エエ引続きまして講演に及びまするは、前[さき]に伺[うかが]ひました▼古狸合戦[こりがっせん]の続編にございまする、尤[もっと]も伯竜[わたくし]は受売りの事でございますから口銭は少々頂きまする、で少しは付会[おまけ]もあるでせうが何分実地へ参って調べたと云ふのではなく、彼地[かのち]の▼藤井楠太郎[ふぢゐくすたらう]と云ふお仁[ひと]が熱心に、其の土地のお方でございまするだけに、能[よ]くお調べ上げに相成[あいな]りました、是れなれば大丈夫と認めまして▼中川玉成堂から廻されました其の参考書に依って、講談に編み伯竜[わたくし]が講談に掛けましたのでありますから、原書と少々▼筋を異に致したところもありまする、併[しか]し其の道筋は原参考書に依りましたことで、何[ど]うか其の思召[おぼしめし]を以[もっ]て御覧の程を願ひ上げます併[しか]し何分人間の世界と違ひまして、畜生同士の戦ひでありますから、少々は無理に付会[こぢつ]けた処もあるかと思はれまする、其辺[そのへん]の処は根が狸と云ふ獣物[けだもの]のお話でありますから、諸君は▼眉毛に唾[つば]を付けてお読み取りの程を願ひます、
さて前編に申上げました、彼[か]の日開野金長[ひがいのきんちゃう]の器量優れたるを見込みまして、穴観音に棲む総大将六右衛門[ろくゑもん]と云ふ狸は、自分の娘小芝姫[こしばひめ]の▼養子に致し、此処に長く足を留めさせんと致しましたのが、全く行き違ひとなりまして、金長が夫[そ]れに応じぬところから、六右衛門は忽[たちま]ち悪心[あくしん]を発[おこ]しまして、彼[か]の金長の旅館に対し▼夜撃[よう]ちを掛けましたるところ、却[かへ]って金長の為に敗北を致しまして、穴観音の本城に逃げ帰り、部下の眷属を集め、再び金長征伐の評定に及ぶ、ところが茲[ここ]に千切山[ちぎれやま]の高坊主[たかぼうず]と云ふ者が名論を吐きまして、平和を局を結ばんと致しましたところまで伺ひました依って引続きまして其の続きより申上げまする事に仕[つかまつ]りまする前編とお引合せの上御愛読あらん事を願ひ置きます、
さて前編に伺ひましたる如く、▼千切山の高坊主と云ふ者が、述べました如くにさへ取計[とりはから]ひを致しますれば、誠に穏[おだや]かに納まるのでございました、大将六右衛門は却って金長の尊敬を受け、また別段かの合戦と云ふやうな事にもならなかったのでございます、元来六右衛門と云ふ古狸は、心飽[こころあく]まで▼捩曲[ねぢけ]たる奴でありますから金長の器量の優れたるを心に怖[おそ]れて居りまする、依って此奴[こやつ]に▼官位を授ける時は、将来[のちのち]彼[か]れに四国の総大将を奪[と]られると云ふ怖れもあり、依って今のうちに金長を部下の眷属の手を籍[か]り、撃って棄てんと云ふ決心を致しました、で今日は我が本陣にて評定を致したのであります、ところが遉[さすが]は古狸だけあって、高坊主と云へる者は、至極穏[おだや]かな説を述べました、すると大将六右衛門は大きに怒[いか]りまして 