さても▼津田[つだ]方の勇士の銘々は、今しも既に六右衛門の下知に依って繰出さんとする時、図らずも▼日開野[ひがいの]方が早や是れまでに押寄せると云ふ注進を承りました、依って六右衛門は敵地に乗込むよりは、余程此方が戦ひは便利と思ひましたところから、茲[ここ]に於て俄[にわか]に津田の浜手の陣所へ向けまして、今や敵の寄せ来[きた]るを相待つ事になりました、何分一統の銘々は勇気を皷舞して、敵は多寡の知れたる小勢、目に物見せて呉れんと、日開野方の来[きた]るを相待って居る、ところへ追々其夜[そのよ]は更けて参りまして、▼子刻[ここのつ]となっても何んの沙汰もない、既に▼丑刻半[やつはん]寅刻[ななつ]と云ふ刻限になって参りました、誠に深々[しんしん]と致して居りまして、更に敵が寄せて参る容子[ようす]はございませんから、茲[ここ]に於て六右衛門は大いに安心を致して、諸将に対[むか]ひ 六右「さてさて、金長と云へる奴は言甲斐[いひがひ]ない奴である、今以て此処[このところ]へ寄せ来[きた]らぬと云ふのは、分った、是れは我が大軍に怖れをなして、夫[そ]れで寄せ来[きた]らぬと相見えたる事である、多寡の知れたる小童[こわっぱ]の藪狸[やぶだぬき]、何程の事やあらん」と、大いに安心の体でございます、 六右「皆の者、余程疲れたであらう、最[も]うボチボチ寝ても可[よ]いぞ、皆々持場へ下[さが]って休息を致せ、 此時[このとき]傍[かたはら]にあった▼川島作右衛門 作右「アイヤ御主君、夫[そ]れは尚[ま]だ尚[ま]だお早うございます、彼[か]の金長と云ふ奴は中々容易ならざる掛引[かけひき]のある奴でございますから是れは定めて味方の勇気の挫[くじ]けるところを待って、夜の払暁[ひきあげ]に押寄せんと云ふのでありますから、滅多に油断はなりませんぞ、既に目前[めのまへ]まで押寄せて居るではありませんか、さあれば其侭[そのまま]引上げさうな筈[はず]はありません、アイヤ方々[かたがた]、此の一統の銘々も、是れまで妻子眷属を安々と養ひ居らるると云ふのも、御主君のお蔭、夫[そ]れ夫[ぞ]れ棲家[すみか]を与へられて居ればこそ、然[しか]らば斯[か]ふ云ふ時[とき]主君[きみ]に対して御奉公が肝心である、依って今宵は何[いづ]れも寝てはなりませんぞ、皆々我が持場を厳重に固めさっしゃい」 六右衛門、之[こ]れを承りまして、実[げ]に有理[もっとも]と心得、遂に其夜[そのよ]は一睡も寝入りません、十分に用意を致して居りますうちに、追々と刻限も押移[おしうつ]って参りました、
既に▼鶏鳴[けいめい]暁[あかつき]を告げる頃になりまして、早や東が白んで来ました ○「オヤオヤ、最[も]う是れ夜が明けるではないか、何んの事だ、我々は昨夜[さくや]徹夜[よどほし]一睡もせず致し、斯[か]く厳重に此処で待って居るのに、馬鹿にして居る」 茲[ここ]に於て全くは皆此の界隈で或[あるひ]は森の中[うち]とか、または穴の中に入り込みまして、其日[そのひ]は一日休息いたして居ります、さて夕景と相成りますと、またまた持場を厳重に固めました、サァ来い来[きた]れと相待って居る、ところが其晩[そのばん]も何んの沙汰もない、全く昨晩と云ひ、今夜[こんばん]と云ひ、徹夜を致して居りましたが、更に敵は寄せて参りません、六右衛門は是れが為に大きに陣中▼徒然[とぜん]でなりません、そこで用意の食物を取出して、味方の銘々の勇気を養はんとて、酒宴を致すことになりました、ところが二日目の夜[ばん]も来ません、愈々[いよいよ]第三日目になりまして、今宵は定めて来るであらうと十分身構[みがま]へをして居りました、ところが其夜[]そのばんも夜半[よなか]も過ぎ丑刻[やつ]過ぎになっても、何んの沙汰もない、サァ斯[か]うなりますると、自[おの]づと油断と云ふではないが、敵は定めて味方の軍勢に怖れをなしてよう来ないのであらう、情けない奴もあればあるものと、十分敵を侮[あなど]って了[しま]ひました
