偖[さて]鹿の子[かのこ]は穴観音へ出仕を致しますると、大広間には▼四天王を始め、皆々評定[ひゃうぢゃう]をして居ります、主人[しゅくん]六右衛門[ろくゑもん]殿も其の席にお出[い]でであると言ふことでありますから、旋[やが]て鹿の子は其の席に出[い]でまして、遥かに下って▼頭[かしら]を下げ 鹿子「これはこれは只今はお使者[つかひ]を下し置かれまして有難うございます、私[わたくし]昨夜金長奴[きんちゃうめ]の寝込みを討たんとして忍び寄りましたが、不覚を取って逃げ帰り、君に面会せんと致しましたが、何分[なにぶん]腹痛激しくして堪[た]へ難きゆゑ、我が古巣へ引取りまして、▼薬湯[やくたう]の手当を致し居りまして、遅刻の儀[ぎ]誠に何とも申訳がございません」と云ふ顔を熟々[つくづく]眺めた大将六右衛門 六右「こりゃ鹿の子何と申す、昨夜其方[そのほう]金長の屋敷へ参ったと言ふか、何用で参った 鹿子「御意[ぎょい]にございます、金長を▼姫君の婿君に致さんとの主君の御意に、姫君も非常に喜ばれ、そのことを君に申し上げんとお居間近く進み寄りましたる時、既に御評定の様子、密[ひそか]に立聞き致しましては恐れ入りますが、何[ど]うやら今夜[こよひ]の中[うち]に彼[か]れが旅宿に押寄せ、金長を討[うた]んとの御評定、宵の程[ほど]君の仰[おほ]せとは余程相違して居ります、偖[さて]は金長奴[め]、有難き仰せに背[そむ]いて君の望みに応ぜぬ様子、と略[ほぼ]私[わたくし]も推量致しました、▼左[さ]ある時には君の▼御気象、屹度[きっと]今夜[こよひ]の中[うち]に彼を討取[うちとり]に相成[あひな]る御所存を心得まして、よって私[わたくし]は四天王の手前もありますが、手前の手柄を顕[あら]はさんと各位方[おのおのがた]がお進みになる迄[まで]もなく、私[わたくし]密[ひそ]かに彼が寝所[しんじょ]へ忍び込んで、目指すは敵将金長一匹よって皆様方に先立って、彼が旅館へ忍び入りました、然[しか]るに豈図[あにはか]らんや、彼は己[おの]れに従ふ所の▼鷹とやら申す者と、非常に応戦の手配[てくばり]を致す様子、これは迂闊[うくわつ]なことは相成らぬ、彼が油断を見澄[みすま]し討取り呉[く]れんと、庭前[ていぜん]に忍んで様子を窺[うかが]って居りまする所へ、君を始め四天王の方々お乗込みに相成り、▼非常の戦[たたかひ]となりましたが、金長は裏手にある松の大樹に上[のぼ]り、▼礫[つぶて]を以[もっ]て数多[あまた]の人を悩まし、己[おの]れ高きにあって左[さ]も愉快気[ゆくわいげ]なる様子でありまかすら、汝[おの]れ悪[にっ]くい所の金長の振舞[ふるまひ]、眼に物見せて呉れんと心得、私[わたくし]金長が上[のぼ]り居りまする大木の根元に進み寄り、それに控[ひか]へたるは日開野[ひがいの]金長ならずや、我が君に対して▼手向[てむかひ]するは不埒[ふらち]な奴、イザ此の所へ下りて尋常に勝負に及べ、拙者[それがし]は穴観音の身内に於[おい]て鹿の子と言ふ者であると呼[よば]はりましたが、彼は卑怯にも我が頭上より、何を吐[ぬか]すと言ふより早くも、大木を投げ下[くだ]さんと致しまする、よって私[わたくし]体[たい]を開いて、愈[いよい]よ汝[なんぢ]降りぬか、降りぬとあれば斯[か]く致して呉れんと、大手を広げて其の松の木を緊括[しっかり]握って力に任して揺