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天縁奇遇(てんえんきぐう) 巻之下


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天縁奇遇 巻之下

東武 神屋蓬洲述並画

第六齣

[そもそも]讃岐国[さぬきのくに]補陀洛山清浄光院支度寺[ふだらくさんせうぜうこういんしどじ]と申すは。予弥国[王+炎]王[よみこくえんわう]の草創にて。補陀洛[ふだらく]の自[みづか]ら彫刻し玉ふ十一面観世音を安置し奉れる霊場なり。人皇三十四代推古天皇[すいこてんわう]の勅願にて藤原姓[ふぢはらうじ]の建立せらるる所とぞ。結縁[けつえん]の為こたび六十[むそじ]の日を限りて開帳あれば。西より東より南より北より。都鄙[とひ]の老若[ろうにゃく]袖を連ねて群集し。其[その][にぎわ]ひ大かたならねば。余多[あまた]の商人[あきびと]さまざまのうり物を持運びて。ここかしこに積置[つみおき]つつ。十分の利を取るべしとぞ競ひあへり。酒肆[しゅし]あり茶肆[さし]あり。薬ひさぐ軒[のきば]あり。そが中に彼[か]の軍藤六[ぐんとうろく]は鰐蔵[わにぞう]と謀[はか]りて俄[にはか]仮家を造り設け。最[いと]大きなる看板[まじるし]に。九十九の口ある女を。あくまで恐ろしき姿に写さし。先[まづ]是を外[と]の方に高々とかかげ出[いだ]せり。されば古今に奇[あや]しと奇[あや]しきを見するもの。或[ある]は頭[かしら]の双[ふたつ]なる児[こ]。蛇遣[へびつか]ふ女。人魚[にんぎょ]雷獣[らいじう]の類[たぐい]。其外[そのほか]あげて算[かぞ]ふるに遑[いとま]あらねど。九十九口[くじうくこう]の女と云[いへ]るは誰も見もせぬ。未曽有[みぞうう]の妖怪[ようくわい]なれば。往来[ゆきき]のもろ人[ひと]所せきまで此[この]仮家につどひ来たり。交[こもごも]是を窺[うかが]ひ見る。

▼補陀洛山清浄光院支度寺…志度寺。本文での表記にはばらつきがあります。
▼都鄙…市街からも田舎からも。
▼酒肆…酒店。酒とさかなを売るお店。
▼茶肆…茶店。茶ともち等を売るお店。
▼薬ひさぐ軒あり…腹痛、頭痛、虫くだし、はみがき等の売り薬のお店。
▼仮家…丸太とむしろなどでつくった仮小屋。たかまち。
▼看板…「まじるし」は「めじるし」と同じ意味。
▼九十九の口ある女…怨霊のたたりによって体中に口が出来てしまった横島軍藤六の妻・野風のこと。
▼人魚…海などで捕れると言われていた半身が人間で半身が魚のいきもの。
▼雷獣…雷が落っこちて来る時に天から落ちてくると言われていたふしぎな獣。
▼未曽有…いまだかってない。「みぞう」ではなく「みぞうう」という読みに注意。

[その][とな]れるは鰐蔵が造り成[なせ]せる仮家[かりや]にて。是は薯蕷[やまのいも]の半[なかば]鰻魚[うなぎ]になりたる所を画[ゑ]がきし看板[まじるし]とかかげたり。又奇[あや]しければ。誰々も見まゆしとて。小屋の口に押合[おしあひ]ぬ。扨[さて][この]薯蕷[やまのいも]は。紀の国なる山樵[やまがつ]がこの所にもて来ぬるを。鰐蔵忽[たちまち]庶幾[そこばく]の金[こがね]を出[いだ]して求め置[おき]。なをそこばくの利を得べしと。かく人々に見するになん。やがて大きなる篭[かご]に入れて荘[かざ]り置[おき]声はり上げて然々[しかじか]の謂[いは]れをかたり。やをら蓋[ふた]を明[あけ]て裡[うち]をみるに。昨日は半[なかば]薯蕷[やまのいも]なりしも。はや尽[ことごと]く鰻魚[うなぎ]とのみ成り果[はて]たり。鰐蔵見るより大に驚き。こはこはいかにこはいかにと前後を忘[ぼう]じて泣[ない]て曰[いはく]やよ鰻魚[うなぎ]よ慥[たしか]に聞け。汝半身[はんしん]薯蕷[やまのいも]なればこそ。多くの金[こがね]に替[かへ]もしつ。如何に心なき[いろくづ]の身なればとて。さほどの事をも弁[わきまへ]ず。忽[たちまち]尋常の鰻魚[うなぎ]となれる愚[おろか]さよ。かかる姿と成り果[はて]て。いづれの用にか立[たつ]べきぞ。今は唯[ただ]八裂[やつざき]にして食[くら]ふとも飽[あき]たらじ。難面[つれな]のうなぎや。情[なさけ]なの鱗[いろくづ]と。且[かつ]悲しみ且[かつ]怒れば。彼[か]の集[つど]ひたる諸人[もろびと]も。どっと笑ひてちりゆきぬ。斯[かく]て鰐蔵は人心地[ひとこごち]もなく。塩々[しほしほ]として軍藤六が許[もと]にいたり。小屋の傍[かたはら]に声を密[ひそめ]て。かうかうとものがたれば。軍藤六も夫[それ]と聞くより。気の毒さ謂[いは]んかたなく。唯[ただ][あきれ]にあきれ居たり。

▼隣れる…おとなりにあたる。
▼薯蕷の半鰻魚になりたる所…やまいもがうなぎに変わっちゃうというもの。半分うなぎで半分やまいも。
▼紀の国…紀伊の国。
▼山樵…きこり。
▼はや尽く鰻魚とのみ成り果たり…やまいもが完全にうなぎに変形してしまった。こうなっちゃうとフツーのうなぎ。
▼鱗…さかな。

又鰐蔵が云ふ。[とても]今度の開帳には始[はじめ]より斯[かく]間がわるければいかなる事を工[たく]む共[とも][さいわひ]に合ひがたかるべし。唯[ただ]仕馴れたる夜働きに如[し]くまじければ。小屋を直[ただち]に打壊[うちこぼさ]んと思ふなり。魁首[おかしら]阿姉[あねご]を。右[かく]道場に曝[さら]すことを止[やめ]と云[いへ]ば。軍藤六頭[かしら]をうちふり。是は寔[まこと]に筋なき事を聞くものかな。汝が身にさほどの不仕合[ふしあはせ]ありしとて。我又物に損亡[そんもう]あるべきやうもなし。見よ我は此[この]開帳中。量[かぎり]なき金銭をもうくべきぞと。ささやかに語らひ居たる其処[そのところ]へ。当寺の方丈[ほうぜう]より使僧[しそう]を立[たて]て。軍藤六夫婦の者へのたまひ越せしおもむきは。いかに汝等[なんじら][つつしん]で承[うけたまは]当山の院主[いんしゅ][かたじけな]くも昨夜観音の霊夢を蒙[かうむ]る仔細あり。夫[そ]は此[この]新珠島[しんしゅじま]のかたほとりに。金[こがね]あまた入[い]りたる胴巻[うちがへ]の落[おち]居たるを。観音菩薩みづから拾置[ひろひおき]玉へり。扨[さて][くだん]の金[こがね]を九十九口の者に会[あふ]て与へよと告[つげ]玉へり。今茲[いまここ]に汝が妻[つま]九十九口を生ぜしよし聞[きこ]えたれば。即[すなはち]院主より召寄[めしよせ]らるる処なり。勿論[もちろん]世界のうち九十九口の者とては又一人ともあるべからず。されば唯[ただ]観音菩薩の汝等に授[さづけ]玉はるものならじ。いでいで御前へ参るべしとぞ促しけり。さと聞くより軍藤六は。不審ながらも金[こがね]と云ふにほとほとよろこび。取る物も取りあへず。妻なる野風にかくと告[つげ]頓而[やがて][い]て参るべしとぞ答へにけり。傍[かたはら]に聞[きき]居たる鰐蔵も。最[いと]不思議なる事に思へりしが。唯[ただ]さいわひの向き来べき時節なめりと。心のうちに羨[うらや]みささ。扨[さて]軍藤六もろともに。野風をやをらたすけ起[おこ]して 。小屋の中[うち]よりいがめしくも立出[たちいで]たり。野風は次第に惣身[そうしん][ただ]れ腐れて。余多[あまた]の口々は尽[ことごと]歯もとを顕[あら]はし。髪さへぬけて面[おもて]はをのづから癩病の如[ごとく]に見ゆれば。往来[ゆきき]の人もこれが為に目を塞ぎ鼻を隠せるばかりなり。されども奇[あや]しきものをば。あやにくに見まほしきならひにて。例の人々前後に纏[まつ]はり。あるひは老[おひ]たるを倒し。若きを突遁[つきの]け。延上[のびあが]りて。是を見んと競ふなる。いといと[らん]がはしき[まで][かまびす]しかりける。