六右「皆々是れへ来[きた]って一盞[いっぱい]飲めッ ○「是れは何[ど]うも有難うございます」 大将六右衛門から許しが出ましたから側に居る四天王の手輩[てあひ]を首[はじ]め、または軍師と立てられました、千切山[ちぎりやま]の高坊主、皆々此処に集って酒宴を致す事と相成りましたが、遂に敵を十分に侮[あなど]って了[しま]ひました、すると彼方[あちら]に一組、此方[こちら]に一組と、皆々同僚輩を集めまして ○「何[ど]うだえ、アア快[よ]い心地[こころもち]になって来た △「然[さ]うだな、今夜は緩[ゆっく]りと飲まうか、併[しか]し尚[ま]だ酒はあるか ○「有る有る △「有るなら持って来い、何[ど]うもコノ何んだな、草原[くさはら]の上に我々が坐って居ると、尻が痛くって仕方がない ○「夫[そ]れぢゃァ敷物を上げやうか、柔かいのを、乃公[おれ]も憚[はばか]りながら自慢ぢゃァないが、▼八畳敷[はちでふじき]の敷物を有[も]って居るのだ △「乃公[おれ]も有[も]って居る ○「お前のは小さいぢゃァないか △「イヤ、夫[そ]れでも正味六畳ばかりは大丈夫ある」 そこで皆々持前の睾丸[きんたま]を拡げると云ふ事になった ×「成程、此の敷物は柔軟[ぐにやり]として居るな、皮蒲団[かはぶとん]に触ったやうだ ○「当前[あたりまへ]だ、是れが生きた皮蒲団だ」 銘々八畳敷を夫[そ]れへ拡げまして、皆々坐列[ゐなら]んで酒宴を催す事になりましたが、中には▼腹皷を鳴らして唄ふ奴もあれば、起[た]って躍[おど]る奴もあると云ふ、戦争[いくさ]に参って居ると云ふよりか、▼全然[まるで]愉快に出掛けましたやうな調子でございまして、皆々宛[さな]がら怠[おこた]って居る調子でございます、
大将六右衛門は何んとなく我が出陣の際に振り切っては出たものの、娘の最後が気になってなりませんから、密[そっ]と四天王の手輩[てあひ]に耳打を致して置いて、尤[もっと]も自分は此処[このところ]に出陣を致して居るやうな体裁にして、其身[そのみ]は▼城中へ密かに帰って参りますると、早速奥向[おくむき]へ乗込んで参りましたが、彼[か]の娘小芝姫の死骸に取付いて悲歎[ひたん]の涙に暮れました 六右「アァ飛んでもない事をして呉れた、我が心の裡[うち]も知らずして、早まった事を致して呉れた、併[しか]し歎[なげ]いても返らぬ事であるから、切[せ]めて死骸だけでも葬って遣[や]りたい」 と云ふので、そこで留守居の者に申付けまして、夫[そ]れ夫[ぞ]れ手当を致させて、先[ま]づ裏の山手にて漸[やうや]う此の小芝姫の死骸を葬る事に相成りました、遉[さす]がは強情我慢の六右衛門も其処[そこ]は親子の情愛でございますから、悲しみの涙に昏[く]れまして、ガッカリ力を落[おと]しました、併[しか]し斯[か]う云ふ時に気を腐らしてはならぬと思ひまして 六右「先づ酒を持てッ」 