が笙[せう]の音色の秋風に響[ひびき]しは上[うは]べの芸にあらず心の調べの深きよりと知るべし▼村上帝の弾[たん]じ給ふ琵琶の音色に▼廉承武[れんせうぶ]天下りて上玄石象[ぜうげんせきぜう]を伝へしは音色の徳にこそ因[よる]ならん▼小督[こごう]が有り家[か]を尋ね当りし▼弾正少弼仲国[だんしぜうせうひつなかくに]もりきんで寮の御馬[をむま]に乗[のっ]て出ては見たが尋ね出さぬと大笑ひになる所をうぬが笛を吹[ふき]御影[をかげ]で想夫恋[そうふれん]の爪音[つまをと]を知った自慢に連[つれ]て来て清閑寺[せいがんじ]で尼に仕た時[とき]今の世の口へらずの女ならば大きに御世話イイ所だねと言ふ所を言[いわ]ぬが古代のをとなしき仕打[しうち]一ッには御父[をんちち]▼桜町中納言重範[さくらまちちうなごんしげのり]の仕付[しつけ]の宜[よき]ゆへ也[なり]▼因幡の国の入道の娘とんだ美しひもので有ったが米の飯が嫌ひで栗を喰いけるゆへ嫁入りをさせざるを▼吉田法師が誉[ほめ]けるぞ有りがたけれ随分女子を育[そだて]るなら我々が如く人に子を抱[だか]せたることなかれ見るも見ざるも産婦々々[うぶめうぶめ]産後の名を穢[けが]す▼摂津守頼光[せっつのかみらいこう]が美濃守[みののかみ]の任なりける時▼平季武[たいらすへたけ]同国渡りと言所[いふところ]にて逢ひしと▼宇治亜相[うじあせう]の物語に書[かか]れけるよりして女の罪の深き事を▼人口[にんこう]に止[とど]む名利[みゃうり]の二字の外[ほか]に疑がひと言[いふ]▼胸の火を焚付[たきつけ]嫉妬の燃[ほむ]ら盛[さか]んとなるまだ段々咄[はな]して聞[きか]せませふと言[いふ]うち嬰子[みどりご]が泣き出しけるゆへしばらく此子[このこ]を寝せ付[つけ]るうち待[まち]給へ
彼[かの]姑獲鳥[うぶめ]片膝[かたひざ]立[たて]て懐に入れし乳呑子[ちのみご]を▼ねんねんころころ翌日[あす]はとふから御[を]ひんなれ小豆[あか]の飯[まんま]にとと添[そへ]てと寄合[よりやい]辻番[つじばん]の▼椽鼻[ゑんばな]に乳母[うば]の集[あつま]りて言[いふ]やうな声根[こわね]にてゆすり上々[あげあげ]幼子[をさなご]を寝せつけて言[いひ]けるは右にも言[いふ]ごとく女の罪ほどをそろしきものはなし皆々よくよく聞[きき]給ひて後の世の物語にし給へとて咄[はな]しけるは今は昔の事なるが▼播州[ばんしう]に▼須磨の入道と言へる武士[もののふ]の▼雑掌[ざつせう]に一二三与五六左衛門[ひふみよごろくざゑもん]とてふ▼骨[こつ]剛勢[ごうせい]の人にしてかりにもにやけた事を好まず明暮[あけくれ]▼反魂丹[はんごんたん]の受太刀[うけだち]の如く武術の稽古[けいこ]専一[せんいち]とこころざしけり此[この]与五六左衛門の家に主人の御先祖より伝はりたる皿十枚有り名付[なづけ]て▼宇治の皿と呼ぶその故[ゆへ]は▼巨勢金岡[こせのかなをか]が下絵にて▼源氏物語宇治十帖を画[ゑが]き大唐[だいとう]▼須金銭国[すきんせんこく]へ渡して▼嚊衆[かかしゅ]の焼餅と一所に焼上たる皿也[なり]殿の▼大客[たいきゃく]又は▼在国の振舞[ふるまひ]其外[そのほか