六右「控[ひか]へよ、高坊主、さては其方は金長を怖れて左様な事を申すのか、此度[このたび]彼奴[きゃつ]に▼授官を致す事に就て、拙者[それがし]様々彼れを勧めて、我が娘に彼れを配偶[めあは]せ、金長を我が館の養子と致して、此の穴観音の城を譲らんが為め、段々説き勧めると云へども、金長益々増長に及び▼我が語[ことば]を用ゐざる段、甚だ不埒[ふらち]な奴、依って此侭[このまま]に彼れを帰せば必ず我れに敵対[てきた]ふ奴、夫[そ]れゆえ彼れを撃取[うちと]らんと押寄せしところ、却って彼れの計略に陥[かか]り、味方は数多撃取られ、夫[そ]れのみならず斯かる無礼の書まで送り来[きた]ると云ふ、飽くまで我れを恥ぢしめたる致方[いたしかた]である、如何に金長に勇あればとて此侭に棄[す]て措[お]く時は、益々彼れは増長に及ばん、さありては返す返すも残念である、我れも四国の総大将なり、何んぞ金長ごとき一頭[ぴき]の小狸に頭[かしら]を下げ尻尾を掉[ふる]はんや、依って飽くまで彼れが棲家[すみか]へ押寄せ、金長の首級[くび]を取らいで措[お]くべきか」と、余程六右衛門は▼立腹いたして居ります。六右「ヤァヤァ者共、我れを思はん者は早々出陣の用意に及べッ」と、中々[なかなか]高坊主の異見を肯[き]きさうな事はない、既に▼乗出[のりいだ]さんと云ふ勢ひでございますから、折角高坊主の▼金玉[きんぎょく]の論も水の泡と相成りました、
何[いづ]れも▼一統の者共は顔を見合せまして、。此上からは致方[いたしかた]がない、依って皆々出陣を仕ようと其の準備に掛[かか]らうとする、其の有様を側[そば]に見て居りました娘小芝姫は、父の前に進み寄りまして 小芝「お父上さまに伺ひまする、貴方は気相[きっさう]変へて何方[いづれ]へお越しに相成りまする 六右「オオ、我れは是れより日開野[ひがいの]へ押寄せて、金長を撃取らん為の出陣であるぞ」小芝姫は之[これ]を承[うけたま]はりますると、小芝「是[こ]は情けなきその御一言[ごいちごん]、金長さまに何罪[なにつみ]あっての御征伐でございます、縦[たと]ひ枕は交はさねども、一旦父上のお語[ことば]には、其方[そち]の聟に致して遣[つか]はす、其方は異存はないかと仰せられましたを嬉しく思ひ、実に妾[わたくし]は楽んで居ります、然るに此度金長どの、父上のお語[ことば]を背きましたと云ふのも、是[これ]全く▼人間たる者より頼まれました、其の恩義を報ぜんが為め、事を分けたる金長どのの語[ことば]、父上の御立腹は御有理[ごもっとも]ながら、先程より高坊主が述べられた御異見にお従ひ下さいまして、娘▼不便[ふびん]と思[おぼし]召さば、何卒[なにとぞ]金長に正一位の位階[くらゐ]をお授け下さいまして、妾[わらは]に嫁入りをおさせ下さいまするよう」と、思ひ込んで願ひました、六右衛門は之[こ]れを聞くと大きに憤[いきどほ]り、六右「黙れッ、此度彼れの▼旅館に夜撃ちを掛け撃ち漏らしたるも是全く鹿の子[かのこ]奴[め]が返り忠に及んだゆえ、我が計略の裏を処[かか]れたる次第である、夫れのみならず多くの眷属共を撃ち取られ、実に無念の次第であるが、止むを得ず引上げるのも、再び味方を集めて彼れが棲家へ押寄せんと云ふ我が所存である、ヤアヤァ、者共、早々出陣の用意を致せッ」 中々止[とど]まる気色[けしき]はありません、娘は此時父の前に廻りまして、父の顔を見上げて涙に昏[く]れました 小芝「夫れではお父上、何[ど]うあっても貴方はお肯入[ききい]れなく、金長どのを御征伐なさるのでございまするか 六右「オオ如何にも左様ぢゃ、縦[たと]ひ如何やうに言はれやうとも、一旦斯[か]うと決心を致した上からは、迚[とて]も叶はぬ願ひである、依って其方[そち]は早く居室[いま]に引取って▼琴でも調べ、我が引上げるのを相待って居れ、必ず其方は此の父が好[よ]い聟を尋ね出[いだ]して遣[や]る、夫れを楽[たのし]んで相[あひ]待ち居れ、ソレ者共馬を曳けッ」
