扨[さて]その跡より一疋[ひき]の大猿座席につらなりて段々と各々[おのおの]の論を聞くに皆[みな]恨みのみ多[ををく]人を導[みちびく]為にあらず我[われ]もその昔は▼まさる目出度[めでた]しと門口[かどぐち]からほふり込[こま]れてお時宜[じぎ]を仕[し]て壱文[いちもん]づつ貰[もら]ふて歩行[あるき]しが今は数年[すねん]の▼星霜[せいそう]積[つも]りて狒々[ひひ]と言[いふ]一名▼笑ひとも名付[なづく]世俗[せぞく]狒々に成[なら]んとするには骸[からだ]へ▼松脂[まつやに]を摺り付[つけ]て砂を▼まぶると咄[はな]す然[しか]する事有[ことある]とも▼心の猿の利口[りこう]より仕[し]て奉公人の▼口入[くちいれ]を仕[し]て末は▼山師[やまし]仲間にならんより山奥に居[きょ]をしめて猟人[りゃうし]の浮目[うきめ]を助[たすか]るが宜しからん先[まづ]我々が骸[からだ]へ砂をまぶるより人間万事▼南京[なんきん]返し黒仕立[したて]紺の▼半沓[はんくつ]▼八わた黒白ひ所は歯と帯の▼はかた島[じま]斗[ばか]りにて▼腹に月の輪の有る熊の如く▼はっち尻はしょりと言[いふ]事が初[はじま]り呉服やも▼裾廻[すそまは]しの切[きれ]を横に付[つけ]て四度[よたび]に遣[つか]ふ口伝を教[をし]ゆ晦日屋[みそかや]と言[いふ]雑巾売[ぞうきんうり]歩行[あるけ]ば▼朔日丸[ついたちぐわん]と書ひた▼女医者の看板有[あり]誠や飛鳥川の▼淵瀬[ふちせ]替[かは]る世にしあらねばとやらにて人々の楽[たのし]みつきることなきも▼万歳[ばんぜい]の世の印[しるし]なるべし▼正直の頭[かうべ]に宿る▼太々講[だいたいこう]の仕舞[しまい]は二文四文の取遣[とりや]りと成り▼御法談の帰りは婆々様[ばばさま]立[た]チの嫁を誹る中立[なかだち]と聞[きこ]へ▼開帳場[かいてうば]の▼上ゲ物の札[ふだ]は▼年賦金[ねんぷきん]を見るやうに一割増しに書付[かきつけ]▼奉納の燈灯[てうちん]の名は随分大文字なるを以[もっ]てよしとす是[これ]所謂[いはゆる]世間の見へを仕[し]て▼信々[しんじん]は口斗[くちばか]りなり第一▼芸に遊ぶもの其[その]芸の生覚[なまおぼ]へに成[なる]と茶道[ちゃどう]ならば袖口[そでぐち]の出来上り程[ほど]帛紗捌[ふくささば]きがちっと音[ね]が能[よ]く成ると▼風呂先キには枕屏風[まくらびゃうぶ]の二枚折と混雑せぬやうに工夫をこらし咎[とが]をば我[われ]にをひにけらしなと言[いふ]茶碗の趣向サァ是[これ]からが四畳半の▼にじり込[こみ]裏店[うらだな]の無ひ▼路地懸[がか]りが出来ると中立[なかだち]後座の百持[もっ]て御膳に付ひたやうになんでもかでも残らず喰[く]ふが礼儀だと言[いふ]客を呼集[よびあつ]め末は茶座敷の別壮[べっそう]を建[たて]て▼捨金[すてきん]と言物[いふもの]を出して誹諧[はいかい]の口まねには呉竹[くれたけ]の▼囲[かこは]れと呼ぶと表向[おもてむき]は重き手代[てだい]の名にして内証[ないせう]は皆[みな]御物入[おものいり]也[なり]誠や文[ふみ]の上書[うはがき]に何之何右衛門様[なんのなにゑもんさま]初汐浦右衛門[はつしほうらゑもん]抔[など]と書[かき]て中は▼みすの封[ふうじ]の▼かよふ神こがるる様[さま]初[はつ]からと仕組んだ長口上を見るやうなもの又生花[いけばな]も昔[むか]しは名有人[なあるひと]立[た]チの心の楽しみにせられてさのみ人に是[これ]見よかしの慰[なぐさ]みにあらず夫[それ]を今は三日十八日抔[など]と何[なん]ぞ神仏[かみほとけ]の縁日を心懸[こころかけ]て茶屋を借切[かりき]り誰[たれ]社中生花会御見物▼九ッ時よりと▼ちゃらくら流の大文字を松板一ぱいに紙を張[はっ]て書付[かきつけ]当日になれば二階下へ幕打廻し毛氈[もうせん]を敷詰[しきつめ]各々[おのおの]考[かんがへ]こらして▼獅子口[ししぐち]に牡丹は▼富貴[ふうき]の人の生[いけ]たると覚[おぼ]へ▼釣舟[つりふね]に杜若[かきつばた]の▼一色[いっしき]は▼堀の亭主の趣向[しゅこう]釣瓶[つるべ]には枝垂柳[しだれやなぎ]に夏ぎくの▼留[と]メは▼番町辺の御屋敷方で勝手役人の趣向かぞへる花の面白みいふもさらなり見物の輩[ともがら]に鼻の先キへ札[ふだ]を張って▼それが生ケたと言[いわ]ぬ斗[ばか]りに▼富の札よりちと格好の大キナ紙へ文粹花廓[ぶんすいくわかく]抔[など]と▼烏石[うせき]風を真似た手で書ひて張付[はりつ]け正面の床[とこ]の間に置き花生ケに▼河骨[かわほね]の一[ひと]もと是[これ]は名も張付[はりつ]けず外[ほか]より随分寂[さび]た生ケやう水際立[みずぎはた]チて一座の先生と見ゆるぞかし是皆[これみな]花の会にあらず▼器物[うつわもの]の会也[なり]古代は物にかかはらず器物に寄嫌[よりきら]ひなく生たるままに投入[なげいれ]と呼[よぶ]今は此[この]花瓶[くわびん]は▼閻浮檀金[ゑんぶだごん]だのいや釣瓶[つるべ]の木は赤栴檀[しゃくせんだん]の香木抔[など]と▼羅漢[らかん]達が寄合[よりあひ]て極楽で花の会をするやうに大[たい]さうな器物也[なり]是[これ]花は表向[おもてむき]一通りにて我[わが]道具を人に見て貰ひたがるより起[おき]るきのふ迄の仏器の▼お前花を生ケた花売[はなうり]もけふは酒[さ]ケ苦斎[くさい]と号して立花[りっくわ]の師匠と成る俗が匕[さじ]を以[もっ]て薬を盛る様[やう]に小石を並べ▼敦盛[あつもり]の石塔へ手向[たむけ]る様[やう]にして楽しむ是等[これら]の人[ひと]▼上[うは]ばへ斗[ばか]りの付け焼刃[やきば]で心は皆[みな]見へ通の類[るい]也[なり]花を生[いけ]んよりは心の花の香[にほ]ひ深きを専らとし給へ其外[そのほか]に商人[あきんど]も見世[みせ]の椽鼻[ゑんばな]で将棋をさし碁を打[うち]或[あるひ]は▼漢楚軍談[かんそぐんだん]▼三国志の類[るい]を大黒柱に寄りかかって読んで居る輩[ともがら]中以下の▼商人見世[みせ]にあるものなり見への人目いぶせしあの亭主は身上[しんせう]を能[よく]するはづだ▼あのやうなむづかしい字を克読[よくよむ]と二[ふ]タ月も利足[りそく]を負けて貰ふた奴が誉[ほめ]るやうに仕かけて目利自慢[めききじまん]がこうじて▼似せ政宗[まさむね]の胡麻錆[ごまさび]の来るものを質に取ってどっちへ参りませうと言[いふ]族[やから]皆[みな]▼七ッ目と言[いふ]ものを▼信向[しんこう]して我らがやうな▼猿へ冠をかぶせ犬に烏帽子を着せてその位[くらい]に至らんと言[いふ]天運循環を不知[しらず]よりして無利なる願ひごとをするぞをかしけれ一段下の下品[げひん]に至[いたっ]ては▼鷲[わし]大明神は運の神と名付てむせうに朝夜霧を払って出て行[ゆけ]運の神だから強そふなものだが帰りには皆[みな]胴取[どうとり]の方へ▼むまみをとられ侘言[わびごと]してうけつことやらを仕て漸々[やうやう]▼芋の頭[かしら]を竹を輪にして釣り下げてひだるそうな顔色[がんしょく]で帰々[かへりがへり]明[あ]き店[だな]へ道具を運ぶ様に夜食を喰ふ此等[これら]の人▼浅草の市で大黒を盗むと仕合[しあは]せが能[よ]ひと言[いふ]輩[ともがら]にて夜は▼長ひ燈灯[てうちん]に何町[なにてう]若者[わかいもの]講中[こうぢう]と書ひて有るを灯して▼御詠歌[ごゑいか]和讃[わさん]念仏を申[まうし]て歩行[あるき]さらしの手拭を頬冠[ほうかぶ]りの様に仕て口に喰[くは]へ塗下駄を履[はひ]て▼音八が突っかかる様な声根[こわね]で▼帰命頂礼地蔵尊[きみゃうてうらいぢぞうそん]と言出[いいだ]すと同音に釈迦の心を憶念[をくねん]じと唱[となふ]れば障子を細目に明けて上げやせうと此頃[このごろ]色気付ひた娘がを▼ひねりを出すと手を握るやうにして受取[うけと]る是[これ]を名付けて世帯仏法腹念仏[せたいぶっぽうはらねんぶつ]と言[いう]彼等[かれら]が毎晩歩行[あるい]て溜[たま]った銭で寺の建[たっ]たを見ず仏の箔代[はくしろ]よりは人の箔をはがして漸[やうやう]出来る所が▼双鐘[そうばん]二[ふ]タから是[これ]もまた▼唱歌[せうか]の分[わか]らぬ念仏を申[まうす]も譬[たと]へよしんはせよしやよしかしの楽[たのし]みならめ兎角[とかく]迷ひの雲は晴れぬから何に遊ぶとも深入[ふかいり]をせぬやうに跡先[あとさ]き考へて我々は人間に▼毛が三本足らぬと呼[よば]れても竜宮で▼生肝[いきぎも]をとらるるからき目をのがれ▼蟹にしぶ柿を喰[くわ]せて腹を立たせて慰[なぐさ]み▼桃太郎の御供には日本一の▼黍団子[きみだんご]を喰[くい]けるまま各[おのおの]人間と生[むま]れては猿知恵をかはるることなく毛の三本多ひ替[かは]りに▼呼子鳥[よぶこどり]を猿と思ひ給ふなど言伝[ことづ]て▼所作事[しょさごと]の仕舞[しまい]では無ひが元の座にこそ直りけり
皆様[みなさん]の長物語りにつけて我[わ]が親父も参るはづでござりますが去年は大晦日が豆蒔[まめまき]でどこかへ逃[にげ]て参られました其節[そのせつ]わたしに一通り申[もうし]あげよと言付[いいつけ]ましたをはづかしいと言[いい]ながら出た所が▼青黛[せいたい]の眉の渡[わた]り▼丹花[たんくわ]の口付き愛々[あいあい]しく桃李[とうり]の粧[よそほ]ひ芙蓉[ふやう]の眸[まなじり]緑の簪[かんざし]雪の肌[はだ]へ▼毛[女+嗇]西施[もうしょうせいし]は▼四百余州の沙汰[さた]盛[さか]り過ぎたる▼妖桃[ようとう]の春をいためる百[もも]の媚[こび]は▼小野小町か▼桜姫といふ様[やう]な▼ぼっとりもの鼻紙を手でふきふき下へ居[すは]り御免なさりまし私は口不調法でと言[いひ]ながらしゃべり出すまづ皆[みな]人が邪けんなるものは鬼よ蛇よと言[いい]給へども心の鬼に身をせめられて▼虎の皮の下帯をする替りには▼緋縮緬[ひぢりめん]の湯具を〆[し]め▼牛頭馬頭[ごづめづ]の姿を引替[ひきかへ]て▼五分月代[ごぶさかやき]に人に▼つらの皮を千枚張[せんまいばり]と譬[たと]へられて牛のづうづうと仕た心ざしに馬の皮の様に厚き皃[かほ]の言分[いいわけ]をするる奴こそ鬼なるべし人の子を売り又は養子娘を仕て▼妾奉公[めかけぼうこう]を勤[つとめ]させ人はのめろうが死[しな]ふが不搆[かまはず]是等[これら]の類[るい]を皆[みな]人[ひと]▼鬼の女房[にゃうぼ]に鬼神[きじん]が成ると言へども鬼神も鬼も一ッ事なり昔[むか]し▼渡部[わたなべのつな]の綱が羅生門の金札の仕打[しうち]も我慢心[がまんしん]のなす所▼伯母[をば]に化[ばけ]て来た鬼は物真似の上手な▼茶返し色の鬼にて▼孟嘗君[もうせうくん]が函谷関[かんこくくわん]で鶏の声色[こはいろ]を遣[つか]った▼馮驩[ふかん]と言