▼夜働き…ドロボー。
▼阿姉…野風ねぇさん。
▼道場…お寺。お寺の境内。
▼方丈…お堂。庵所。
▼使僧…おつかいの僧侶。えらいお坊様が伝言をさせたりするときに派遣するもの。
▼当山の院主…このお寺のいちばん偉い僧侶。院主さま。本文中では「いんしゅ」と「いんじゅ」ばらついて表記されています。
▼霊夢…観音さまがゆめに出て来てお告げをくだすったんだそうな。
▼さいわひの向き…幸運が向いてきた。
▼歯もとを顕はし…くちびるがただれおちてしまって、歯茎と歯牙がむきだしになってしまってる様子を言ったもの。
▼延上りて…背のびをして。
▼乱がはしき…みだれがましい。

此日も亦復[またまた]申の刻[さるのこく]に程近ければ。やがて米吉[よねきち]も詣来[もうでき]ぬ。折[おり]しも此[この]人立[ひとだち]せしを。何事やらんと窺々[うかがひうかがひ]歩み行ければ。思はずも彼[か]の方丈の玄関前にぞ近づきたり。向[むか]ふを見れば。金屏風[きんべうぶ]立渡[たてわた]して。中央に院主[いんじゅ]を置[おき]。あまたの僧侶右左りに并居[なみゐ]たり。扨[さて]敷板[しきいた]の前に行[ゆき]て平伏[へいふく]する。夫婦のものは。則[すなはち]母の敵[かたき]なれど。神ならぬ身の露ばかり夫[それ]と知らねば。唯[ただ]よそ事に見居たりけり。右[かく]て院主は。彼所[かしこ]に金[こがね]の入[いり]たる胴巻[どうまき]の落[おち]居たるを。観世音の拾ひ置[おき]玉へるが。九十九口の者にあふて与ふべきよし。夢の告[つげ][あり]ける始末をの玉ひて。くだんの胴巻を取出[とりいだ]し。とみに此[この]九十九口の女にぞ与へる。米吉こなたに立居[たちゐ]て其[その]胴巻を克々[よくよく]見るにきのふかしこに落[おと]せし覚[おぼへ]のものなれば。今[いま][きき]夢もの語[がたり]を大に不審[いぶ]かり。[とて]道ならぬ金[こがね]なれど。君父[くんぷ]の為に借[から]まくおしき身の代[しろ]なれば。看々[みるみる]異人[ことひと]にとられんも口惜しと忽[たちまち]大勢をわって入り。軍藤六が傍[かたはら]に平伏[へいふく]して。彼[か]の金[こがね]取落[とりおと]せし主なるよしを云ひ出[いづ]れば。院主を始め皆一同に驚きけり。

▼人立せし…群集してる。立ち並んでる。
▼立渡して…立てまわして。屏風を立てる。
▼并居たり…並んでる。
▼きのふ…第五齣で、賊(鬼塚道見)と出遭ったときの話。
▼夢もの語…院主さまが見たという観音さまの霊夢のおはなし。
▼道ならぬ金…出所がキレイじゃないおかね。
▼異人…別人。無関係の人。
▼取落せし主…落としものの主。

中に都講[とこう]めきたる法師出[いで]て米吉に云ひけるは。いかに汝[なんじ][こがね]を落せし主なりとも。霊夢によりて九十九口の者に与ふる処なれば。曲[まげ]て汝に与へがたし。さるにても汝[なんじ][しか]と落[おと]せしに究[きは]まらば。如何なる金[こがね]をいかばかり入れおきしぞ。疾[と]く申せとぞ責[せめ]たりける。米吉は此[この]返答に言葉なく。はつとばかりにひれ臥しぬ。軍藤六は米吉を白眼[にらみ]見て大に怒り。汝は勘太がもとにもてあませし小丁児[こでっち]ならずや。いかなれば茲[ここ]に来て我が幸[さいはひ]を妨[さまた]げんと。斯[かく]大衒[おほかたり]を云ひ出[いで]しぞ。此頃[このごろ]夜な夜な往還を刧[おびや]かして財宝を奪ふと聞[きき]しも。定[さだめ]て汝らが業[わざ]なるべし。よしかかる盗賊をば懲[こら]しめんに如[しか]とて。拳を上[あげ]て丁[てう]とうてば。さすがにも米吉は無念の涙せきあへず唯[ただ]心中に思ふやう。[まさ]しく賊の奪ひたる金銀と。我また密[ひそか]に奪はんとせし咎[とが]に。かく観音の罰[ばつ]し玉へるものならじと。さしうつむきて観念すれば。盗人[ぬすびと]と聞[きき]しより。例の鰐蔵かたへより飛[とび]かかりて無二無三[むにむさん]に打擲[てうちゃく]す。なを境内の商人[あきびと]ども。はた。先より[ここ]に見物せし人々のうちよりも。手々[てで]に拳をふりたてて。盗人を打殺せ。たたき殺せとひしめきつつ。いやがうへに下[お]り重[かさな]りて。情[なさけ]なくも米吉を手どり足どり呵責[さいなみ]けり。

▼都講…学頭。
▼勘太…毒虫の勘太。米吉をこきつかっている人買い。
▼大衒…大騙り。まっかなうそ。
▼往還を刧かして…道ゆく人々を襲って。
▼先より…さっきから。

其時[そのとき]院主[いんじゅ]の端近[はしちか]く下り立[たち]玉ひ。いかに人々静まるべし。譬[たと]へ衒[かたり]盗人[ぬすびと]にもあれ。かくのごとく我が目に掛[かか]れば。是を助け遣[つか]はすべしならひなり。いで其[その]小童[わっぱ]を我に得させよ。とくとく出家に為[な]すべしと。尊き声して聞[きこ]え玉へば。下重[おりかさな]りたる人々も。やがて左右へわかれにけり。時に野風は九十九の口一度に笑[ゑ]みてこひしの我が子なつかしの米吉や近く寄りませ顔見んと。飛[とび]たつばかり最[いと]うれしげに米吉をさしまねけば。米吉も殆[ほとんど]奇異の思ひをなし。更に不審晴[はれ]ざりしが。我が名をさして米吉と聞[きこ]ゆれば。縁[ゆかり]ある人とも思へど。かかる異形[ゐげう]の女なれば。尋ぬる母の俤[おもかげ]とも。夢さら思ひ寄らざりけり。軍藤六もなを不審[いぶ]かり。いかなる譫語[せんご]を云ふにやと。野風が面[おもて]を打守[うちまも]りて暫時[しばし][かたへ]に控[ひか]ふる処に。野風は忽[たちまち]声はり上げ。いかに米吉[よねきち][たしか]に聞け。是なる夫[おのこ]は敵[かたき]鬼塚道見[おにづかだうけん]に仕へたる横島軍藤六と云者[いふもの]なり。嘉吉のむかし道見に与力して主君の御家を攻亡[せめほろぼ]し。剰[あまつさ]へ我が夫[つま]をも淡路島の南海に沈めしこと斯々[かくかく]とものがたれば。すは一大事を泄[もら]せしよと。軍藤六はあはてふためき。先[まづ]其口[そのくち]を抑[おさ]ゆれば。又他[た]の口よりかたりつつ。大手をひろげて惣身の口々を覆へども。手の泄[も]るるあたりの口は。なを高らかにかたり出[いづ]れば。おさへあぐみて胡乱々々[うろうろ]きょろきょろ十方[とほう]に暮[くれ]て坐したりけり。

▼出家…僧侶。
▼こひしの我が子なつかしの米吉や…野風には殺された米吉の母・咲花の怨霊がたたりをなして憑いているので、この言葉は咲花がしゃべらせている言葉なのであります。
▼譫語…たわごと。
▼嘉吉…1441年ごろ。この物語のはじめの部分の年代。
▼与力して…くみして。

