偖[さて]、これまでは金長[きんちゃう]と云ふ狸が彼[か]の大和屋茂右衛門[やまとやもゑもん]に就[つい]て話を致しました次第でございます、でこれから此の金長が▼其の身の希望を達せんと、自分は日開野[ひかいの]を立去[たちさ]って津田浦[つだうら]の穴観音に出かけて参りまして、修行をすると云ふと修行間違ひが出来まして、狸同士の合戦と云ふものが起[おこ]るのでございます、今までとは違ひまして、是[こ]れから後[のち]のお話は狸とのお話と云ふことになりまして、何しろ剣道修行の者が武術の修行に出かけるとか免許皆伝を受ける迄[まで]には、斯[か]う云ふ修行をすると云ふことは、能[よ]く▼私共[わたくしども]の▼お話を伺ふことでございますが、何分人間とは違ひ狸同士の話でございますから、狸がチョッと▼大小刀[だいせう]を差したり、又は狸が刀を引っこ抜いて対手[あひて]を斬る、或[あるひ]は狸が自害をするとか、斯[か]う云ふ間違[まちがひ]が出来ると云ふのは、可笑[をか]しいものであります、これを狸だからと申して其の行[おこな]ひ振[ぶり]を狸の所為[しわざ]として申し上げることになりますと、事柄が狭くなりまして、其の場合によっては甚だ申し上げ悪[にく]いのでございます、それで人間が互[たがひ]に活動する如く、▼倣[なぞ]らへてお話を致すことに仕[つかまつ]りますから、何[ど]うか其の思召[おぼしめし]を以[もっ]てお読取[よみとり]の程を願ひたうございます、総[すべ]てこれからのことは人間が物を云ふのではない、狸同士の奇々妙々なお話でございます、併[しか]しこれは後[のち]に至って人間の話で、斯う云ふことがあったと云ふ、其の土地の実説として伝[つたへ]られましたのを、お話申し上げるので、▼嘘のやうな実説でございます、何[ど]うか其の辺を前以[まへもっ]て▼宜[よ]しなに御了承の程を願ひ置きます、
偖[さて]茲[ここ]に彼[か]の金長と云ふ狸でございます、▼畜生ながらも此の所に在[あ]って二百余年の間[あひだ]棲息[すまゐ]をして居ります、▼此等[これら]にして見ればそれで▼左[さ]のみ老爺[おぢい]さんと云ふのではない、人間に取って云はうなら、血気盛んのこれから修行をしやうと云ふ、若物のやうな工合に相成って居ります、其の身は日開野[ひかいの]の鎮守[ちんじゅ]の森に永年[ながねん]棲息[すまゐ]をして居[を]ったのでございます、で我が▼眷属狸を多く自分の古巣へ集めました、すると眷属狸の各自[めいめい]も此の度[たび]金長なるものが、津田浦の穴観音へ向けて修行に出[い]で、大将六右衛門[ろくゑもん]狸の手許[てもと]に暫時[ざんじ]滞在の上、功を積み修行の満ちた後[のち]官位を受け、此の地に於[おい]ても正一位の官位を有[もっ]て居[を]れば、自分で官位を眷属狸にも授けることが後[のち]には出来るのであるから、其の出立[しゅったつ]を祝さんと云ふので追々[おひおひ]と集って来ます、
先[ま]づ其の出立[しゅったつ]の前日のお話でございますが、これは金長の館[やかた]でございますから、其の思召[おぼしめし]でお読取りを願ひます、正面の大広間一段高い所には、当館[とうやかた]の大将金長▼座を占めまして、一段下って左右には多くの眷属共奇羅星[きらほし]の如くに居流[ゐなが]れまして、其の所へ向けて▼山海の珍味、 種々様々な馳走[ちそう]を取出[とりいだ]しまして、人間で言はうなら送別会と言ふやうなことでもあらうか、其の酒宴[さけ]も半頃[なかば]に於きまして、大将金長は 