]にあらざれば宝蔵を出[いで]ず然[しかる]に近年は与五六左衛門剣術を好み▼例の道具味噌から毎日々々遣[つか]ひければ▼煤掃[すすはき]の田作膾[ごまめなます]まで是[こ]れへ盛りける間[あいだ]さのみ下々[しもじも]は宝ものとも思はずやりばなしに遣[つか]ひちらかしけるに今年[こんねん]古須磨農入道[こすまのにうどう]隠居となられ子息[しそく]明石之助[あかしのすけ]へ家督相続有りければ例年の儀式にて件[くだん]の皿を召[めさ]れける侭[まま]与五六左衛門▼勝手働きの▼おきくと言[いふ]女を呼んで皿箱を渡し宇治の皿を揃へよと言付[いいつけ]しが日頃彼女[かのをんな]麁相[そそう]成[なる]生[むま]れ付[つき]ゆへ少し欠[かけ]た位[ぐら]ひは▼早継ぎ石漆[いしうるし]にて間に合[あは]せて見たれども二ッ三ッにくだけ或[あるひ]は底を抜[ぬき]抔[など]仕[し]ければ其侭[そのまま]に流しの下へ投込んで置[をき]けるが今日皿を揃へよと言はれて段々尋ねしにさし引[ひき]残る▼破[わ]れざる皿一枚より外[ほか]なかりければ与五六左衛門大きに怒り今度[こんど]殿の御跡目[をんあとめ]御相続の御祝儀に差出[さしいだ]す▼饗応[きゃうをう]の▼膳具[ぜんぐ]損じたる不届[ふとどき]我家[わがいへ]へ疵[きず]を付[つく]るのみならず再[ふたたび]千金を積んでも買事[かうこと]を得ざると言事[いふこと]は兼而[かねて]聞及[ききをよば]ん▼御家[おいへ]の御家風[ごかふう]相背[あいそむか]せ申間敷候[まうしまじくそうろう]与[と]請人人主から▼牡丹餅[ぼたもち]程な印形[いんぎゃう]を取[とっ]て置けば我[わが]勝手なりとて▼高手小手[たかてこて]に縛り上げ台所の大黒柱に縊[くく]し付[つけ]家来に言付[いいつけ]番をさせ我は▼公用繁[しげ]し明日罪に行[をこな]ふべしとて殿の御殿へ上[あが]りければおきくはただ泣[なく]より外[ほか]の事ぞなく胸の中[うち]では日頃信ずる大師様観音様腰より下の病[やま]ひでなければ▼淡島様[あはしまさま]も祈られず縛られた事なればと▼千手観音を再拝し口のうちにて祈りけるは我[われ]勿体[もったい]なくも下着の▼襦袢[じゅばん]に煮湯[にゑゆ]を懸[かけ]るとき▼多葉粉[たばこ]の茎と一ッにして千手観音を皆殺しにいたしましておまへの御名を穢[けが]しましたまっぴら御めんくださりまし何卒[なにとぞ]此[この]縄目[なわめ]を御解[をと]きなされて下さりましと祈りければ若侍[わかざむらい]ども番に草臥[くたびれ]酒に喰酔[くらいよひ]て神鳴[かみなり]が落[をち]ても知らぬ高鼾[たかいびき]▼仕済[すま]したりと荒縄[あらなわ]を喰切りそろりそろりと門[か]どの戸を明けて逃出[にげだ]せば夜はしののめ明近[あけちか]き頃[ころ]表門[をもてもん]の▼貫の木をそっと明けて雲を霞と逃[にげ]たりけるを門番扉の明く音を聞付[ききつけ]おきくが▼前垂[まへだれ]を落[をと]して有りしを逃[にげ]たるに疑ひなしと訴[うったへ]しまま若侍ども鑓[やり]よ棒よとひしめき追懸[おっかけ]けるがおきくが姿も見へずいかがせんと言[いふ]うちにアレ向[むか]ふの▼松原通りに後ろ姿が見ゆると▼ひしめけばおきくは暫[しばら]く松原の地蔵堂に腰を懸[かけ]てゆるゆると仕度[したく]を仕て逃出[にげだ]しければ▼斎藤別当[さいとうべっとう]が▼富士川にてをどろきたる水鳥の立[たつ]が如くに追懸[をっかけ]ければおきくは詮方[せんかた]なく村はづれの桶屋に▼井戸がわの拵[こしらへ]て表[をもて]に出して有りければ▼天の与へと悦[よろこ]び彼中[かのうち]へ隠れければ追手[をって]の侍そこよここよと尋[たづぬ]れど未[ま]だ夜のほのぼの明[あけ]にて薄霜[うすしも]に足跡の有[ある]を知[しる]べに此[この]井戸がわの中[うち]こそ心元なしとて▼手鑓[てやり]を突込[つきこ]みければむざんなやおきくが胸骨[むなぼね]をさし通しただ一鑓[ひとやり]にて仕留[しとめ]ければアット言[いふ]声にをどろき井戸がわを引きくり返し半死半生なる骸[からだ]を手鑓[てやり]五六本一ッにして逆様[さかさま]に釣[つる]し上[あげ]差荷[さしにな]ひに屋敷へかつぎ込みければアァ残念や我[われ]此[この]思ひ晴[はら]さで置[をく]べきかと言[いふ]を▼此世[このよ]の暇乞[いとまごい]にて事切れければ与五六左衛門も詮方[せんかた]なく▼受人[うけにん]え死骸を渡して▼野辺のけぶりとなしけるが▼盛[さかん]なる時はせいしおとろふる時はせいせられるとやら▼薩摩守[さつまのかみ]の一言の如く与五六左衛門春の末よりぶらぶら病気付[づき]ければ医薬専[もっぱら]に匕[さじ]を加減すれどもはかどらざりけり折[をり]から桜も散[ちり]て▼卯の花くだし降りつづき折知[をりし]り皃[がほ]の▼郭公[ほととぎす]夜を寝ぬ鳥も有[ある]ものと短か夜[よ]と言へど病[やま]ひの床[とこ]の起臥[をきふし]に▼まじりまじりと夜の明[あけ]るを与五六左衛門待侘[まちわび]て居たりけるに▼花橘[はなたちばな]の袖の香[か]に昔[むか]しの人の目[ま]のあたり勝手の方[かた]にておきくが声のほの聞[きこ]へければ与五六左衛門不思議に思ひ耳をそばだて聞取[ききと]れば何やら瀬戸物の砕ける音して細く哀れに物凄く軒に伝ふる天滴[あまだれ]の音に交[まじ]りし▼物越[ものごし]は一枚二枚三枚四枚五枚六枚七枚八枚九枚かぞへ終りて我[わが]砕[くだき]し皿の都合九枚と言[いい]ながらまた元へくり返し九枚八枚七枚六枚五枚四枚三枚二枚一枚と跡から読んでも九枚の数[かず]初而[しょて]からかぞへても九枚の皿▼はれ残念や我は▼地獄の浮責[うきぜめ]によもや九枚は砕きはせじと▼焔王[ゑんわう]の御前にて争ひしを▼見る目嗅ぐ鼻▼あらけなく汝九枚損ぜしに違ひなしと言[いは]れしを女心の浅はかに魂▼中途[ちうう]に迷ひ出て砕[くだき]し皿を改むるやっぱり同じ土くれの宝を損ぜし咎[とがめ]とて恐ろしき剣[つるぎ]の責[せめ]己[をの]れ与五六左衛門思ひ知らさで置[をく]べきかと▼アット泣[なく]声耳に入[い]り空[そら]物凄き恨[うらみ]の一言[いちごん]日頃の勇気も出[いで]ばこそ震[ふる]ひ震[ふる]ひ念仏申[もうし]て居たりしが夜も明方[あけがた]に勝手の方[かた]を詮議すれどもさしたる