其身[そのみ]は其座[そのざ]を起上[たちあが]って既に▼縁端[えんばた]へ乗出さんと致しまする勢ひ、小芝はあるにもあらぬ思ひ、父の気質は能[よ]く知って居ります、一旦斯[か]うと思へば夫れを飽くまで貫くと云ふ性質でありますから、迚[とて]も止めても駄目であると最早決心を致したる事であるか、此時[このとき]予[かね]て用意に持って居りました匕首[あいくち]、抜くより早く小芝姫は、自分の咽元[のどもと]望んでガバとばかりに一突き貫いたキャッと声を立てまして、其場[そのば]へ打倒[うちたふ]れました事でありますから、さしもの強情な六右衛門も非常に驚きました、忽[たちま]ち娘を抱き起し 六右「コリャ、小芝、何ゆえに汝は斯[か]やうな早まった事を致した、アア是れは大変な事を致し居った」と、烏露々々[うろうろ]いたしながら 六右「誰かある、早く医者を招[よ]べッ、コリャ娘、気を確かに持って呉れ」と、種々介抱を致しまするとは云えど、小芝は十分気管[のどぶえ]を貫いたのでございますから、苦しき息をホッと吐[つ]き 小芝「妾[わたくし]は素[もと]より覚悟の上でございます、父上に先立つ不幸の罪はお許し下さいまするよう、只此上のお願ひは、金長どのとお和睦[わぼく]を下さいまして、何[ど]うか位階[くらゐ]をお授け下さいまするよう」 言はせも果て六右衛門は、其の手を放し 六右「黙れッ、白痴者奴[たわけものめ]が、其方は尚[ま]だ金長に未練を掛けて居るか、此儀[このぎ]ばかりは縦[たと]ひ誰が何んと言はうと相叶はぬ事である、我れは四国の総大将である、然るに金長ごとき▼藪狸[やぶだぬき]に数多の部下を撃たれ、其上[そのうへ]不埒[ふらち]極まるところの書面まで送って、我れわ飽くまで恥ぢしめたるところの金長、棄て措く時は彼奴[きゃつ]益々増長なし、後には我れに敵対をなす奴、今更其方が何んと言はうとも授官などとは思ひも寄らぬ」と、眼わ瞋[いか]らし牙を剥きました 小芝「アァお情けないところの仰せでございまする」と、小芝姫は様々に頼むと云へど、中々承知を仕ない、依って愍[あはれ]むべし茲[ここ]に小芝は狂い死[じに]を致すと云ふ事に相成りました、さしも大胆な六右衛門も、畜生ながらも親子の情愛で、其身は悲歎[ひたん]の涙に昏[く]れましたる事でございまするが、さて▼四天王の手前もありまするし、漸[やうや]う気を取直し六右衛門は 六右「ソレ、兎にも角にも浜辺まで出[い]でて、何彼[なにか]の手配りを致さん、早々馬を曳いて参らぬか、何を猶予いたして居るのだ」と云ふので、直様[すぐさま]部下の小狸は其処[そのところ]へ六右衛門の乗馬[じょうめ]を曳き出して参りました、大将六右衛門はユラリ是れに打跨[うちまたが]り、津田の浜辺へ乗出し、此処で勢揃ひを致し、其上[そのうへ]打出[うちいだ]さんと云ふのでございます、備へも何も扶踈[まばら]でごさいまして、我れ後[おく]れじと追々[おひおひ]と、部下の手輩[てあひ]は穴観音の館を乗出しまする、