なを九十九の口々に語りて云へらく。そも過[すぎ]にし年の春の頃。我が夫[つま]小船に棹[さほ]さして。淡路島の南海に漕出て玉ふが。其日[そのひ]はいつより帰りの程の遅ければ。留主[るす][も]る隙[ひま]を待[まち]かねて。姫君諸共御身[おんみ]を将[ゐ]て。浦辺づたひをさまよひしに。思ひがけなく夫の死骸に廻[めぐ]りあひ。悲しき事のうへなきに。又悪鳥の飛下[とびくだ]りて。彼[か]の姫君を掴みつつ。雲井[くもゐ]をさして翔行[かけゆ]けば。あまりの事に心乱れて。其侭[そのまま]御身[おんみ]をそこに捨置[すておき]。唯[ただ]悪鳥の跡を追ふて。そこともしらずたどりしが。誰[たが][のす]るとなく苫船[とまぶね]の中[うち]にいたりて。漸[やうや]く人心地[ひとここち]つきはべりき。其[その]船中には則[すなはち]是なる軍藤六我を捕へて非義非道を搆へしゆへ。悪[にく]さも悪[にく]しとあたりに有[あり]あふ刀を抜[ぬき]て切らんとせしに。さすがは女の力[ちから]及ばず。忽[たちまち]刀を打落[うちおと]され。其上[そのうへ]十分の怒[いかり]にあふて。已[すで]に我を殺さんとて云ひけるは。さこそ刃向ふたるはらただしきを。唯[ただ]一刀に討果[うちはた] さんより。百刀にして殺すべしとあるひは二寸三寸づつ惣身に疵[きづ]つけしが。已[すで]九十九刀にして息たえぬ。其時[そのとき]我が夫[つま]幻のごとくに見[あらは]れ玉ひて。御最後の始末をもつばらに語り玉ひにき。されば敵[かたき]は鬼塚道見。はた此[この]軍藤六なることを覚へたり。其[その]鬱憤[うっぷん]を晴さんため。斯[かく]軍藤六が妻の身につきそふて。飽くまで憂目[うきめ]を見せけるぞや。九十九ヶ所の口を見よ。真其如[まっそのごと]く疵[きづ]つきて。修羅道に赴きたる。我が怨霊[おんれう]の為[な]す業[わざ]なり。元来[もとより]もこの軍藤六夫婦の者は。山賊海賊を作業として。多くの人を害せしかば。頓[やが]天網[てんもう]にかからんこと必定せり。さあらぬ先に御身[おんみ]米吉この怨敵[おんてき]を討果して。疾[と]く我々が鬱憤[うっぷん]を晴らしてよ。只此事を告[つげ]んとて年頃御身を待暮[まちくら]し。再[ふたたび]娑婆[しゃば]にながらへしぞ。いざさらば又[また][王+炎]王[えんわう]の余弥国[よみこく]にかへるべし。名ごりおし我が子やと。云ふかと見れば忽[たちまち]に。野風は七転八倒して。苦みながらぞ息たえたり。

▼悪鳥…常姫をつれさって行ってしまった大きな熊鷹。
▼雲井…雲の海。空の向こう。
▼非義非道を搆へし…無礼な行為をはたらいて来た。
▼九十九刀にして息たえぬ…軍藤六に九十九回斬りつけられて咲花が死んだことが、野風に九十九個の口が生じた因果の原因。
▼軍藤六が妻の身につきそふて…野風の身体に取り憑いて。
▼つばら…くわしく。
▼修羅道…阿修羅道。仏説でいう六道の一ッで、争いによって恨みをもちながら死んだ者たちなどが堕ちるという世界。
▼作業…なすべき仕事。
▼天網…「天網恢恢疎にして漏らさず」を引いたもの。必ず罰をこうむったであろう。
▼娑婆…この世。

軍藤六の心中[しんちう]大に驚くといへども。今さら[つつむ]にしのびねば。いさぎよく名乗[なのら]んものをと覚悟を究[きは]め。あたり狭[せまし]とつつ立[たち]上り。大音に語りていへらく。いかにも女が申せしごとき覚へあり。されば汝[なんじ]米吉とやらん。速[すみやか]に我と勝負を決すべし。さはいへ必[かならづ]返りうちに討[うた]るるをな恨みそとよ。はやはやかかれといひつつも。大手をひろげて待ちかくれば。心得たりと米吉は。もろ肌をし脱ぎ拳をかため。勇み進んで立[たち]あふたり。時に双方土民の姿に打扮[いでたち]たる時節なれば。腰に一[ひとつ]の短刃[たんけん]をだに持[もた]ざりけり。然るに敵[かたき]は名にふれし此[この]兇賊[けうぞく]。米吉は僅[わづか]に拾五才の美少年。其[その]剛柔大に異[こと]に見えければ。皆人[みなひと]雲の如くに寄りて。更に是を危ぶまぬはなかりけり。院主は先より。[か]の女の物語を聞[きき]玉ふて。いと驚き玉へりしが。はてにはかかる一大事を引出[ひきいだ]して。をのづから道場をも穢[けが]すべきおもむきなれば。ひと先[ま]づ是を制すべしとて。左右に下知[げぢ]をつたへ玉へば。徒若党[かちわかとう]を先として。下部[しもべ]の人数[にんず]余多[あまた]出来[いでき]て。両人ともに静まるべしとぞ呼[よば]はりけり。されども横島赤松耳にもふれず[うち]あいぬ。右[かく]て四方八面より棒ちぎりきをもてきたり。二人が間[あい]に打込[うちこみ]つつ。押隔[おしへだ]て押隔[おしへだ]つれば。米吉いらちて打来[うちく]る棒を突[つき]かへし。或[あるひ]は折[おり][あるひ]は蹇[くぢ]き。なを目にさへぎるあたりの人をば。手玉の如く左右へ投[なげ]のけ。唯[ただ]横島を遁[のが]すまじとて。少しもかなたにめをはなさず。合[あふ]ては別れわかれては。あふて組うつ横合[よこあひ]より。例の鰐蔵裸[あかはだか]に身を為[な]して。一丈余[あまり]回向柱[えかうばしら]を引抜き来[きた]り。米吉を目がけつつ。骨も折れよと投[なげ]つくれば身をかはしてはね遁[の]きながら。回向柱を宙にて掴み。[これ]究竟[くっきゃう]の得物[えもの]と。取直してあたりを払へば。軍藤六も飛上りて。くだんのはしらに両手をかけ。わたさじものをと引[ひき]もどす。米吉は又はなさじとて。右[みぎ]りに捻[ねぢ]れば左に捻[ねぢ]。引[ひき]つ引かれぬ有様は仁王の力だめしかと。見る人[ひと]胆を冷してけり。斯[かく]と見るより鰐蔵は。傍[あたり]に落散[おちち]る手来[てごろ]の棒を拾取[ひろひと]り真甲[まっこう]にさしかざして。米吉が後[しりへ]より。唯[ただ]一うちと打[うっ]てかかれば。叶難[かなひがた]くやおもひけん。米吉は飛[とび]しさりて其侭[そのまま]姿は失[うせ]にけり。

▼包…つつみかくす、ひたかくす。
▼大音…おおきな声で。
▼土民の姿…庶民の姿。刀などをさしてないということ。
▼剛柔…剛健なものと柔和なもの。
▼彼の女の物語…野風の口々から語られた咲花の霊のことば。
▼横島…軍藤六。
▼赤松…米吉。
▼耳にもふれず…聞きもしないで。
▼棒ちぎりき…棒と乳切木(胸の高さくらいの長さの棒)
▼手玉…おてだま。
▼かなた…軍藤六のこと。
▼回向柱…霊をとむらうためにお経や菩提をとむらうための文言をしるして建てた柱。
▼仁王…仁王さま。金剛力士。お寺の門などに置かれる筋肉たくさんな神様。米吉と軍藤六が回向柱をひっぱりあう様子は、お芝居にある物をお互いに引っぱりあう所作(卒塔婆引きなど)を意識したものか。
▼胆を冷してけり…恐れをなして縮みあがる。