者[いふもの]地獄へ落[をち]て鬼に出世した奴ならんかし拾遺集に平兼盛[たいらのかねもり]が▼あだちが原の黒塚と詠[よみ]しは▼源重之[みなもとのしげゆき]が妹のことを聞及[ききおよ]ぶ鬼に鉄棒[かなぼう]とは▼ぶうぶうを言[いっ]て金冠紫紐[きんかんむりむらさきひも]と太平楽を言[いふ]奴を▼町[てう]送りにする時の諺[ことはざ]にて鬼の目にも涙とは其日[そのひ]を喰ひ兼[かね]て己[をの]れが子を捨[すて]て人に拾[ひろ]ふて貰ふを脇目から見て居る時の空涙[そらなみだ]なり近年は▼仲赤[なかあか]の厄が出来て我々が親も真っ赤な鬼の目をめくり出して六百六十の数を合[あは]せしも今は▼七八九の青物店に秀鶴[しうかく]の大立物[おほたてもの]には皆[みな]はめに付けられ子供の鬼事[おにごと]には天魔[てんま]有[あっ]てひまをとる我が▼留守に洗濯を仕て又鬼と成るもをかしくかしましし▼瓦の形[かた]ちには浮名[うきな]を屋根に止[とど]め古くなりては▼石菖[せきせう]を植[うへ]て[魚+皆][めだか]を飼[かは]れ▼書判[かきはん]を看板に仕て蓍[めとぎ]くり返す者は▼官鬼[かんき]の爻[こう]には待人[まちびと]来[きた]らずと占[うらな]ふたまたま師走[しはす]の空の辛[から]き目をのがれて春に至らんとすれば鬼は外福は内と▼明きの方[ほう]から升[ます]へ入れたままで蒔散[まきち]らし漸[やうやう]▼疱瘡神[ほうそうがみ]の▼法施宿[ほうしゃやど]をする内で斗[ばか]り戸を明けて真木[まき]で拵[こしら]へた神棚に▼赤い紙を敷ひて茶に福が這入[はい]ったと咄[はな]しを仕て居る内へ逃込んで一夜を明[あか]す豆ぐらいで鬼は逃[にげ]そふもないものだと言ふがそこが▼鬼神に横道[をうどう]なし兎角[とかく]人間にはその横道が有るから能々[よくよく]慎み給へ已[すで]に承暦[せうりゃく]の春の頃[ころ]都に▼藍婆鬼[らんばき]と言[いふ]鬼出て十歳以下の子供をとりければ大裏に青陽の▼初子[ね]の日の御会[をんくわい]なかりけるとかや▼草も木も我[わが]大君の国なればいづこか鬼の住家[すみか]なるらんときくからは人面獣心の心をひる返して心の鬼に身を罪することなく横道の無き様に仕給へと初手の見越入道から▼万八[まんぱち]千三[せんみ]ッの啌咄[うそばな]しを世の人の春の笑ひに備ふると言[いふ]て二人の夢を覚[さめ]させる所だがマァ夫[そ]れはよしにもしやせうと言[いへ]ば青表紙の▼百鬼夜行の本の中から大勢の声でソリャア何の事だ声替[こへかは]りも仕ねひ小女[あま]の癖にそのやうに可愛[かあい]そふに弐人[ふたり]ながら野良[やらう]の▼人身御供[ひとみごくう]を見るやうに寝かして斗[ばか]り置[をか]れるものかと言[いへ]ばわたしも親に似ぬ子は鬼子でも鬼薊[おにあざみ]ほどは人中も見やしたから一通り二人わ寝かして置[をく]趣向をお聞[きき]なされましと言[いへ]ば又大勢の声で言[いい]やうが悪ひと引き立[たて]て▼両国橋で見せ物の裏を替へすと言へば此娘[このむすめ]鬼篭[おにこも]る町と聞ひたる▼江戸の花吉原時計を見たかいんやそれは爰[ここ]で入[い]らぬこと弐人を起[をこ]すか起[をこ]さぬかサァサァサァと言[いふ]所へ切戸口[きりとぐち]の方[かた]で本屋の声として▼暫[しばら]く暫[しばら]く弐人にしたたか鼾[いびき]をかかせて▼後扁間違論は春[はる]長々[ながなが]と▼ホホ敬白[うやまってもうす]
後篇
▼大通間違論 五冊近刻
化物の罷出[まかりいで]たる雪の道
▼安永九年 子の春 燕十
東都書林 雪花堂