実に大水の引いた後の如く、城内は深々[しんしん]と致して参りました、さて後に残りましたのは、小芝姫に傅[かしづ]いて居りまする数多の▼腰元[こしもと]の手輩[てあひ]「何んと皆さん、大変な事が出来たではございませんか、御痛[おんいた]はしや、小芝さまも遂にお亡くなりあそばしてございます」と、喧々[がやがや]噂をして涙に昏[く]れて居りまするが、先[ま]づ死骸は此侭[このまま]でも宜[よ]くないと云ふところから、そこで小芝姫の部屋に向けまして、腰元共が此の死骸を持って参ります、是れが為に館の内は大混雑を致して居ります、ところへ入[い]り来[きた]りましたのは別人ならず、鹿の子の妻の小鹿の子[こがのこ]と云へる、素[もと]は小芝姫の▼乳母[めのと]でございました、今は六右衛門が媒介[なかうど]に依りまして、鹿の子と夫婦に相成って、津田山に棲居[すまゐ]を致して居りましたが、今日[こんにち]彼[か]の評定の席に夫が招かれまして出て行きましたが、虫が知らすか何んとなく夫を諌[いさ]めましてございまするものの、さて▼主公[との]の御用と云ふところから登城に及んだが、其のうちに追々夜は更[ふ]けて参りまする、最早其夜は将[まさ]に明けなんとすれども、今[いま]以[もっ]て夫は帰って参りませんところから、若[も]しも夫の身に変[かは]りし事でもないかと、非常にこの小鹿の子は心配を致しまして、女ながらも至って貞心[ていしん]厚き者でございますから早速自分の棲家を出[い]でまして、穴観音へ出掛けて参りました、ところが穴観音では何んとなく、非常に一同が騒ぎ立って混雑を致して居りまする容子[ようす]でございます、追々同勢は繰出しまして、津田の浜辺へ向けて乗出さんと致しまする容子でありますから、何事が起ったのであらうかと驚きましたが、以前[もともと]この館に長らく奉公を致して居りました小鹿の子の事でございますから、勝手は十分[じうぶん]弁[わきま]へて居りまするから、そこで一同の者に見付けられぬやう、密[ひそか]に裏手へ廻りまして、裏門からそっと忍び込みまして、漸[やうや]うの事に勝手覚えたる庭先より、姫の居室[いま]へ対して遽[あはただ]しく乗込んで参りました、姫の室[ま]には傅[かしづ]いて居ります腰元が、大勢寄って騒いで居ります、
側に近[ちかづ]いたる小鹿の子 小鹿「皆さん、全体何[ど]うなさったのでございます」 此の声に驚き腰元共は振返って見ると、小鹿の子でございますから 腰元「大変な騒動が出来ました、実は▼斯やう斯やう然々[しかじか]」と掻摘[かいつま]んで話を致しましたので、驚いて来て見れば唐紅[からくれなゐ]と相成りましたる小芝姫の死骸、見ると其侭[そのまま]狂気を致さぬばかりの有様でございまして 小鹿「是れはマァ飛んでもない事を遊ばしました、小芝姫さまお心を確かにお持ちあそばして下さりませ」と死骸に取付て少時[しばし]の間は涙に昏[く]れました 小鹿「乳母[うば]でございます、小鹿の子でございまする、貴女はマァ何の為に此様[このやう]な御短気な事をあそばしました」種々様々に介抱をするとは云へど、最早身体[からだ]は冷く相成りまして、▼玉緒[たまのお] の切れたる死骸[なきがら]でございますから、今は如何[いかん]とも致しやうなく 小鹿「して夫の鹿の子は如何[いかが]いたしました、貴下方[あなたがた]は御存知はございませんか」 と苛[いら]って尋ねましたが、さて腰元の手輩[てあひ]は、鹿の子は今大広間に於て最後を致したのでござるとも言ひ兼ねまして 