[さて]軍藤六鰐蔵の両人は。手もちぶたさに立蹲[たちずくま]り。あたりに眼[まなこ]を配れる処に。不思議や大なる香盤[かうばん]の。自然に揺[ゆる]ぎ出[いづ]ると見えしが。地をはなるる事[こと]五尺にして下より米吉あらはれ出[いで]。斯[か]指上[さしあげ]たる香盤を。軍藤六に投付[なげつく]れば山のごとくに盛たる灰の。霧の如くに降りかかりて。目にも口にも紛々と乱れ入りぬ。是故[このゆへ]に軍藤六も鰐蔵も。寸前をだに分[わか]つこと能[あた]はずして。をのづからわかれのけしきに見えたりけり。しすましたりと米吉は。[ゑん]の綱を引切[ひききっ]て鰐蔵が頭[かうべ]に打[うち]かけ。力まかせに引倒して吭[のどもと]を〆[しめ]つくれば。さしもの鰐蔵たまりかね。或[あるひ]はもがき或[あるひ]は苦しみ。忽[たちまち]七転八倒して。うんとばかりに息絶えたり。軍藤六斯[かく]と見て。心頭より怒[いかり]を発し。云ひ甲斐[がひ]なき鰐蔵が身の果[はて]や。見よ米吉速[すみやか]に汝が息の音[ね][とむ]べきぞと。[くら]める眼[まなこ]を押開[おしひら]き。最[いと]苦しげに傍[あたり]を覘[にら]めば。米吉莞爾[くはんじ]と打笑[うちわら]ひ。手の鳴る方へ来[きた]るべしとて。彼方此方[かなたこなた]を立廻[たちめぐ]れば。追[おひ]つまくりつ軍藤六が。心のやたけにはやれども。眼中尽[ことごと]く灰を含みて。[みとむ]ことのかなはねば。歯噛[はがみ]を為[な]してどうと坐し。唯[ただ]無念やと打喚[うちさけび]ぬ。米吉は又例の回向柱を引提[ひっさげ][きた]り。軍藤六に向ひて云へらく。汝我が母を九十九刀に殺害[せつがい]せり。其[その]返報に。今又汝を九十九打[うち]て殺すべきぞと。やがてはしらをふり上[あげ]つつ。丁々と続け打[うち]に打居[うちすゆ]れば。あとさけび。あと喚[さけ]びて。人目も恥ずのた打[うち]けり。十[とを]づつ九つ。また九つと算[かぞ]へ畢り[おは]て。くだんの柱を手いたくうてば。そこともしらず咲花が声として。心地よやといふかとおもへば。軍藤六は眼[まなこ]抜出[ぬけいで]口より鮮血[なまち]を走らかして。漸[やうや]地獄へ赴きけり。かかりければ院主を始[はじめ]奉りて。并居[なみゐ]たる数百[すひゃく]の面々。参詣人[さんけいびと]の上下となく。米吉を誉[ほむ]る声。しばしは天地を動かしけり。

▼香盤…お寺の前などに置かれているお香をたくための大きな炉。
▼指上たる…高くもちあげた。
▼寸前をだに分つこと能はず…前が見えない。
▼縁の綱…お寺の本尊につながって本堂の拝所などにさげられた綱で、これにさわることで本尊とえんをむすぶといった意味合いのもの。
▼闇める眼…はっきり見えない眼。さっきの香盤の灰のせい。
▼莞爾…かんじ。にっこりとして。
▼認る…目視する。
▼殺害…「さつがい」ではなく「せつがい」なところに注意。
▼地獄へ赴きけり…息絶える。

其時[そのとき]院主は米吉を近く召[めさ]れ。是に告[つげ]ての玉ふやう。若年たりといへども。不思議に力量凡ならず。なを至孝[しかう]にして親の仇[あだ]を斃[たほ]せること。感ずるに又あまりあり。併[しかし]ながら固[もと]より[おほやけ]に訴へたる復讐ならねば。たとへ敵[かたき]は国賊にもあれ。私[わたくし]に害せしうへは。中々に其罪[そのつみ]を蒙[かうむ]らんもはかるべからず。なをいまだ君父の仇[あだ]なる鬼塚道見をも尋ぬべく。また彼[か]の姫の行衛[ゆくゑ]をも探すべければ。汝唯[ただ][すみやか]に茲[ここ]を去れ。汝が母。はた討れたる者共をば。我[われ][ねんごろ]に跡とひて。頓[とみ]仏果[ぶっくは]を得さすべし。唯々[ただただ]汝速[すみやか]に去るべしと。尊き命を受[うけ]にたれば。米吉院主を臥拝[ふしおが]み。あら有[あり]がたやさらばとて。已[すで]に行[ゆく]べき身がまへして。甲斐々々しく立上るを。院主は暫[しばし]と留[とど]め玉ひ。ひとり大に嘆息[たんそく]しての玉はく。[われ][ひとへ]に過[あやまち]たる一条あり。昨夜観音の霊夢によりて九十九口の者を尋[たづね]。一度[ひとたび]女に彼[か]の金[こがね]をば与へしが。風[ふ]と是を考[かんがふ]るに。渠[かれ]は必[かならず]九十九口の者にては無かりしなり。そのゆへ如何にとなれば。咲花が怨霊にて生ぜし口九十九なれば。固[もと]より面部に具したる口の一[ひとつ]を合せて。こは百口[ひゃくこう]のものといふべし。真の九十九口の者と云へるは。独[ひとり]汝が事にてありしぞ。現々[ゆめゆめ]疑ひ有るべからずと示し玉へば。米吉大に驚きあはてて。扨[さて]は又軍藤六が怨霊の我が身に添[そふ]て。あまたの口の生ぜしこともやはべるべしと。自[みづから][おそ]れて面[おもて]を撫[なで]。左右の手足を顧[かへりみ]れど 。一点の疵[きづ]なければ。いかなる事をの玉ふにやと。心中に不審[いぶかり]つつ。黙然[もくねん]として控ふるところに。院主重ねて告[つげ]玉はく。[それ]九十九は陽数也。陽あれば必[かならず]陰あり。されば九十九に配するものは八十八也。八十八則[すなはち]米の字なり。凡[およそ]陰数尽て陽数又起る。是[これ]天地自然の理にして。陰数は十に終り。陽数は一に始る。是[こ]の十と一とをもて八十八に配するときは。則[すなはち]九十九の数となれる。下に口を加ふれば。唯是[ただこれ]米吉の文字[もんじ]なり。はた汝先に彼[か]の胴巻を見て云へらく。くだんの金[こがね]を落[おと]せし主は我なりと。されば観音菩薩の夢枕に立[たち]玉ふも。落せし主にかへせとの御告[おんつげ]なるべし。今又思ふに。彼[か]の百口の女に是を与へしも。汝に敵[かたき]をを討[うた]しめ玉はん観世音の方便力[はうべんりき]と覚ゆるなり。いで御ほとけの告[つげ]玉ふ。汝に金[こがね]を与ふべしとて。野風が死骸のもたりける胴巻をとり出[いだ]して。米吉に是を授け玉へば米吉はらはらと涙を流して。[こがね]の出所[しゅっしょ]をものがたり。なを観音をふし拝み。院主を仰ぎて恩を謝し。やがてぞ茲[ここ]を立去[たちさ]りけり。

▼若年…幼い。
▼凡ならず…尋常ではない。
▼至孝…最上級の孝行。
▼公に訴へたる復讐…きちんと幕府などに届出をしてある敵討ち。今回の米吉の敵討ちは正式の届け出をしていないので、公的には違法になり、罪になっちゃう。
▼仏果を得さす…成仏をさせてやる。
▼九十九口の者…志度寺の院主さまは咲花に取り憑かれた野風のことを九十九の口の者と考えていましたが実は…。
▼面部…顔。
▼百口のもの…野風の身体に咲花の怨霊によって生じた九十九の口と、野風にもともとあった普通の口を合わせて計算してみると口は百個なので、九十九口の者とはいえなくて百口の者であったのだ、という理論。
▼陽数…奇数。反対に陽数は偶数。
▼米の字…「米」という漢字が「八十八」で構成されているところから。
▼米吉の文字…「八十八」は「米」の文字になり、それに「十」と「一」と「口」をあわせると「吉」の文字になるので、「九十九口の者」というのは「88+11+口」=「99口」で「米吉」のことであったのじゃ、という理論。
▼金の出所…胴巻は本当は誰かが奪われたものであるということ。

 第六齣

此段[このだん]播州[ばんしう]室之津[むろのつ]に名を残せる。名妓[めいぎ]竹庵[ちくあん]花漆[はなうるし]といへる姉妹[あねいもと]の古墳にたよりて。其[その]事跡を挙るといへども。事繁[ことしげ]きをもちて省く。願はくば後編に述[のべ]て賢覧[けんらん]に備ふべし是より第七齣[だいしちせき]に至るまでの間[あいだ][すで]に又五年[いつとせ]星霜を重ぬと見玉ひね

▼竹庵花漆…室津につたわる有名な遊女。手に入れた巨額の金をつかってお寺を建てたという話が残っていて、そのあたりのことを採り入れた話を挿入する予定だったのかも知れません。
▼第七齣…「せき」というよみに注意。
▼星霜…年月。

第七齣

[さて]米吉は先のとしに観世音より身の代の金[こがね]を授り。これをもて勘太[かんた]がもとの暇[いとま]を乞[こひ]。其後[そののち]播州室の津に徘徊して。敵[かたき]鬼塚道見[おにづかだうけん]行方[ゆきかた]を尋ぬといへども。いまださるべき手がかりもあらざりければ。是より諸国を遍歴して命のかぎり尋ぬべしと心を発し。まづ一度[ひとたび]当国を立去[たちさら]んと。仮に住[すみ]たる室[むろ]の辺[ほとり]を跡になし。ある山里に差掛りぬ。此時[このとき][すで]に米吉は元服して。名を赤松春之[あかまつはるゆき]と呼[よび]てけり。年ははや二十[はたち]に成りたり。されば又力量も大にまさり。いよいよ剣法の奥義を究[きはめ]て。其[その]武勇。父春時[はるとき]より遥に越へ。実に万夫不当[ばんぷふとう]の豪傑とぞ聞[きこ]えける。

