伝聞[つたへきく]▼源頼光[みなもとのよりみつ]は異形の怪異に遇て身を苦しめしも之[これ]を退治て▼蛭蟷[つちぐも]なるを知り▼大森彦七[おおもりひこしち]は▼鬼女に出会[であひ]是[これ]を斬るに年経[としふ]けぬる狸にてありしとなん泉州堺浦の石地蔵化[ばけ]て旅人に斬[きら]れ東京牛込の銀杏[いてう]化て往来の者を驚かす抔[など]枚挙[これをあぐる]に暇[いとま]あらずと雖[いへども]も多くは狐狸の類[たぐ]ひの業[わざ]なりかし今茲[いまここ]に解起[ときおこ]す物語[はなし]は猛獣[けもの]の所為[わざ]にあらず真[まこと]の魔王に出会て一[ひとつ]の奇談[ふしぎ]を残せしも実[げ]に珍敷[めづらしき]ことにぞある開[そ]は今を去る百三十有余年▼寛延年間の事にして備後国三次郡[みよしごほり]▼上布努村[かみふぬむら]に▼稲生武左衛門[いなふぶざゑもん]と云[いふ]武士[もののふ]あり代々[よよ]▼国主[くにのつかさ]に使[つか]へて五百石を領し留守居役を勤[つとめ]何不足なく世を送れり然るに夫婦の中に子なきを愁へ或日[あるひ]妻を一間[ひとま]へ招き我[わが]最早[もはや]四十路[よそぢ]に余れど未だ一子[こども]を設けざれば富[とみ]て財[たから]を貯[たくは]ふるも譲るべき者なき時は先祖へ対し不幸[ふこう]此上[このうへ]なるべしと語るを聞[きい]て婦[つま]お沢[さは]は気の毒さに暫時[しばし]ことばも涙に呉[くれ]て居[いた]りしが頓[やが]て顔[おもて]を揚[あげ]妾[わらは]迚[とて]も神や仏に誓[ちかい]を込[こめ]何卒[どうぞ]子供を授[さづけ]給へと祈れども出来ぬは女の身の不幸只此上の御願[ねがひ]は世継を設くる其為[そのため]に妾[めかけ]を抱へ賜れと只管[ひたすら]勧[すすめ]て云けれど武左衛門は▼承引[うけひか]ず否々[いないな]妾[せふ]など抱[かかへ]なば▼世間の口色に溺れし抔[など]と言[いは]れんも遺憾[くちをし]ければ僥倖[さいはひ]同家中の中山源七[なかやまげんしち]が次男の新八郎[しんはちろう]を養子に貰ひて養育[そだて]んと語るを聞[きき]て妻お沢は初[はじめ]て▼安土[やすき]心持[こころもち]しつつ其後[そののち]中山へ掛合て双方説得しければ終[つひ]に新八郎を引取[ひきとり]我子の如く愛[いつく]しみ蝶よ花よと養ひけるに▼光陰は矢よりも早く何時[いつしか]過[すぎ]て星霜[とし]遷[うつ]り▼安永四年と新玉[あらたま]の立春[たつはる]も霞深き三月[やよひ]の頃より妻お沢▼月の経[めぐ]りを見ざるゆへ武左衛門は医師を招き診察[みたて]を請[こひ]しに疑ひなき懐孕[かいたゐ]なりと告[つげ]るにぞ夫婦の歓喜[よろこび]大方ならず是[これ]や▼八百万神[よろづのかみがみ]が授け賜[たまへ]し者ならんと益々身体[みうけ]を大切に▼月の満るを待[まつ]うちに何時[いつし]か其期[そのき]来りて出生せしは玉の如き男子[なんし]にして殊に▼母子とも悩[なやみ]なく最[いと]健康[すこやか]に肥立[ひだつ]にぞ名を平太郎[へいたろう]と称[よび]なしつ目出[めで]愛[いつ]しみて▼手の裡[うち]の玉の如くに養育[そだて]けり