[ゆる]ぶりました、然[しか]るに金長は忽[たちま]ち▼木の絶頂に堪[たま]りかねましたか、遂に身を跳[をど]らして飛び下り様[ざま]私[わたくし]に飛び付いて来る所より、汝[おの]れ憎[にっ]くき振舞[ふるまひ]、いでや討取って呉れんと雌雄[しゆう]を争ひました、何分君の▼御同勢お引揚[ひきあげ]の後でございまして、我が働[はたらき]を知る者は一匹もなく、上になり下になり戦ひましたが、御前[ごぜん]誠に残念ながら、遂に金長の為に私[わたくし]は組敷[くみし]かれまして既に一命も危[あや]ふいことでございました、其の時金長は我を組敷[くみしき]ながら▼何思ひけん拙者[それがし]を助け起[おこ]しました、如何[いか]に鹿の子、汝を此の処に討取るは▼易[やす]けれど、今[いま]討取る所を一度[ひとたび]助けて呉れる、我は一旦此処を引揚げるとも、近々[きんきん]家来[けらい]鷹の追吊合戦[とむらひがっせん]として彼の▼無念晴[ばら]しを致し呉れる、汝は六右衛門と共に▼其節[そのせつ]討取って呉れん、それ迄[まで]命は預けてやる、依[よっ]て汝[なんぢ]穴観音へ立帰[たちかへ]らば大将六右衛門へ左様に申せ、我は卑怯の振舞[ふるまひ]をするものではない、再び来[きた]って雌雄[しゆう]を決せんと心得る、依って我[わ]れ▼一書を遣[つか]はすから確かに六右衛門に届けよ、と斯様[かやう]に申して早くも彼[か]れ一書を認[したた]め、これを持帰[もちかへ]れと申します、残念に心得ましたが、何[ど]うも私の力及ばず、彼は其の侭[まま]私の懐[ふところ]へ手紙を捻[ね]ぢ込みますると、助け難[がた]き奴なれど今夜[こよひ]の処は助けてやる、早く引取[ひきと]れと言ふより早く私の利腕[ききうで]を取って逆に捻[ね]ぢ上げ、グイッと引担[ひっかつ]いで二間[にけん]ばかり取って投げられました、暫時[しばし]は其の場を立上[たちあが]ることも得ません、それが為に腹痛激しく差起[さしおこ]って身体[しんたい]自由ならず、其の侭[まま]悄々[すごすご]▼津田山へ立帰[たちかへ]りましたやうな訳合[わけあひ]で、今朝[こんてう]は全快次第出仕いたして君に一書を捧[ささ]げんと心得て居りましたる所へ、只今お使者[つかひ]でございまして早速罷[まか]り出[い]でました、▼件[くだん]の一書はこれにございます、卒[いざ]御披見[ごひけん]の義[ぎ]を願ひ奉[たてまつ]ります」 と一書を六右衛門に差出しました
何[ど]うも▼屋島の八兵衛の言葉とはチト相違を致して居りますから、不思議に思ひながら右の手紙を押開[おしひら]いてこれを読下[よみくだ]すと、一枚の▼蓮の葉に烏賊[いか]の墨を以[もっ]て芒[すすき]の穂の筆にてサラサラと認[したた]めましたものと見えます、其の文面も歴々[ありあり]と相判然[あいわか]る、
「前文御免、六右衛門殿へ申し入れ候也[さふらふなり]、拙者事[こと]昨年以来態々[わざわざ]貴殿を便寄[たよ]り、何卒[なにとぞ]▼授官に預かり度[たく]と実に寝食[しんしょく]を打忘[うちわす]れ、日々に勉学、依って君にも確かに認めらるる所あって、今回正一位の官位を我に与へんと条約致し置きながら、其の身の望[のぞみ]叶はぬ所より其の約を変じ、我を討たんとして我[わが]旅宿へ夜討[ようち]を懸けると雖[いへ]ども、これ▼蟷螂[たうらう]が斧[おの]を以[もっ]て竜車[りうしゃ]に向ふに等し、去りながら今夜[こよひ]の戦[たたかひ]は互[たがひ]に物別れ致すと雖[いへ]ども、後日[ごじつ]速[すみや]かに我が部下の眷族を残らず引率いたし、此の穴観音へ押寄せ、有無[うむ]の勝負を仕[つかまつ]り候間[さふらふあひだ] 