酒の気を籍[か]らうと云ふのでございまして自分[おのれ]は城中にあって数多[あまた]の▼腰元を相手として酒宴[さかもり]を始めると云ふ事になりました、尤[もっと]も此の穴観音の要害は堅固な城でございますから先づ家来の者に申付けまして、表は厳重に門を閉め切って了[しま]ひ其処へ▼番の者を付けまして、其身[そのみ]は搦手[からめて]の方へ対して出[い]づると云ふ事に相成りまして、此処に十分備へを立て、若[も]し浜手で戦ひが始まったら直[すぐ]に飛出すと云ふ心算[つもり]でございます、尤[もっと]も此の搦手[からめて]伝[づた]ひに浜手とは其のやうに間[あひだ]もございません、万事是れに在って浜手の容子[ようす]の注進を聞く事に致して居ります、ところへ恰度[ちゃうど]穴観音の搦手[からめて]に備へて居りまする処は、彼[か]の津田山の麓[ふもと]に相成って居りまして、陣中の後手[うしろて]を見上げるばかりの津田の高山[こうざん]でございます、
お話し転[かは]って此方[こちら]は日開野金長の方でございます、全体彼[か]れは是れまで打出[うちいだ]し、今にも進むと見せ掛けまして、津田方の浜手に陣所を搆[かま]へたと云ふ注進を聞いて、其夜[そのよ]も翌夜[よくばん]も此処に止[とど]まって居ると云ふのは、是れは戦ひの巧者な狸でございますから、敵の挙動を計って居るのでございます、十分敵の勇気の挫[くじ]けたるところを待って、不意に押寄せて、一挙に六右衛門を撃取[うちと]らうと云うふ考へでありますから、そこで部下の銘々に下知を伝へまして、先づ弁天の森の陣所を俄[にわか]に引上[ひきあ]げまして、彼[か]の江田村[えだむら]の千代が丸[ちよがまる]と云ふ処に出陣を致す事になりまして、俄[にわか]に此処[このところ]へ厳重に備へを立てると云ふ事になりまして、敵の其夜[そのよ]の容子[ようす]を段々探らせたる事でございます、ところが敵も初めの程は厳重に備へを立って居りまする奴が、追々油断が出て来まして、況[ま]して浜手の陣中は只四天王ばかりが其の処を守って居りまして、毎夜の酒宴[さかもり]と云ふ事に相成って大将六右衛門は茲[ここ]に出陣と見せ掛けまして、其実[そのじつ]は穴観音の城内へ帰り、何[ど]うやら姫の▼葬送[ともらひ]を致し、余程気を腐らして居ると云ふ注進でございます、是れに依って金長は我が計略思ふ存分に参ったりと悦[よろこ]びました、ところが三夜[みばん]までと云ふものは毫[すこ]しも押寄せる容子[ようす]はありませんでしたが、第三日目の夜[よ]、相変らず▼忍びの者を出[いだ]しまして、浜手なり、また穴観音の搦手[からめて]の容子[ようす]を窺はせたる事でございます、然[しか]るに追々と注進を聞いてみると、敵は益々油断を致したる容子[ようす]でございます、依って金長は面々に対[むか]ひまして 金長「然[しか]らば今宵の夜の払暁[ひきあげ]を待って、敵の十分油断の体を見計らひ、短兵[たんぺい]急に押寄せて、彼[か]の浜手の手輩[てあひ]を討取る事に致さん、各々方[おのおのがた]十分お働きを願ひたい、我れは是れより津田山の鹿の子[かのこ]の砦に対して之[こ]れを陣所と定めて、浜手に於て戦ひが十分激しく相成ったるところへ、不意に彼[か]の砦より踏み下[おろ]して、敵の大将の備へを立って居る搦手[からめて]の方へ廻って只一戦の下[もと]に六右衛門を撃取[うちと]らんと相心得る依って各々方[おのおのがた]は▼乗出すところの用意を願ひたい」 之[こ]れを聞いたる一統の銘々 「成程、是れは至極好[よ]い計略であります、然[しか]らば左様に致さん」 と云ふので、皆々浜手へ乗出さんと云ふ、其の準備を致した事であります、ところが茲[ここ]に彼[か]の小鷹[こたか]熊鷹[くまたか]の二頭[ひき]でございます 小鷹「御大将に申入れます、私[わたくし]は素[もと]より先陣の役を願ったのではございまするが、目指すは穴観音の六右衛門の首級[くび]を上げようと云ふのが望みでございます、依って浜手は只[ただ]傍[はた]の銘々のみであれば、各々方[おのおのがた]にお乗出しの程を願ひたい、我々は其の搦手[からめて]の方に打向[うちむか]ひたいと思ひます、貴方[あなた]のお供を致して、共々津田山へ出[い]でて、以前鹿の子が棲息[すまゐ]いたしました砦、其方[そのほう]から向ひたいのであります、 そこで何分山手より軍勢を乗下[のりおろ]さうと云ふ勢ひでございますから、柔弱な者ではなりません、依って自分の先鋒[さきて]と致して、彼[か]の鷹兄弟の者を先陣と致し、倔強[くつきゃう]の兵士[つはもの]凡[およ]そ百頭[ぴき]足らず、十分身支度をさせまして、遂に金長は臣下に申付けまして馬を牽[ひ]かせ、大胆にも此の津田山の方へ対して備へを変へると云ふ事になりました、
津田方の手輩は左様な事とは毫[すこ]しも存じません、益々其夜は酒宴[さかもり]を致し、浜手に於きましては十分油断を致して居ります、殊[こと]に大将六右衛門より、今宵は此方[このはう]退屈であるから、何[ど]うか四天王の銘々も我が手許[てもと]に来[きた]って▼一盞[いっさん]傾けるが宜[よか]らうとのことでありました、後には津田の浜手に備へを立って居りました手輩は、何[いづ]れも油断を致して、皆々穴観音の搦手[からめて]の方に集って来ました、茲[ここ]で大将分の手輩は皆々集っての酒宴[さかもり]でごさいます、だから其夜[そのばん]は津田方は大いに油断を致して居りまする、其の容子[ようす]を聞いたところから、日開野方は愈々[いよいよ]戦ひは今宵に限ると云ふので、勇み立って先鋒[さきて]の手輩は、其夜の丑刻[やつ]と云ふ頃ほひ、ソレ乗出せと云ふので合図を致しますると、ドッと鯨波[とき]の声を揚げました事でございまして、忽[たちま]ち津田の浜手へ対して押寄せて参りましたところが津田方の手輩は酒宴を催して居りまするところへ、不意に乗込んだのでございますから、イヤハヤ一同の者は驚いたの、驚かないのと、一頭[ぴき]と致して此処に踏止[ふみとど]まって戦ふと云ふ奴はない 「夫[そ]りゃ来た、飛んでもないところへ敵が押寄せて来た」 と云ふので、中々一堪[ひとたま]りもございません、八方に散乱を致し、何[いづ]れも手の舞ひ足の踏み所を忘れまして、▼我れ一と逃げ出す事でございます、日開野方は▼得たりやおうと迯[に]げる奴を八方に打倒しまする事でございます、中には礫[つぶて]の▼名狸[めいり]の奴等[やつら]は、銘々小石を拾ってドシドシ打出すのでございますから、宛然[さながら]雨霰[あめあられ]の如く、夫[そ]れが為に散々な目に遭ひまして、津田方は目も当てられぬところの有様でございます、ところが今宵は四天王の手輩は、皆搦手の方へ参りまして、酒宴を催して居りました、然[しか]るに此処の留守を預って居りまする者の頭[かしら]と見えて、▼山中転太[やまなかころんだ]と云ふ者、一生懸命に相成りまして、第一番に此奴[こやつ]は迯げ出した ○「オイオイお前は迯げて呉れて、我々は何[ど]うする 転太「馬鹿な事を言へ、お身[み]達は此処[このところ]で食いひ止めて在[い]らっしゃい、我れは第一番に御大将の方へ注進に及ぶのだ、迯げて行くと云ふやうな卑怯な事は仕[し]ない」と、口では大言を払っては居るものの、実は戦ひが可怖[こは]いものですから、其の搦手の方へ足に任せてドシドシ駈け出[いだ]しました、