腰元「左様でございます、何[ど]うやら鹿の子さまは評定の席にお残り遊ばして在[い]らっしやるやうでございます 小鹿「ヤァ何故[なにゆえ]に斯やうな事に相成ったか、夫が棄て措かれる事であらうか」と思ひ、小鹿の子は取る物も取り敢[あへ]ず、彼[か]の評定の席に駈け着けてみると云ふと、誰も居りません、遥か向[むか]ふに▼血[あけ]に染んだる一頭[ひとつ]の死骸、何事やらんと近寄りまして、能々[よくよく]見れば是は其も如何に、我が夫鹿の子が、さも無念さうに牙を剥き出して其処へ斬り殺されて居りますから、気も魂も天外に飛ばして 小鹿「是りゃァマァ何[ど]うした訳合[わけあひ]でございます、アア情けないお姿におなりあそばした、鹿の子どの、気を確かに持って下さい、妻の小鹿の子でございまする」と、死骸に取付きまして少時[しばし]の間[あひだ]涙に昏[く]れ、頻[しきり]に介抱います容子[ようす]でございましたがアラ不思議、一旦絶[た]え入[い]って了[しま]ひました津田山の鹿の子は、我が妻の語[ことば]が耳に入りましたから 「ムーン」 と其処へ息を吹返しました
小鹿「アレ貴方、小鹿の子でございます、気を確かにお持ちあそばして下さいまするよう」此時鹿の子は両眼を開いて歯を咬緊[くひしば]り、妻の顔を打眺[うちなが]めて居りましたが、中々口を利く事は出来ません 鹿の「アァ残念な事である、コリャ小鹿の子よ 小鹿「ハイ、何[ど]うぞ貴方気を確かにお持ち下さい 鹿の「アア残念だ 小鹿「御有理[ごもっとも]でございます 鹿の「無念なのは六右衛門の処置、我が無念を晴らして呉れよ」と云ふ声も虫の息、遂に再び其処へガッカリ、其侭息は絶え入って了[しま]ひました、小鹿の子は宛然[さながら]▼手中[てのうち]の玉を奪[と]られましたる如く、周章[うろたへ]狼狽[さわ]いで種々様々に夫を介抱すると云へど、最早[もはや]果敢[はか]なく相成ったる死骸 小鹿「アァ今日は如何なる悪日[あくじつ]であるか、我が夫[つま]と云ひ、姫さままでが、何が為に此様な御最後をあそばしたのである、ムムウ、是れと云ふのも▼当城の主人[あるじ]六右衛門の所為[しわざ]に相違ない、今数多の者共の噂をば、此の館へ来る途中で承[うけたま]はったが、是れから日開野へ押寄せて金長征伐致すとの事、さては我が夫[つま]なり姫も夫[そ]れが為に斯[かか]る最後を致したのであるか、汝[おの]れ城内の主人[あるじ]六右衛門奴[め]、最早主従の縁は是れ限り、夫の敵[かたき]、姫の仇[あだ]、今に見よ今に見よ、思ひ知らして呉れんづ」と、ハッタとばかりに津田の浜辺の方を睨[ね]め付けましたがスックと立ちたる牝狸[めだぬき]の一念 小鹿「オォ然[さ]うぢゃ、ナニ彼[あ]の手配りも何[ど]うせい混雑を致して、直様[すぐさま]日開野へ押寄せると云ふ場合にも至るまい、勝手覚えし此の小鹿の子は前[さき]に廻って日開野の金長さまに此の事をお知らせ申し、其上夫の敵[かたき]で六右衛門奴[め]を一太刀なりとも恨[うら]まいで措くべきや」と、気相[きっさう]変へて帯[おび]引き締め、其侭[そのまま]庭にヒラリし飛び下りましたが、宛然[さながら]▼飛鳥[ひてう]の如き小鹿の子の勢ひでございます、遂に高塀[たかへい]を飛び越して、ドシドシ道を急ぎましたる事でございます、津田の浜辺へ来[きた]って見ると、何がさて急に部下の▼募集でございまして、勢揃ひの上[うへ]打出[うちいだ]さんと云ふのですから、只何んとなく喧々[がやがや]混雑を致して居ります、先づ先陣は誰、二陣は誰、三陣は誰と、此の役定めで混雑を致し居ります、此時[このとき]後[あと]より館を飛び出したる小鹿の子でございます、我れは独身[ひとりみ]、殊[こと]に他の者の目に掛らぬよう、近道を廻った事でございまして、軈[やが]て津田山の裏手へ掛りますると、南佐古[みなみさこ]の渡場[わたしば]を望んでドシドシ駈け出して参りました、恰度[ちゃうど]渡船[わたしぶね]の▼便を籍[か]ると云ふ事に相成りましたが、中々人間のやうな具合には行きません、他目[ひとめ]を忍んで密[そっ]と船に飛び乗って、好[い]い塩梅[あんばい]に▼向ふ河岸[がし]へ船が着くと、其侭飛び上がって一生懸命、彼の日開野へ駈け着け、注進を致すと云ふ事に相成りました、
さてまたお話し転[かは]りまして、茲[ここ]に彼[か]の日開野の大将金長でございます、是れは我が為には片腕と頼みました▼鷹の討死[うちじに]いたしたに就きましては、最早是れまでなりと我が身は決心の上、疾[と]く討死を仕ようと云ふので、穴観音へ乗出さんと仕ました時、図らず津田山の鹿の子と云ふ者に異見をされまして、残念ながら其の異見に従ひ、漸[やうや]うの事に其場[そのば]を立去り、日開野の鎮守の森に帰りましたのは▼前編の終りに伺って置きました、併[しか]し其の途中金長も熟々[つくづく]考へました「アァ残念な事をした、既に我れ此度修行に乗出す時、大和屋茂右衛門[やまとやもゑもん]さまには様々にお止[とど]めに相成った事であるが、夫[そ]れを肯[き]かず致して乗出し、将[まさ]に授官と云ふ間際に至って此度の騒動、縦[たと]ひ我れ棲家[すみか]に帰るともヤハカ此分[このぶん]に棄て措かんや、部下の銘々を集めて再び鷹の吊合戦[とむらひがっせん]をなし、我が身討死を致すまでも、六右衛門を一太刀[ひとだち]恨[うら]まいで措くべきや、さりながら何を云ふにも四国の総大将、どうせい彼れには数多の眷属あり、到底此度▼打出したれば、我れは討死と決心を致さぬければならぬ、さある時は大恩受けた日開野の大和屋の旦那に、最早此世[このよ]でお目に掛る事も叶はぬ、此侭に我れ死なば、金長と云ふ奴は遉[さすが]は畜生、我が異見を用ゐずして遂に乗出し、其侭滅び失せたかと言はれても残念、ムムウ、是りゃ我が森に立帰るまでに、幸[さいは]ひ今より日開野の大和屋さまへ参って、夫[そ]れとはなく今生の暇[いとま]を告げん」と云ふので、前後[あとさき]見廻したが、負傷[てきず]の痛手を忍び、彼の大和屋茂右衛門の宅へやって参りました、
勿論[もちろん]当家に奉公を致して正直に働いて居りまする、職人の▼亀吉、此者に乗り遷[うつ]りまして、是れまで主人と様々話をした事があります、今[いま]来[きた]って入口より密[そっ]と覗[のぞ]いて見ると、例の亀吉は何んにも知らず、一心に仕事場で染物を致し居ります、軈[やが]て側へ近寄りますると、彼の亀吉の姿を借りたのでございます、ところで此の大和屋と云ふ紺屋の宅は、相変らず商売は繁昌いたして居ります今日しも職人の亀吉は頻[しき]りに仕事を致し居りましたが、彼[か]の染物に用ゐまする棒を以[もっ]て、スックリ夫[そ]れへ立上[たちあが]りました、他の職人は此の体[てい]を見て 