変ることもなし雨の夜の人静[ひとしづか]なる折柄[をりから]は毎度如此[かくのごとく]なりければ主[あるじ]の病気日々[ひび]に重く見へければ親類縁者寄集[よりあつまり]り▼祈祷の護摩のささばたきと▼ののめきければ日頃与五六左衛門方へ▼百万扁[ひゃくまんべん]の音頭に来る元[もと]都[みやこ]深草[ふかくさ]に住[すみ]ける▼錦手和尚[にしきでをせう]入来[いりきた]り例のおきくが物語を聞ひて幸[さいわい]今宵[こよい]雨も降[ふれ]ば我[われ]其亡魂[そのなきたま]と問答して死霊をなだめんとて宵より檀[だん]を構[かま]へ▼孔明が東南の風を祈[いのっ]た様[やう]な身振りで▼大般若転読[だいはんにゃてんどく]を初[はじめ]ける已[すで]に其[その]夜も▼丑満[うしみつ]頃大般若五百巻転読して跡[あと]百巻に懸[かか]らんとなす時▼無常の風をまぼろしの▼あだしのの露[つゆ]鳥部山[とりべやま]の煙[けぶり]たちさらで住[すみ]はつる生死流転[せうじるてん]の世のためし更に終りなく初めなきためしなれど人を殺さばましかばわずか宝にもせよ皿を破[わ]りしに我[わが]命を取[とら]れたるこそ恨めしけれとて例の通[とをり]九枚迄数へければ錦手和尚仕済[しすま]したりと合掌し引き入[い]る様な声根[こはね]にて▼定者必衰[せうじゃひっすい]▼会者定離[ゑしゃぜうり]とは仏の金言[きんげん]己[をのれ]女ながらも能[よ]く聞け形[かた]ち有[ある]物は必亡[かならずほろぶ]との譬[たとへ]也[なり]前世の約束なれば何[なん]ぞ歎[なげ]くにたらん常々▼三世相[さんぜそう]を見ざるや▼天帝[てんてい]より汝には米二合五勺二度の御仕着施[をしきせ]なること明白たり南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と十念を九念さづければ烏[からす]の啼渡[なきわた]るに連[つれ]てお菊が姿も消失[きへうせ]ければ錦手和尚檀上より下[を]りて今晩よりは白雨[ゆうだち]の晴れたる如くならん昔[むか]し▼弘法守敏[こうぼうしゅびん]はいざ知らず今時[いまどき]我[わが]如き法力者あらんや其昔[そのむかし]▼恵亮[ゑりゃう]砕脳[のふをくだき]て▼維仁[これひと]御位につき給ひ▼尊意[そんい]振剣[つるぎをふるふて]▼承平の▼将門[まさかど]亡[ほろ]ぶ哀れ某[それがし]其時[そのとき]生[うま]れ合[あい]なば抔[など]か彼に負[まけ]んやと▼広言[こうげん]吐[はい]て申[もうし]けるは大般若五百巻転読に当る時[とき]彼が亡魂[ぼうこん]の出[いで]けるも誠に奈落に一段落[をち]ると言へども五百生が間[あいだ]皿を破[わり]し咎[とが]にて手なき者に生[うま]るること疑ひなし又十念さづけしも一念他生[たせう]無量劫[むりゃうごう]仏の誓ひ有[あり]がたやと前[まい]へ出[で]ぬ後ろ面[めん]と言[いふ]経文の心也[こころなり]としかつがましく咄[はな]して今宵の様子を伺[うかが]ひけるも日も西山に落[をち]寂滅為楽[じゃくめついらく]の鐘の音[ね]もすみ渡り▼初夜[しょや]も過[すぎ]て▼後夜[ごや]に移[うつら]んとする