、其の節[せつ]必ず狼狽[らうばい]之[これ]なき様[やう]、今より部下の眷族に▼御諚[ごぢゃう]いたし置[おき]下さるべし、貴下の許[もと]に仮令[たとへ]幾何千の部下ありと雖[いへ]ども我に於[おい]ては卑怯の振舞[ふるまひ]なし、後日[ごにち]日を定めて尋常の勝負仕[つかまつ]るべきものなり、▼天保十一子年[ねどし]十月、日開野金長▼花押[かきはん]津田浦穴観音の城主六右衛門殿」
と致してございます、六右衛門大いに立腹をなし 六右「汝[おの]れ不埒[ふらち]の金長奴[め]が我が大恩を忘却なし、殊[こと]に我を侮[あなど]り無礼の書を以[もっ]て我を辱[はづ]かしむる段[だん]傍若無人の振舞[ふるまひ]、此の上からは一時[いちじ]も早く日開野へ押寄せ、金長の生首を引抜き呉れん」 と大いに憤[いきど]ほって既に座を立たんと致しまする時、部下の面々互[たがひ]に顔を見合すのみで誰一匹として口を開くものはございません、何[いづ]れも言ひ合さねど金長の▼武勇に怖れを為[な]し、又平素[ひごろ]彼が▼器量を熟[よ]く知るものでありますから、如何[いかが]いたしたものであらうか、昨夜彼が旅宿へ不意に押寄せると雖[いへ]ど既に彼の為に充分に打悩[うちなや]まされ、却[かへ]って部下は余程の不覚を取りましたのでございまする依って今は金長の大勇力[だいゆうりき]に恐怖[おそれ]を為[な]し、我れ進んで乗り込むと言ふ者がありません、此の折柄[をりから]何条何程のことやあらんと彼[か]れが古巣へ乗込んで▼首を揚げ手柄を顕[あら]はしたいたいのは四天王の手合思ひは同じことであります、併[しか]し▼無官の金長でも油断が出来ませんな、▼南方[みなみがた]には既に其の辺に住[すま]って居りまする田の浦の太左衛門[たのうらのたざゑもん]、又は中の郷の地獄橋には衛門三郎[ゑもんさぶらう]あり、高須の隠元[たかすのいんげん]是等[これら]が多く金長に味方を致すと云ふ時には、これ由々[ゆゆ]しき大事[だいじ]でございます、況[ま]して況[いは]んや此の度[たび]彼が股肱[ここう]を致して居ります臣下の一人[いちにん]、鷹は漸[やうや]う▼作右衛門[さくゑもん]が討取ったと言へど、彼には小鷹又は熊鷹と云ふ二匹の兄弟の伜[せがれ]あり、此奴[こやつ]は藤の樹寺に於[おい]て弱年なれども、親の気質[きしつ]を受継[うけつ]いで天晴[あっぱ]れ▼歯節[はぶし]の強健[たっしゃ]な奴、依って却々[なかなか]これとても侮[あなど]り難い、攻寄[せめよ]する時は必ず親の仇[かたき]と喰ひ止めるに違ひない、と思ふのみにて誰一人発言[はつごん]するものもございません、所が此の時[とき]川島九右衛門[かはしまきゅうゑもん]八兵衛の意見に基[もと]づいて篤[とく]と実否を質[ただ]さんが為に鹿の子をこれへ招いたのでございます、其の言葉を思ひ出しましたるものと見えまして、