金長「偖[さて]何[いづ]れも御一統の方々私が申すまでもなく定めて御承知でもあらう我は彼[か]の日開野の大和屋茂右衛門殿宅にあって主人に待遇[もてな]され彼[か]の家を守護いたして永らく此の地に棲[すま]って居ったのであるが最早[もはや]今年[こんねん]は▼二百七歳と相成った、併[しか]し官位なくては仲間の者[もの]訓戒[しめし]をすることも出来ない、就[つい]ては正一位の位を受けやうとして見れば、津田浦へ参って其の修行をせんければ相成らぬ、依って我れ彼[か]の地へ乗込んだる留守中は誰かに我館[わがやかた]を守らさんと心得たる所、幸[さいはひ]年長者でもあるから▼高須の隠元[たかすのゐんげん]、此の者に申し付けたることである、我[わが]留守中は万事高須の隠元の言葉を我が言葉と思ひ、能[よ]く此の処を守って呉れるやう、又此の方も当地を離れ只一人[ただいちにん]乗込むと言ふのは大きに頼りないことでもある、誰をかなと心得、召連れ参る者を選びたる所、幸[さいは]ひ彼[か]の▼藤の樹寺の鷹[ふぢのきでらのたか]なる者、我を守護いたして呉れると言ふことであるから、彼[か]の鷹なれば大丈夫片腕になるものと思ふのである、よって我と鷹と二匹が此の地を出立することに相成ったから、何[ど]うか後々[あとあと]の所を宜しく頼みまする」と斯様に金長は述べますると、眷属狸は何[いづ]れも先[ま]づ頭[かしら]を下げましたが ×「如何[いか]にも御大将の仰しゃる通り、我々は素[もと]より其の辺を承知仕[つかまつ]りました、何[ど]うか一時も早く官位をお授かりに相成って、後は此の地へお帰りの程を我々一同待受居りますることでございまする、併[しか]し御修行中は申す迄もなく、必ず御短気なことをなさらぬやう、又お身を大切になさるやう願ひたうございまする」
此の時[とき]座の中央よりそれへ進み出[い]でましたのは、藤の樹寺の鷹でございます 鷹「アー御一統、定めて御承知であらうが、身不肖[みふせう]なれども此の鷹が金長殿を守護いたす、我が棲家[すみか]は忰[せがれ]両名に任して置くことでありますから、何[ど]うか何分我々不在中、▼彼等[かれら]は弱年[じゃくねん]のことでありますから、各自方[おのおのがた]の保護を願ひたいものであります ×「イヤそれは誠に何[ど]うも我々一統の望むことでありまして、殊[こと]にお兄弟の衆は年も行かれぬこと、我々が付添ひ居りますれば、御身[おんみ]が此の地にお留[とど]のり相成ったも同様、併[しか]し何分▼彼[か]の地に滞在中は、万事大将の身の上は其の許[もと]にお任し申すことでありますから…… 鷹「如何にも承知致した」 此の鷹と言へるものは狸仲間では却々[なかなか]豪傑、抜群のものでございます、充分力量もあり、腕の覚えあるものと見做[みな]したのであります、此の時金長は高須の隠元に向[むか]ひ 金長「 隠元殿、我[われ]留守中は何分万事▼其の許[もと]が眷属共一統を保護いたし呉れるやう、呉々[くれぐれ]もお頼み申すことである 隠元「如何にも承知仕[つかまつ]りました、身不肖[みふせう]なれども此の高須の隠元が、御不在中は確かにお引受申しますから、御安心あって▼後[あと]に心を残さぬやう御修行が肝心でございます」とそれぞれ挨拶に及びましたが、軈[やが]て其の身は余程[よほど]▼深更[しんかう]に相成るまで送別の宴[えん]を催して居りましたが、
偖[さて]金長は旅の用意も充分いたしまして、人間なれば斯[か]う云ふ所を出立[しゅったつ]すると言ふ場合でございますから 、紺緞子[こんどんす]天鵞絨深縁[びろうどふかべり] 取ったる▼野袴[のばかま]にて、黒羽二重[くろはぶたへ]▼定紋付[ぢゃうもんつき]、金銀を鏤[ちりばめ]たる▼大小刀[だいせう]を帯挟[たばさ]み、紺足袋[こんたび]には切緒[きりを]の草鞋[わらぢ]、手には▼鉄扇[てっせん]を握って居やうと言ふ▼扮装[いでたち]、又後[あと]に従ふ鷹と言へる者はこれ又主人と同じやうな扮装[いでたち]を致して、殊[こと]に▼目方[めかた]三貫目もあらうと言ふやうな▼鉄棒[てつぼう]に等しい杖を突いて、尤[もっと]も色黒く眼中鋭く眼[まなこ]輝き渡り充分腕に覚えのあり、万事道中の取締りを致さうと言ふので、此の二人の手荷物は眷属狸の中[うち]、マァ大抵▼豆狸[まめだぬき]位で、此奴[こいつ]は紺▼看板に梵天帯[ぼんてんおび]、真鍮金具[しんちうかなぐ]の木刀でも極[き]め込んで、尻を高く端折[はしを]り、八畳敷の睾丸[きんたま]は隠したか隠さんか、其の辺までは確然[しっかり]判明[わか]りませんが、荷物を引担[ひっかつ]いで住み馴れましたる日開野[ひかいの]の鎮守の森を出立すると言ふ、豈夫[まさか]其様[そん]な姿をしたかせぬかそれも判りませんが、マァ大体然[さ]うだらうと▼想像致すのでございます、
人間とは違ひまして相手は▼四足[よつあし]のことでございますから朝の日の出を待って出立と言ふのではない、其の夜の丑刻過[やっつすぎ]の頃ほひ、住み馴れましたる古巣を出立いたして、愈[いよい]よ彼[か]の津田浦へ出かけると言ふのでございます、途中は別に変[かは]ったお話もない、マァ彼等[かれら]のことでありますから、道中第一の用心は彼[か]の▼犬等に出遇[であ]はぬやうに致して、然[さ]うして夜分にコッソリと、人の寝静まった頃ほひから往来をすると、▼斯[か]う思はれるのでございます、偖[さて]出掛けて参りましたのは彼[か]の津田浦の穴観音と言ふ所、尤[もっと]も此の辺は大変一時繁昌いたしましたと云ふのは、此の土地に棲息[すまゐ]を致しまする六右衛門狸と云ふものが、種々[いろ]んな不思議なことを致しまして、其処[そこ]で此の穴観音を流行らせのした、それが六右衛門狸の功でございまして、今では狸仲間では総大将と言ふのでありますから、先[ま]づチョッと一ッの城のやうな搆[かま]へを致して居ります、立派な六右衛門の館[やかた]でございます、
此の門前に鷹を待たして置いて、金長ズッと門を這入[はい]りまして、正面の玄関に懸[かか]りますると、 金長「お頼み申す、頼む」案内[あない]を乞ひますると此の玄関を預かりまする、眷属狸と見えまして、それへ出かけて参りましたが、見ると立派な風体[ふうてい]のものでございまする 取次「これはこれは何方[いづれ]からお出[い]でに相成った」此方[こなた]は金長恭[うやうや]しく頭を下げまして当御館[とうおんやかた]の御大将六右衛門様お在邸[ざいてい]でござりますれば、何[ど]うかお目通りを願ひ度[たく]態々[わざわざ]罷[まか]り出[い]でました、斯[か]く申す私[わたくし]は彼[か]の日開野[ひかいの]鎮守の森に棲居[すまゐ]を致しまする、金長と云ふものでございまする、予[かね]て御大将の御高名を慕ひ、態々[わざわざ]これまで参りました、何[ど]うぞお目通りを仰せ付けられませうならば、有難き仕合[しあは]せにございまする 取次「アァ左様か、それでは▼暫時[ざんじ]待って居らっしゃい、一応取次いで見ませう」 頓[やが]て取次は奥へ参りまして 取次「恐れながら申し上げます 六右「何[なん]ぢゃ 取次「只今立派な若者一人[いちにん]罷[まか]り越しまして、御大将にお目通りを願ひ度[たい]と申して居ります、如何[いかが]取計[とりはか]らひませう 六右「 何者である其奴[そやつ]は 取次「日開野[ひかいの]鎮守の森に棲居[すまゐ]を致す金長と申すものであります 六右「何、偖[さて]は日開野の金長が参ったか」 未[いま]だ此の大将六右衛門は金長に出逢ったことはないのでございますが、併[しか]し予[かね]て眷属の者共[ものども]より彼[か]の日開野の鎮守の森に棲居[すまゐ]をする、金長と言へる者は▼当時▼南方[みなみがた]を占領いたし、数多[あまた]眷属があって彼より年長の者が、金長の▼器量を慕ひこれを長[おさ]と致して敬[うやま]ふと言ふ、容易ならざる所の若者であると云ふことは聞いて居りますから、大体金長がこれまで我[われ]に一言[いちごん]の挨拶もしないと言ふのは、甚だ不都合なことである、と心中に心得て居りましたが、然[しか]るに態々[わざわざ]訪ねて参ったと言ふのでありますから、心の裡[うち]に六右衛門狸は笑[えみ]を含んだ「ハハァ偖[さて]は彼奴[きゃつ]が▼官位を受けんと致して此の所へ乗り込んで参ったのであるか、こりゃ斯[か]うなくては叶[かな]はぬことである」と六右衛門狸は大きに満足の体[てい]にて 六右「改めて面会を致す、それ者共[ものども]其の準備[ようい]を致せ」と茲[ここ]で眷属共に申し付けまして、愈[いよい]よ穴観音の館[やかた]の内に於きまして、大広間とも思[おぼ]しき立派な処へ向けて、一方に▼褥[しとね]を設け、六右衛門狸は其の所へ着座を致しまして▼脇息[きゃうそく]に、凭[かか]って、予[かね]て自分が部下と致して此の館[やかた]の中[うち]に養ひ置きまする数多[あまた]の▼家来を成るだけ大勢左右に並べまして、銀の燭台には灯火[あかり]を万灯の如く点じて、▼昼をも欺[あざむ]くばかりの有様でございます
六右「準備[ようい]宜[よ]くば其の金長なるものをこれへ案内[あない]を致せ 取次「畏[かしこ]まりましてございます」と取次の者は再び玄関へ出て参りました 取次「御大将お目通りお免[ゆる]し下し置かるることであるから卒[い]ざ案内[あない]を致す、お通りなさい 金長「ハッ」と答へまして金長、頓[やが]て左の手に……▼ドッコイ狸に手はございません筈[はず]、大方[おほかた]足でございませう、それは何[ど]うでも宜しいが、彼[か]の一刀を携[たづ]さへ案内[あない]に連れられまして奥の一間[ひとま]へ通りましたが、正面一段小高い所には六右衛門狸泰悠然[たいゆうぜん]と控へて居ります、程なく案内に連れられまして此の居間[ゐま]へ通りましたは彼[か]の金長でございます、先[ま]づ▼お定まりの通り初対面の挨拶を致します、尤[もっと]も金長は其の身は▼授官[じゅくわん]の身の上でありますから、遥かに下[さが]って礼を厚くし、恭[うやうや]しく頭[かうべ]を下げて 金長「これはこれは予[かね]て噂に承りました貴方[あなた]が六右衛門公に居らせられまするか、私[わたくし]は日開野鎮守の森に棲居[すまゐ]を致しまする金長と申すものでございます、予[かね]て貴公の御高名は雷の如く聞き伝へ居りました、今回態々[わざわざ]御目通りを願ひましたのは、何卒[なにとぞ]私に官位をお授けあらんことを願ひたく、又授位[じゅゐ]に及びまするに就[つい]ては、それ相当に修行を仕[つかまつ]りたく、不肖な金長でありますが、以来はお見知り置かれまして、万事▼御教導下[くだ]し置かれませうならば有難き仕合[しあは]せに存じ奉[たてまつ]る」と、我が身を謙遜[へりくだ]って挨拶に及びました、然[しか]るに六右衛門は熟々[つくづく]金長の姿を眺めて居りましたが、この金長と言ふものは当時▼血気の男でございまして殊[こと]に天晴[あっぱ]れ▼器量のある者と云ふことは平素[ひごろ]眷属共から聞いて居ります、如何なる者であらうと、其の様子を見ると如何にも身体[しんたい]に少しの隙[すき]もなく、殊[こと]に愛嬌[あいきゃう]零[こぼ]るるばかり、成程[なるほど]当時南方[みなみがた]に於[おい]て多くの狸党[りたう]の中[うち]立者[たてもの]と言はるるだけあって、自然[おのづ]と備はる其の逞[たく]ましき骨柄[こつがら]に、六右衛門殆[ほと]んど感心を致し、快[こころよ]く承諾を致して呉れました
六右「何[ど]うか暫時[ざんじ]は此の地に逗留をして修行を致されよ、及ばずながら▼お身の働[はたらき]次第によって正一位を授[さづ]くるか正二位を授[さづ]くるか、如何様[いかやう]とみお身の▼器量次第ことである」と先[ま]づ其の日は彼[か]の金長を饗応[もてな]します、金長も頻[しき]りに六右衛門を敬[うやま]ひまして、愈[いよい]よ此の地に留[とど]まって修行を致すと云ふことになりました、よって此の穴観音より七八町離れました所に、小川[をがは]の森と言ふ所があります、其の所に▼旅館を求めまして其の身は此の処に宿泊を致すことになりました、彼[か]の鷹を此の旅宿に残し置き日々[にちにち]穴観音の館[やかた]へ出かけまして、六右衛門を敬[うやま]ひ其の修行を致すのでございます、金長は別段に修行は致しませんでも充分に器量のあるものでありますが、何分相手の六右衛門と云ふのは、当時四国に於[おい]て此の狸党[りたう]の仲間で総大将と言ふのでありまして、仮令[たとひ]如何程[いかほど]器量があるにもせよ、此の者からこれなればこれこれの位を授けても苦しうないと云ふ、見込[みこみ]の付きまするまでは先[ま]づ一通りの修行をせんければならぬりであります、其処で金長は一生懸命となって彼[か]の▼変化[へんくわ]の術と云ふものを習ふのです、これは何かと言ひますと人間を程能[ほどよ]く誑[だま]すのでございます、それには矢張[やはり]それ相当の稽古をせんければならぬ、何処其処[どこそこ]の何[ど]う言ふ狸は斯[か]う云ふ工合にして人を誑[だま]した、又彼は此の様な誑[だま]し方をしたと言ふ、其処で段々功を経[へ]ますと、好[うま]く人を誑[だま]す方法を覚えるのでございます、これを▼彼等[かれら]の仲間では一ッの名誉として威張るのでございます、尤[もっと]も金長は狸とは言へど総[すべ]ての物事に通じまして充分出来まする所から、此の度[たび]六右衛門から▼問題を出しますると、それは斯[か]うだ彼[あ]あだと言ふので速[すみや]かに答弁[こたへ]も致します、只一生懸命に修行を致す、実に六右衛門も殆[ほとん]ど感心致しました
六右「彼[か]れは聞きしに優[まさ]る所の器量あるものである、何でも此の者を一ッ味方に引入[ひきい]れて我等[われら]が基礎[どだい]を堅めやうと見込[みこみ]を付けました所から、種々様々なことを彼に教へると言ふことになりました、六右衛門は▼老体のことでもありますし、自分には二人の子供がありまして娘を一人持ちましてこれを▼小芝姫[こしばひめ]と申し実に此の穴観音の館[やかた]にて▼蝶よ花よと育て上げに及び、今は妙齢[としごろ]となりまして六右衛門には到って秘蔵致して居りまする、此の小芝姫の弟に▼千住太郎[せんぢゅたらう]と言ふものがあります、未[ま]だこれは弱年のことでありまするから、修行の為に六右衛門の家[うち]を離れ、予[かね]て讃岐なる彼[か]の▼八島[やしま]の▼禿狸[はげだぬき]の許[もと]へ当時修行に参って居ります、此の千住太郎と言ふものは、短気で荒々しい男でありまして、到底自分の跡目相続をさせた所で治まりさうなことはない、依って願はくば姉の小芝に然[しか]るべき婿を選びまして、其処で自分は跡目相続をさして、其の身は隠居して飽く迄も四国で威勢[はば]を利かせやうと言ふのでございます、平素[ふだん]から其の事を心掛けて居りました、所が此の度[たび]やって参りました彼[か]の金長の器量を大きに感心いたしまして、何[ど]うぞして成る可[べ]くならば此の者を充分仕込んだ上で、▼我が娘の養子にしたいものであると云ふ、六右衛門の望みでございます、だから吝[おし]まず自分の覚えたるだけのことは彼[か]れに教え込むことでございます、所が金長は決して修行中に▼色情の道に溺れ込むと云ふやうなものではない、何でも一生懸命となって、一日も早く官位を授かった後[のち]は▼郷里に立帰って、自分の希望[のぞみ]を達しやうと云ふ考へでありますから、実に僅かな時間も怠[おこた]ることはございません、だから金長は追々[おひおひ]器量が進んで参ります、もう然[さ]う斯[か]うする中[うち]に▼此の館[やかた]へ入[い]り込んで参りチョッと一年ばかり一心に通ふて励[はげ]んで居りました、
所が何分四国に於[おい]て狸でもチョッと▼今言って見れば学校と云ふやうなものを建ってありまして是[こ]れまで諸方から入[い]り込んで参りまする狸党[りたう]の者共、追々[おひおひ]授官を願ふと言ふので修行を致して居ります、▼自分から見れば古い者も沢山[たくさん]ありまする、だが其等[それら]の者は追々金長が追ひ越しまして、何[ど]のやうなことを金長に▼問題を出しましても、少しも存ぜぬと云ふことはない、マァ他[た]の者に於きましても金長と云ふ名前を聞いて、これまで日開野に棲息[すまゐ]を致して▼無官の者とは言へども、多くの眷属を集めて其の長[おさ]に相成って居りまするものでありますから、決して馬鹿には致しません、其の中[うち]に是等[これら]古参の者をも追々、追ひ越すと言ふやうなことで「成程金長と言ふ者はエライものだ、却々[なかなか]器量のあるものだ」と皆々感心を致して居りまする、六右衛門も又彼の修行振りに驚ろいて、成程金長は天晴[あっぱ]れなものだと思ふに就[つ]いて、其の力量、心の裡[うち]も如何[いかが]なものであらうと、様々に試して見ますが、何一ッとして劣った所がない、依って彼が修行をして帰りますると六右衛門は其の後[あと]で、先[まづ]娘或[ある]ひは召使ひの者を集めまして酒宴に及びまする其の席上に於きまして娘の小芝に向けて 六右「何と乃公[おれ]も是れまでに数多[あまた]弟子を取ったが、其の中にも此度[こんど]参った金長程の器量あるものはない、実に彼の▼狸振[たぬきぶり]と言ひ、又其の▼行[おこなひ]と言ひ何一ッ不足のないものである、何[ど]うぢゃ小芝、彼[あ]の金長を何と其方[そち]の婿にしてやらうか、其の方も行々[ゆくゆく]は何[いづ]れ一人[いちにん]夫を持たんければならぬ、彼[あ]の様な器量抜群の者を夫と為[な]して其方[そち]が此の家[うち]の跡を継いで呉れれば、私[わし]は誠に▼安堵[あんど]を致すことである。併[しか]し其方[そち]の気に叶[い]らぬものを無理にとは言はないが、何[ど]う云ふ考へであるか、一応其方[そち]の思惑[おもわく]を尋ねる 小芝「アレマァお父さん、御冗談を仰せられます、妾[わたし]は未[ま]だ早[はや]うございます」と口には言へど小芝姫、心の裡[うち]では嬉しき想ひをしました、
始めの程は頻[しき]りに父が彼[か]れを褒めて居りますから「何[ど]のやうなものであらう」と折々彼が学問を致して居りまする▼次の間で、▼窺視[すきみ]を致して金長の様子を見まする所が、噂に違[たが]はず愛嬌もあり、其の男振りと言ひ「我も生涯に一度は▼殿御[とのご]を持つ身の上である、彼[あ]のやうな方を」と不図[ふと]思ひ付きまして、遂[つひ]に初恋のムラムラと起[おこ]りましたものか、折々[をりをり]は同じ館[やかた]の中[うち]でも金長にも出合ふことがありますから、何となく怪[おか]しな眼付[めつき]を致し、頻[しき]りに眼で物を言はして居りまするけども、肝心の金長には少しも其のやうな感じがありません、成程[なるほど]六右衛門の娘の小芝と言ふものは▼縹緻[きれう]の美[よ]い女ではあるが、併[しか]し時々妙な眼付をして乃公[おれ]を眺めて居[を]るが、ハハァ偖[さて]は▼眇眼[すがめ]ではないか知らぬ、斯[か]う思ふのでございますから、幾ら小芝姫が想ひを掛けた所が、鮑[あはび]の貝の片思ひと云ふのでございまして、それが為に益々[ますます]小芝は心を悩まして居りまする、所が意外にも父から此の言葉が出ました所から殊[こと]の外[ほか]喜びまして益々[ますます]金長を恋[こ]ひ慕ふと云ふことになりました、
所が金長は予[かね]て大和屋茂右衛門に受けましたる其の▼恩報[おんほう]じ、其の身は官位を授かった後は一日も早く▼村へ帰って、益々大和屋の家を守護致したきものと云ふ決心でございます、何[ど]うぞ致して早く官位を受けたいと云ふ考へ、只それのみに心を寄せまして、仮令[たとひ]何[ど]のやうな女があらうとも決して其のやうなことに心を寄せるものではない、然[さ]う斯[か]うする中[うち]に早[は]や一年の▼星霜[せいそう]は経ちました、所が流石[さしも]の六右衛門も是[も]う▼これに対して教へる所の術もございません、大きに其の身は彼[か]れに恥ぢらうばかりの様子合[やうすあひ]でございます、時々は金長から難しいことを問はれますると、自分も其の答弁[こたへ]に困る位なことでございます、 六右「金長お前には実に驚いた、私[わし]も永年数多[あまた]の門人を引受けて居[を]るが、お前のやうな物覚えの宜[よ]い者はない、何処[どこ]で其様[そん]なことを習って来た、私でさへも其の意味が解[わか]らぬ 金長「これは▼お師匠様、ホンの▼聞学[ききがく]でございまして人様から承りました 六右「イヤイヤ然[さ]うではあるまい、却々[なかなか]感心なものだ、もう斯[か]うなって見るとお前に一日も早く正一位の位を授けんければならぬ、必ず今月は▼吉日を選んでお前に一ッ其の官位を授けると云ふことにしませう」これを聞いて金長はハッと飛退[とびじさ]りまして頭[かしら]を下げ 金長「これは有難きお師匠様のお言葉、何分宜しくお願ひ申し上げます」 先[ま]づ本月[ほんげつ]の中[うち]には多分正一位の位を受けらるるあらう、と本人は其のことを楽[たのしみ]に尚[な]ほ励[はげ]んで修行を致して居りまする、
六右衛門の方ではそれとは無しに娘を手許[てもと]へ呼び寄せまして、▼彼が心の裡[うち]を探って見ると、否[いな]にはあらぬ稲船[いなふね]の触[さは]らば落ちんと言ふ彼が様子合[やうすあひ]、其の辺を推量いたして先[ま]づこれなれば至極[しごく]好都合であると思ふに付けて、此の小芝の母と申す者はこれは彼が幼少の頃ほひ没しましたことでありますから、父親[てておや]の手で育て上げまして子に甘きは父親[てておや]の倣[なら]ひ、実に娘を▼手の中[うち]の玉と慈[いつく]しんで育て上げました六右衛門でございますから、何[ど]うも彼は金長に心を寄せて居[を]ることが見えてありますものの「何[ど]うぞお父様彼[あ]の方を妾[わたし]のお婿様に貰って下さい」と云って、ハッキリ云ひ出[い]でますれば誠に仕[し]よいのでありますが、只[ただ]未[ま]だ早[はや]うございますと云って断りますから、確[しか]と娘の心を確かめて置いて、其の上[うへ]金長に話をしやうと云ふのでございます、よって自分も熟々[つくづく]考へまして、此の小芝を藁[わら]の上から育て上げました▼乳母[めのと]がございまして▼小鹿の子[こがのこ]と云ふものであります、それは自分の部下で▼津田山に棲息[すまゐ]を致しまする、▼鹿の子[かのこ]と云ふ二匹の夫婦ものを我が子の傍[そば]に仕[つか]へさせてありまする、此の鹿の子夫婦の者を呼んで、篤[とく]と小芝姫の▼心腹[しんぷく]を聞いた上にしやうと、偖[さて]六右衛門は此の縁談のことに就いて奔走いたし、金長を手許[てもと]に留めやうとしたのが、事[こと]成らずして意外にも茲[ここ]に飛んでもない騒動が持ち起[おこ]らうと云ふ、これからが有名な狸合戦と云ふことに相成るお物語でございますが、チョッと一息[ひといき]致して。