▼勘太…毒虫の勘太。人買い。米吉をしもべとして使っていた。
▼播州…播磨の国。
▼行方…ゆくえ。居場所。
▼万夫不当の豪傑…百人力のちからを誇ったすごい豪傑。

[さて][この]山里をたどりつつ行き行きたるが。向ふを見れば一搆[ひとかまへ]大荘[たいそう]あり。門には五十人の下司男[げすおとこ]が。白木造りの殻輿[からごし]を荷[にな]ひ来て入るさまなり。皆[みな][おもて]に患[うれ]ひを含んで。其形しめやかなれば。扨[さて]は此家[このや]新喪[しんそう]のあることよと。よそながら無常を感じ。何心もなく近づきて其[その]子細を尋ぬれば。彼[か]の男答へて。此家[このや]より人身御供[ひとみごくう]の出[いづ]る日にてはべるといふにぞ。春之は最[いと]不審におもひ。いかなる者に捧[ささぐ]るにやとたづぬれば。山神[さんじん]に捧[ささぐ]るなりとてみなみなやしきのうちに入りぬ。右[かく]て春之つくづくと思ふやう。[げ]に世の中には心得ざる事こそ多けれ。神明のかく人をとり喰[くら]ふ謂[いは]れやはある。何にまれ。かかる事の始末を見んは。話の種にもなりぬべければ。今宵[こよひ]この家[や]に宿をとりて。人身御供のおもむきを[あきら]めんと折[おり]ふし日も暮[くれ]がて成[なる]を幸[さいわひ]に。つと入りて一夜の宿をもとめたきよし云ひ入るれば。主[あるじ]も情[なさけ]あるものにやありけん。疾[と][うけが]ひて一間[ひとま]に通しぬ。

▼大荘…おおきなおやしき。
▼下司男…下男。
▼新喪…おそうしき。
▼人身御供…かみさまなどにいけにえをさしあげること。
▼山神…山に宿っているかみさま。
▼神明…かみさま。
▼何にまれ…なにはともあれ。
▼明めん…明らかにしよう。
▼肯ひて…了解して。

[かく]て春之は此家[このや]の様子を窺[うかが]ふに。親族尽[ことごと]く寄り集[つど]ひて。彼[か]御供[ごくう]に備[そなは]る人のわかれを惜み。或[あるひ]は泣[なき][あるひ]は喚[さけび]て時刻の来ぬるを悲むさまなり。兎角[とかく]してこなたに主の出来[いでき]たれば。春之も最[いと]丁寧に今宵の恩を謝し畢[おは]り。頓[やが]てかの人身御供の謂[いは]れを問へば。主答へていふ。そも此地[このち]連山[れんざん]波の如くにして一の谷に続きたるが、其間[そのあいだ]に往古[むかし]より山神[さんじん]の住[すみ]玉ふといひならはせり。然るに近来人身御供を備ふる事の始りしが。いかなる方の児[こ]にてもあれ。眉目[みめ]よき女としいへば。大かた御供にそなはる事に定[さだま]りぬ。時として其家[そのや]の軒に白羽の矢一筋[ひとすじ]来たりて立[たつ]事あれば。正に是を神託[しんたく]と崇[あが]め奉りて。翌日[あくるひ]の初夜を相図[あいづ]に。かの山中に持ちゆくなり。我も一人の嬢[むすめ]をもたるが。夜辺[よべ]我が軒にくだんの矢ひとつたちさふらへば。則[すなはち]今宵の初夜を待[まち]てかしこに送りはべるなりと。涙を流して語りければ。春之も主の心を推量[おしはか]り。共に愁[うれひ]を催したり。時に春之答へていへらく。[われ]先にも思へるごとく。固[もと]より神明の。かく罪なき人を害すること。謂[いは]れなきに似たるべし。察する所[ところ][はた]して魑魅魍魎[ちみもうりゃう]の業[わざ]なるべければ。速[すみやか]にかの変化[へんげ]を退治せんはいかにぞや。われにあまたの勢子[せこ]をだに貸し玉はば。今宵阿嬢[あじゃう]の輿[こし]に添ふてかしこに行き。山神の正体を見顕[みあらは]して。若[もし]魔魅[まみ]の類ならば。生捕[いけどり]て後[のち]の患[うれひ]を除くべし。主の心[こころ]如何にと云へば。否々[いないな]さやうに心得玉ひて。御罰[ごばつ]をな蒙[かうむ]り玉ひぞ。先のとしも武者修行に出[いで]たる人の。他の家に泊[とまり]たるが。其[その]折しも人身御供を備ふべき時節にて。今宵君がの玉ふ如く。変化のものを退治せんと。勢子を倶[ぐ]して彼[か]の山に上れるに。山神大に荒[あれ]玉ひて。震動稲妻天地に満[みち]。なを雷鳴の烈しき中に。情[なさけ]なくも修行者は。引裂かれて失[うせ]はべりぬ。右[か]く恐ろしき例[ためし]もあれば。必[かならず][おそ]れ慎しむべき事にこそ。唯[ただ][おぼ]しとどまり玉へと。あながちに否[いな]みつつ。さらに[うけが]ふ気色[けしき]とも見えざりけり。春之は此[この]ものがたりを聞[きき]しかど。大丈夫の魂なれば。露ばかり事ともせず。ひたもの正体を見顕はさんと思ひければ。なを主にむかひていふ。さあらば只[ただ]山神[さんじん]を生捕ることは為[す]まじきなれど。今宵[こよひ]宿かりし因[ちなみ]によりて阿娘[あじゃう]をかしこに送るべし。唯此事を許し玉へと懇[ねんごろ]に聞[きこ]ゆれば。主も泣[ない]て唯[いらへ]にけり。

▼初夜を相図に…初夜の鐘の鳴る音を合図にして。
▼御供…おそなえもの。いけにえ。
▼連山…つらなる山脈。
▼眉目よき女…美少女。
▼白羽の矢…白い矢羽の矢。神様が人身御供を差し出す家を指定するときの道具として昔話にはよく登場しているもの。
▼神託…かみさまのおつげ。
▼魑魅魍魎…妖怪たち。
▼変化…妖怪。

▼勢子…狩りをする時などに同行させるひとびと。けものを大勢でおいたてたりします。
▼阿嬢…むすめさん。
▼魔魅…妖怪。
▼御罰…神罰。
▼武者修行…武芸者などが各地を修行すること。岩見重太郎や由比正雪が人身御供にされそうな娘さんを助けて「ひひ」などを退治したのも武者修行の途中のおはなし。
▼肯ふ気色…了解する様子。
▼大丈夫…英雄。胆がふとい。
▼ひたもの…直もの。一途に。

かくて初夜の程近ければ。内外[うちそと]の人々声をはなちて。ひと歎[なげ]きに歎くなる。主もいといと心せはしくかなたの一間[ひとま]に急ぎ入りぬ。其[その]あはれ謂[いは]んかたなく。偏[ひとへ]に客[かく][はらはた]を断[たち]にけり。されば春之も脚絆[きゃはん]の紐を〆直[しめなを]し。帯かたがたと引結び。見送る支度をととのふ所に。思ひがけなき一間[ひとま]のうちより。下部[しもべ]の若者十人ばかりどろどろと走り出[いで]。みな。はや縄を用意して。春之をまんなかにおっとりこめ。動くまじとぞ呼[よば]はりけり。春之は如何なる事とも分[わか]たざれば。まづ其故[そのゆへ]を問[とは]んとするに。主の声と覚[おぼし]くて。[なんじ]盗賊むかし讃州新珠島に徘徊して往還を刧[おびや]かせし兇徒[きゃうと]よないかなれば今[いま]此所[このところ]に来[きた]りしぞ。かかるこそ汝が運の究[きは]なれ。疾[と]くいましめを受くべしとて。いきまきあらく[(句-口)+言][ののし]りつつ。腰に一刀を横たへ出[いづ]れば。春之もなを不審晴れず。主にむかひて云[いひ]けるやう。[か]く我に無実の名を負[おは]し玉ふは正[まさ]しく子細ぞさふらふべき。いかなる事を証[せう]として。さは云ひ玉ふと問[とひ]かへせば主はなをも怒りを為[な]して。[げ]に猛々[たけだけ]しき盗人[ぬすびと]かな。今[いま]汝が傍[かたはら]に懐中より取出[とりいだ]せし胴巻を見よ。そは我が好事[ものずき]にて織らしめたる木綿[もめん]なり。なを其[その]はしに小切[こぎれ]を縫[ぬひ]つけ。わが筆にてしるし置[おき]たる。幡山氏[はたやまうぢ]の三字あり中にはたしかに弐拾余の。数の小判を入れ置[おき]ぬ。或[ある]夕暮の事なるに二三人の奴僕[ぬぼく]引倶[ひきぐ]。彼[か]の所を通行せしに。賊首と覚しき大男[おほおのこ]がかたへの松の木蔭より顕はれ出[いで]。無二無三に奴僕等[ぬぼくら]を切倒し。我が衣服及び其[その]胴巻までうばひとり。もとの木蔭にかくろひしが。われは固[もと]より剣術の一手をだに知らざれば。是に刃向ふ力もなく。唯[ただ][から]うじて。迯[に]げかへりぬ。今也[いまや]汝が言葉を聞くに。山神をだに恐れざる不敵と云ひはた彼[か]の胴巻を所持なせしは。正しく兇徒に疑ひなし。いざ縄掛[かか][せき]たつれば