職人「オイ、亀、何[ど]うした、其の仕事は最[も]う仕上ったのか、オイ、コレ……オヤオヤ此奴[こいつ]は可怪[おか]しい奴だな、何をして居る」他の朋輩が物を言っても少しも返答はございません、何か唱[とな]へ言[ごと]をして空を向いて考へて居りましたが、忽[たちま]ち彼の棒を目八分に差上げますると、口の内で何か唱へ言を致して之[こ]れを振りながら、身体[からだ]をブルブル慄[ふる]はせて居ります ○「オヤオヤ、チョッと見ねぇ、また亀吉が変だぜ、例の金長と云ふものが付いたのぢゃァあるまいか △「サァ、何[ど]うやら狸が付いたやうな塩梅[あんばい]だ、オヤオヤ、何[ど]うした、亀吉」 と云へど此方[こなた]は更に相手にならず、ブルブル身体を慄[ふる]はせて居ります、家内の者は大騒ぎでございます、其のうちに亀吉は台所へ入って参りますると、ズッと上へ飛び上がりまして、軈[やが]て奥座敷へ進んで参りまする、此の体[てい]を眺めましたる家内の者は 家内「貴方マァ大変でございます、何[ど]うも亀吉の容子[ようす]が変でございます、チョイとお出[い]で下さい 茂右「ナニッ、亀吉の容子[ようす]が変だ、オイ亀吉、何[ど]うしたのだ」 と云ふうちに、亀吉は床の間へ進んで参りまして、ピタリ其処[そのところ]へ坐り、畳に両手を摺り付けまして、棒を以て畳を打ち始めました、さては金長が戻ったのであるかと、是れまで度々[たびたび]馴れて居りますから、大和屋茂右衛門は夫[そ]れへ進み出でまして
茂右「コレコレ、お前は金長さんだな 金長「旦那さま、誠にお久しうございます、私[わたくし]は金長狸でございます、只今立帰りましてございます 茂右「エェ、ナニ金長、イヤ是れは是れは能[よ]うマァ戻って来て呉れました、昨年から何か、彼[あ]の正一位と云ふ官位を受けようと云ふので、お前は修行を致して居ったのであろうが、マァ目出度[めでた]い事である、金長どの、実に私はお前の立帰るのを待って居りました事であります、さァ皆の者、是れへ来て金長どのが首尾[しゅび]好[よ]う戻って来て呉れた事であるから、お祝ひを申せ定めて金長どのは出世をして帰って来たのであらう、正一位金長大明神なれば私の方でもお宮を立派に建て直します、幟[のぼり]は素[もと]より▼手のものです、直[すぐ]に染め上げて、正一位金長大明神と云ふ幟を立てた其上[そのうへ]で、マァお前の立身出世を致したお祭典[まつり]をして在下[ところ]の者も皆呼んで来る、是れまで金長さんの様々の利益に預った人達も、お前の帰りを待ってお供へを仕ようと皆々大騒ぎをやって居た、アア結構々々、金長どの、此上もない目出度い事であります 金長「アイヤ、御主人さま、其のやうにお騒ぎ下さいますな、金長只今帰りましたのは、貴方に今生のお暇乞[いとまご]ひを致さんが為に帰りました 茂右「エエッ、何んと云ふ、今生の暇乞ひ 金長「ハイ、最早此世[このよ]でお目通りをする事は叶はぬ事になりました、が漸[やうや]う劇[はげ]しい中を斬り脱[のが]れまして、お暇乞ひ旁々[かたがた]帰りました」と、さて金長が▼是れまでに異[かは]ったる此の一言[いちごん]に、主人[あるじ]大和屋茂右衛門を首[はじ]め、何んで金長が彼[あ]のやうな事を言ふかと、皆々集って、是れから金長の言ふ事を承はる、彼[か]の金長決心を致して穴観音へ▼逆寄[さかよせ]の一段と相成りまするが、チョッと一息御免を蒙[かうむ]りまして次回[つぎ]に。