六右「こりゃ鹿の子、汝[なんぢ]昨夜金長の為に取って押[おさ]へられ此の手紙を受取って帰る前に、今にこれへ我[わが]数多[あまた]の同勢夜討[ようち]を致すと言ふことを敵へ内通致したな、イヤサ裏切[うらぎり]を致したであらう、有体[ありてい]に申せ」 ハッと驚きましたる鹿の子は此の時なりと思ひまして、カラカラと打笑[うちわら]ひ 鹿子「斯[こ]は御主君の仰[おほ]せとも覚えません、誠に私[わたくし]身に覚えのない所の難題でございます、何が為に私[わたくし]が左様なことを敵へ申し入れませうや、只手紙を貰って残念ながら引揚げたのみでございます 八兵「黙らっしゃい鹿の子、御身[おんみ]は敵の▼間者[かんじゃ]となって味方の秘密を敵へ明[あか]したに相違あるまい、▼余人は欺[あざ]むくと雖[いへど]も屋島の八兵衛は決して其の言葉には乗らんぞ、よって有体[ありてい]に白状して終[しま]へ 鹿子「これはしたり八兵衛、お手前は▼異なことを言はっしゃる、拙者が何を以[もっ]て敵へ内通した、それには何も確かな証拠があるか 八兵「如何[いか]にも、証拠のないこと此の八兵衛が言はんや、我れ昨夜此の館[やかた]より軍勢を押出[おしいだ]す先に、屹度[きっと]金長を我が歯節にかけて喰ひ殺し、手柄を顕[あら]はさんと先に廻って▼彼が旅館へ忍ばんとしたる時、既に汝は先へ廻って居って、敵将金長と何か▼諜[しめ]し合したるものと見えと、窃[ひそ]に汝[おの]れは金長に別れを告げ引揚げんと致したる所、傍[かたはら]の森蔭[もりかげ]にあって確かに様子を見届けに及んだ、これ全[まっ]たく手前が内通を致したに相違ない、左[さ]もなければ何が為に金長に用事あって昨晩参った 鹿子「エッ、それは…… 八兵「それはでは解らぬ、秘[ひそ]かに彼が屋敷を忍び出[い]でた時に鄭重[ていちゃう]に金長が門前へ送り出した、其の義は何[ど]うぢゃ、確かに傍[かたはら]にあって此の身が見届け、御主人[ごしゅくん]へ申上げたことである 鹿子「ムムン……それは其の何も別段敵へ内通を致したと言ふのではありませんが、▼姫君の慕[した]ふて居らっしゃる恋男[こひをとこ]のことであるから宵の程に御大将よりお勧めのお言葉を背[そむ]いたる金長、是非事を未前[みぜん]に治めやうと思って、それで私[わたくし]は金長殿へ対しまして、改めて篤[とく]と思案をして御養子にお成り下されるやうと説き勧めましたるやうな次第でございます、依って篤[とく]と考へ置きますると言ふ所から、金長殿に別離[わかれ]を告げて立帰[たちかへ]らうと致したる所を、八兵衛お手前が其等[それら]のことを聞かずして、見届けに相成って君へ注進になったのでござりませう」
言はせも果てず六右衛門は 六右「ヤァ此の小狸奴[こだぬきめ]が此の六右衛門を馬鹿に致すか、只今汝[なんぢ]何と申した、己[おの]れ金長を討って手柄を顕[あら]はさんと、彼れが大木に上[のぼ]って居たのを、其の方が松の木を揺[ゆす]って倒さんとして、組討[くみうち]を致し組敷かれたと言ったではないか、然[しか]るに此の八兵衛に咎[とが]められて、彼と談話を致したと申す、全体己[おの]れが身の言ひ開きをせん為に跡形もない事を申する奴、汝[おの]れ察する処[ところ]敵へ対して▼昨夜の次第内通致したに相違あるまい、最早[もはや]叶はぬ、有体[ありてい]に其の義を白状せい鹿子「却々[なかなか]以[も]ちまして……決して私[わたくし]左様な覚えは…… 六右「ヤァ吐[ぬか]さんか汝[おの]れ、我を欺[あざむ]き様々此の場を繕[つくろ]はんとするは、▼言はうやうない悪[にっ]くい奴、▼汝等[なんぢら]夫婦の者が津田山に棲息[すまゐ]をして数多[あまた]眷族を養ふは何が為[た]め、我が情けによって汝が棲息[すまゐ]を免[ゆる]してやってあればこそ、其の恩を恩とも思はず、敵に裏切して主[しゅ]に手向[てむか]ひすると言ふのは、其の木にあって其の木を枯らさんとする、▼獅子身中[しししんちう]の虫に等しい悪[にっ]くき所の小狸奴が……ヤァヤァ誰[たれ]かある早々[さうさう]鹿の子を喰ひ殺せ」 サァ斯[か]うなって見ると鹿の子は最早此の義を▼言ひ開きをすることが出来ませんから、最早これまでなりと思って、忽[たちま]ち其の座を起[た]ってドンドンと逃げ出[い]ださんとする、然[しか]るに先程から様子を考へて居りました川島作右衛門 作右「ヤァ卑怯未練の鹿の子奴[め]が、何処[どこ]へ逃げる、汝[なんぢ]逃げやうとても逃がさうや、▼方々[かたがた]取巻き召され」 と言ふより早く其の座を起[た]って追っ駈け矢庭[やには]に鹿の子の足に▼喰ひ付いた、喰ひ付かれながらも鹿の子は振顧[ふりかへ]って 鹿子「何をさらす」 と言ひながら牙を露[む]き出[いだ]して作右衛門へ取ってかかりました、すると綺羅星[きらぼし]の如くに居流れたる銘々は「汝[おの]れ悪[にっ]くい所の鹿の子である捕って我が手柄と致し呉れん」 と数十匹の狸はそれへ駈け付けました、
今[いま]作右衛門と組んづ転[ころ]んづ勝負を致して居る所へ容赦も何もあらばこそ、又は首筋又は肩口、四足[よつあし]尻尾の嫌ひなく群がり来[きた]って多くの狸は啖[くら]ひ付いた、見る見る中[うち]に鮮血迸[ほとばし]って数ヶ所の手傷に、残念なりと鹿の子は尚[なほ]も死物狂ひとなって働いて居りましたが、此の時彼が隙[すき]を見透[みすか]した川島作右衛門 作右「昨夜の働[はたらき]に金長が部下の勇士、鷹を喰殺した我が牙の鍛[きた]へを試みよ」 と言ふより早く大口開[あ]いて彼が咽喉笛[のどぶえ]へ狙ひを定めて喰[くら]ひ付いた、流石[さしも]の鹿の子もアッと一声、手足を▼藻掻[もが]いが七転八倒の苦[くるし]みを致しましたが、此方[こなた]の作右衛門は怯[ひる]む所を乗入[つけい]って忽[たちま]ち鹿の子の咽喉元[のどもと]を散々▼抉[えぐ]り廻した、ぢゃない喰[くら]ひ廻しました無念と云ふ一言[いちごん]を残して遂[つひ]に此の穴観音の大忠臣、津田山の鹿の子は無念の最後を遂げましたることでございます、
大将六右衛門をこれを眺めて先[ま]づ▼首途[かどで]の血祭[ちまつり]前兆[さいさき]好[よ]しと大いに打笑[うちわら]ひ、 六右「此の上からは勿々[さうさう]日開野へ乗出して彼が棲居[すみか]を荒して呉れん、者共[ものども]用意に及べ、馬を牽[ひ]け」 と▼下知[げじ]の下に下僕[しもべ]は、ハッと答へて頓[やが]てそれへ彼が日頃乗り馴れたる▼社頭の神馬[しんめ]を牽き出して参りますと、六右衛門が「者共[ものども]続け」 と言ひながらこれへ打跨[うちまた]がらんと致しまする、折[をり]しも▼奥手[おくて]の方より慌[あは]ただしくそれへ駈け出[いだ]して参り 小芝「お父上様暫[しば]らくお待ち下し置かれまするやう」 と止[とど]めまするは▼別人ならず、六右衛門の為には愛娘[まなむすめ]小芝姫[こしばひめ]でございます 小芝「お父様貴方[あなた]血相をお変へ遊ばして何方[いづれ]へお出[い]でに相成りまする 六右「ハテ知れたこと、我が心に従はぬ 憎[にっ]くい金長、今より日開野へ▼押出[おしいだ]し彼を討取って呉れん我が所存、依って汝は部屋へ下[さが]って休息いたせ 小芝「斯[こ]は情[なさけ]ないお父様のお言葉、貴方は昨夜何と仰[おっしゃ]いました、必ず近々[きんきん]仮令[たとひ]金長が何と言はうとも、彼を其方[そち]が婿と致して此の館を守らせるから、何[ど]うぞ夫婦仲善くして愛孫[うひまご]の顔を見せて呉れとのお言葉を妾[わたくし]は有難くお請[うけ]を致して、金長様は未来の夫と思ひ、既に此の世をお去りに相成りました▼母へ対して、必ず近き中[うち]に結婚を致しまして、及ばずながら当館[たうやかた]を守り貴方のお位牌[ゐはい]を守ることでございますと、昨夜▼仏間で誓約[ちかひ]の言葉を立てました、何かのことは鹿の子夫婦の者が致して呉れるとのことでありますから、只結婚の時の来[きた]るを相待[あいま]って居りましたのに、其のお父上様が打って変[かは]って今日[こんにち]の有様、現在鹿の子が最後、殊に金長を討たんと仰[おっ]しゃるのは情[なさけ]ない所のお父上様のお言葉、妾[わたくし]が生涯のお願ひでございますから、何[ど]うぞ金長様を御征伐に相成りますることはお止[とど]まり下さいますやう 六右「女の分際を致して要[い]らざる▼諫言立[かんげんだて]、止[とど]まり居れ、女子[じょし]と小人[せうじん]養ひ難し、我が心の裡[うち]も知らず致して左様なことを申した所が駄目だ、其処[そこ]離せ」 と制[とど]める袖[そで]を振断[ふりき]って既に用意の馬に跨[また]がらんとする時
△「アァイヤ我君[わがきみ]、暫[しば]らくお止[とど]まり下さいますやう、金長征伐は甚[はなは]だ宜しくない、止[とど]まり給へ御主君」 と館に響き渡る▼大音[だいおん]を発して▼次の間[ま]より呼[よば]はりつつ▼唐紙[からかみ]を開いて、ツカツカそれへ這入[はい]り込んだのはこれぞ其の頃ほひ此の穴観音の部下同様となって従ひ居りまするといへど、一方の旗頭[はたがしら]、既に数百年も経[へ]ましたる古狸[こり]の一匹四国で有名の千切山[ちぎれやま]と言ふ所に棲居[すまゐ]を致しまする高坊主[たかぼうず]と言ふ己[おの]れ変化[へんげ]の術を得まして▼高入道[たかにふだふ]に化けるには妙を得て居りまする、大将六右衛門も此の高坊主にはチョッと手を置いて居るのでありますから、平素[ひごろ]より自分の味方に手馴付[てなづ]けまして、素破[すは]戦[たたか]ひでも致さうと言ふ場合には、此の高坊主に軍師の役は何時[いつ]も申し付けるのであります、然[しか]るに此の度[たび]は自分が一旦婿にまでしやうとした金長を征伐しやうと云ふのは、彼にチト恥[はぢ]入ることもありますから、別段高坊主を呼び出[いだ]さずして、窃[ひそか]にこれから日開野へ▼押出[おしいだ]さんと致す折柄[をりから]でございます
六右「然[さ]う云ふ汝は高坊主ではないか、我を止[とど]めたるは何用である 高坊「恐れながら御前、只今▼お次にあって様子を承るに、君は今より日開野へ押出[おしいだ]して金長征伐をなさんと致さるるは、全体何等[なんら]の訳で 六右「左[さ]れば彼は少し学力ある処から我を侮[あなど]り、己[おの]れ正一位の官位を奪ひ、四国の総大将の役目を押領[おうりゃう]せんと言ふ、捨て置く時には必ず我が身を亡[ほろ]ぼす基[もとゐ]に相成るから今の中[うち]に彼を退治せんと言ふので、即[すなは]ち今より押出[おしいだ]さんと言ふ所である 高坊「御前それは貴方のお心得が違ひます、先々[まづまづ]座に着いて此の高坊主の申すること篤[とく]とお聞き取りを願ひます、卒[いざ]先[ま]づそれへ」 と勧められましたる所から、此の言葉を用ゐんと言ふ訳にはなりません、拠[よんどこ]ろなく不承々々[ふしょうふしょう]で以前[もと]の座へ着きましたが 六右「して金長征伐の義は何[ど]うする 高坊「さればでございます、金長征伐の義は御止[とど]まり相成るやう、只[ただ]穏[おだや]かに事を図り、飽くまでも君を此の四国に於[おい]て総大将と崇[あが]め奉[たてまつ]り、お館[やかた]無事に治まりさへすれば、何も其の様に大業[おほげふ]に事を図らはんでも宜しいのではございませんか、茲[ここ]に双方共に穏かに治まる手段[てだて]あり、其[そ]は▼余の義にあらず、私[わたくし]へは予[かね]て御相談なきも素[もと]より高坊主はそれを能[よ]く弁[わきま]へ居ります金長は遖[あっぱ]れ器量優れたる青年[わかもの]、其の上諸学に通じまして又変化[へんげ]の術にも妙を得て居ります、これを貴方が敵となして征伐をせんと言ふ、君の働[はたらき]なれば御勝利もあるのではござりませうが必ず又部下の兵士[つはもの]も多く討死[うちじに]を致します、それよりか事[こと]穏かに取計らひ、此の高坊主に対して使者の役目仰[おほ]せ付けられまするやう左[さ]ある時は私一度[ひとたび]日開野へ乗込み、仮令[たとひ]彼が如何程[いかほど]強情を申すとも決して彼に冗口[むだぐち]は利かせません、素[もと]より小芝姫様がお慕ひ遊ばす恋男のことでございますから、姫君と金長の仲を屹度[きっと]私[わたくし]取結[とりむす]んで御覧に入れます、御前は金長を穴観音の主[しゅ]となされやうと遊ばすから彼が不服を称[とな]へると言ふ、これにも又一理あります、金長は到って▼義を重んずると言ふ古狸[こり]でございまして、一旦▼大和屋茂右衛門[やまとやもゑもん]より受けたる大恩、我[われ]官位を受けたる後[のち]大和屋の家を守護致さんと言ふ所より、此の穴観音に足を留めるのを煩はしく思って辞[いな]むのであります、よって私[わたくし]は小芝姫様のお慕ひ遊ばす訳を言って、茲[ここ]は一ッ貴方が穏[おだやか]に姫をお手放しに相成って、日開野▼鎮守の森へ嫁入させるがお宜しうございます、左[さ]ある時には小芝姫と縁を結んで、君は正[まさ]しく▼岳父[しうと]とあれば金長は貴方を敬ひます、其の中[うち]に▼千住太郎[せんぢゅたらう]様は追々[おひおひ]と御修行が積みまして、屋島禿狸[やしまはげだぬき]の許[もと]より今に卒業を致して立帰[たちかへ]る、仮令[たとひ]御舎弟にもしろこれへ対してお館[やかた]をお譲り遊ばすが飽く迄[まで]も順当のやうに心得まする、左[さ]ある時には辞[いな]み難く金長も君に従ひ、四国中の古狸[こり]は皆々招かずともこれへ集る道理、左[さ]すれば姫の望みも叶ひ、又其の中[うち]に御孫様を挙げられると云ふことになれば貴方は此の上もなき結構なお身の上と心得ます、これ刃[やいば]に衂[ちぬら]ずして事[こと]穏かに治まり御家安泰の基[もとゐ]、枉[ま]げて此の義をお聞き済み相成りまするやう偏[ひと]へに願ひ奉ります」
流石[さすが]は千切山に於[おい]て数多[あまた]の眷族を従へまする一匹、小芝姫は心嬉[こころうれ]しく、「偖[さて]は穏やかに▼高[たか]が計らひをして呉れるか」 と喜びまして、父の返答如何[いかが]であるとその言葉を待って居りましたが、六右衛門▼此意見に基[もとづき]さへすれば、敢[あへ]て狸合戦はなかったのですが、▼善悪共に己[おの]れの一旦言ひ出したことは飽迄[あくまで]貫ぬかんと云ふ精神でござりまする所から、却[かへ]って高の意見を退け日開野へ逆襲[さかよせ]をせんとする、所へ此方[こなた]も決戦状[はたしじゃう]を残って立去[たちさ]った日開野金長、何ぞこれを沈[ぢっ]と捨て置きませうや、我が身は一旦大恩を蒙[かうむ]った大和屋茂右衛門に今生[こんじゃう]の別れを告げまして、日開野鎮守の森に於[おい]て四国は南方[みなみがた]の名ある古狸[こり]を募集致し、彼[か]の津田山の六右衛門を滅ぼして己[おの]れ四国の総大将に代[かは]らんと奮発を致したものか、素[もと]より金長の▼召[めし]と云ふので追々[おひおひ]此の近傍[きんぺん]の有名な狸が集りまして充分戦[たたかひ]の準備を致し、鷹の▼吊[とむら]ひ合戦を致して彼の遺子[わすれがたみ]小鷹熊鷹に親の仇討をさせんと言ふ、其処で小鷹熊鷹は自[みづか]ら先陣を引受[ひきう]けまして、愈[いよい]よ日開野方は総勢優[すぐ]って八百余騎、勢[いきほひ]込んで穴観音指して乗出[のりいだ]す、此方[こちら]は六右衛門▼敵大勢[たいぜい]で逆襲[さかよせ]をなすと聞き愈[いよい]よ容易ならざる一大事と、早速津田浦の港に陣所を搆[かま]へて相待[あいま]つ、所へ日開野方が押出す、一方は四国の総大将穴観音の六右衛門、一方は四国名代[なだい]の勇士金長方との大決戦と云ふ、これからが狸合戦のお話と相成りますが、何分▼紙数に限[かぎり]があるのでございますから、残念ながら今回は茲[ここ]を以[もっ]てお預[あづか]りと致し、続いて『古狸奇談津田浦大合戦』と題し、大将六右衛門が日開野金長と一騎討の大勝負に及び、却[かへ]って金長の為に六右衛門が討死[うちじに]を致す所から、其の子[こ]千住太郎屋島より▼取って返し、親の仇[かたき]と数多[あまた]の部下を集め、遂に金長を滅ぼすと云ふ、実[げ]に狸合戦の実説でございます、と言ふのは▼天保年間のお話で四国の方にお尋ねになれば宜[よ]く解るのでございます、それを彼[か]の地の藤井楠太郎[ふぢゐくすたらう]君の原本によって▼講演に仕組[しぐ]み御披露に及びまするので、近日第二編の▼上梓[いづる]を待って引続き御愛読あらんことを今より▼伏して願ひ置きます。
明治四十三年三月一日 印刷
明治四十三年三月拾日 発行
(紙質改良上紙製本)
講演者 神田伯龍
発行者 中川清次郎 大阪市東区備後町四丁目卅八番地
印刷者 井下幸三郎 大阪市南区末吉橋通四丁目十六番地
発行者 中川玉成堂 大阪市東区備後町心斎橋筋西へ入
特約大売捌所
南区八幡筋西横堀北入 島之内同盟館
南区心斎橋南詰東へ入 名倉昭文館
南区心斎橋安堂寺町南 田中宋栄堂
●注意{御注文及び御問合せの節は総て往復はがき又は三銭切手御封入願上候}