遂に本陣の前まで来ると、コロコロ上の方から転がって参りまするなり、大将の酒宴を致して居りまするところまで来ると 転太「御主君、恐れながら御注進に及びまする」と、遂に其処[そのところ]へバッタリ平倒[へた]って了[しま]ひましたが、己[おの]れの持前の大きな目をギョロギョロ光らせまして、後は息が喘[はづ]んで物を言ふ事が出来ないと見え、只目ばかりパチパチさせて居ります、大勢の手輩は茲[ここ]で酒宴[さかもり]を致して居りましたが、大将六右衛門は此の体[てい]を見ると云ふと、大いに驚いた 六右「コリャ汝は山中ではないか、して注進とは何事であるか 転太「タタ大変でございます、御大将、周章[あはて]ては可[い]けません、先づ御鎮まりあそばせ 転太「馬鹿な事を言へ、汝[おの]れが全体周章[あはて]て居るのではないか、して注進とは何事である、早く申せッ 転太「エェ、恐れながら申上げまする、来ました来ました、 六右「何が来た 転太「我々は、今夜[こんばん]大将のお側[そば]にて御酒宴が始まりまして、皆四天王の方々はお留守中でございますから、夫[そ]れゆゑ油断なく浜手の陣所を守って居りました事でございます、ところが思ひ掛けなく俄[には]かに起[おこ]る鯨波[とき]の声、是れはと思って能々[よくよく]見ますると、日開野の同勢凡[およ]そ一千足らずでございませうが、目に余るところの大軍でございました、夫[そ]れが何[ど]うも早や中々偉[え]らい勢ひでございまして、乗込むなり礫[つぶて]を以て打ち出しました、殊[こと]に▼歯節[はぶし]の達者な奴が夫[そ]れへ押出して参りまして、噛[かぶ]り倒す、依って先鋒[さきて]の手輩は何[いづ]れも八方に、右往左往に散乱いたし、既に我々も一命危[あやふ]く迯げるに途[と]を失ひまして、漸[やうや]うの事に私[わたくし]は第一番に此処[このところ]へ御注進に参りましたのでございます、大将お早くお迯げなさらぬと、今に彼[あ]の同勢が此処[このところ]へ襲ひ来[きた]ることでございます」 と、目を白黒させて注進いたしたる時 六右「ナニッ、然[しか]らば今宵金長奴[め]が不意に夜撃[ようち]を掛けたと云ふのか、不埒[ふらち]な事を致す奴、金長の乗込むこそ幸[さいは]ひ、いでや此の六右衛門の▼牙に掛けて呉れやう」と、床几[しゃうぎ]を離れて其身[そのみ]はスックと起[た]ち上ったが 六右「ヤァヤァ、者共、馬を牽[ひ]けッ」 と下知を致しました、何分宵の程からの酒宴[さかもり]、其身[そのみ]は十分に酩酊[めいてい]を致して居りますから、肝心の足元が自由になりませず、▼蹣跚[よろぼ]ひ蹣跚[よろぼ]ひ致しまする有様を、一統の銘々は之[こ]れを見まして、さては大変如何[いかが]いたしたら宜[よか]らうかと、互[たがひ]に顔と顔とを見合せて居りました、