▼腸を断…断腸のかなしみ。子供との耐え切れない悲しき別れ。
▼脚絆…あしをまもるために巻く布。
▼かたがたと…きつくかたく。
▼どろどろと…どたどたばたばた。
▼動くまじ…そこを動くな。
▼運の究め…運の尽き。
▼無実の名…事実無根の汚名。ぬれぎぬ。
▼好事…趣味。例の胴巻の生地は特別あつらえの布だった。
▼小切…ちいさな裂地。
▼奴僕…召使い。しもべ。
▼引倶し…ひきつれて。
▼賊主…山賊のおやぶん。
▼堰たつれば…急きたてれば。

春之しばしと左右をとどめ。主を仰[あふぎ]て平伏[へいふく]して謂[いっ]て云[いは][さて]は我[わ]が恩人にて有[あり]けるよ。唯[ただ]君に申し演[のべ]たき一条あり。そも我が[いとけ]なかりし時。故ありて賊の為に人買人[ひとかひびと]の手にわたり。むなしく月日を過[すご]せしかど。固[もと]より大望[たいもう]を思ひ立[たち]たる身にしあれば。何卒[なにとぞ][その]本懐を達せんと。讃州支度寺の観世音に祈誓[きせい]をかけて日ごとに歩みを運ぶ所に。ある時新珠島の辺[ほとり]にて。松の根もとに休らひしが。くだんの松の洞[うろ]の中[うち]に。人の屈[かが]める有様なれば。当時此[この]往還に人を悩ます盗賊なめりと。手をさし延[のべ]て。掴み出[いだ]せば。人にはあらで三重[みかさね]程の衣服なり。下よりは二十又余[ゆうよ]の金[こがね]の入りたる。彼[か]の胴巻を引出[ひきいだ]しぬ。こや正[まさ]に賊の奪へる財宝と覚ゆれば。最[いと]忌々[いまいま]しき物に思へど。我に此金[このこがね]あらば。人買人に是を償[つぐの]ひ。身を転じていよいよ大望を思ひ立[たつ]べき者をと思惟[しゆい]。よし我[われ][よこしま]なる心より求[もとむ]る金[こがね]にあらざれば。やがて本懐を達せし後。かく奪[うばは]れたる主をもたづね。恩を謝して返すべし。唯[ただ]其時[そのとき]の証[しるし]にと。常に肌身をはなしはべらず。此[この]胴巻を所持せしなり。唯[ただ]恐らくは我[われ][まだ]本懐を達せざれば。金[こがね]を酬[むく]ひ奉るべき手段なし。さいはへ君といふ事の知れたるうへは。いかにもして一度[ひとたび]恩を報ずべし。願はくばしばしがほどをまち玉へと。理[ことはり]せめて聞[きこ]ゆれば。其[その]弁舌の爽[さはやか]なるに主も忽[たちまち]心解け。いかにも汝が言葉の端々[はしばし][わだかま]れる処なければ。をのづから賊ならざる事[こと]明らけし。されば金[こがね]も一度[ひとたび]賊の手に奪はれたる後[のち]なれば。たとへ汝が拾ひ得て。身の代に為[な]せりとも。是を我に償[つぐの]ふべき謂[いは]れなし。我[われ][あやまち]て汝を賊徒と思へばこそ。縛[から]めても糺明[きうめい]せんとはかりしなり。者共[ものども]引けと下知[げぢ]すれば。詰寄[つめよ]せたる下部[しもべ]のやからは。やがて左右へ別れにけり。春之は左[さ]と聞[きく]より。天に仰[あふ]ぎ地に臥しつつ。恩を謝するに言葉なく。只[ただ][なき]に泣[なき]たりけり。

▼幼なかりし時…幼少のころ。
▼大望…主君や父母の仇敵である鬼塚道見たちを討ち果たすことと、姫様の居場所をあきらかにすること。
▼祈誓をかけて…かみさまほとけさまに願掛けをすること。ここでは春之(米吉)が願掛けしていた主君と父母の敵討ちと姫様さがしの成就のこと。
▼日ごと…毎日。
▼思惟し…思い。
▼恩を報ず…恩返しをする。
▼しばしがほど…いましばらくの間。
▼蟠れる処…不審な箇所。
▼糺明せん…問い糺さん。

はや彼[か]の御供を送り出[いづ]べき時刻ぞと。主も是を急がすれば。上下の人々混乱し。輿[こし]をおもてにかき出しぬ。春之は頓[やが]て主に別[わかれ]を告[つげ]。此輿[このこし]跡辺[あとべ]に添[そふ]て歩みにけり。程近き傍[あたり]よりは。老若男女集[つど]ひ来[きた]りて是をおくる。其[その]悲しみ切[せつ]にして[そで]しぼらぬはなかりけり。扨[さて]山中[さんちう]を三里ばかり行[ゆき]たるに。爰[ここ]より山神の祠[ほこら]ある所までは。輿[こし]かきの外[ほか]。他[た]の人の行く事を禁じたるよし云[いひ]て。皆[みな]乱々[ちりぢり]に別れ行けば。春之ひとりせんかたなく。[ただ]見え隠[がくれ]につき添[そふ]べしと。闇[あん]に思案を廻[めぐ]らしつつ。徐々[じょじょ]としてなを随ひ行けるが。程なく祠のまへに至れば。そこそこに輿を居置[すへおき]かき来[きた]れるおのこどもは。跡をも見ずして迯[に]げかへりぬ。

▼跡辺…うしろ。
▼袖しぼらぬはなかりけり…なみだを流さぬ者は居なかった。
▼輿かき…輿舁。輿をかついで運ぶひと。
▼徐々として…そろりそろりと。
▼かき来れる…舁来る。かついで運んできた。

頃しも長月[ながつき]の半[なかば]なれば。空晴わたりて月もすみ。最[いと]物冷[ものすご]山林[さんりん]の気色[けしき]なるに。春之は傍[かたへ]の木蔭に身を潜[ひそ]め。[ただ]山神の正体を見あらはして。折[おり]よくは彼[か]のものを退治なし。ひとへに恩人の嬢[むすめ]を助けかへらんものをと。一心におもひ居[お]れるが。不思議や。俄[にわか]に暴風[ぼうふう]起り。今まで晴たる中天[なかぞら]の。一面にかき曇[くも]りて。彼[か]の主の物語に違ひなく。震動稲妻天地に満[みち]。大雨[たいう]盆を傾[かたむく]るが如くなれば。さすがの春之大に懼[おそ]れ。暫時[しばし]十方[とほう]に暮[くれ]たりしが。よし魔神の我を裂[さく]べき所存ならば。我も又魔神を裂かん手段[てだて]あり。あはれいかなる妖怪[ようくはい]にても出来[いでこ]と。例の如くに拳[こぶし]をかため。奮然として立[たち]たる所に。遥にかなたの山間[やまあひ]より。一焔[いちえん]団火[だんくは]中有[ちうう]に爛[きらめ]き。忽[たちまち]祠前[しぜん]に飛来[とびきた]りてかの居置[すへおき]たる輿の上にとどまりたり。兎角[とかく]して白髪[はくはつ]たる老翁[ろうおう]の。面[おもて]は鬼のごとくなるが。腰に長剣[てうけん]を帯[おび]。手に鉄杖[てつぜう]をふりかたげて。巍々然[ぎぎぜん]と出来[いでき]たれば。次第に団火の数もふへて。跡にはあまたの眷属を引連[ひきつれ]たり。老翁のうへには。いと大なる雨傘をさしかけぬ。

