備後土産稲生夜話(びんごみやげいのうのよばなし)第四回


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第四回

[かく]て三の井権八は或日[あるひ]稲生の屋舗[やしき]に到り頃日[このごろ]続く五月雨[さみだれ][い]と徒然[つれづれ]なれば何ぞ終日[ひねもす][かたら]はんと互[たがひ][たけ]き談話[はなし]をなせしが頓[やが]て権八稲生に向[むか][おのれ]幼きより人の話に妖怪変化[ようかいへんげ]に誑[たぶらか]され苦悩[くるしみ]を受[うけ]し抔[など]語るを聞[きき]て自己[おのれ]が遇[あひ]たることなければ一度にても出会[いであひ]て其[その]正体を見顕[みあらは]し生捕[いけどり]にして見んものをと思ひをりしに幸[さいは]ひに頃日[このごろ]村の噂に大熊山[おほくまやま]に怪物[ばけもの]いづると聞[きき]ければ今宵[こよひ]彼行[かしこ]に行[ゆき]て見ん君は如何[いかが]と問けるに稲生点頭[うなづき][こ]は面白[おもしろ]とて忽地[たちまち]同意賛成為[な]しければ権八郎は重[かさね]て云[いふ]やう[され]ば後刻[のちほど]鬮引[くじびき]なし当りし者が行[ゆく]と定めん一先[ひとまづ]拙者は帰宅して其[その]用意を致[いたす]べければ君は宅[うち]の用事を済[すま]後刻[ごこく]手前へ御出[おんいで]あれと言葉を残して立帰[たちかへ]れり跡[あと]に稲生は用事を済[すま]せ家来を呼び委細[いさい]を托[たく]屋敷を出[いで]て隣家[となり]なる権八方へ到りけるに予[かね]て待居[まちゐ]し三の井は大に歓喜[よろこび]茶抔[ちゃなど]を入[いれ]種々奇談に時刻[じこく]を遷[うつ]し頓[やが]二更[にかう]を告ぐる鐘[かね]陰々[いんいん]と響きて物琳[ものさび]しく此時[このとき]雨は益々[ますます]降りたれば時刻[とき]こそ宜[よ]けれと鬮取[くじとり]せしに平太郎その鬮[くじ]に当りしかば[いざ][おもむ]かんと立上[たちあが][はかま]の股立[ももだち]取上[とりあげ][みの]を着[ちゃく]し笠[かさ]を冠[かむ]り権八方を立出[たちいで]黒闇[あやめ]の別[わか]烏羽玉[うばたま]闇路[やみぢ]も搆[かま]はず大熊山の麓[ふもと]の方[かた]へと趣[おもむ]きけり

▼最と徒然なれば…暇で暇でしょうがねぇ。
▼猛き談話…いさましい話。武勲談や武勇伝。
▼大熊山…比熊山。
▼後刻…のちほど。
▼手前…わたしの家。
▼委細を托し…あとのことを任せて。
▼奇談…ふしぎな話。怪異談や霊異伝。
▼二更…午後11時ごろ。
▼時刻こそ宜けれ…ちょうどいい時分だ。試肝会や百物語などで怖いと目されていた時刻は、あたりがとっぷりと夜になった「二更」や「うしみつどき」だったので、妖怪を取っ捕まえに行くにはちょうどイイ時間帯だと言うのでしょう。
▼袴の股立ち取上て…雨にぬれないように袴のすそをたくしあげること。
▼黒闇の別ぬ…暗くてあたりのはっきりしない。
▼烏羽玉の…暗いもの、真っ黒いものにかかるまくらことば。

記者曰[きしゃいはく]大熊山[おほくまやま]は三次郡[みよしこほり]の西方[にしのかた]に聳[そび]峨々[がが]たる[いはほ][おひ]谷間[たに]あれども深谷[しんこく]にして水遠く樹木茂りて晴[はれ]たることなければ登山する人[ひと]甚稀[はなはだまれ]にして[いと]嶮岨[けんそ]の岩石みち凡[およそ]五十町斗[ばかり][のぼ]りし処[ところ]に千畳敷[せんでうじき]と称[とな]三次若狭守[みよしわかさのかみ]の館[やかた]の跡あり夫[それ]より亦[また]二十丁過[すぎ]て三次殿の塚あり其[その]墳墓[つか]の彼方[かなた]幾千[いくちとせ]を経[ふ]るとも知れぬ杉の大木あり此[これ]を名付て俗に天狗杉と云[いふ]幅員[はば]八尋[やひろ]にして枝は地にたれ墓を覆ひ茅[かや]多く生じ梢[こずへ]は雲に隠れ物凄きこと限りなく里人[さとびと]噂して此[この]杉に手を付る者は忽[たちま]ち祟[たた]りありと言伝[いひつた]へて近寄[ちかより]て見ることなしと云[いふ]

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▼峨々たる…岩石がけわしい様子。
▼最嶮岨…とてもけわしい。
▼三次若狭守…三吉若狭守。三吉家は備後国にいた武将のひとりで、大内家のちに毛利家に仕えていましたが、関ヶ原の合戦の転封によって三次にあった持ち城も廃城になってしまいました。
▼幾千を経るともしれぬ…何千年生きてるのかわかんない程の。
校註●莱莉垣桜文(2011) こっとんきゃんでい