然[しか]るに此の折柄[をりから]四天王の一頭[ぴき]、▼川島九右衛門と云へる者、大きに憤[いきどほ]りまして 九右「アイヤ御主君、貴方[あなた]は此処[このところ]にあって当処をお離れに相成ってはなりません、金長▼若狸[じゃくり]の分際と致して、生意気にも今宵の夜撃[ようち]とは奇怪千万[きっくわいせんばん]な事であります、いでや此の川島九右衛門が打対[うちむか]って彼[か]れを撃取[うちと]って呉れん、ヤァヤァ誰かある、我れに続けッ、作右衛門、汝は御大将の側を離れては相成らぬぞ」 漸[やうや]う茲[ここ]で二百頭[ぴき]ばかり倔強の部下を集めました事でございまして、其身[そのみ]は忽[たちま]ち乗出さんと云ふ勢ひでございます、ところが傍[かたはら]にあった多度津の役右衛門 役右「然[しか]らば我れも乗出さん」 と云ふので、川島の後に続いて勢ひ込んで乗出しました、後に弟の作右衛門 作右「先づ御大将、暫時此処で勇気をお養ひあそばせ、何分お足[みあし]が危なうございます、併[しか]し馬を是れへ牽[ひ]いて置けッ、油断はならぬ、敵勢が何ほど是れへ乗込まうとも、此の作右衛門が目に物見せて呉れん」 と相待って居ります、
ところが川島九右衛門はドッとばかりに浜手へ押出して参りまして、陣所の容子[ようす]を見ますると、イヤハヤ味方は散々[さんざん]でございまして、日開野方の為に打ち悩まされ、八方に右往左往に崩れ立つところの有様、敵は勝ち誇って居りまするところから、是れでは到底ならぬと思ひまして、早速多度津の役右衛門に申付け、▼新手[あらて]百頭[ぴき]と云ふ者を集めまして、自分は倔強の兵士[つはもの]百頭[ぴき]ばかりを従へ、今戦ひ真最中[まっさいちう]のところへ、ドッと面[おもて]も振らず乗出したるところの有様でございます、九右衛門は獅子奮迅の勢ひにて、会釈[ゑしゃく]もなく当るを幸ひ噛[く]ひ散らすと云ふの有様、是れが為に金長方は戦ひが開[ひら]けましたる事であります、ところが茲[ここ]に敵中より敵の大将と見えて罷出[まかりい]で、大音声[だいおんじゃう]に呼ばはった ○「ヤァヤァ、夫[そ]れへ来[きた]ったるは穴観音の弱虫の奴輩[やつばら]であるか、汝等[なんぢら]小狸[せうり]の分際をして我々に対[むか]って戦ひを致すと云ふのは、▼鼠の虎に向[むか]ふが如し、今より心を改めて降参いたすなら、一命の程は助けて取らせる、さもなければ汝等は鏖殺[みなごろ]しに致して呉れる、我れを全体何者と相心得る、定めて噂に聞きつらん、我れは地獄橋に於て彼[か]の古塚を守り居る、然[しか]も正二位の位階[くらゐ]を受けた、衛門三郎とは我が事である、皆の奴輩[やつばら]降参を致せッ」と呼ばはりながら、味方を従へ敵中へ駈け入[い]ったが、八方へ打ち悩ますところの勢ひでございます、ところが之[こ]れを承った川島九右衛門は、大きに憤り 九右「ヤァ小賢[こざかし]いところの衛門三郎奴[め]が大言、我れ未[いま]だ▼百六歳なれども、穴観音の身内に於て一二を争ふ四天王の随一と云はれたる、川島九右衛門である、汝▼高官を授かりながら、然[しか]も金長ごとき者に助勢なすとは何事である、甚[はなは]だ以て不埒な奴、卒[い]ざ我が歯節を喫[くら]って倒死[くたば]れッ」と、雷[らい]の如き声を揚げまして、真正面より打込み来[きた]る事でございますから、衛門三郎は大いに怒[いか]って 