▼物冷き…「凄」ではなく「冷」なところに注意。
▼団火…火の玉。
▼中有…空中。
▼祠前…ほこらのまえ。
▼巍々然…居丈高に。

[さて]老翁が輿の扉を押[おし]ひらけば。裡[うち]に坐したる麗人の。身に尽[ことごと]く白衣[びゃくゑ]を着[き]。眼[まなこ]を閉[とぢ]て合掌しぬ。年は二八計[にはちばかり]と覚しく。其[その]顔色[がんしょく]の艶[えん]なること。実に譬[たと]ふるに物なければ。老翁頻[しきり]に歓[よろこ]びて。やがて又輿の扉を[おし]たてていでいで者共[ものども]かなたへ荷[にな]と下知[げぢ]すれば。かなたにひかへし春之が。さし足してはたと近づき。輿の長柄[ながゑ]に両手[もろて]をかけて。大磐石[だいばんじゃく]と動かさねば。老翁を始[はじめ]として眷属も皆[みな]驚天[ぎゃうてん]し。[なんじ]如何なる者なれば。かく人間の通はぬ方に来[きた]りしぞ。疾[と]く疾[と]くかへれと[(句-口)+言][ののし]りたり。其時[そのとき]春之此[この]ものどもの様態[やうだい]を窺[うかが]ひ見るに。是[これ][まぎれ]もなき山賊なれば。始[はじめ]て安堵[あんど]の思ひを為[な]し。よし尽[ことごと]く退治して。此[この]少婦[せうふ]を救ふべしと。忽[たちまち]あたりに心を配り。無二無三に腰なる刀をぬく手も見せず。当る所の小賊等[せうぞくら]を五三人切り倒せば。老翁怒[いかっ]て。あれ曲者[くせもの]を切[きっ]てすてよと。前後左右に下知をつたへ。身は大木を小楯[こだて]にとりて。悠然とひかへ居たり。是にしたがふ兇賊等[きゅうぞくら]は。手々[てで]に刀を抜[ぬき]はなして春之を目がけつつ。宛[あたか]も大浪の岩にあたりて砕くる如く。火花をちらして戦へば。あたりに飛[とび]かふ団火とみえしも。皆残りなく消[きへ]えはてて。[しん]の闇夜[あんや]となりたりけり。

▼二八計…16歳くらい。
▼押たてて…扉をしめて。
▼さし足して…ぬき足さし足。
▼少婦…お嬢さん。
▼小賊等…ザコども。
▼真の闇夜…まっくらやみ。

[さて][この]団火は硝子[びいどろ]もて表を張り。裡[うち][ともし]を点じたるを。多く小賊らにもたしめけるが。戦[たたかひ]の急なりければ。皆をのづからとり落[おと]したるにこそ。雨の降ることいよいよ頻[しき]りに。風[かぜ][はげし]うして古木[こぼく]を鳴らせば。空にも鯨波[ときのこゑ]たてて。物冷[ものすさま]しくぞ聞[きこ]えける。斯[かく]物のあやめも分[わ]かねば。春之は唯[ただ]輿を守護して。夜叉のごとくに立居[たちゐ]たり。又賊徒等[ぞくとら]は此[この]外人をうたんとて。各[おのおの]武具を調[ととの]へつつ。一度にどっと喚[おののい]てかかれば。さすがの赤松春之も。進退をのづから度[ど]を失ひ。已[すで]に危[あやう]く見えたる所に。忽[たちまち]四方八面より。勢子[せこ]の大勢[おほぜい][あたか]も迅雷[じんらい]の落来[おちく]るごとく。彼[か]の賊徒等[ぞくとら]を切りたて切りたて。すきまもあらせず攻[せめ]たりしが。須臾[しゅゆ]に一人[いちにん]も残りなく。鏖[みなごろし]にぞ為[な]したりけり。これに気を得て春之は。常姫[つねひめ]もろとも道見に討[うっ]てかかれば。実[げ]に道見が天罰を蒙[かうむ]りぬべき時なりけん。彼[か]のぬきもちたる飛竜丸の宝剣を打落[うちおと]され。十方[とほう]に暮[くれ]て立[たっ]たる所に。日頃の本望[ほんもう]此時[このとき]ぞと。常姫は。つと駆寄[かけよ]り。懐剣を逆手[さかて]に持[もち]て。道見がかたの股腹[わきばら]より。胸板[むないた]かけて突通[つきとを]せば。春之見るよりほとほと歓び。怪我[けが]ばしあるなと云ひつつも。持[もち]たる太刀[たち]をとり直し。猶[なを]道見が馬手[めて]のあばらに突貫[つきつらぬ]きぬ。

▼硝子…ガラス。
▼燭…灯火。
▼物のあやめも分かねば…暗くて物がはっきり見えない。
▼外人…よそもの。ここでは春之。
▼須臾…しばし。
▼常姫…人身御供にされる寸前だったお嬢さんは春之が捜していた主君のお姫様「常姫」、山神に化けてた老翁は「鬼塚道見」であったという事がいつの間にか描写されてるので、このあたりの表現、すこしわかりづらい所です。
▼飛竜丸の宝剣…赤松家につたわる重宝。春之の父親・春時が殺された時に道見に奪われていたもの。

されば道見眼[まなこ]を怒[いか]らし。あら無念口惜しやと。髪[かみ]逆立[さかだっ][よばは]りいふ[われ]一度[ひとたび]足利家を亡[ほろぼ]さんと謀りし故。密[ひそか]に味方をかり集め。なをそこばくの軍用金を貯へしも由[よし]なし事となりけるよ。迚[とて]もかく運命の[きはま]るうへは。汝等[なんじら]をも残[のこり]なく。冥途[めいど]の鬼と為[な]すべきぞ。いで道見が最後の手並[てなみ][よ]く見よと。弓手[ゆんで]に馬手[めて]に手をさしのべ。二人が拳[こぶし]をひたと掴んで。突貫[つきつらぬき]たる刃[やいば]をもちそへ。さっと左右へ引抜けば。血は渾々[こんこん]ほとばしりて。大地も朱[あけ]に染成[そめな]したり。二人はすかさず切る太刀に。さしもの道見たまりかね。がばと前にぞ倒れにけり。ここちよしと春之が。走り寄って首[かうべ]を刎[はね]れば。常姫は又[また][かたへ]に落[おち]たる飛竜丸の宝剣をとり上[あげ]つつ。塵[ちり]を払って[おし]いただき。鞘[さや]の中[うち]に収めければ。不思議や虚空に翔廻[かけめぐ]れる飛竜の姿も消[きゆ]るが如く。俄[にわか]に雨晴[あめはれ]雲収[くもおさま]りて。もとの月夜[げつや]と成りたりけり。是[これ][もと]より宝剣をぬきはなして自在に風雨[ふうう]を呼[よび]たるなるべし。