時[とき]▼雨の足[あし]静[しづか]にして又前夜の通りに▼皿の数を改む錦手和尚手持無沙汰[てもちぶさた]の大しくじり与五六左衛門大きに腹を立て憎き▼鳰入坊主[ずくにうぼうず]夜も明けなば扣[たた]き出せと言[いい]つけけり東雲[しののめ]の頃[ころ]裏門より扣[たた]き放[はな]しにお定[さだま]りの▼割竹[わりだけ]其時[そのとき]錦手和尚▼手拭[てぬぐい]一ト筋[すじ]▼盗人[ぬすびと]に追銭[をいせん]と思ふてくれ給へせめて皃[かほ]をば隠したしと言[いひ]ければ下[しも]べ古き▼蒲鉾[かまぼこ]でん中[ちう]の菅笠[すげがさ]を遣[や]りければ誠に大般若五百巻読んで百巻残せし▼御ふ施に笠一蓋[かさいっかい]に有[あり]付けるゆへ▼末の世までも▼百巻の形[かた]に笠一蓋と申[もうす]なり夫[それ]より諸[しょ]親類相談して今宵は▼安居院[あくい]の法印を請[せう]じて▼営[いとなみ]をなしける其夜[そのよ]例の刻限にお菊が声として▼皿の数を取る時に法印きくに言[いっ]て曰[いわく]汝[なんじ]前[さき]に▼知識来て引導[いんどう]す再[ふたたび]来ること如何[いかん]と言へばおきく答[こたへ]て言[いう]は前[さき]の和尚大般若も読果[よみはた]さず其上[そのう]へ十念を一念残されしは▼礼奉公の様[やう]で気に懸[かか]る侭[まま]又今宵▼受状[うけでう]の心で出[いで]たると言へば法印何やら口のうちで唱へ汝が破[わり]し皿の数は九枚なれば▼九品[くほん]の台[うてな]の数に合[あ]ひ模様は源氏十帖にして▼小乗乳酢[にうそ]の法を兼[かね]一枚破[わ]れ残りしは▼一仏一体の道理有[あり]一念礼奉公と思はば▼中年[なかとし]八年出入十念にして中年[なかとし]の八年は▼八軸法花[ほっけ]の女人成仏を得んこと疑ひなし南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱へられて両方の手を出して▼子供の暇乞[いとまごい]をする様[やう]なことをせられしかばお菊は両方の手を出し親指一本折[をっ]て暇乞[いとまごい]の体[てい]をなす時に法印▼冠[かぶ]りを振り又暇乞[いとまごい]をせられければアラ嬉[うれ]しやと言[いっ]てかきけす如く消[きへ]けり与五六左衛門法印に向[むか]ひ仕廻[しま]ひに暇乞[いとまごい]をされしは何[なん]の法と聞[きけ]ば両方の手を出[だ]し陰陽合体し又去[さっ]て十枚の数調[ととの]ひしといつわりし法弁[ほうべん]也[なり]おきく女の疑はしき心から親指を折[をっ]て九本指を出[だ]せしは九枚破[わ]りましたと言[いふ]事なり夫[それ]でも十枚の数合[あい]たりと某[それがし]が暇乞[いとまごい]をせしはをさらばさらばと言[いふ]もやっぱり▼皿の縁[ゑん]ぞかしと言[いは]れて一座の面々感心しけり断[ことはり]や此[この]法印は▼紫式部が五十余帖を書きにし▼源氏供養の導師なれば▼宇治十帖の皿を破[わ]りしに安居院[あくい]の法印に成仏させしは道理なることなりけり爰[ここ]に以[もって]女の罪の深き事を考へて慎み給ふべしと▼件[くだん]の本の中[なか]へ消失[きへうせ]けり