三郎「心得たり、九右衛門とやら、汝[おの]れ小狸[こだぬき]の分際と致して、高位ある我れに対[むか]って無礼の一言[いちごん]、素[もと]より我れは▼徒[いたづ]らに事を好んで、日開野方に味方をせしにはあらず、全体汝の主[しゅ]と致す穴観音の城主六右衛門奴[め]は、此の四国の最高位でありながら、己[おの]れ狸族[りぞく]の者を日頃苦しめ、日々に暴威を募らせると云ふ、依って是れが為に幾千と云ふもの其の苦みを受け居ること、素[もと]より金長なる者は天晴[あっぱ]れ義侠のある者に致して、此度[このたび]▼義旗[ぎき]を挙げたと云ふのは、六右衛門を滅ぼし数多[あまた]の狸族を助けんと云ふ、其の殊勝に愛[め]で、遂に彼[か]れの味方を致したる此方[このほう]である、いでや我が手練[てなみ]の程を見せて呉れん、ソレ川島方を撃ち殺せッ」 と呼ばはりましたる事でございます、
此時後方[うしろ]に控へましたる石投げの名狸[めいり]、水越[みづこし]の小鴨[こかも]、芝生[しばふ]の高塔[たかたふ]、根井[ねゐ]のお玉と云ふやうな手輩皆々大石小石を打ち投げ打ち投げ、敵中に対[むか]ってドシドシ投げ付けました奴は、雨霰[あめあられ]の如くでございます、津田方は之[こ]れが為に頭を砕かれ、或[あるひ]は背中を割られ、肩腰の▼差別[しゃべつ]もなく、或[あるひ]は片足を折られまして跛行[びっこ]を曳きながら、後方[あとも]の方へドッと引退[ひきしりぞ]く奴もあります、夫等[それら]の者には目も掛けず致して、大将川島九右衛門を撃殺[うちころ]さんと云ふの有様でございます、此時既に川島方は鏖殺[みなごろ]しに相成らんと見えました、折柄[をりから]かの穴観音の搦手より、川島九右衛門を遣[つか]はしたとは云へども、尚[なほ]心元なく思ひますから、其の援軍と致して百頭[ぴき]の同勢を従へ、宛然[さながら]砂煙を蹴立ってドッと乗出しましたるは、是れぞ津田方に於て軍師とも謂[いひ]つべき、知切山の高坊主でございます、漸[やうや]う今此処へ駈け着けました、九右衛門の手は如何であらうと見てあれば、散々に敗走を致し、既に九右衛門は数ヶ所の手疵[てきづ]を受けながら、討死[うちじに]と決心を致して戦って居ります、是れではならぬと思ひましたか 高坊「ソレ一統の者進めッ」 と下知を致して置きまして、身をブルブル慄[ふる]はせたかと思ひますると、忽[たちま]ち此奴[こやつ]は変化[へんげ]の術に長けたる奴でございます、凡[およ]そ▼一丈あまりもあらうと云ふ▼高入道に相成りましたる事でございまして、群[むらが]るところの日開野方に対[むか]ひ、当るを幸ひ乗込んで参り、蹴倒し、蹴飛ばし大暴れに暴れ廻る、是れが為[た]め 「オヤオヤ、大変に大きな奴が飛出したわい」 と大きに驚きまして、日開野方は追々と八方に散乱いたす、見る見るうちに数多[あまた]是れが為[た]め討死[うちじに]をする容子[ようす]でございます、
ところが衛門三郎は此の体を眺めて大きに怒[いか]り 高坊「ヤァヤァ味方の軍卒必ず周章[あはて]るな、彼[あ]の大坊主と見えるのは千切山の高坊主に違ひない、彼[か]れに対[むか]って戦ひをせんとする時は必ず上を見る事はならぬ、皆々目を下に着けて其上[そのうへ]打向[うちむか]ふべし、彼[か]れが▼足元を撃てよ、足を掬[すく]へ」 と云ふので、下知を致しました、此時女狸とは云ひながら衛門三郎の教へに随って、敵の容子[ようす]を窺ひ居りました彼[か]の松の木のお山[やま]、是れは儷[うるは]しいところの婦人に▼姿を変へまして、高坊主を望んで▼得物[えもの]を打振って打向ひましたる事でございます、殊に衛門三郎の教への通り決して上は見ません、下を下をと見下しますると、アラ不思議なるかな、今まで敵は一丈あまりの大入道の姿であった奴が、忽[たちま]ち一二尺の小さな小坊主の姿となり、段々小さくなって参りました、松の木のお山は大いに悦[よろこ]び お山「ヤァヤァ、汝は千切山の小坊主であるか、最早汝の術は看破[みやぶ]られたる事である、いでや覚悟を致せッ」と云ふより早く、牙を剥き出して彼れが肩口を望んで、ガブリと一噛[ひとかぶ]り噛[かぶ]り付いた、ところが此時高坊主は自分[おのれ]が▼化術[けじゅつ]を見現[みあらは]され今は致方[いたしかた]がない、ところへ非常に歯節の達者な奴に一噛[ひとかぶ]り肩口を噛[かぶ]られましたる事でありまするから、アッとばかりに驚いて汝[おの]れ残念と心得ましたが、中々松の木のお山の勢ひは盛んでございまして、到頭一振り振り廻されて遂に彼れは倒れまする、ところへ乗掛って取押へ、気管[のどぶえ]を望んで噛[くら]ひ付き、全く此のお山の歯節のた達者な為[た]め、軍師と言はれた千切山の高坊主も、茲[ここ]に此のお山狸の為に囓[く]ひ殺されたる事でございまする、忽[たちま]ち首を囓[く]ひ千切[ちぎ]り、お山は目よりも高く差上げまして お山「ヤァヤァ遠からぬ者は音にも聞け、敵方に於て剛の者と噂を取ったる千切山の高坊主は、日開野金長の身内に致して、女狸[をんな]ながらも松の木のお山、物の見事に撃取[うちと]ったり、後日の高名[かうめう]を争ふな」 と大音声に呼ばはったる事でございます、
何[いづ]れも津田方の手輩はハッと驚いて能々[よくよく]見ると、全く高坊主は早や首級[くび]と相成ったる事でございまして、サァ茲[ここ]に於て、またまた▼備へがドッと乱れ出しました、日開野方は十分に勝利を得ましたる事でありまして、銘々腹皷を鳴らしまして「進め進め」と下知を致しました、すると後陣に控へて居りました多度津の役右衛門、先鋒[さきて]の川島九右衛門は数ヶ所の手疵[てきず]を被[かうむ]って居る、何んでも彼[か]れと一緒にならうと云ふので、我身[わがみ]は一心に戦って居りましたが、思ひ掛けなく千切山の加勢はあり、先づ是れならばと思ひまして安心をして居ると、遂に女狸[めだぬき]の為に高坊主は噛[く]ひ殺されましたので、今は是れまでなりと思ひまして、役右衛門はドッとばかりに進んで参り、日開野勢の後方[うしろ]から当るを幸ひ八方に噛[く]ひ散らして廻りまする、然[しか]るに日開野方の後陣に備へを立って居りましたる高須の隠元 隠元「我れは日開野方の軍師と言はれたる高須の隠元なり、いでや来[きた]れ」 とあって、役右衛門の同勢の横合[よこあひ]から打込んで参りまする、茲[ここ]に於て役右衛門の同勢は八方に散乱いたし、またまた大いに戦ひは難渋の容子[ようす]でございます、
敵も味方も▼入[い]り違ひ、今は同士撃ちと相成ったる事もございまして、最早役右衛門も是れまでなりと、漸[やうや]うの事に部下を数多[あまた]撃たれまするとは云へども一方を斬り開きまして、遂に川島九右衛門の同勢と一手になり、▼術計尽きたるところから、茲[ここ]に両将相談の上[うへ]穴観音の搦手へ注進を致し、加勢の援兵[えんぺい]を請[こ]ふ、是れが一つの手違ひと相成りまして、図らず役右衛門に続いて後の加勢として、八島[やしま]の八兵衛来[きた]って戦死の一条から、此方[こなた]は穴観音の搦手に於ては、鷹兄弟の為に川島作右衛門戦死に及ぶと云ふ、追々狸合戦も佳境に入って参りまするがチョッと一息[ひといき]御免を被[かうむ]りまする。