▼呼りいふ…絶叫する。
▼冥途の鬼…あの世のひと。
▼二人…春之と常姫。
▼渾々と…どばどばと。
▼押いただき…うやうやしくかかげ持って。

[かか]るところへ常姫の父と聞[きこ]えし家主[いへあるじ]が甲斐々々しく身を堅め。十人計[ばかり]の美女を伴[ともな]ひ。歓び勇んでかけ来[きた]れるが。遥に下[さが]って平伏[へいふく]し。先[まづ]万歳[ばんぜい]をぞ唱へにける。常姫は夫[それ]を見て。父上何とて此所[このところ]にはおはせしぞ。わらはは不思議の命を助かり。剰[あまつさ]へ是なる赤松春之の蔭[かげ]をもて。むかしの父の仇[あだ]をさへ報じぬと。事の始末は分[わか]ねども。先[まづ]歓びを告[つげ]たりければ。又[また]家主[いへあるじ]が打[うち]うなづき。[おほ]せまでもさふらはず。今宵は我も見え隠れに。君が輿に付添ひ来[きた]り。あれなる木陰に潜[ひそ]み居て。事の由[よし]をばのこりなく承りさふらひぬと。やがて春之に対していへらく。そも我は幡山五次兵衛[はたやまごじへうゑ]と申すものにてさふらふが。先叡[せんえい]より赤松家の御領地にて村長[むらおさ]の役目を蒙[かう]むり。家名[かめい]もをのづから連綿と絶[たえ]ざりしが。常祐[じようゆう]公の御代[ごだい]に当りて。鬼塚道見が[ざん]により。不慮[ふりょ]に御家滅亡[おんいへめつぼう]の刻[きざみ]より。右[か]く当国の山家[さんか]に隠れて時節の至るをまちはべりぬ。然[しか]るに不思議の事ありしは。其頃[そのころ][みぎり]の楠[くす]の梢[こずへ]に。大なる熊鷹[くまたか]の。一人の小児[せうに]を掴み来[きた]りて。暫[しばら]く羽を休むと見えしが。彼[か]の鳥や過ちけん。くだんの小児を木のもとにはたと落しぬ。下にはさいはいあまたの藁[わら]を積置[つみおき]たれば身も[つつが]なくまろび居たるを。走り寄りて取上げ見れば。幼けれども容顔[やうがん]殊に美[うるは]しく。手のしなへ足の繊[ほそ]やかなるも。如何様[いかさま][よし]のある人の子と見えはべれば。先[まづ]家に懐[いだ]き入れて。妻にもかくと物がたるに。妻も又いつくしむことかぎりなく。なをいまだ子といふものあらざれば。やしなひたてて。子にすべき心にて。いよいよ[てう]を加へはべり。斯[かく]て此子[このこ]の懐[ふところ]を見れば。錦[にしき]の袋をもたるゆへ。そをとりいだして披[ひら]き見るに。種々[くさぐさ]御守[おんまもり]を入置[いれおき]たり。其中[そのなか]に正[まさ]しく赤松常祐公の姫君と知りぬべき。水茎[みづくき]の跡さへ見ゆれば。扨[さて]は主君の姫君にておはせしよと。殆[ほとんど]奇異の思ひを為[な]し。且[かつ]驚き且[かつ][かなし]んで。先[まづ]御在所[おんありか]を問[とは]んとすれど。東西をだに分[わか]ち玉はぬ幼君なれば。如何にともせんかたなく。只もりたて奉るには如[し]くべからずと。世に憚[はばか]りて我が子と号し。日に月に帥[かしづき]しが。光陰早きならひにて。今[いま]姫君の御年[おんとし]は十七歳にぞ度[わた]らせ玉へり。此[この]姫君の赤松家にて誕生ありしは。そのかみ永享[えいけう]十一年の春なりき。よて御年[おとし]をば知りはべりぬ。されば御父[おんちち]常祐君[ぎみ]は道見が讒[ざん]にあふて亡[ほろび]玉ひし始末迄。兼[かね]て御聞[おんきき]に達せしかば。いかにもして其[その][あだ]を報ぜんと。しばし御心[おんこころ]を安んじ玉はず。そをのみ患[うれ]ひ悲しみ玉ひつ。然[しか]るに此[この]ほど思ひよらずも生贄[いけにへ]の沙汰ありけるに。賊の所為[しょゐ]とは夢にも知らず。唯[ただ]山神の託宣[たくせん]とのみ心得[こころう]れば。御身代りをもて備へんも。御罰[ごばつ]のほどの恐ろしく。神事[じんじ]をいかに為[な]すべきと。偏[ひとへ]に心を痛めしかど。よし神明の冥感[めうかん]あらば。事のよしをあらはに告[つげ]て。御命[おんいのち]を乞[こひ]奉らん。若又[もしまた]納受[のふじゅ]あらざる時は。譬[たと]へ蛇[じゃ]にても鬼にても。彼[か]の神体を討果[うちはた]し。えこそは姫をわたさじものをと。たちまち御罰[ごばつ]をかへり見ず。命にかへて覚悟を究[きは]め。勢子[せこ]を集めて謀計[はかりごと]を廻[めぐ]らす所に。君はからずも今宵わが家に憩[いこ]ひ玉ふて。かうかうの物語に。彼[か]の山神を退治せんとの玉ひしが。我[われ]思ふに。此神[このかみ][かならず]生贄をとる時に外人の至る時は。忽[たちまち]雨を呼び風を起[おこ]して。屡[しばしば]人を害すれば。容易に行[ゆき]て災[わざはい]を引出[ひきいだ]さんも計るべからず。唯[ただ][とどむ]るに如[しか]じと思ひて。我が愚[おろか]なる心より。かかる英雄豪傑を知らずして。再三止[とど]め奉りしかど。君[きみ][しゐ]て山神を退治すべきおももちなれば。をのづから加勢を得たる心地にて。いよいよ勢子の手分[てわけ]を定め。遠巻[とうまき]に山をとりまき。木陰々々に是を伏せて。今や遅しとまつ所に。白髪[はくはつ]たる老翁の。いかめしく出来[いでき]たれるが。面[おもては][まさ]しく新珠島にて我を剥[はぎ]とる盗賊に紛[まぎれ]なければ。心中に是と怪しみ。しばし様子を伺[うかが]ふ所に。君[きみ][たちまち][あらはれ]玉ひて。姫ぎみもろ共[とも]不思議に日比[ひごろ]の本望を達し玉ひ。赤松家の重宝[てうほう]たる。飛竜丸の御物[ごもつ]迄。再[ふたたび]姫君の御手[おんて]に入ること。実[げ]に此[この]うへの御歓[おんよろこび]やさふらふべき。時にうしろの山間[やまあひ]より。あまた女の泣喚[なきわめ]きて。只[ただ]われわれをも助けてよと聞こゆれば。疾[と]く行[ゆき]て子細を問ふに。是[これ][ことごと]く生贄に備へられたる美女たちにて。皆[みな][わ]が知れる方々[かたがた]の娘なりき。則[すなはち][ここ]に引具[ひきぐ]してさふらひぬと。一同に首[かうべ]を下[さぐ]れば。勢子の面々歓び勇みて万歳楽[まんぜいらく]と 扨[さて]春之は此[この]ものがたりをきくからに。始[はじめ]て愁眉をひらきつつ。かくてあるべきことならねば。時[じ]こくうつらぬ其先[そのさき]に家路をさしていそぐべし。五次兵衛いざいざ案内[あんない]と。先[まづ]道見が頭を掴んで。常姫もろとも立上れば。五次兵衛なをも小躍[こおどり]し。あまたの美人を是に随へ。勢子[せこ]の人数[にんじゅ]に下知[げぢ]をつたへて。前後左右を守護せしめ。凱歌をうたふてかへりにけり。

▼先叡…先祖。
▼讒…讒言。足利幕府に対して鬼塚道見が「赤松常祐は主君を討たれた事への報復計画をたてておりますよ」と申し立てた讒奏。
▼山家…山あいの村里。
▼恙なく…けがなども無く。
▼まろび居たる…転がってた。
▼容顔…かおかたち。
▼手のしなへ足の繊やかなる…しなやかでうつくしい手足。
▼由のある人の子…由緒ただしき血筋のひとの子供。
▼寵…寵愛する。
▼種々の…いろいろな。
▼水茎の跡…筆でかかれた文字。「水茎」は「筆」のこと。
▼そのかみ…そのむかし。
▼永享十一年…1439年。
▼所為…しわざ。
▼勢子の手分…勢子たちの配置位置。
▼遠巻…「とう」という傍訓に注意。
▼万歳楽…ばんざーい。

其後[そののち]京都の将軍家に訴[うった]へ出[いづ]れば。此時[このとき]足利義政[あしかがよしまさ]公の御代[みよ]に当りて。大に四海[しかい]に徳政を施[ほどこ]し玉ひ。一国平均の折柄[おりから]なるに。なをかかる目出たき例[ためし]は。いよいよ安全長久の基[もと]ひぞとて。頓[とみ]に春之常姫の両人を京都に召[めさ]れ。尽[ことごと]く御感の余[あまり]。則[すなはち]赤松常祐の本領を。のこりなく返し与へ玉ひにけり。春之が常姫を妻女に為[な]すべき上意を蒙[かうむ]り。千々[ちぢ]の黄金[こがね]を頂戴して。首尾よく御前[ごぜん]をまかん出[いで]ぬ。かくて春之赤松家を再興しければ。謹[つつしん]で常祐の霊を祭り。父母[ふぼ]の碑[ひ]を支度寺に立[たて]て。彼[か]の院主[いんじゅ]には幾庶[そこばく]の施物[せもつ]を送りぬ。幡山五次郎兵衛には千ヶ所の田地[でんち]を与へて。なを是に尽[ことごと]く領国を守らせけり。扨又[さてまた]道見に奪はれたるあまたの美女をば。先達[さきだっ]てその家々におくり返せば。親族の歓[よろこ]べること大かたならず。後に此[この]美女達は。皆[みな]常姫に仕へてけり。されば春之常姫は。身を安うして錦衾[きんきん]の上に坐し。緞帳[どんてう]の中[うち]にむかしをかたれる。此[この]いもとせの天縁奇遇。千代に八千代に。量りなく。目出度[めでた]かりける例[ためし]とぞ今の世までも聞[きき]伝富[つたふ]

巻之三 大尾

▼将軍家…足利家。
▼足利義政…(1436-1490)足利幕府の8代目の将軍さま。
▼本領…領土、領地。本領安堵を上様から頂戴した。
▼千々の黄金…たっぷりのおかね。
▼再興…お家をたてなおす。
▼身を安うして…身を安楽に。
▼錦衾…にしきのふすま。うつくしいふとん。
▼いもとせ…妻と夫。

文化九年壬申孟春発兌
書肆

大坂心斎橋筋唐物町

 河内屋太助

江戸十軒店

 西村源六

同 大伝馬町二丁目

 前川弥兵衛

同 小伝馬町三丁目

 武蔵屋直助

同 所

 丁子屋平兵衛

▼文化九年壬申…1812年。
▼孟春…初春。一月。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい